第14話 魔術師メルヒヌール・マレクディオン

 この世界に生まれ出でて百数十年、後悔ばかりの人生であった。




「ギャアアァウゥウッ!」

「『雷よ走り、降り注げアンクゥドゥジュ・ディッセンド!』」


 全方位から爪を振り上げ襲い掛かるウェアウルフの群れに雷属性二節魔術を放つが、群れの先頭を走っていた二体が全体の盾となり倒れ、二桁におよぶウェアウルフどもは涎をまき散らしながら仲間の死体を踏みつぶして迫る。

 さらに。


「ブモオオォォォォ!」

「トロール……!『土よ捲れよセノイア』!」


 瞬間、がれきの陰に隠れていたトロールが顔を出してこん棒を振りかぶった。

 前と後ろから挟まれる形になったが、老魔術師は自身の足元の土を隆起させ、身長四メートルを超えるトロールの頭上を軽々と飛び越える。

 トロールがメルヒヌールを潰すために放った上段からの振り下ろしは見事に外れ、ちょうどそこにいたウェアウルフ一体を地面の染みへと変えた。


「能は無いが力だけはある。アレを喰らっちゃまずいのう」


 腹部を押さえて町中を走りながら、メルヒヌールの顔には笑みが生まれる。

 今現在、老魔術師の置かれている状況は彼の人生全体で考えてもかなりの危機的事態と言えるのにかかわらず。


(あの時以来か。こんなにも苦しい戦いは)




 バス・イー魔術学院、地下迷宮ラビリンス第八層。

 二年生の冬に仲間とともに挑んだ深層、廃墟の中で倒した魔物が死ぬ間際に放出した「残り香」によってモンスターハウスと化したフィールド。

 リーダーであった僕は、大きな傷を負った仲間を切り捨てる判断を下した。


「見損なったわ、メル」

「……僕は、あの場で最善の判断をしたよ。彼を見捨てなければ僕らは今ここにいない。感謝して欲しいくらいだ」


 チームの回復役ヒーラーだった少女とは、学院内に響き渡るほどのビンタをもらったきりだ。

 それが、どうした?

 僕は悪魔と契約を交わした一族の末裔。

 僕の目的はバス・イー魔法学院の地下に広がる広大な地下迷宮ダンジョンの完全攻略。そんな些末な出来事にいちいち心を乱されている時間は無い。

 一秒だって、無駄な時間は存在していない。




「『炎よ爆ぜろ、燃え盛り、焼き尽くせアルメル・プロパゲイション・トウト』!」


 周囲の壊れた建造物を蹴り飛ばしながら追いかけてくる二体のオーガの行く手を阻むように炎の海を作り出す。

 背後から唸り声を上げてやってくる魔物はトロール、ウェアウルフ。それに上空からはワイバーンに追われ始めている。


「これを待っていたぞ。今の僕では連発出来ないからな」


 神杖エンプティを天高く掲げ、舞台上のルーラを攻撃するために作り出した黒雲を引き寄せ、叫ぶ。


「『雷よ走り、轟き、降り注げ、殲滅せよフードル・グラウンダー・ディッセンド・アニハイル』!」


 雷属性四節魔術。

 黒雲からの雷は都度一分間途切れることなく数え切れないほど降り注ぎ、老魔術師の周りに集まっていた魔物たちを断末魔の叫び声と空気中の塵へと変えた。


「ふぅ……」


 地面に転がるがれきに腰かけて老魔術師は一息つく。

 ただでさえ老体、それにルーラとの戦いで放った五節魔術によって魔力もほぼ枯渇している。しかし、状況はそれを許してくれない。


「オオオオォォォォォーー……」


 爆発による崩壊を免れた建物の屋上で、魔物が遠吠えをする。

 それは敵を発見したという合図だ。その証拠に、四方八方からまた大小様々の足音が老魔術師へ向かってきている音が耳に届く。


「やれやれ、休ませてはもらえんか」


 言葉とは裏腹に老魔術師の笑みはより深くなり、杖を高く構えて魔物を迎え撃つ体勢を整える。


「さぁ来い、魔物ども」

「ルウウゥ、ラアァァァ……!」


 財宝を守るドワーフもどき――スプリガンに、半魚人――サハギン、一番面倒なのはその後ろで回復役ヒーラーを担うアンデッド死霊術師ネクロマンサーか。

 杖から炎を噴出させながら思い出すのは過去のこと。




 バス・イー魔法学院に無数にある教室の一つ、メルヒヌールのチームが迷宮探索の準備に用いるそのドアが開き、一人の女子が入ってきた。

 ブロンドの髪は後ろで一つにまとめ、制服をきっかりと着込んだ優等生を絵に描いたような少女。さぞ教授からの受けもいいだろう、と。それが僕の彼女に対する第一印象だった。


「初めまして。貴方がメルヒヌール・マレクディオン……でいいのよね?」

「誰?君も僕のパーティに入りたいの?」


 メルヒヌールが聞くと、話しかけてきた……リボンの色から見るに一つ先輩だろう彼女は鈴の鳴るような透き通る声でケラケラと快活に笑う。


「違うわ。魔法学院院則第三百二十三条、教室は二人以上の生徒が一人の教授の許可を得て使うこと。既に崩壊した貴方のチームにこの教室は必要ないものでしょう?」

「だから?」

「貰いに来てあげたの。私の方が有効的にこの場所を使えるしね」

「……要するに喧嘩売りに来たわけか」


 僕の感情を抜きにすると、彼女の言葉は正しい。

 地下迷宮ラビリンス攻略を目指すメルヒヌールのチームは八層の事件以降一人一人と離れていき、補充要員を含め二十人はいた教室に今もいるのはただ一人メルヒヌールだけ。

 日に新しい教室が五つは増えると言われるバス・イー魔術学院だが、だからといって今のメルヒヌールにこの教室を使う理由、意味、許可のどれも無い。


「場所は?」

「第三訓練場を予約してあるわ」

「準備がいいな」


 だからといって、この上級生の狼藉を笑って見逃すほど僕は甘くない。

 戦闘訓練、と名を濁してはいるがそれは事実上の決闘である。

 言葉なく第三訓練場の中心に立った二人は互いの杖を構えて視線を交わす。開始の合図は必要ない、メルヒヌールの雷属性二節魔術と彼女の炎属性二節魔術がぶつかり、訓練場を揺らす。

