第13話 そしてノアは一つの大きな決断を下す

 ぱっ、と景色が瞬きのうちに一転した。

 壊れた街を見下ろす舞台上から、氷の大地へ……違う、ここは森の中の家だ。なにがあったのかは知らないが、緑豊かな土地は一面が氷に覆われている。

 だが、それ以上に私を驚かせたもの。それは魔物だ。

 六つの長い首を持つ巨大蛇ハイドラ、死を運ぶ竜グリーンドラゴン、アンデッド系魔物最上位デスナイト。

 冒険者組合ギルドの定める等級はA+……すなわち、数日前に戦ったゴブリンキング以上の魔物たちが三体、私たちを静かに取り囲む様子は不気味に思う。

 ……そんなこと、なぜ私は知っているのだろう。


「よいしょ、っと」

「ぎゃっ」


 ルーラは肩に抱えていた私をぽいっと氷の上に放り投げる。

 私は情けない声を出したすぐ後に立ち上がり、ポケットに入っていたはずの杖を構えようとして。


「探し物はこれ?」

「あぁ、いつの間に!」


 彼女がその手に遊ばせている杖を見た。それは間違いなくメルヒヌールから渡された杖だ。


「その杖は私のものだ」

「知ってるわよ。貴方のポケットからスッたんだし」

「……返してくれませんか」

「いいわよ」


 魔術師の攻撃手段は杖に依存している。

 素手で魔術を放つことも可能だが、彼女相手にそれで対抗できるとは思えない。実質、抵抗の可能性を排除されたのと同じことだ。

 だから、ルーラがさらっと頷いたことに驚いた。


「え」

「ただし、条件付き」


 可愛く指を立てる彼女がどのような鬼畜な内容を突き付けてくるのか、身構えてごくりと喉を鳴らす。


「まず、私についてくること。あと、私の話は否定せずに最後まで聞くこと」

「……それだけ?」

「それだけ。お姉ちゃんは優しいの」


 噴水広場の舞台上で街を壊し、未遂とはいえ大量殺人を犯そうとした人間が優しいわけ無いだろう、と口に出したいところだったが、否定は出来ないので苦虫を噛み潰した表情を浮かべることしかできない。


「それじゃ、行こっか」

「どこへ?」

「あの家に決まってるじゃん。やーっと邪魔者が全員消えてくれたよ」


 ルーラは家のドアをガチャガチャと動かし、鍵がかかっていると知るや否やバァン!と鍵の部分を蹴り壊してしまった。

 うーわ……とドン引きするノアを尻目に、罪悪感を微塵も感じていない様子の彼女は中に一歩足を踏み入れ、そのままピタリと立ち止まってしまう。


「ねぇオルガン。この家って普段からこんな広いの?」


 一階は外観通りの広さだけれど、地下への階段を降りるとまるで迷宮のように広い……と馬鹿正直に彼女に伝えていいのかどうか。

 たぶん駄目だと思う。

 ルーラの後に続いてノアも家の中に一歩を踏み入れ、絶句した。


「その反応、やっぱり迷宮化させてあるのか。用意いいね、メルヒヌール」


 家のリビングからは地下へと続く階段が消えており、代わりにとんでもない広さ――地平線の向こうまでリビングの床が続いている――に、変化していた。

 ルーラは「必要なものを取りに来た」と言っていたが、メルヒヌールはその目的を見越し、それが家の中にあることまで考えてこの仕掛けを施したのだろうか。


「うん……視覚と聴覚はダメね。触覚もダメ、嗅覚は大丈夫か……誘導されてる可能性も考えて、これなにをモチーフにした迷宮なんだろ。それが分かれば突破方法も……」


 ぶつぶつと呟きながら、ルーラは地面に耳をつけてコンコンと叩いたり、何もない空間をパントマイムのように触ってみたりしている。

 しばらくそうしていると思うと、ルーラがカンカンカンと私から数歩離れた場所の床を執拗に叩き始めた。


「ん……ここ、匂いが違う……?」


 さっきの行動は明らかに匂いを感じようとしている人の動きでは無かったと思うけど、彼女がそう言うならそうなんだろう。


「よ、っと」

「うわっ!」


 適当にそんなことを考えていると、突然ルーラが床に手を突っ込んだ!

