第1章 バス・イー魔術学院編

第16話 魔術世界の中心地セージュ(前編)

 森の中の家を出てから今日で一週間。

 日中はセージュへの道を走り、そこに町か村があれば宿屋で一泊し、無ければテントを張って星空を見上げながら野宿を行う。

 食べ物も基本的には現地調達だ。

 食べられる草や魔物……見た目はグロテスクだが、魔力抜きをすれば毒にはならない……を焼いて食べる。


「着いたぞー」


 そのような生活を四人で続けながら辿り着いたのはセージュ……ではなく、周囲を木に囲まれた静かな湖であった。


「二人とも、シートベルトはしっかり締めとけよ。振り落とされないようにな」


 ここがセージュ……魔術世界の中心地、だとは思えないが、シルヴィオの言葉に疑問を挟むことなくウィリーとフリーダはきつくシートベルトを締め直している。


「あの、シルヴィオ……」


 今からどうするのか、と車の後部座席から前方に身を乗り出した瞬間。


「それじゃ、突っ込むぞ!」

「うわっ!」


 シルヴィオがランボルギーニのアクセルを思い切り踏み急発進する。

 その衝撃に皮の座席に背中をしたたかに打ち付け、一瞬息が出来なくなった。悲鳴を上げられない。横のフリーダは目を固くつむっている。

 前方にあるのは湖だけなのに、車は進路を曲げる気配がない。


(まさか!)


 そのまさか。

 一切減速することなく、むしろ加速しながら車は湖の中へ突っ込んだ。


水よ溢れよ、固まり繋がれデボーダー―アーキテクト・コネクテル。ひっくり返すぞ、しっかりつかまってろよ」


 前の席からシルヴィオの注意が飛ぶ。

 ひっくり返す?なにを、この車に決まっている。もしかして、それがセージュへの入り口になっているのか。

 水中に道はない。

 だが、魔術がある。シルヴィオの杖から飛んだ魔術は水の中に簡易的な通り道を作り出し、ランボルギーニはその上を壁に向かって走り出す。


「んー!んーー!!」

土よ捲れよセノイア!」


 壁に辿り着き、横向きになって走る車の前方に小さな突起を出現させたシルヴィオはそこまでランボルギーニを走らせて、右のタイヤをその突起に添わせる。

 狙い通りの横転だ。

 シルヴィオの予測通り車はくるりとひっくり返った。


「んーー……!」


 ノアの悲鳴は誰にも届くことはない。

 百八十度横転した車はその状態を保ったまま水中を沈んでいき……いいや、わたしの身体を基準に考えるならば沈んでいるのではなく浮かんでいるのか?