 二人を止めるものはなにも無く、数時間後次に予約を入れていた生徒たちが虫の息で倒れ伏す二人を発見して保健室へ運んだという。



「『水よ溢れよ、押し流せデボーダー・リーバー』」


 ゴブリン、コボルトなどの小さな魔物群……村外れの畑で農作物を漁っていたそいつらを水で押し流す。


「ギイイィィィ」

「ギャアアァァ」

「ギャウゥゥゥ」


 同じような叫び声を上げながら一ヵ所に集められていくそれらを「『雷よ走り、降り注げアンクゥドゥジュ・ディッセンド』」で沈黙させた。

 森の中では狡猾に獲物を追い詰めていくそれらの魔物たちは、このように開けた場所では無力だ。問題は雷に引き寄せられる新たな魔物ども。それらが接近してくる前に逃げなければ。

 ……いいや待てよ、その状況は使えるな。いいことを思いついた。




「フランチェスカ、一体そっちに行ったぞ!」

「見えてるよ。『土は槍へ、貫けソル―アーキテクト・ペルフォーラー』!」


 地下迷宮ラビリンス八階層、古代都市アインハイト・ツム・ルーム。

 かつて、新暦以前に世界のどこかに存在したと言われるその都市をメルヒヌールとフランチェスカは攻略、もとい逃げまわっていた。


「やっぱ六人チームじゃないとキツイわね!」

「『雷よ走り、降り注げアンクゥドゥジュ・ディッセンド』!ああ、少なくとも前衛タンク回復役ヒーラーは欲しいな……」


 古代都市とはいっても、崩れた建物を見るにその技術は今とほとんど変わらないどころかそれ以上だ。

 その場所を徘徊するのは武器を持って鎧を纏い、武技を扱う高位アンデッド。

 彼らももとはこの古代都市の住民だったのか、と考えると少し憂鬱な気分になる。こいつらは骨になってまで栄光が恋しかったのか、と。


「……とはいっても、僕らのレベルについてこられるのが最低条件だ」

「そんなヤツ、もうとっくに別のチームに入ってるっての。『水よ溢れよ、押し流せデボーダー・リーバー』!」


 そう、メルヒヌールも後から知ったことだがこの先輩も相当の問題児だったのだ。

 異世界人ということでつっかってくる同級生をちぎっては投げ、上級生は病院送り、下級生はトラウマを植え付けられたという。

 メルヒヌールは言わずもがな、傲慢な性格と人を切り捨てる事実が広まり学院から総シカト状態。

 学院の嫌われ者二人が集まったところで、新たなメンバーが増えるはずはないのであった。


「はー……こうなったら考え方を変えるしかないわね」

「というと?」


 廃墟となった家の一つに身を潜めた二人は、魔力回復ポーションを口に含みながら会話を続ける。


前衛タンク二人、中衛サポート二人、後衛バックライン一人、それに回復役ヒーラー一人。これが一番バランスのいいパーティだと言われているけど」

「うん」

「これ、二人でも再現できるんじゃない?」

「ええ……」


 飲み切ったポーションは床に捨て、フランチェスカはメルヒヌールを指差して満面の笑みを浮かべる。


「メルが前衛タンク中衛サポート後衛バックライン、私が前衛タンク中衛サポート回復役ヒーラー。どう?」

「ごめん、フランチェスカが馬鹿だってことしか分からなかった」


 なんだとう、と口を尖らせる彼女の姿を見てため息をつく。

 結局、紙一重の差ではあったが先の決闘で最後まで立っていたのはフランチェスカであった。だから、この状況はメルヒヌールの望んだものではない。

 ただ、悪いわけでもなかった。

 二人は戦う、迷宮で、魔法学院で、生徒と、教授と、陰謀と、企みと、人と、魔物と、科学と、魔術と。




「『土は槍へ、波打ち、貫けソル―アーキテクト・ベイグ・ペルフォーラー!』」


 ゴブリンの死体の山に身を隠し、先ほどの雷につられた魔物たちを変幻自在にうねる土の槍で貫いた。

 十数体が串刺しになり、それから逃れた数体には炎の魔術で応戦する。

 たいていの魔物は老魔術師の予想通りの動きをしており、それゆえ「地中深くを移動する」魔物――ジャイアントワームの存在を失念していた。


「アアアアァァァァ……」

「ぬぅ……!」


 声帯の退化したその魔物が発するのは声にもならない呻き声。

 全長十メートルを超える巨大ミミズ、といえば分かりやすいその身体を老魔術師の足に巻き付けてその場に固定する。


「ラアアアァ……」

「ルウウウゥ……」


 水中の魔術師セイレーン。その魔物は歌声によって人間と遜色ない魔術を扱うことが出来る。


「っつう……妨害魔術か。術式が乱される……」


 ちょうどジャイアントワームを倒すための「炎よ爆ぜろ、焼き尽くせアルメル・プロパゲイション」が手元で爆発し、さらに頭に響く激痛に膝をつく。

 その瞬間、身体を覆う影。

 頭を押さえながら見上げると、そこには身体の半分が焼けただれたオーガの姿。あの雷の掃射を受けてまだ生きていたのか……!


「グ、ウ、オオォォ……」


 嘆いていても始まらない。対処法はどこにある?