 硬いはずの床がその部分だけ水面のように揺らめいており、肘が見えなくなるくらいまで彼女の腕は沈んでいる。


「えーっと、たぶんこの辺りに……お、あったあった」


 独り言を呟いたルーラが床の下にある空間からずぶずぶと引っ張り出してきたものは、今日の朝にメルヒヌールがリビングへと持って上がろうとしていた金色の儀式槍だ。

 それをポイと投げ捨てて、今度はポツンと一つ佇むソファの真下を調べ始めた。

 同じように床下からサルベージしてきたものは、あの禍々しい雰囲気の数珠である。


「これは……」

「この迷宮のベースは、神話の一節『神ヴィクトールの失せ物探し』なのよ。物欲に塗れたヴィクトール神が世界を駆け巡り、最後には真実の愛に辿り着くって話なんだけど」


 知ってる?と聞かれたので首を振る。

 ヴィクトール神、どこかで聞いたことがあるような無いような……そういえば、ご飯の前にメルヒヌールがそれに祈っていたっけ。


「ま、別にいいよ。重要なのはそこじゃないし」


 リビングを一つの世界に見立て、ヴィクトール神が集めた通りの順序でメルヒヌールの隠したお宝たちを見つけると道が開かれる、らしい。

 私にそんな解説をしながらも、ルーラはだだっ広いリビングを歩き回って次々と床下から様々なものを引き上げてゆく。そして、


「十個目……これで全部かな」


 最後、キッチンからなにやら古びた剣を取り出した彼女はそれらを一ヵ所にまとめ、するとそれらはぼんやりとした光に包まれた。


「『宝など必要ない。真実への扉を開け』」


 それが合言葉、一種の詠唱なのだろう。

 まばゆい光に目を細め、それが収まるとそこにあったのはいつも通りのリビングに地下へと続く階段が小さな光を放っていた。

 階段を降りると散らかったウィリーの研究室、もう少し進むと私の部屋、フリーダが泊っているのはもう少し先、その付近に演武の訓練をしただだっ広い空間がある。


「あ、そういえば私、昔のクセでオルガンって呼んでるんだけど、やっぱりノアの方がいい?」


 ルーラに問われ、考える。

 私の名前はノア。そう老魔術師に教えられたが、それも数日前からの記憶でしかない。しかし、だからといって元々の名前に馴染みが深いわけでもない。

 熟慮の末出した答えは、相手に決断を委ねるものであった。

 

「別に、どちらでも」

「じゃ、オルガンって呼ぶね」


 ルーラは迷いの無い足取りでそれらの部屋を通り過ぎ、右へ左への移動を繰り返したと思うと、まだ私の入ったことのない部屋の扉を開いた。 

 その部屋は、またこれまで見た部屋とは異質の部屋である。

 大きさとしては、演武の練習をしただだっ広い部屋と同じくらいだろうか。部屋の後ろ半分はフカフカの椅子が横に十脚、縦に五列ほど並べられ、前半分では大きな透明の壺が存在感を放っている。


