第15話 旅立ち
『はーい、ルーラ。元気?』
「あんたが連絡してくるなんて珍しいわね、ワイズマン。なにかあった?」
森の中の家、オルガンのいない映画の部屋に一人、ルーラは幼いころの自身の記憶をスクリーンに映していた。
生後数か月かのオルガンと、三歳くらいのルーラが積み木を用いて遊んでいる映像だ。
『特には。リベリオンが通話できない状態でね、ワタシはただの代理さ』
「ふぅん……ああ、ごめんだけど『賢者の石』の回収は出来なかったわ」
今回、世界解放戦線よりルーラに与えられていた命令。
それは、メルヒヌール・マレクディオンの持つとされる「賢者の石」を回収すること。
だが、解放戦線の参謀役である男……世界最強の魔術師、ワイズマン・ワンダーランドは|精神感応
《テレパス》の向こうで興味無さげだ。自身で出した命令にもかかわらず。
『いいよ。どうせそこにあるものは偽物だし、世界に散らばった欠片も実はアタリはついてるんだ』
「はぁ?じゃ、なんでアンタは私をこんな辺境に」
『会いたかったでしょ?弟に』
核心をつかれたルーラは喉から吐き出そうとした言葉を胃の中に送り返し、代わりに舌打ちを一つくれてやる。
メルヒヌールによる
『だけど、その気の荒れよう。上手くはいかなかったみたいだね』
「今回は、ね」
『と、言うと?』
「ねぇワイズマン、お願いがあるんだけど」
「瞑想の時間だ。起きなさい、ノア」
「ぅ、ふあぁ……父さん、僕まだ眠いんだけど……」
だって、昨日は夜遅くまでサリュ村に出現した魔物を討伐する手伝いをしていた。
違う。
その魔物は強くてしぶとかったけど、所詮僕と父さんの敵じゃなかった。けど、時間がかかって家に帰ってきたときにはもう日をまたいでいたんだ。
違う。
「あと二時間くらいは寝てていいでしょ……?」
「精霊とは毎日決まった時間に心を通わせること。たとえ何があっても、じゃ」
そういって父さんはカーテンを開け、僕の布団を引っぺがす。陽の光と肌寒い空気にうぅ、と呻き声を上げるがお構いなしだ。
違う。
「まったく……。魔術学院では自堕落な生活は出来んのじゃぞ」
「そうなったらしっかりするよ……。ふ、あぁ……」
大きなあくびを一つして、睡魔を振り払うように勢いよく身体を起こす。よし、もう大丈夫。その様子を見た父さんは階段で下に降りていく。
違う。
開かれたドアからはほのかにいい香りが漂ってきている。今日の朝ご飯は味噌汁に焼き魚だろうか。
違う。
一つ伸びをして父さんに続いて僕も階段を下りていくと、リビングにはもうみんなが集まっていた。
違う。
「遅いぞノア。あと三十秒遅かったらもう食べ始めてたところだ」
「おはよーノアくん。今日はねぼすけさんだねー」
リビングに入ってきた僕を見て笑うのは同居人……父さんの魔術の弟子のウィリーと、幼馴染のフリーダだ。
違う。
二人だって昨日の魔物討伐に駆り出されていたのに、なぜこんなに早く起きれるのだろう。首を傾げながらも、フリーダの横の椅子を引いて座る。
違う。
「では、神ヴィクトールに祈りを込めて……」
僕の前に座った父さんがそう言って手を組み合わせ目をつむり祈りを捧げる。僕たちもそれに続き見たことのない神様にお願いをする。
違う。
どうか、この幸せな夢が壊れませんように。
違う!私にこんな記憶はない!