「明日、地下迷宮ダンジョン第九層に挑戦を開始します」


 二人きりの教室、卒業を半年後に控えたフランチェスカは宣言する。

 これまでの学院六百年の歴史上、ついぞ誰も踏み入れることの出来なかった階層に二人で降り立つ。考えただけで身体がブルリと震えた。


「怖いの、メル?」

「バカ言え、武者震いだ」


 からかうような調子のフランチェスカに噛みつくように言葉を返す。

 すると、彼女はぎゅっと僕の手を握った。その手はいつもより冷たく、それに小さく震えている。


「私は怖いよ。私が死ぬのも、メルが死ぬのも、どっちも」

「……そんなことにはならねぇよ」


 長い間を一緒に過ごすから見えてくるものもある。

 フランチェスカに対する第一印象、品行方正で真面目な生徒……それは彼女の殻、仮面だ。それを脱ぎ捨てたときに現れるものこそ彼女の本質。

 負けず嫌いで、怖がりで、泣き虫。

 だから僕は彼女の手を握り返して、その透き通るような瞳を見つめて宣誓する。


「僕は強いからな。僕も、フランチェスカも、どっちも守ってやる」

「……ぷっ」


 僕の真面目腐った顔が面白かったのか、フランチェスカは堪え切れないといった感じに噴きだした。


「なんだよ」

「ごめん、ほら、けどメルって私より弱いじゃん」


 彼女が言っているのは、僕たちの初めての出会い。

 あの時の、訓練場での決闘で僕が負けフランチェスカが勝ったから今この場所は存在する。それはそれとして、その話を持ち出されると弱いのも事実。

実際、あれから一度も二人で戦ったことはないのだから今二人のどちらが強いかなど比べられない。


「じゃ、今から訓練場行くか」

「明日、攻略が終わって元気だったらね。今日はやることがあるんだから」


 フランチェスカは僕の意見を一蹴し、教室の隅に置かれた戸棚から一本の大きな瓶を取り出した。


「フランチェスカ、それは……」

「ふふふ、驚いたでしょ。見た目変えて買っちゃった」


 ポコンとコルクを開け、グラスに注いだソレはフランチェスカの瞳と同じ透き通るような青色をしている。

 これは、二十歳……成人にならなければ買えない、例のあれだ。


「悪いヤツだな、お前は」

「二人だけの内緒だよ?」


 彼女は僕の方にグラスを差し出し、自分の分のそれを口の高さまで持ち上げる。

 外の世界の探検家たちは、大事な日の前に決起の意味を込めて仲間と同じ飲み物を酌み交わすのだという。


「じゃあ、メル。明日、九層攻略に向けて」

「ああ、僕たちの未来に」


 乾杯、とグラスを合わせて一息に飲み干す。

 味は……お世辞にも美味しいとは言えない。苦いし、辛い。喉が焼けたように熱く、身体を折ってむせこんでしまう。


「けほ、げほ、うえぇ……」

「にがぁ……、見た目こんなに美味しそうなのに……」


 お互いしゃがみこみ、机の下で目を合わせて笑いあう。

 顔が赤く熱いのは、きっとワインに酔ってしまったからだ。そうに違いない。そうでなければ、今この瞬間がこんなに楽しいはずがないのだから。




 眼前に迫るオーガの武骨な大剣の切っ先に、神杖エンプティを添えることでその攻撃をずらす。


「ギィアアアッ!」


 ずらした先にいるのは老魔術師に巻き付くジャイアントワーム。

 オーガの攻撃によって身体を両断されたその魔物は断末魔の叫び声を上げ、老魔術師への拘束を緩める。


「よし」


 拘束から足を抜いた老魔術師は、オーガの脇を通り抜けて今も歌声を発するセイレーンどものもとへと走った。


「キヤァァ!」


 その姿を見て田んぼの中に逃げようとするセイレーンだが、そんな行動を老魔術師が許すわけがない。


「また邪魔をされては敵わんからな」


 呟き、水中に腕を突っ込みその魔物の口を掴んで地上へ引っ張り出す。


「キ、イ、ルゥゥ……」

「歌わせるかよ。『水よ溢れよデボーダー』」


 ただの一節魔術に杖は必要ない。

 魔物の口を押さえた手から大量の水が溢れ出し、セイレーンにそのすべてが流し込まれる。


「イ、ィ、イア」


 膨らんでいく自身の身体を見たセイレーンが目から垂らしたものは、きっと体内に入りきらなかった水なのだろう。

 身体の破裂する直前で事切れた魔物をその場に捨て、老魔術師は周囲を見渡した。


「次はどいつじゃ?」


 老魔術師の獰猛な笑みに呼応するは魔物たちの咆哮。

 戦いはその激しさを一層増してゆく。



 地下迷宮第九層、これまでの学院六百年の歴史上ついぞ誰も踏み入れることの叶わなかった階層に降り立った瞬間から二人は洗礼を受けていた。

 第八層の主を倒した宮殿から、場所は大きく変化して暗い森の中。

 空に月や星は無く、ただ暗闇が支配する世界で二人は「影」たちに急襲を受ける。


「メル、前衛タンク中衛サポート!このままじゃ一歩も動けないまま……!」


 削りきられて死ぬ。

 「影」たちの戦術は数に物を言わせたヒットアンドアウェイ。鼻先三寸の位置に近づくまで気配すら無いそいつらを完全に避けることは出来ず、対処法も分からないままただ傷だけが増えていく。