「ま、座っててよ。用意は私がするからさ」


 ルーラはそう言って、壺の横に置いてあった小さな瓶の中から小さな白い結晶の欠片を一個取り出し、壺の中に放り込む。

 欠片は壺の中でするりと溶け、白色が壺の中に広がったと思うと……ぼう、と光を放ち始めた。

 壺から放たれる光は次第に一面へと収束していき、それは正面のスクリーンへと映し出される。


「ほらほら、始まるよ」

「始まるって、なにが……むぐ」


 ルーラは私の口をふさぎ、スクリーンに注目するよう促す。

 そこまでして彼女が見せたい映像……だと思うが、それは何なのか。固唾を飲んで見守る私たちに向けて流れ始めた映像は。


『へいへーい!ウィリー、面白いかぁ!』

『あっはっは!師匠面白すぎー!』

『もう二人とも、下品よ!裸でお箸を鼻に突っ込んで、ばっかみたい!』


 ルーラが電光石火でその映像をぶっつりと切った。

 どうやらお酒に酔って裸踊りをするメルヒヌールを見せたいわけではなかったらしい。


「この白色、酒で記憶が飛んでるだけだったのね……トラップ置いておくなよ、メルヒヌールめ」


 悪態をつきながら、壺から取り出した白い欠片……溶けたように見えたが、取り出すと元のままだ……を踏み砕き、また小さな瓶の中の物色を始めた。


「ルーラ、お前は何をしている。この部屋は、さっきの映像はなんなんだ」

「ここは映画部屋だよ。フランチェスカが異世界人だから作ったんだろうね。……あ、ちなみに世界解放戦線の本部にもおんなじやつがあるのよ」

「えいが……?」


 聞いたことのない単語だ。記録もされていない。

 だがルーラからそれ以上の説明はなく、彼女は先ほどよりも少し大きな白い結晶の欠片を取り出して壺に投げ込んだ。


「これ、ユウキがいたらポップコーンとコーラがなーい!って暴れ出すんだろうなぁ」

「ユウキ、ですか?」

「そ、私の仲間。異世界の……日本だったかな、から来た子」


 それ以上の質問はする間もなく、壺は光を放射しスクリーンに映像が映し出される。

 今回の映像は白い。どこかの雪山……夢で見た「機械製造工場ファクトリー」で見た場所によく似ている。


「メルヒヌールは、あなたをどこで見つけたって言ってた?」

「森の中で、一週間前に見つけたところを介抱した、と」


 その答えを予想していたのか、ルーラはうんうんと頷いて横に座っている私の目をじっと見つめる。


「……それが、なに?」

「私たちの使命を思い出して。メルヒヌールは大きな嘘をついてるの」


 彼女にその言葉の意味を問う前に、スクリーンから音が聞こえてきた。開けた口を閉じ前方に目を向ける。そこに映っていたのは今より少し若いメルヒヌールと、その横にいるのは知らない男だ。

 二人は吹雪吹きすさぶ雪山に足跡を刻みながら、良く通る声で会話を行っている。


『おいメル、『ガーデン』ってのは本当にこんな辺鄙な場所にあるのか?』

『ああ、間違いなくな。シルヴィオ、『機械製造工場ファクトリー』を潰したお前なら分かるだろう。帝国の……というよりそのトップ、頭のおかしな異邦人の思考ってやつが』


 シルヴィオと呼ばれた男はふんと鼻を鳴らし、それきり何も言わずメルヒヌールの後についていく。

 五分ほど二人が歩いた先に見えてきたのは巨大なドーム状の建築物。その外壁をなぞりながら進むと、なにかを運び込むためだろう大きなシャッターを発見した。

 メルヒヌールはその前に立ち、眺め触りその質感を確かめる。


『これは鉄か。侵入口は……』

『おいバカ、メル!そこに立つんじゃねぇ!監視カメラに映ってるぞ!』

『監視カメラ……?』


 シルヴィオは額に汗をかきながらメルヒヌールを手招きする。だが、メルヒヌールはその意味を分かっていない。

 首を傾げるメルヒヌールの耳に突き刺さるのはドームの中からあふれ出す警報音。

 驚くメルヒヌール、苦々しい顔で舌打ちをしたシルヴィオは懐から取り出した杖から炎を噴射した。


『ちぃっ、『炎よ爆ぜろ、焼き尽くせアルメル・プロパゲイション』……バレたもんは仕方ねぇ。最短距離で救い出すぞ!』

『ああ……って、この警報僕のせいか!すまないシルヴィオ、そして監視カメラとはなんだ?』


 映像が揺れる。

 鉄のシャッターを炎で焼き切ったシルヴィオとともに、メルヒヌールは警報の響き渡る巨大ドームの中に突入する。


『運搬口Cに侵入者が二人、繰り返す、運搬口Cに侵入者!至急応援を頼む!』

『一瞬たりとも立ち止まるな!行くぞメル!』

『ああ!』


 立ちふさがる警備の兵士をなぎ倒しながら、二人は奥へ奥へと進んでいく。

 その施設は主に二種類の機械……「なにか」を作る機械と、作った「なにか」を入れる機械――こちらは私の部屋にあるものとよく似ている――が稼働していた。


『……これ、証拠持ち帰ったら確実に戦争起こせるな』


 兵士の持つ銃を燃やしながらポツリと呟いた言葉はメルヒヌールに聞こえなかったのか、雷魔術で数人を昏倒させた彼は返事をしない。

 それを気にすることも無く、二人はさらに奥へ。すると、これまでの機械――製造ラインとは全く違う雰囲気を放つ小さな施設を発見した。


『ここか』

『おそらくは』


 入るには専用のパスワードが必要だったが、それはメルヒヌールが雷を流して破壊する。


『開いたぞ』

『……メル、お前はたまに大胆になるよな』


 シルヴィオはどこで捕まえたのか、羽交い絞めにしていた男を放した。既に意識をなくしていたのだろう、そのまま崩れ落ちる男……施設の職員を尻目に二人は部屋の中へと突入していく。