ルーラが夢のことを「精神安定剤」と言っていた意味が、今本当の意味で理解できた。
メルヒヌールを失った悲しみ、彼を助けることが出来なかったという無力感、それに何もできないまま時間だけが過ぎていくという焦燥……夢はそれらを一緒くたにして心の奥底に押し入れようとしてくる。
だめだ、やめてくれ。
どうか、神様がいるのなら。お願いします、私の感情を幸せな嘘で上塗りしないで、私から私を奪わないで。どうか、どうか。
「……ん」
幸福な夢から目を背けて目覚めると、そこに横たわっていたのは覆すことの出来ない現実であった。
「グッドモーニング、よく眠れたか?」
「……誰、ですか」
数日前にノアに与えられた地下の一室。そこで僕が目覚めたときのように椅子に座って見下ろすのはメルヒヌールではなく、見知らぬひげもじゃのおじさんだ。
聞くと、おじさんは自身のひげをしょりしょりと触り、ふぅむと喉を鳴らす。
「ま、流石に覚えてねぇか。久しぶりだな、ノア。俺はシルヴィオ。シルヴィオ・ダスクだ」
「シルヴィオ……?」
確か、その名前には聞き覚えがある。
あの映画の部屋で見せられたメルヒヌールの記憶、そこで彼と一緒にいた人物の名前がシルヴィオだったはず。言われてみると、あの映像のに少し面影が似ている気がする。
「今日はメルに呼ばれてきたんだが、あいつどこにもいねぇんだよ。ノア、なにか知ってるか」
アイツは昔からそういうところがあるからな、と純粋な疑問として僕にぶつける。
「メルヒヌール、は……」
僕は口を開き、だけどもそれ以上の言葉は出てこなかった。
その様子を見たシルヴィオはなにかを察したのか、さぁっと顔から血の気を引かせて立ち上がる。
「まさか、メルが?そんなバカな。解放戦線ってのはそんなにヤバい奴らだったのか?」
シルヴィオはその勢いのまま部屋の外へと飛び出し、そしてちょうど走ってきたフリーダと正面衝突した。
「痛ぁ!」
「スマン!」
「いいよー……って、あー!ウィリー、不審者見つけた!」
「嬢ちゃん、俺は不審者じゃねぇ!シルヴィオだ、シルヴィオ・ダスク!メルからなにも聞いてねぇ、の、か……聞いてねぇよな、すまねぇ」
自分で発した言葉にうなだれるシルヴィオは、フリーダの叫びを聞きつけてすっ飛んできたウィリーと私を交えて一階のリビングへと集まった。
床に正座するシルヴィオを三人で囲む格好だ。
「……あー、久しぶりだな、ウィリー」
「お久しぶりです、シルヴィオさん」
顔に杖を突きつけられた状態のシルヴィオはウィリーに苦笑いを向けるが、当のウィリーは完全に無表情だ。
「ええと、五年ぶりか?」
「そうですね、シルヴィオさんがこの家を半壊させてから今日でちょうど五年と三ヶ月になります」
「もうしねぇよ!ほらけど、あん時はメルが俺のことを煽ったことも原因……や、言わねぇよ、言わねぇから杖から炎飛ばそうとするのやめろ熱ぃ!」
ウィリーはしょうがないな、と小さく呟き杖を下ろして尋ねる。
「それで、今日はどんな用で来たんですか」
「……メルに呼ばれたんだよ」
シルヴィオの言葉にウィリーとフリーダがピクリと身体を震わせる。
「今から一週間前か。ノアとフリーダにセージュ……魔術学院を見せてやりたいから、って
「師匠が、たったそれだけで?」
一週間前といえばまだ私は目を覚ましていない。ルーラとメジャーの二人だってまだ姿を現してはいないだろう。
シルヴィオの言葉は続く。
「ああ、言ったよ。お前が連れて行ってやったらいいだろ、ってな。今思えばあの時のアイツは強引だったな」
メルヒヌールはまだなにも起こっていないその時にはもうなにかを感じ取っていたのだろうか。
彼の真意は今となっては闇の中だが、シルヴィオは手を顎に当ててじっと考え込む。
「……なぁウィリー、メルの『秘密の部屋』のパス知ってるか?」
「秘密の部屋?」
「研究室の奥にあるメルおじさんのプライベートルーム。錠がかかってるからわたしたちは入れないの」
私の疑問にフリーダがこしょっと耳打ちする。
耳元にかかる甘い息に頬が熱くなるが、それがバレないように「ありがとう」とお礼を言う。
「いえ、知りません」
「そうか。なら俺が呼び出されたのはそれが原因か。……カギはあるんだよな?」
メルヒヌールの研究室は私に与えられた部屋から数分歩いた大きな部屋であった。
鍵を開けると、中はウィリーの部屋ほどではないが中々散らかっている。部屋のいたる箇所に何語かも分からない本や書類が積み上げられ、二つある机の一つには様々な実験器具、もう一つの机には何冊ものノートが今も広げられていた。