 分かってる、フランチェスカ。打開策を見つけるのは僕の役目だからな。


「『炎よ爆ぜろ、燃え盛り、焼き尽くせアルメル・プロパゲイション・トウト!』」


 影に当てることが目的じゃない。

 その前段階、周囲の木を燃やすことで明かりを作り敵の姿を浮き彫りにする。

 この方法は確かに自分たちを危険にさらすことにはなるが、それでも何もしないよりかは幾分かましだ。


「グヤァ」「ゲアァ」「ナウァ」


 「影」たちはそれぞれの呻き声を上げ、僕たちの周囲にその真っ黒の姿を現した。

 スライムのような不定形の身体に、感覚器官なのかぽつぽつと穴が開いている。もちろん手や足は無く、先ほどまではその黒い身体を槍のように鋭く変化させて突撃していたのだろう。


「よくやったわメル!『雷よ走れ、轟き、降り注げフードル・グラウンダー・ディッセンド』!」


 それさえ分かれば脅威ではない。

 フランチェスカの杖から放たれた正確無比な攻撃が怯んだ影を直撃し、それらの黒い身体を次々と霧散させていく。


「さすが九層、最初から結構厳しいね、メル」

「けど、二人なら対処できないほどじゃない。でしょ」


 メルヒヌールの炎で燃え盛る森の中、二人は拳を合わせ一歩踏み出そうとして。


「んあっ」

「これは……」


 異変に気付く。

 フランチェスカの攻撃で散ったはずの影どもは、一つに寄り集まり何事も無かったかのように既に復活を果たしていた。


「ゲェ、エッ、エッ、エッ、エッ、エッ……」


 影の王ラ・ヌート。

 後にそう名付けられることになるその魔物は、僕たちから伸びる影を操ることでいつの間にか身体を絡めとっている。

 指一本すら動かせない。

 それはフランチェスカも同様で、もがき続けてはいるが抜け出すことは出来そうになさそうだ。


「アァ、アッ、アッ……」

「むかつくー!絶対アイツ笑ってるでしょ!」


 燃え盛る森の中、二人を捕えた影の王は確かに僕たちのことを指差して笑っているように見える。

 数体の影が一体にまとまっただけで、見た目は巨大な黒スライムなのだがそう見えるものは仕方ない。


「だけど、実際動けないし……」

「動けないのがなんだ、情けない。私の国には口から火を噴くやつだっていたよ!」


 こちらを向いて力説する彼女にため息を返す。


「で、それがなに?」

「身体に絡まってるこの影をどうにかする方法を思いついたってこと」

「は?」


 フランチェスカはプクリと頬を膨らませ、上空に顔を上げて呪文を叫ぶ。


「『雷よ走り、降り注げアンクゥドゥジュ・ディッセンド』!」

「おま……、まさか!」


 杖を使う理由の一つとして、魔術の効果範囲を絞るというものがある。

 魔術は元来拡散する性質を持ち、杖を使わなければ放った魔術はあらぬ方向へと飛んで行ってしまうのだ。だが、魔術制御の上手な者はそれが無くとも狙った場所へ放つことが出来る。

 例えば自分の身体に目掛けて、とか。


「ず、うううぅぅ……」


 彼女は自身の身体を雷で焼いた。

 自暴自棄になったのではない。小さな影たちに雷魔術は効いた。さっきの影と今身体に絡まるこの影が別物であるとは考えにくい、という結論から出た合理的な行動に他ならない。

 だからといって、実際に実行するかどうかは別問題だ!


「『雷よ走れアンクゥドゥジュ』……」


 自身の攻撃でふらふらになりながらも、最後の力を振り絞って彼女はメルヒヌールの身体を縛る影を断ち切った。


「それじゃ、あとは、よろ、しく……」

「フランチェスカ!」


 ふらりと地面に倒れ込む彼女を抱き抱える僕を、地面から立体的に伸びた影が四方向から迫りくる。


「『雷よ走り、降り注げアンクゥドゥジュ・ディッセンド』」


 メルヒヌールはそれらを雷魔術で的確に迎撃し、「治癒の光よゲリール」――苦手な治癒魔術で彼女に応急処置を施した。


「ゲェェ、エェア、アェア……」

「……その不快な口を閉じろ」


 僕は、薄情な人間だと思う。

 物心ついた頃に両親は既にいなかった。蒸発したか、それとも死んだか、僕を引き取った親戚だという男は常になにかに怒っており、数え切れないほどに殴られ、蹴られ。

 結局、その男は気持ち悪いとかで僕の親権を手放した。


(だから、なんだ。そんなこと、思い出したことも無かっただろう)


 僕にあったのは、ただ使命だけ。

 我がマレクディオン家は悪魔と契約した一族、賢者の石を与えられた一族、僕はその末裔。それにすがることが、それを世界に示すことが僕の存在意義だと思っていた。

 そんな僕を、変えてくれた人を。


(ヤツだって殺し、殺される輪廻の中にいる。僕があの魔物に感じる感情は理不尽なものだ。だけど、止められない。胸の奥からあふれ出るこのどす黒い感情を止める方法を、僕は知らない)


 貴方を守ると、そう言ったのに。


「……お前は、許さない」


 目の前の魔物に杖を向け、決死の瞳で睨みつけた。




「『|炎は束ねられ一尾の竜となり、その咢は万象を砕く剣と成す《アルメル―アーキテクト・ドラゴンズマントン》』」


 サリュ村、元々大通りであった場所。今ではその面影も無い場所の中央で、老魔術師は再び炎の竜を顕現させる。

 全方位からわらわらと現れ出でる魔物どもを竜が次々と焼き尽くしていき、死体から出る炎は老魔術師を囲む炎の檻と化した。


「ウ、オオ、ォ……」

「邪魔は入らん。では始めようか、ゴブリンの王」


 その中にいるのは一人と一体。

 すなわち、老魔術師とゴブリンキング。舞台上で炎属性三節魔術を浴びせたが、そんなものでこの魔物は倒せない。誰か……おそらくルーラの能力によって死んでも動き続けるコイツを止めるには、完全に壊してしまう他方法はないのだ。