 スピードは緩めず先へ、先へ。

 ドーム内の至る所に配置されていた兵士も、その施設の中には一人もいない。


『この奥か!』

『ああ!『炎よ爆ぜろアルメル』!』


 メルヒヌールが施設の最奥にある扉を魔術でこじ開け、その炎とともに二人はその部屋に踏み込んだ。


『ここは……』


 照明はあるが、電気が点いていない。

 シルヴィオが扉のすぐ横にあったスイッチをパチンと押すと、パアッと部屋が明るくなりその横でメルヒヌールが目を丸くしている。


『今のはどういう魔術だ、シルヴィオ』

『それどころじゃねぇだろ、見ろアレを』


 その部屋にあるものが照らし出される。

 ずらりと並ぶ培養カプセル。その一つに近づき中を覗き込むと、そこには少女……よりもまだ幼い、まだ五歳を迎えてはいないだろう女の子が眠っていた。カプセルの外側には分かりやすいようにか鉄の名札がつけられている。


支配ルーラ……これがコイツの名前か?』


 シルヴィオは部屋にある全てのカプセルを見たいという欲望にかられたが、そんな場合ではないことは百も承知。「ガーデン」と契約を結んだ凄腕の魔術師とやらが来る前にケリをつけたい。

 その思いで彼はメルヒヌールをせかす。

 