 頭上から差し込む光に目を細め、そして。


『湖から一台の車が降ってきた!』

『降ってきた!』

『中には何人?』

『三人!』

『照合開始ぃー……完了、シルヴィオ・ダスク、ウィリー・マクドネル、あともう一人は情報なし!』

『情報なし!』

『情報を登録するのだぁー!』

『氏名、性別、年齢。それにセージュに来た目的は?』


 水中から浮上した車が辿り着いた先は、殺風景な車庫であった。

 そこにいたのは五人の妖精……人間とよく似た身長五十センチほどの生物……に、あっという間に囲まれて質問攻めにあう。


「えーっと……」

「おい、なに言ってんだ。四人だ四人、お前らの目は節穴か」


 まごつくフリーダのそばでクルクルと回る妖精たちにシルヴィオが運転席から身を乗り出すが、彼の言葉に妖精たちは首を傾げた。


「……シルヴィオ、妖精たちは正しいよ」

「ああ?どういうことだよウィリー」

「いないんだ、ノアが」


 三人がノアの座っていたはずの席を見る。

 ウィリーの言う通り、確かにそこには空白があった。息を呑む。ダラダラととんでもない量の冷や汗が流れ落ちた。


「なぁウィリー、こういう場合って……」

「セージュのどこかにはいると思うけど……」


 事態をいまいち飲み込めていないフリーダ、右側に四十五度首を傾げる妖精たち。

 ちょうどその頃、ノアは。



「待てクソガキ!」

「掛け金返しやがれ!オレぁ負けてねぇぞ!」

「止まれや!ぶっ殺してやる!」


 怒号を上げながら追いかけてくる数人の男たちから逃げ回っていた。

 事の発端は数分前。

 車がひっくり返った瞬間に車外へ放り出されたノアはセージュの上空に出現し、重力に従い落下した先にちょうどいた人にヒップアタックをかましたのだ。

 それだけならまだ良かったのだが、ノアのぶつかった人はまさに賭け喧嘩の途中だった。


「すいません!だけど僕のせいじゃないんです!」


 酒場や怪しげな店の立ち並ぶあぜ道を縦横無尽に走り抜けながら大声で弁明するも、そんなことは聞いちゃくれない。


「うるせぇ!んなこたどうでもいいんだよ、金寄こせやぁ!」


 生気の無い老人を蹴り飛ばし、白い粉の取引現場をぶち壊しながら男たちは迫り来る。

 人の身体能力を十全に活かしたところでこのような走り方が出来るのか、とにかく十分以上走り続けて男たちを撒く未来が一向に見えない。


「おい。こっちだ」


 そんな折、建物の影からにゅっと伸び出た腕が僕の手を掴んで引きずり込んだ。

 浅黒い肌をした少年だ。おそらく年齢は僕と同じくらいだろう。短く切りそろえられた真っ黒の髪に切れ長の瞳が威圧感を与えてくる。


「うわっ!」

「声を立てるな。見つかるだろう」


 しぃ、と唇に人差し指を立てて睨まれたので、自分の手で口を塞いでコクコクと頷く。

 少年はほんの少し通りへと目を向け、僕を追っていた男たちを一目見てボソリと独り言を呟いた。


「アイツら、リリースを使ってるな」

「リリース?」

「身体のリミッターを外す薬だ。心がすっきりして全能感を味わえる」


 薬。

言われてみれば確かに、僕のことを見失って血眼になって辺りのものを叩き壊す男たちは明らかに正常ではない。


「行くぞ」

「う、うん……」


 建物の裏、入り組んだ通路……とも言えないような抜け道をすいすいと進んでいく。

 壁や露出したパイプ、小動物に息をひそめる魔物。そういったものに当たらないように注意しながら、前を歩く少年を見失わないように息を切らして追いすがる。


「ねぇ、これ、どこに向かってるの?」

「セージュだよ」

「……湖の中を通ってきたんだけど、ここはセージュじゃないのか?」


 正確には、湖の中を沈んでいる途中に振り落とされた、だ。

 フリーダ、ウィリー、シルヴィオ、三人は無事セージュに辿り着けたのだろうか。というか、それなら僕のいるこの場所はどこなんだ。


「ああ、なるほど。セージュは初めて……とすると、オマエ魔術学院の新入生か」

「う、うん……」


 ノアが頷くと、少年はふぅんと小さく唸った。


「……地理的な観点で言うなら、ここは間違いなくセージュだ。魔術世界の中心地セージュに属する区画の一つ」


 そこまで言って角を曲がろうとした少年が、突然ピタリと立ち止まる。

 僕はそれに気づかず、彼の背中にどんとぶつかり顔を押さえて後ずさった。


「いたっ」

「別の道にするか」


 さっさと来た道を戻っていく少年についていく前に、曲がり角の先になにがあったのかを確認する。

 そこには、肩を揺らして笑い続ける男の姿。耳を澄ますと、男は頭を抱えてぶつぶつとなにかを呟いている。


「ママ、ボク、強いよね、貴方は天才よ……」


 周囲を見渡すも男の母親はどこにもいない。

 五十歳を超えるような壮年の男が虚空を見つめて甲高い声でそんな戯言を繰り返しているのは、少し気持ち悪い。

 その光景に僕が言葉を失っていると、別の道に入ろうとしていた少年が声を上げた。


「おい何してる。さっさと来い」

「ご、ごめん……」


 僕が少年の後ろについて歩き始めると、彼はさっきの話の続きを始める。


「ここはセージュ第九区画、落伍者たちの楽園……なんて言われている場所だ。賭けと喧嘩、それに薬と酒と女、それがここを構成する全てで、汚れてないお前のようなヤツが来る場所じゃない」