「『炎よ爆ぜろ、燃え盛り、焼き尽くせアルメル・プロパゲイション・トウト』!」

「ゲ、アアアァァ……!」


 炎を噴き上げなお闘争心を噴き上げる化け物と、老魔術師の戦いの火ぶたが今ここに切って落とされた。



「それで、あの後どうなったの?」

「……戦闘の途中で、聞いたことも無いすごい爆発音が聞こえて。ヤツは逃げてったんだけど、深追いは危険だと思ったから」

「ふぅん」


 学院の保健室でりんごを剥きながら、メルヒヌールはフランチェスカに第九層での顛末を聞かせる。

 十個ほどに分割されたりんごの一つを口に放り込み、包帯ぐるぐる巻きでベッドに寝かされた彼女は大きなあくびをした。


「眠いなら寝る?」

「んー……そーしよっかな。なんかまだ身体がだるくて」


 保健室の先生にお礼を言ってメルヒヌールは部屋を出る。

 二人の教室に向かって歩いているときに聞こえてきたのはつまらない、どこにでもあるような一つの噂話。


「なあ聞いたかよ、四年の先輩。フランチェスカさんのこと」

「ああ、もう魔術は使えないって……本当なのかな、信じられねぇよ」


 後輩だろう男子生徒たちはこそこそと廊下の隅っこでそんな話をしているが、当の彼女自身が問題ないと言っていたのだ。そんなことあるわけないだろう。

 ……だが、ほんのちょっとだけ。

 チクリと胸を刺す痛みは、のどに魚の小骨が刺さった時のものとよく似ている。


「別に、時間はあるしな」


 誰に言い訳するでもなく、メルヒヌールはそう独り言ちて保健室へと戻った。

 その扉を開け目撃したのは、先生の回復魔術を弾いてしまうフランチェスカの姿。

 ……これは、古い文献で読んだ話。魔術を扱うには才能が必要だが、その恩恵に与るのにそれは必要ない。しかし、稀にではあるが完全に魔術を受け付けない人間――「不適合者」が存在する。


「あー、はは、は……。メルにはバレたくなかったんだけどね……」

「……ふざけんなよ、フランチェスカ。そんな大事なことも伝えられないほど、僕はお前に信用されてないのか……?」


 これは仮説になるが、脳に「魔術をつかさどる」神経がありそれが「不適合者」には無いのだとか。

 それはだいたいが先天性のものだが、ごくごくまれに外的要因によってそうなる可能性もある。例えば、雷撃によってその神経が偶然焼き切れてしまった場合。


「……それは違うよ、メル。私ね、最近よく見る夢があるの。このことを知ったメルが私から離れていっちゃう夢」

「そんなこと……」

「怖いの、私。メル、私の近くにいて、私を置いていかないで……」


 僕の胸に手を当てながら、彼女はぽろぽろと涙を流す。

 僕に出来るのは、フランチェスカを抱き寄せ、その髪を優しく撫でることだけだった。




「は……『土よ捲れよ、地に築けセノイア・エディフィエ』!」

「グ、ウゥ、アァ」


 ゴブリンキングの視界を土の壁で遮り、その薙ぎ払いを屈んでかわす。

 先ほどから幾度も炎や雷を当てているが、それではヤツに対して有効打にならない。


(魔術が効かないなら、近接戦闘に切り替えるか)


「『雷は剣へアンクゥドゥジュ―アーキテクト』『土は槍へソル―アーキテクト』」


 右手に雷で創られた剣を、左手には土で創られた槍を装備した老魔術師は単身ゴブリンキングの懐へと飛び込む。


「はあっ!」

「グゥオォ」


 ヤツの大剣と老魔術師の武器が火花を散らして鍔迫り合う。

 一撃のパワー自体はゴブリンキングの方が上だが、老魔術師の側には二つの武器による連撃と受け流しがある。

 雷の剣で受け流し、土の槍でその腹を貫く。

 土の槍で大剣を受け止め、その隙に雷の剣で胸を切り裂く。

 老魔術師の有利に進む戦況の中、突如ゴブリンキングが不意の行動へと出た。


「グゥア」


 老魔術師の雷の剣を受け止め、一歩後ろへと身を引いたのだ。

 死しても相手の行動から学び、対策を施す。ヤツのその行動に老魔術師は半歩つんのめり、体勢が崩れたその瞬間をヤツは逃さない。


「グオァァア……!」


 腹部に突き刺さるゴブリンキングの岩のような拳。

 十数メートル、炎の檻のすぐ近くまで吹き飛ばされた老魔術師はあまりの衝撃にその意識を失った。




「……ル、メル。起きて、もう朝よ」

「ん……。フランチェスカ、なんでここに……」


 窓から朝日の差し込む小さな部屋。

 ベッドで眠るメルヒヌールを、学院の時より少し大人びたフランチェスカがゆすり起こした。それは分かるが、僕の疑問にきょとんとした顔で彼女は答えた。


「なんでって、一緒に暮らしてるんだから当たり前でしょ?ご飯、冷めちゃう前に食べちゃってよ」

「ああ、そうだ。ごめん、寝ぼけてた」


 しっかりしてよ、と笑い部屋を出る彼女の背中を見て思い出す。

 魔術を扱えなくなった彼女はそれでも魔術にかかわる仕事がしたいと言い出し、僕は住み込みでその補佐をしているのだ。

 二人で朝ご飯を食べ、その後片付けと掃除の終わった午前九時。

 ドアに掲げた「closed」をひっくり返すことで「魔術探偵フラメル」は営業を開始する。見て分かるが、フラメルとはフランチェスカとメルヒヌールの略だ。決して怪しい宗教組織ではない。


