第12話 ルーラの舞台

「私の舞台……?そもそも、お前は誰だ。村の人間じゃないな」


 舞台袖に適当に置いてあった青い服……なにかの従者役だろうその衣装を着てウィリーは舞台に上がり、少女に語り掛けた。


「うん、確かにその通り。だけど」


 敵意の無い動きで少女はふわりとノアに近づき、その肩に腕を回して言葉を続ける。


「私はオルガン……お前たちがノアと呼ぶコイツの姉よ。まったく無関係ってわけじゃない」

「……姉?」


 知らない。

 私には記憶が無い。夢にも彼女のような女性は一度も出てこなかった。顔が似ているというわけでもない。

 だがおかしなことに、彼女が嘘を言っている雰囲気でもない。


「ノアから離れろ。『雷よ走れアンクゥドゥジュ』!」

「おっと、野蛮だなぁ。いきなり攻撃してくるなんて」


 混乱する私に当てないよう、ウィリーの杖から少女に向かって紫電が走る。

 なんでもないようにその攻撃を避けた彼女は、くつくつと笑いながら「別にいいけど」と、するりと離れた。


「ま、そんなことはどうでもいいと思わない?いま必要なのは私がこれからなにをしようとしているか、でしょ?」


 ウィリーは油断なく杖を構え……急いでいたからか服のボタンが掛け違えになっているのが少し格好悪いけど、その目は真剣だ。


「その前に一つ聞かせろ、お前は敵だな」

「ええ」

「『炎よ爆ぜろ、燃え盛れアルメル・プロパゲイション』!」


 少女が頷いた瞬間、ウィリーの杖から火炎放射が飛んだ。


「『水よ溢れよデボーダー』」


 それを水で作った盾によって軽く弾き、ふわぁとあくびを一つ。

 たった一回の攻防で分かったこと。それは、ウィリーとこの少女の間には途方もない魔術の力の差があるということだ。

 相性の有利があるとはいえ、一節魔術と二節魔術が拮抗しているとはそれを意味している。

 さっきのメジャーとは違い、彼女は私とウィリーが協力して、戦い方を工夫した程度で勝てる相手ではないだろう。


「ちっ」

「あっはは……余裕ぶっこいてるにはそれなりの理由があるのよ、ウィリー・マクドネル。覚えておくといいわ」


 杖を上下に振りながら、舌打ちするウィリーに笑顔で話しかける。


『チャンネル登録、ノア、聞こえるか』


「お前の目的はなんだ?」

「お使いよ。ボス……の右腕さんが必要だって言ってたものを取りに来たの」


 ウィリーの声が重なって聞こえる……。

 一つは脳裏に直接響くような声、もう一つは耳から聴覚情報として入ってくる声。混乱する私を納得させるように声は響く。


精神感応テレパスだ。害はないから表情は動かすな。ここからどう動くかを伝える』


「世界解放戦線か。……ふん、テロリストどもに必要なものなんて何一つ無いけどな」

「あらら、嫌われちゃったわね」


 少女はコロコロと笑顔の種類を変えていく。満面の笑みから少し困ったような笑顔、今は少し残念そうに眉をひそめて小さく笑っている。


『あの女の傷……たぶん師匠と戦ったときに出来たものだと思う。師匠ならアイツを倒せる。だから出来るだけ刺激するな。話を合わせて時間を延ばす。ノアも協力してくれ』


 脳に響いてくるウィリーの言葉にコクリと小さく頷く。

 が、本当にそれで良いのだろうか。

 確かに、私の姉を名乗った彼女は全身に大火傷を負い、ともすればすぐにでも倒れてしまいそうなほど足取りはおぼつかない。

 だからこそ疑問が残る。

 逆になぜ彼女の方は話を続けたがる?時間が経てばメルヒヌールが到着する。そんなことは彼女だって分かっているはずなのに。


(……いや、ミスタ・メルヒヌールを信じよう。どれだけあの少女が弱っていたとしても私たちに勝ち目はないのだから)


「……あなたが私の姉だという話、それは本当か」


 そして、ノアは話を切り出す。

 すると彼女はぱあっと今までで一番明るい笑みを浮かべ、弾むようにその問いに答えた。


「ええ、本当よ!といっても、遺伝子は違うのだけれど……そんなことは些細なことでしかないわ。あなたは私の隣で生まれた。今でも昨日のように思い出せる、私がどれだけ嬉しかったか!」