「……えっと。僕のこと、助けてくれたんだよね。ありがとう」


 別に、と少年はそっけない態度を取っているが、耳まで少し赤くなっているのを見ると少年は照れているのだろうか。


「あの、さっきの人は……」

「あの男はリコレクトだろうな。記憶を一時的に昔のものに戻してくれる。魔術師でアレにハマるヤツは多い。……着いたぞ、ここだ」


 入り組んだ路地裏から抜け出た先にあったのは大きな酒場……看板にはレ・レポスと書かれている。

 少年に続いて中に入り二人掛けのテーブル席に腰を落ち着かせると、年齢二桁に満たないような少女が二本の黄色い飲み物を大きなグラスに入れて持ってきた。


「いらっしゃいませー!ヴォーさんにご新規一名様。ご注文はお決まりですか?」

「コイツをセージュの第一区画まで連れて行きたい。馬車を手配してくれ」

「はぁい。フライドポテトにポレットの姿焼きですね。かしこまりましたー、三十分ほどかかりますのでよろしくおねがいしまーす」


 少年――ヴォーというらしい――が頷くと、「ありがとうございまーす!」と店の奥に引き上げていく。

 この黄色い飲みもの、いったい何なのだろう。

 ヴォーが躊躇なくぐびぐびと飲み始めるのを見るとそこまで怪しいものでは無いのだろうが……一リットルは入っていそうな大きなグラスを傾け、一口を口に含む。


「うえぇ……、苦ぁいぃ……」


 森の中の家で少し飲んだコーヒーとはまた別種の苦さだ。

 喉に来る苦さというか、むせかえりそうな絡みつく辛さに顔が発熱しているような気さえする。


「あぁ、エールは初めてか。無理なら飲まなくてもいいぞ」

「ごめん……」


 ヴォーの言葉に甘えて大量に残ったグラスを置き、店内を見渡す。

 軽く百人は入りそうなほどの大きさだが、まだ日が高いためか僕たちの他にお客さんは奥の……ピンクという派手な髪色の女の子とそれに絡んでいる三人の男くらいのものだ。


「えっと、ヴォー……でいいんだよね」

「ああ、そういうオマエは、っとすまねぇ精神感応テレパスが入った。少し外すがここで待っててくれ」


 半分ほど飲んだグラスを置いて、ヴォーは耳元を押さえながら酒場を出ていく。

 同時に先ほどから少女に絡み続けていた男たちも、少女の肩を掴んで外へと抜け出ていった。男たちの腕の隙間から見えた彼女の顔は嫌悪を表している。


「はいよー少年、フライドポテトとお水お待ちー」

「あ、ありがとう」


 二人分にしては妙に量の多いフライドポテトの山に驚きながらもお礼を返すと、いいよーと手を小さく振りながら少女は満面の笑みを浮かべる。

 こんがりと揚げられたそれを一本口の中に放り込むと、その塩の量に少しむせてしまう。しょっぱい!塩をそのまま舐めているみたいだ。舐めたことないけど。

 僕の様子を見ていた少女はうーん、と人差し指を顎に当て、ポテトのついでとばかりにこしょっと僕に耳打ちした。


「そういえばさっきの女の子、魔術学院の新入生だと思うよ」

「そうなのか?」

「うん。パンフレット見てたしまず間違いないさー」


 新入生がどうしてこんな場所……ヴォーが言うにはセージュ第九区画、にいるのだろうか。もしかして僕と同じように湖の中で乗り物に落とされでもしたのだろうか。

 考えていても仕方がない。

 僕になにが出来るのかは分からないが、きっとフリーダなら「助けに行こう!」と言うだろう。なら、僕も。


「すいません。ちょっと行ってきます」

「はい、行ってらっしゃーい」


 酒場の少女に見送られながら外へと飛び出し、そこで精神感応テレパスを行っていたヴォーに少女たちの向かった方向を聞く。

 だが、見たところ進行方向の通りにはいない。とすると、どこかの路地裏に入っていったのか。

 注意深く一つ一つの隙間を確認しながら進んでいく。


「ん……?」


 そこに倒れ伏していたのは酒場で少女に絡んでいた男たちだ。

 目が回る、気持ち悪い……とよく分からない独り言を呟いており、魔術学院の新入生だという少女はどこにもいない。

 逃げ切れたのならばそれでいいのだが……。


「おい、オマエ。こんな場所で正義感を発揮するな。死にたいのか?」


 怒ったような呆れたような声音に後ろを振り向くと、ヴォーが腕を組んで立っていた。どうやら精神感応テレパスは終わったらしい。

 彼のその言葉に大袈裟じゃないか、とも思ったがその表情はどこまでも真剣だ。ごめん、とうなだれるとヴォーは頭を掻いてため息をついた。


「別に構わない。それより」

「お二方ー!馬車の用意が出来ましたよー!」


 彼の言葉をさえぎって酒場から僕たちを呼ぶ少女の声がする。

 三十分かかるといっていたが、それよりも大分早い。ヴォーに顔を向けると彼はふっと笑い、通りに繋がれた馬車に顎をしゃくった。