「いらっしゃいませー」

「あのぅ、ここが魔術でいろいろ出来るっていうお店で合ってますか……?」

「はい!簡単な占いから失せ物探し、魔物討伐から『天高くそびえる塔バベル』の攻略まで、なんだって請け負います!」


 三十分も経つとお客さんが一人入ってきた。

 白いドレス、頭にはキャペリン……華やかなコサージュやリボンのあしらわれたつばの広い帽子をかぶり、全体的に優美な雰囲気を漂わせている。

 彼女は席に着くと、もぞもぞとした調子で依頼内容を話し始めた。


「ええと、その、恥ずかしい話なのですが……昨日森の泉に絵を描きに行った際、婚約者からの指輪を落としてしまったようなのです。彼は別にいいと言って下さるのですが、心苦しく……」


「で、僕を引き連れて森に来た、と」


 僕たちが店を構えているのは王国、王都シュパネバーグの三等地。

 今回の客……若い貴婦人の言っていた森とは、王都近くのクラニ大森林だ。自然保護区域に設定されており、様々な珍しい動物がその中で暮らしている。


「念のため、ね」

「占いは?」

「泉から南東に五百メートル離れたこの場所……ほら、巣穴。この中に……」


 フランチェスカが魔術を使えなくなって三年、今もリハビリは続けており簡単な失せ物や人探しの占いは出来るようになった。

 今回の指輪騒動の犯人はドル・エクレウル――金好きリスで、目を離した瞬間に奪われたというところだろう。


「あった!うん、情報通り。これであの人も喜んでくれる……」


 巣穴から手を引き抜き、土まみれになりながらもその手に指輪を掴んで満面の笑みを浮かべる彼女はとても美しいと感じる。

 フランチェスカの卒業に合わせて三年で学院を退学してしまったが、それで良かったのだと思えるくらい。


「メル……」

「ああ、分かってる」


 特に何事もなく依頼は達成された。

 なのにフランチェスカは不安な声を発し、僕はその理由を理解できる。

 金好きリスは耳の良い小動物だ。もし自身の巣穴から宝物を奪い去るような奴らがいたときは、なりふり構わず攻撃してくるのが常だ。

 それにこの鼻をつく悪臭。気分が悪い、悪寒がする、フランチェスカの顔色もだんだん青白くなってきた。


「早く帰ろう、フランチェスカ。ほら、肩につかまって……」


 その瞬間、彼女の手を一発の銃弾が貫いた。


「うッ……!」

「誰だ、そこにいるのはッ!『雷よ走れ、轟き、降り注げフードル・グラウンダー・ディッセンド』!」


 銃弾の発射地点へ向けて降り注ぐ雷の雨、そことは全く違う場所から今度は僕の足を貫かれた。


「づ、ぅ」


 杖を落として倒れ込むメルヒヌールに近づくのは一つの影。

 顔を上げるとそこには依頼を頼み込んできた貴婦人の姿。彼女は帽子と、かつら……本当は黒髪のショートカットだったその女性。その顔は僕の知っているものだ。


「ラルア……?」

「あら、覚えていたのね。驚いたわ」


 迷宮ラビリンス第七層から命からがら逃げのびた後、彼氏だった男を見殺しにしたと僕にビンタをした同級生の少女。

 彼女は優秀だ。卒業した後も魔術研究職として学院に残ったと聞いていたが、それがどうしてこんな場所に……!


「今度こそ殺しに来たわ、元リーダー。つつましく生きてるならやぶさかじゃなかったけど、彼を殺しておいて自分だけ幸せになろうなんて、そんなの都合が良すぎじゃない?」

「……そんな理由でこんな場所まで?バカげて……」


 メルヒヌールが言葉を言い終わる前に、二発目の弾丸がもう一方の足と右腕を貫いた。


「づ……」

「いい気味ね、メルヒヌール。あぁそういえば、貴方たちもここから早く逃げた方がいいわよ。じきこの辺りは毒霧に覆われるから」


 そう言う彼女の表情は嗜虐的で、同時にこれまで見た事の無い満足げな顔をしている。

 フランチェスカの手から指輪を奪い取ると、それ以上は何も言わず去っていく。取り残されたのは意識のない彼女と足を貫かれ毒を吸い込み碌に動くことのできない僕のみ。


「づうぅ……ああぁ……ッ!」


 意識はあるのだ。こんな場所で死んでなるものか、死なせてなるものか。

 フランチェスカをかつぎ、ぽたぽたと血を流しながら立ち上がる。問題は傷に対して回復魔法が効かないことだ。

 原因は銃弾か、それとも毒か。分かったところで対処のしようが無い。


「うぅ……はっ、はぁ……」


 一歩一歩、地面を踏みしめ足を動かし続ける。

 毒霧の範囲は限定的なものだ。少なくとも、王国騎士団を動かすことは彼女の本意では無いはず。それに先ほどの会話で考える限り、王都にまで被害を及ぼすほど理性を失っているとは考えづらい。


「う……メル……」

「だいじょうぶ、だからな、フランチェスカ……」


 だから、あの巣穴から一定以上離れれば身体を休められる。

 刻一刻と顔色が悪く、呼吸が弱くなっていくフランチェスカを抱きしめながら……それからどの程度経っただろうか。数時間歩いたようにも思えるし、数分しか経過していないようにも感じる。