『おいメル。お前とフランチェスカの遺伝子で作られたっつーガキはどいつだ。さっさと助けて連れ出すぞ……』

『この子だ。この子だよ、シルヴィオ』


 ああ?と素っ頓狂な声を上げたシルヴィオは、メルヒヌールの指し示す培養カプセル……ちょうど「支配」の隣のカプセルで眠る赤ん坊、その名前を見る。


『『オルガン』……これがお前の?』


 メルヒヌールは頷き、カプセルを開くためにあるスイッチ群には目もくれずにガラスを叩き割って中の赤ん坊を取り出した。

 さっと顔を青白くさせるシルヴィオだが、健やかな寝息を立てる赤ん坊を見てほっと息をつく。


『メル、頼むからもっと慎重にいってくれ……。寿命が縮む……』

『悪い、シルヴィオ……ん?その子、起きてないか』


 メルヒヌールの指し示す先には「支配」の少女。

 先ほどの衝撃で覚めてしまった少女は目を丸くして二人を見つめ、そして「たすけて」とその小さな口を動かした。


『たすけて……?』


 少女の声は二人には聞こえない。だから口の動きから言葉を推測するしかない。

 だけど、メルヒヌールの憶測が正しければ少女は、「ねえ、英雄さん。どうして私のことは助けてくれないの」と、そう言っているように聞こえた。


『メル、ダメだ。お前がなにを考えているかはわかる。が、抑えろ。足手まといをこれ以上増やすわけにはいかないんだ』


 シルヴィオの言葉は正しい。

 既にこの施設の周囲も包囲されているだろうし、メルヒヌールは赤ん坊を抱えており戦うことは出来るだけ避けたい。

 いや、そういう話じゃないらしい。

 何を見たのか、シルヴィオは既に臨戦態勢だ。一瞬の油断なく杖を構え、頬に伝う汗をぬぐうことすらしない。


『なにがあった、シルヴィオ』

『メルも構えろ、自分の身くらいは自分で守れ。……戦闘だ、相手は』


 入口とは反対側の壁を土属性魔術で破壊して外に出る。

 一直線に駆けていく二人に背後から迫る影。その名はメルヒヌールも良く知っていた。


『ワイズマン・ワンダーランド……』


 賢者とは魔術師の最高位の名称だが、その名はこの男から取られたのだと言われている。

 俗に、世界最強の魔術師。

 メルヒヌール、シルヴィアはともに強者の自負があるが、それでもこの男相手に何分持ちこたえることが出来るのか。


『『雷よ走りフードル、轟き・グラウンダー、降り注げ・ディッセンド』!』


 シルヴィオが放つは雷属性の三節魔術。

 精密機械の並ぶドーム内でこの攻撃、少しは動きが鈍ってくれるかと期待するが。


『『対雷防御、避雷針パラトンナ』』


 シルヴィオの杖から放たれた雷の雨は、ただの一節魔術に吸い寄せられ、ワイズマンの杖に触れた瞬間に跡形もなく消えていく。


衝撃ショック


 その返礼とばかりに放たれたのは、系統外一節魔術。

 四大属性に属する魔術は大気に揺蕩う精霊を使用できるため、系統外の魔術よりも威力が高くなる。

 だが、ワイズマンのこの魔術。

 悪寒を感じた瞬間に前へ倒れ込んだシルヴィオが聞いたのは轟という音と背中に感じる暴風、目の前に広がるのは更地になった前方数十メートルと、様々な機械の残骸。


『メル!』

『う……』


 メルヒヌールは避け切れなかったのか、胸に抱いた赤ん坊を守るように倒れ込んでいる。

 とりあえず息はあるようだが、しかし立ち上がるのは難しそうだ。


『……鬼ごっこは終わりか、シルヴィオ』

『へぇ、天下の賢者サマに名前を覚えてもらってるってのは嬉しいね』


 メルヒヌールを背に、シルヴィオはワイズマンに向かって杖を向ける。


『勝敗は見えていると思うが』

『そんなもんで俺は戦ってねぇのよ。理解してもらおうなんて思ってないけどよ』


 シルヴィオの放出する炎、水、土……竜に人魚、ゴーレム。

 あらゆる魔術を総動員するシルヴィオに、悠然と構えるワイズマン。二人の魔術は衝突し、そして画面は暗転した。



『く、ぅ……。ゲホ、大丈夫、大丈夫じゃからな、ノア。もうすぐ人の住む村がある。そうすれば、僕たちは助かる……』


 この場所は見覚えがあった。

 サリュ村へと続く街道だ。村まであと一キロ、という位置で杖をつきながら歩いていたメルヒヌールが倒れ込む。身体は傷だらけで、ここまでの戦いの過酷さを物語っている。


『くそ、くそっ……あと少し、あと少しなのに……動け、身体、もう少し、もう少しだけでいい、ノア、ノア……だいじょうぶ、だいじょうぶだから……』


 自らを、そして背中に背負った赤ん坊を鼓舞しながら這って進もうとするメルヒヌールの目の前に影が広がった。

 追手が追いついたのかと身構えたが、その影は小さい。子供のものだ。見上げると、そこに立っていたのはちょうどあの施設内で培養カプセルに入っていた少女と同い年くらいの女の子。


『……きみ、は』

『わたし、フリーダ。おじちゃん、怪我してるの』

『ああ……。フリーダ……お願いだ、だれか、呼んできてくれないか』


 コクリと頷いたフリーダはとてとてと村に向かって駆けていく。

 彼女が大人を引き連れて戻ってきたのはそれから一時間後のことであった。画面は暗転する。


『ミスター・アドルフ。貴族だというが、豪胆な方だった……。まさか、森の中の一軒家を譲って下さるなんて』


 勝手知ったる森の中、そこに佇む一軒家の前でメルヒヌールは赤ん坊を抱きかかえて呆然と呟く。

 その横には、そこにいるのが当たり前、という顔をしているウィリー。今の私と同じくらいの年齢だろうか、ぼさぼさの頭に丸眼鏡をかけている。今と印象はほとんど変わらない。