「おお……この魔術式は面白いな。それでこっちは……ははぁなるほど、グリーンドラゴンの解毒薬か。このアプローチは思いつかなかったな」
「シルヴィオさん?」
興味深げにあちこちを眺めていたシルヴィオは、ウィリーの催促に両手を上にあげる。
「わーってるよ。今開けるから待ってな……えーと?」
なんだったけな、なんて言いながらも奥の部屋に行くためにかけてあった南京錠の番号を合わせていく。
そして数分後、カチリという小さな音でメルヒヌールの「秘密の部屋」への扉は開かれた。
「えらくこざっぱりとした部屋だな」
そこに踏み込んだ私たちの感想をシルヴィオが代弁する。
研究室と違って、そこには小さな机が一つに小さな本棚が置かれているだけの小さな部屋だった。明かりも最低限で、ランタンをつけるもぼんやりと暗い印象を受ける。
「んーと、ここか、ここか、あるいは……」
「ちょっとシルヴィオさん。メルおじさんの私室ですよここ、なに我が物顔で漁ってるんですか」
さも当たり前のように机の引き出しを開け始めるシルヴィオを慌ててフリーダが引きはがす。
「いや、見るだけって来た意味ねぇだろ!放せフリーダ、俺はメルの秘密を知りてぇんだ!」
揉み合う二人とその仲裁に入るウィリーを横目に、私はシルヴィオの開けた机の引き出し……その中に入っていた黒の手帳に目を落とす。
(これは……)
考えるまでもなく日記帳だ。
好きに見ていいものではないとは分かっているが、好奇心が刺激されることもまた事実。ごめんなさい、と心の中で断りを入れ、一ページ目をめくる。
『ノアについての記録 一日目
それから先は私についての記録が続く。
だいたいが代わり映えのしないものだが、時たま私が身体を起こすなどのアクションを起こしたとき――もちろん私にそんな記憶はない――は、書いている内容が長くなっていた。
それを微笑ましいとぱらぱらと眺め、大きな転換があったのが今から一週間前であった。
『記録 三八五二日目
理由は不明だが、ノアから急激に生命力が失われ始めている。
維持装置が警告を発しているが、僕にこれを止める手段はない。だがこのまま見殺しにするつもりはない。賢者の石だ。これから流れる魔力によって生命力の代用とする。
上手くいくかは五分と五分、それに代々受け継がれし家宝を失うことにはなるが、きっとご先祖様も許して下さることだろう』
その日は他の日と違い、随分と殴り書きであった。
失われる生命力、その代用としての賢者の石……とすれば、おそらくはノアの左胸に赤く光るモノがそうなのだろう。
「奇妙な感じはすると思ったが、ノア、オマエ賢者の石と一体化してるのか」
「……?」
「答えなくてもいい。見せてくれないか」
シルヴィオの言葉に従い、シャツを脱いで上半身裸になる。
人間の心臓部分にあたる胸の中心部。そこにこぶし大の赤く透明な石が半分身体の中に取り込まれた状態でドクドクと蠢いていた。
「本来賢者の石ってのは人間を拒絶するもんだが……完全に融合しているな。痛みとかはないのか」
「えっと、はい」
「ふーん、ま、ならいいか」
先ほどの真剣な表情とは打って変わって適当な結論に達したシルヴィオだが、嘘をついている様子もないし問題ないのは確かなのだろう。
それから興味を失ったシルヴィオはペラリと次のページをめくる・
「なら、メルが見せたかったのはそこじゃねぇな」
『記録 三八五四日目
ノアが目を覚ました!
漏れ出る生命力の謎は解けていないが、ノアに融合した賢者の石から流れる無限の魔力はその代用を果たしてくれるだろう。
一通り確認はしたが、身体に問題はない。
喜びに我を失うことなく、しっかりと経過観察を行うこと』
メルヒヌールの書いた日記は終わりに近づいてきた。
数百ページと綴られたその日記帳も、文字が書かれているのはあと三ページしかない。
ゴクリと唾を飲み込みページをめくる。その先にあったのは三八五九日目……それは今日だ。今日の日記が最後に書かれている。
『記録 三八五九日目
この記録を読んでいるということは、僕はもう死んでいるということだろう。
無念だ、とは思わない。
まったく後悔が無いとは言わないが、ノア、フリーダ、ウィリー……僕の歩く最後の道を明るく彩ってくれた三人に感謝と、ささやかな餞別を』
僕がそこまで読んだ瞬間、ぶわりと日記から風が吹き出しなにかを上空に噴き上げた。
それらはふわりふわりと漂いながら三人の手元に飛んでいく。