 達成感は無い。それでも、空気が変わった。


「毒を、抜けた……。『治癒の光よゲリール』……」


 ある程度の銃創を直し、フランチェスカを地面に寝かせる。回復魔術をかけるが、大きく毒に侵された彼女を治すことは僕には出来ない。

 一刻も早く王都に戻り医者に見せなければ。

 彼女をもう一度抱え上げようとして、その瞬間、毒とは違う悪寒が身体を震わせる。


「っ、『水は盾に、受け流せデボーダー―アーキテクト・フラックス』!」


 咄嗟に開いた水の盾は、飛来した銃弾二発を間一髪で受け止めた。


「……まさか、あの場所から生きて出てくるとは思わなかったけど。流石に元学院最強は違うわね」

「……どけ、ラルア。殺されたいのか」

「それはこっちのセリフよ。『雷よ走り、降り注げアンクゥドゥジュ・ディッセンド!』」


 白いドレスは着たまま、森の入り口で待ち構えていたラルアが放つ雷属性攻撃を「土よ捲れよセノイア」で防御し、そして気付く。

 彼女の狙いは僕ではなく、フランチェスカであることに。


「ラルアッ!」

「貴方の心を殺してあげるわ、メルヒヌール。杖を構えなさい」


 刹那、弾けたモノは爆発音。

 延焼含め森の五分の一が不毛の地となったその現象は未だもって解明できず、後に王国騎士団が調査のためその爆心地を訪れたとき、そこにはいくつかの身元不明の死体が転がっていたという。


「……フランチェスカ」


 幸運なことに、フランチェスカを冒していた毒は身体の深部までは達しておらず簡単な治療と投薬、あとは療養を言い渡されて家に戻ってきた。

 ベッドに眠る彼女の髪をかき上げ、メルヒヌールは優しく彼女の名前を呼ぶ。


「フランチェスカ、ごめんな……」


 あの保健室で、涙を流す彼女を抱きしめた。

 きっと離れない、ずっと傍にいる。フランチェスカのやりたいことが僕のやりたいことで、いつかもっと踏み込んだ関係になりたいと願っていた。

 なんて、今さらそんなことを思うのは卑怯なことだ。

 フランチェスカが食べる用の料理をいくつかと、薬は手の届く場所に。


「……さよなら」


 そして、数年を一緒に過ごした家を出た。

 王都と外を隔てる扉の前まで来て、自身のポケットに入っていた小銭を見つめる。荷物はあの家に全て置いて出てしまった。


「ま、なんとかなるか」


 きっと、彼女も。

 フランチェスカは知らないだろうが、彼女は王都の人気者だ。愛嬌があって、親切で、魔術師特有の嫌味ったらしさが無い。

 魔術と言えば、戦闘、闘争、戦争、世間に認められるためのいくらかの下賜。

 大して優秀でもないアイツらは、本気で自分たちが選ばれた者だと考えている。彼女だけだ、特別なのは。人に笑顔を与えられるのは彼女の魔術だけなのだから。

 

「……新しい一歩を踏み出す時だ。僕も、フランチェスカも」


 扉から出ていく馬車の中から適当に一つを選び、その御者に少し多めの金を握らせる。


「旦那……もらったとこ悪いが、こりゃ多すぎる。二人分の金は流石に受け取れねぇよ」

「……そうか」


 握らせた金をちょうど半分返してもらい、荷台に僕だけを乗せて馬車は出発した。

 目的地がどこなのかは知らないが、三日ほどで着く街に行くらしい。またその街から出発する馬車に乗り込みさらに遠くを目指す。当てのない旅だ。

 数時間も走っていただろうか、暇になったのか御者の男が話しかけてきた。


「旦那」

「……なんだ」


 心地よい振動にうとうとしかけていたメルヒヌールは、少し不機嫌になりながらも彼の投げかけに応じる。


「王都、肌に合いませんでしたかい?」

「……なぜ?」

「いや、多いんですよね。意気揚々と来たはいいが、大変なのはそれからでさぁ。田舎に逃げ帰る人らは後を絶ちません」

「僕は違う。別に、王都は嫌いじゃなかった」

「ははぁ、じゃあ女だ」


 なにかに納得したように笑みを浮かべて頷く男の言葉にメルヒヌールは身体を起こす。

 無視を決め込むことも出来ただろうが、それだと男の言葉は真実だと暗に認めているようなものだ。それは腹立たしい。


「言い掛かりはやめてもらおうか。お前は僕のなにを知ってる」

「なにも。だけど、王都から泣いて出ていく人間はわたしの知る限りその二つなんでね」


 が、男の一言に黙らされる。

 涙……頬に手を当てると、確かにそこには一筋の雫が流れていた。

 