「あれに乗ればセージュの中心地、魔術学院のある第一区画にまで行ける」

「ヴォーは?」

「すまないが急用ができた。悪いが一緒には行けない。……あぁそうだ、オマエの名前をまだ聞いてなかったな」


 僕は感謝の意を込めて彼に小さく頭を下げる。


「僕はノア。……改めて、助けてくれてありがとう。また会えたら、その時は一緒にご飯を食べようよ」

「……ノ、え、ああ、そうだな。そうしよう」


 馬車に向かって歩きながら、こちらに向かってにこやかに手を振るノア……に、ちゃんと俺は笑顔を浮かべられているだろうか。

 ノアを乗せた馬車が走り出し見えなくなると、路地裏から出てきたピンク色の髪をした少女がヴォーに向かってにこやかに話しかけた。


「ヴォー君、ねぇ、ラルアからの指令聞いた?この広いセージュのどこかにいるノアを探し出して恩を売れーって」


 ヴォーが頷くと、大きなため息をついたピンク髪の少女はがーっと愚痴をまくし立てる。


「そもそもさー、百年前からいる古参の一人だからって威張り散らすのやめて欲しいんだよね。ノアを探せってその特徴も言わないとか有り得なくない?」

「ああ、そうだな……」


 さらに文句を続けようとした少女は、いつもよりヴォーの反応が薄いことに首を傾げた。

 彼の眼前でヒラヒラと手を上下に動かしてみる。


「なんだ、ロッタ」

「や、なんか心ここにあらずーって感じだったから。……ま、仕方がないし探そうよ。とりあえず第八区画からしらみつぶし?」


 ロッタと呼ばれた少女の提案を、ヴォーは首を振って却下した。

 そうだ、意図しないことではあったがラルアからの指令は既に達成している。


「どういうこと?まさか、さっきの男の子が……」

「そういえば、オマエどうしてあの酒場にいたんだ。新入生なんだから第一区画でショッピングでもしてればいいだろ」


 じっと馬車の通った道を細目で見つめるロッタにヴォーが聞くと、彼女はニッコリと頷いて答えた。


「私、あそこのポテト好きなのよ。言ったことなかったっけ?」

「はっ……まじか」


 ヴォーはその満面の笑みに失笑を浮かべる。

 あの酒場のフライドポテトは安い塩の振り過ぎで、辛くて食えたものじゃない。薬で味覚のおかしくなったやつしかいないからだと思っていたが、まさかこんな身近に愛好者がいるとは。


「ねぇ、なんで笑ってるのよ」

「いや、別に……さっさとラルアに会いに行くぞ」


 これから始まる新しい生活、魔術学院での活動はきっと楽しいものになるだろう。そんなことを考えると頬が緩む。

 そんな彼にちょっかいを掛けながら、バス・イー魔術学院の新入生でもある彼らはセージュ第九区画の奥深く、闇の中へと歩を進める。



「はいよ、お客さん。第一区画に着きましたぜ」


 それから少し経ち、ノアを乗せた馬車は無事セージュ第一区画……バス・イー魔術学院下の街まで辿り着いていた。


「ありがとう!」

「礼ならヴォーのガキに言っとけ。それじゃ、もう第九区画になんざ来るんじゃねえぞ!」


 ハァッ!と壮年の御者は老いた馬に鞭を打ち、来た道をそのまま戻っていく。

 それを見送った後、一人になったノアはその街を見渡した。


(杖、教科書、ローブ、箒……全部魔術に関係ある店だ)


 セージュに来るまでにいくつかの町や村に泊まったが、魔術を扱う店なんて一つか二つあればいい方だった。

 好きなおもちゃを目の前にした子供のような目で街をフラフラと回ろうとした彼の手を誰かが掴む。


「ノアくん、やっと見つけた!」

「フリーダ」


 はぁはぁと息を切らした彼女は、ノアの手をぎゅっと握ったまま膝を押さえてうずくまる。

 そして少し体力が回復してきたのか、ばっと勢い良く立ち上がり、ずいと僕に向かって顔を近づけた。


「もう、心配したんだからねー!」

「ご、ごめん……」


 車から放り出されたのだからしょうがないだろうという気持ちもあるが、それとして彼女を心配させてしまったのも事実だ。

 まったくもー、と頬を膨らませて怒っていた彼女は、しかし安心したのかストンと肩を落として安堵の息を吐いた。


「ウィリー、シルヴィオさん、うん、うん……りょーかい。それじゃ、また後で」

「どうしたの?」

精神感応テレパス。ノア、見つかったよーって。あと、セージュの第一区画内から出ないんだったら好きにしていいって」


 本当?と聞くとホント、とフリーダは大きく頷いた。

 なら、やることは一つしかない。魔術学院に入学するというのに、僕は自分の教科書や制服を持っていないのだ。


「いい?」


 聞くと、彼女は笑みを浮かべて優しく頷く。


「もちろん。行きましょ、セージュ探検開始よ!」

「おー!」

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