「杖……」
フリーダの手に収まったのは新しい杖だ。
今彼女が使っているものよりもより洗練されたデザインの、ピカピカに磨き上げられた新品の杖。
それを彼女が一振りすると同時に、部屋全体に心地よい空気が広がっていく。
「うわっと……これ、新しいタイプの実験道具!」
ウィリーは、がしゃがしゃと音を立てて降ってきたそれらを一つ残らず優しく受け止める。
一目見た瞬間に目をキラキラさせるその様子はまるで子供のようで、ひとしきりはしゃいだ後にふと我に戻ったのか顔を赤らめてコホンと咳払いをした。
そして、最後に私。ノアに降ってきたものはたった一枚の紙きれであった。
「『バス・イー魔術学院推薦状』……?」
それには、クリップで一枚の簡素な手紙が添付されていた。
『ノアが自身のことを知るために必要なもの』
メルヒヌールの過去を見せられて、私は新たな疑問を抱いた。
「自分はどうして生まれたのか」
言葉に出すと簡単なその願望は、あれから私の心に巣食ってじわじわと侵食を始めている。
バス・イー魔術学院。メルヒヌールの言う通り、そこに行けばなにか分かるのだろうか。
『新たなる旅立ちに祝福を。
これから進む道のりに限りなき幸福のあらんことを。
僕は、いつまでだってキミたちのことを見守っている』
メルヒヌールの日記はそう締めくくられていた。
フリーダは涙を杖にポタポタと落とし、ウィリーの腕の中からはカチャンと実験器具の触れ合う音がする。シルヴィオはただ上を向き、そしてノアはじっと推薦状を見つめた。
見つめ続け、どれだけの時間が経過したのか。
気付くと他の三人は部屋からいなくなっていた。
驚き、メルヒヌールの私室から研究室への扉を開くと、そこにローブを着て佇む一人の少女がいた。フリーダだ。
「あ、やっと出てきた」
「フリーダ、その恰好は?」
聞くと、似合うでしょ?と私の目の前でくるりと一回転した。
似合っている。ワンピースを着ている時の彼女は「深窓のお嬢様」といった風だが、ローブを着ていると「才女」の雰囲気が良く表れている。
だが、それを正直に口にするのも恥ずかしいのでコクコクと頷くにとどめる。それでも彼女は嬉しそうだ。
「……わたしね、ずっと迷ってたの。魔術学院の試験には合格してたけど、貴族として生きる方がフリーダ・ベリハークにとって正しいんじゃないかって」
フリーダは一転、憂いを帯びた表情で話し出す。それは、彼女がこれまで内に秘めていた苦悩の発露に他ならない。
「わたしにとって魔術は楽しいもので、だけどそれだけで、メルおじさんやウィリーとずっとこんな生活が続けばいいなーって……そんなはず、ないのにね」
「そんなことは……」
「わたし、自分があんなに弱くて、なにもできないなんて思わなかったの」
フリーダはローブの左胸をぎゅっと掴んで、絞り出すような声で言葉を口に出す。
メジャーとの戦いで自分が足手纏いになると理解してしまった。ルーラとの戦いでわたしの攻撃は全く本気を出していなかった彼女にいいようにあしらわれた。炎の檻の中、ゴブリンキングとの戦いでメルヒヌールを救うことが出来なかった。
今回の騒動におけるあらゆる事実は、彼女の心を縛り付け決心させるに十分な動機となる。
「だから、わたしは魔術学院に行くわ。いざという時に隣にいる人を守れるように」
「……強いな、フリーダは」
それに比べて私は、自分ひとりじゃなにも決められない。
ほんの数日で様々な出来事があった。
メルヒヌールやウィリー、フリーダとの出会い、いくつかの戦いとそれに伴う出来事。
悲しんでばかりじゃいられない、なんて分かっているけれど一歩踏み出すための勇気が私にはない。
「……一つ、聞いていいか」
彼女が頷いたのを確認して、私は胸に去来した素朴な疑問を口に出す。
「フリーダは、怖くないのか」
魔術学院に行くということは、ルーラやメジャーといった自分たちより強い魔術師たちと戦う覚悟を決めたということだ。
その結末として自分の身にどのようなことが起きようと、それを受け入れるということだ。
私の質問に彼女は小さく笑って胸を張る。
「当然、怖いわ。恐ろしいし、ぎゅっと目をつむればどれだけ楽になれるかと思う」
「……」
「だけど、立ち止まってる時間は無いの。だってわたし、ものすごく後悔して、胸を締め付けられてる」
「……そう、か」
「これがわたし、全部フリーダ・ベリハーク。……わたしがフリーダでいるために、私は一歩を踏み出すの」
……強さとは、こういうものかと。ほぅ、と大きなため息がこぼれる。