「今なら戻れますよ。お代も返します。旦那、好いた女と別れるならせめて納得は必要です。じゃなきゃいつまでも引きずっちまう」


 男の言葉には、それを実際に体験した者特有の重みがあった。

 だからこそメルヒヌールが王都に戻ることは出来ない。僕の一部は既にフランチェスカだ。彼女に会えばこの決心はガラスのように砕け散る。


「いや……構わない、進んでくれ」

「……分かりました」


 荷車の中から背後を振り返る。

 そこに王都の姿はなく、草も生えない更地が広がっているだけだった。




「メル……、メルおじさん!」

「メルヒヌール、早く目を覚まして……!」


 聞きなれた声に意識を回復させた老魔術師は、周囲を見渡して状況を確認する。

 まず一つ、流した血の量、失った魔力量がともに生命の危機に瀕する部分まで達しているということ。これ以上戦えば生き残ることは出来ないだろう。

 そしてもう一つ、意識を失った老魔術師の代わりにゴブリンキングと戦っていたのがノアとフリーダという若い魔術師だということ。


「そうか……もう大丈夫なのか……」


 ポツリと出た本音は、老魔術師にある決意をもたらした。


「やっと起きた!『水よ溢れよデボーダー』!」

「メルヒヌール!『雷よ走れアンクゥドゥジュ』!」


 ノアとフリーダが同時に放った魔術により、ゴブリンキングが小さな唸り声を上げて片膝をつく。


「畳みかけるぞフリーダ……『土よ捲れよ、取り囲めセノイア・エントイア』!」

「二節魔術……!ええ、決めるわ。『炎よ爆ぜろアルメル』!」


 膝をついたゴブリンキングを地面からせり出した壁が取り囲む。

 ノア、いつの間にか二節魔術を使えるようになったのか。だが完璧ではない。粗削りで、ただ一節魔術の延長線上にあるだけのモノ。

 そして、取り巻く壁の隙間からフリーダは炎を流し込む。

 即興だろうが、大した連携だ。

 ……一瞬、彼らの後ろ姿に若かりし頃の僕たちを見た。大丈夫、二人なら僕なんかよりよほど素敵な魔術師になれるだろう。


「二人とも、下がっておれ」

「メルヒヌール……」


 不安そうな声を上げるノアの頭にポンと手を乗せ、柔らかな笑みを浮かべる。


「ブ、オオォォォ……」


 大剣「赤染」を手に、ゴブリンキングはノアの土壁を力任せに破壊しフリーダの炎に肌を焼きながら立ち上がった。

 炎の竜に呑まれた分を除いて、残った魔物はウィリーと聖騎士団に任せよう。

 今やるべきは、こんな老人を助けに来た未来ある若人二人を命を懸けて守り抜くことだけだ。


「『|聖なる炎よ、聖なる鳥よ、あれこそ悪、お前の滅ぼすべきものだ《セイクリッドオイソー・デトレイヤー》」


 媒介は我が身体、炎に焼かれた肉体を媒介に顕現させるは聖鳥オイソー。

 遥か昔、悪魔をその身を犠牲に打ち払ったとされるソレは、キィアアァァァ!と甲高い叫び声を上げながら一直線にゴブリンキングへと飛んでいく。

 少し気を抜けば失ってしまうだろう意識を必死にとどめながら、ノアを抱き寄せる。


「メルヒヌール、顔色が……」


 身体に力が入らない。

 まだ、だめだ。最後の言葉くらい、言わせてくれてもいいじゃないか。


「ああ、大丈夫……少し休めば、元通りさ。だから、今はしっかり見ておいてくれ」


 炎の竜の特性は、周囲に撒いた炎を用いての無限再生。

 それに対して、聖鳥オイソーの特性は術者の生命力を用いての無限再生……聖鳥オイソーが消えるのは敵か自身が死んだときだけだ。

 だから、いくらゴブリンキングがそのパワーと素早さで攻撃しても無意味。聖鳥は炎を用いて的確にヤツの肉を削りきっていく。


「……最後だ、『土よ捲れよ、取り囲めセノイア・エントイア』」


 ゴブリンキングの頭上から、左右、前後から土の壁が押し寄せる。

 ただ、二度目だ。

 ノアの出したものより速度、強度ともに数段高まっているとはいえ、大剣の一撃で粉々に砕け散る程度の魔術でしかない。

 ゴブリンキングは冷静に対処し、たった一秒も経たぬうちに壁は打ち払われる。

 が、その一秒が命運を分けた。


「キイィアアァァァ!」


 聖鳥が、一瞬の隙をついてゴブリンキングの口からその体内へと侵入したのだ。


「ゲ、ア、ア、ァ、?」


 ゴブリンキングの身体がほんの一瞬で三倍ほどにも膨らみ、そしてどういった事態なのか理解も及ばぬまま体内から炎を噴き上げ破裂した。

 ゴブリンキングであった肉塊の雨の中、役目を終えた聖鳥はその姿を消し、老魔術師メルヒヌールは力無くその身を完全にノアへと預ける。


「すまない……」

「いえ……まずは、身体を休めて下さい」


 本当に優しいな、ノアは。

 この少年が本当に僕の遺伝子から作られているのか、はなはだ疑問に思うことがある。……ああなるほど、フランチェスカに似たのか。それならば納得できる。

 薄れゆく意識の中、かすれた声でメルヒヌールはノアへと話しかけた。


「ノア……異世界の言葉でノアとは『希望の舟』という意味らしい」

「なんですか、突然」


 目を開けてはいないが、この振動からしてノアにおんぶされているらしい。

 既に魔物の声は聞こえない。自分の蒔いた種くらいは回収できたのだろうか。


「……ノア、君は僕の希望だ。もっと、一緒にいたかったんだけどな」

「もう喋らないで、メルヒヌール。傷が深いんだから、体力を温存してください」


 ノアの僕を思った忠告も、今だけは聞こえない振りをする。

 ここで無理をしなければいつ無理をするというのか。聖鳥が消えた今、もはや僕の命の灯は最後の輝きを残すのみ。


「……元気でいなさい、健康は全ての資本だ。素直で、謙虚でいなさい、それが魔術師として一番心に留めておくべきことだ」

「メルヒヌール、後でいくらでも聞きますから……!」

「繋がりを大事にしなさい、自身の身を守るものは結局それだけだ。悪にかどわかされてはいけない、多くの誘惑に立ち向かえる人間にならなければならない……」


 言いたいことはいくらでも溢れてきて、伝えたいことはもっとあるのに、ノアの心配そうな顔に思わず笑みがこぼれてしまった。

 ああ、なんだ、ノア、成長したんだな、と。

 目覚めてほんの数日で、僕はノアにまだなにも伝えられてなくて。

 フランチェスカと別れて、抜け殻のような日々を送り続けた。なにをしても満たされなくて、賢者なんて呼ばれるようになっても嬉しくなんて無かった。


「ありがとう、ノア……。僕は、君に会えてとても幸せだった……」


 それは、心の奥にしまい込んでいた言葉。フランチェスカと別れたあの時から抱いてはいけないと思い続けていた感情。

 幸福。

 僕は、この瞬間に確かな充足感を感じていた。


「……すまない、家に着いたら起こしてくれ。少し寒くて、眠いんだ……」


 それきりメルヒヌールはなんの言葉を発することも無く。

 炎の檻の外で魔物を迎撃していたウィリーが合流し、街を覆っていた結界が消えているのを確認してから三人の流した思い思いの涙は、透き通る空に混ざって消えていく。

 メルヒヌール・マレクディオン。

 最期に彼は柔らかで満足げな笑みを浮かべていたという。

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