 そのウィリーが赤ん坊のほっぺをぷにぷにとつつきながらメルヒヌールに尋ねる。


『師匠、この子……ノアはいつ目覚めるのでしょう。ずっと眠ったままに見えるのですが』

『ううん……すまないが、分からない。一分後に起きるかもしれないし、数十年このままという可能性もある』


 メルヒヌールはウィリーとともに家の中に入り、地下……今ほど広くない階層の一番奥の部屋を開け、そこに設置してあった培養カプセルの中に赤ん坊を繋ぎ、


『『記憶消去ソルティア・メモワール』』


 最後の仕上げだ、と赤ん坊の頭に杖を当てなにか、小さな結晶を抜き出して踏みつけて壊す。

 培養液に満たされていくカプセルを愛おしそうに手でなぞり、メルヒヌールはなにかを呟いたがその音は聞こえない。

 そして、それきり映像は途切れた。



 壺から発せられたいた光が途切れ、水に溶けていた結晶が再び凝固し浮いてくる。

 ルーラはそれをつまみ、元々あった小さな瓶の中に入れて私の方に向き直った。


「長い時間お疲れ様。まあ感想はいいんだけど、この映像を見せた私が提示したいのは二つの道」

「……」

「まず一つ、今もあの村で魔物ゾンビ数百体相手に頑張ってるメルヒヌールを助けに戻る道。……そしてもう一つ、私とともに使命を全うする道」

「……そんな、選択肢」


 選択にすらなっていない。

 彼女は敵だ。フェスを破壊し、村を破壊し、メルヒヌールの腹部を貫いた。問答無用に、文句なしに、完全に敵だ。

 なのに私は、私に向けられたその手を叩き落とすことが出来ない。


「メルヒヌールは貴方から『ガーデン』の記憶を奪った。その中には貴方に与えられた使命の記憶もあった。……貴方がなにも覚えていないのはメルヒヌールのせい。彼が、貴方から奪ったの」

「それ、は」

「メルヒヌールは貴方に……ノアに嘘をついてその事実を隠してる。貴方の使命が私のものと同じなら、彼と一緒にいてはダメ。さあ。私と一緒に……」


 伸ばされた手は私の手を優しく握り、困惑に揺れる瞳を繋ぎとめる。

 ノアの記憶、オルガンの使命。

 あれがメルヒヌールの記憶だというなら、私の記憶喪失はメルヒヌールが原因だ。ルーラの話していたことに間違いはないし、きっと彼女とともに行くことも悪い道ではないのだろう。

 ……息が苦しい。胃の底から這いあがってくる言葉も喉を上っていかない。


「私、は……」


 ただそれだけを必死の思いで絞り出し。


「オルガン」


 ノアは、メルヒヌールと初めて会った時のことを思い出す。

 君の名前はノア、とそう伝えたときの彼の顔は今にも泣きそうなように見えた。表情に映る感情は悲しみ?違う。嬉しい、優しい……まさに親が子に向ける愛情そのものだったと今なら分かる。

 だから。

 私はルーラの手を丁寧に振りほどいた。


「オルガン……」

「ごめん、なさい。ルーラの言うことも分かるけど、私は、メルヒヌールを信じます」


 その時、ノアの目前に一本の糸が垂れ下がった。それは部屋の天井へと繋がっており、それを掴めばリビングへ戻ることが出来るという確信がノアにはあった。


「どうして?……なんて、理由はないんでしょうけど……ちょっと妬けちゃうわ」


 プクリと頬を膨らませるルーラに微笑み、ノアは垂れ下がった糸を掴んだ。

 壺とスクリーン……映画部屋からリビングへと戻ってきたノアは、そこで涙がにじんでいるフリーダに抱き着かれる。


「ノアくん!無事でよかったー!」

「ああ本当に良かった。急で悪いがノア、時間が無い。少し遠いが聖騎士団の常駐する都市、フェルナで防衛線を敷く。さあ箒に……」


 焦るウィリーを制し、ノアは口を開く。


「ごめん、ウィリー。だけど私はメルヒヌールを助けに行く、たとえ一人でも……そう決めた」


 逃げるのではなく、戦い、救い出す。方法は分からない。

 だけど、これがノアの決断。

 フェスに参加しようとするとき、メルヒヌールが言っていた言葉を思い出す。

 必要なのは、私がどうしたいか。


「無茶だ!もう事態は僕たちの手に負える次元じゃない!」

「そんなことは知ってる!だからこれはお願いです、ウィリー、フリーダ。私に、力を貸してください」


 ノアは頭を深々と下げ、それを見たウィリーは頭をかきむしる。

 先に動いたのはフリーダだ。抱き着いた状態から離れ、今度は私の手を外からぎゅっと包み込む。


「うん、分かった。わたしが出来ること、なんでもするよ。わたしだって、メルおじさんを死なせたくなんてないもの。……ウィリー」

「ああ、もうホントにお前たちは……。分かった、分かったよ!行ってやる!お前たちを死なせたりしたら師匠にどやされるだろうからな!」


 少しヤケクソのような気もするが、ウィリーはリビングに立てかけてあった箒にまたがり、その後ろに私を乗せた。


「行くぞ、サリュ村まで十五分もかからない。師匠を救い出し戦線を立て直す!いいな!」

「うん!」

「はい!」


 私とフリーダの元気な返事が続き、二本の箒は勢いよく空へ飛び立っていった。

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