わたしがわたしであるために。なんてことはないその言葉には、私を惹きつけて離さない引力が備わっていた。
「『自身のことを知るために必要なもの』……」
そう書かれていたメルヒヌールからの贈り物をじっと見つめる。
「ノアくんも、迷いは吹っ切れたみたいね」
首を振る。
私には記憶が無い。数日前に目覚めたばかりで自分のことも何一つ分からないのだ。
「私も、いや……僕も、強くなれるかな」
「絶対に」
メルヒヌールの研究室で天井を見上げる。
偉大なる魔術師メルヒヌール・マレクディオン。彼の名付けたノアという名前。「希望」を冠するその名前に恥じないように。
僕は小さな一歩を、大きな成長とともに踏み出した。
「……僕の出番はなさそうかな」
それを部屋の外から盗み見る者が一人。
(自分の気持ちを測りかねているなら手助けしようと思ったけど、その心配はなさそうだ)
子供が成長したような一抹の寂しさを感じながらも、ウィリーは一人リビングへと戻り先にソファで新聞を読みながらくつろいでいたシルヴィオに声を掛ける。
「シルヴィオさん」
「あぁ、出発か。ちょい待ってろ」
車のエンジンをつけに行ったのだろう、シルヴィオが外に出ていくのを見送った後で二人の様子を見にノアの部屋へと入る……と。
「お」
「ウィリー、どうかしましたか」
既にリュックに荷物……と言っても少ない、杖にローブ、あと少し魔術の参考書くらいだ……を詰め込んだノアとフリーダがウィリーに向き直る。
「用意は済んだのか?」
「ええ、バッチリよ」
「それは良かった。シルヴィオももうそろそろ帰ってくる頃……」
瞬間、ブオオオォォォォン!というなにかを吹かせるような大音量が地上から地下へと伝わってきた。
なんだ、と荷物を抱えて急いでリビングへと戻りドアを開ける。
「へいへーい、坊ちゃんも嬢ちゃんも遅い奴は置いていくぜェー!」
ランボルギーニ……後からシルヴィオに教えてもらった車の名前だ。
天井の開いた四人乗りのオープンカーの運転席に座るのは、サングラスをかけたシルヴィオだ。ウィリーは彼のその様子に小さくため息をついている。
「それじゃ、行こうか」
ノアとフリーダのリュックサック、それにウィリーが昨日から前々から用意していたというスーツケースを車に詰め込み発進、車内に軽快な音楽が鳴り響く。
目指す先はセージュ。バス・イー魔術学院。
ノアの新たな冒険はここから始まる。
『なんだい、ルーラ』
「バス・イー魔術学院。私をそこに行かせてほしいの」
ワイズマンは理由を尋ねない。
ただ、
『必要ないよ。魔術学院はラルアと幾人かの工作員で足りている。それとも、ルーラ。キミを魔術学院に送るメリットが解放戦線にあるのかい?』
「無いわ」
ごねてくるかと思ったが、意外と素直なその反応に拍子抜けでひゅうと小さく口笛を吹いた。だが、彼女の話には続きがあるらしい。
「けれど、私が幹部になれば話は別よね」
『監察官の枠を狙うのか。確かに、メルヒヌールを殺した功績は大きい。それに他の幹部の推薦があれば……』
「推薦なんて必要ない」
ぴしゃりと言い放つルーラに、今度こそワイズマンは眉を顰める。
「私が解放戦線に差し出すのは戦力。
『……くく、なるほど』
これは取引だ。
今の解放戦線には兎にも角にも戦力が不足している。Sクラス魔物三体が加われば、それがある程度解消されるといっても過言ではない。
その代わりに要求するのは幹部の座。
つい最近入ったばかりの新人のくせに、なんとふてぶてしいことか。
『考えておこう。迎えは必要か?』
「ええ、お願いするわ」
ルーラは記憶のスクリーンを切ってドアを開ける。するとそこは家の外、森の中であった。今その瞬間に彼女の開けたドアはどこにもない。
周囲を見渡すと、ルーラの「支配」を受けた魔物たちがこちらを向いて鎮座している異様な光景が広がっていた。
「ふふっ……」
失ったものは大きい。メジャーはかけがえのない忠実な部下であった。
だが、得たものも大きい。
解放戦線の実質的なトップであるワイズマンは面白いものを愛する人間だ。私はほぼ確実に幹部になることが出来るだろう。そうすればある程度、行動の自由は効く。
「さあ、ここからが本番ね」
ルーラは三体の魔物を連れ、薄暗い森の中を進み行く。
世界解放戦線に新たな幹部が誕生するのは、もう少し先の話となる。
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