 なんとなく、言い方が変だと感じた。

 ……違う、そうじゃない。いいや、違わない。

 今はそんな時じゃない。噴水広場を取り囲む炎はメジャーが消えてむしろ勢いを増しているし、その中に取り残された人々は恐怖に震えている。それに炎の外がどうなっているのか見ることもできない。

 だけど、求めてしまう。

 夢の真相、記憶の断片の繋がり、彼女なら、私の姉を名乗る少女ならなにか知っているのではないか。


「……ならっ、私の夢のことを、教えて下さい」

「ノア!」


 心臓を押さえながら発した言葉は、自身でも分かってしまうほど裏返っていた。

 そこまではいい、と制止するウィリーの手を振り払ってノアは言葉を紡ぐ。


「雪山での訓練、屋敷での生活、それに戦場……全部私の夢で、記憶だ。私はどうやって生きてきたのか、貴方が姉なら教えて欲しい。いったい、私は誰か、何者なのか……私を、教えて下さい」


 あの家の地下で目覚め、ノアと名前を与えられ、だけど私は自身が何者なのかをずっと探し続けてきた。

 肉体は器、記憶はその器を満たす水。

 もし私が目覚めてからの記憶を失えば、その私は本当に私なのか。答えは否。ノアとしての記憶を失った私はもはやノアとはいえない。

 ノアという器に入っているのは、まだたった一滴の水……ここ数日間の記憶しかない。

 目の前に転がってきたオアシスに手を伸ばしてしまうのは、極めて自然な行為といえる。もちろん、今のノアにその水の中にに毒が入っている可能性が、なんて考えは存在しない。


「うーん……夢、記憶?なんのこと……って、あぁ分かった。そっか貴方、そのことまだメルヒヌールから教えてもらってなかったのね」


 ……今の話の流れで、どうしてメルヒヌールが登場した?

 あの老魔術師は、森の中に倒れている私を一週間前に見つけただけの第三者ではないのか?


「あの夢はただの精神安定剤よ。それ以上の意味はないわ。

だってさぁ、雪山で訓練!死んだ仲間が話しかけてくる!また頑張ろう!武家屋敷、ありふれた悲劇!死んだ親兄弟が仇を売ってくれてありがとう!良かった!戦場!殺したヤツが話しかけてきた!明日も生きるぞ!

……なーんてバカみたいな話、現実にあるわけないじゃない。あんな馬の糞にすら劣る三流脚本、書いてて恥ずかしくなかったのかしら?」


 脳裏に浮かびは消えていく疑問や、頭の中で押しつぶされていく反論、なんの根拠もない主張……熱の入った彼女の演説に混乱をきたしているノアの様子を彼女が顧みることはない。

 現実にあるわけないじゃない。

 ああ、そうだ。その通りだ。私は盲目的に信じ込んでいたのだ、あの夢は私の記憶の欠片なのだと。ピースを集めていけば一つの地図が、これまでの私を知ることが出来るのだと。

 だけど、心のどこかでは否定もしていた。

 年齢の時系列で言えば、武家屋敷から雪山、そして戦場へ、となるのだろうがどう頑張ったってそれらのピースは繋がらなかった。私はそれを作為的に無視していて「違和感」はその集合体だ。


「ねぇオルガン。貴方もそう思うでしょ?」

「私、は……」

「『雷よ走り、降り注げアンクゥドゥジュ・ディッセンド』!」


 ノアに向けて放たれた問いは、ウィリーの魔術によって遮られた。

 ウィリーの杖から放たれた二本の雷は、邪魔を入れられて鼻白んだ彼女の「土よ捲れよセノイア」によって防がれる。

 が、次の瞬間、青空に大きな黒雲が立ち込めた。

 その雲から舞台……少女に向かって特大の雷が落ちる。その光を目視した瞬間には少女を呑み込み破裂し、その余波を噴水広場にまき散らす。


「うっ」

「……っと、ノア。無事か?」


 その衝撃に吹き飛ばされた私とウィリーを受け止めたのは、箒に乗って浮いているメルヒヌールだ。


「師匠、その傷……」

「うん?こんなもの、なんでもないわい。それよりも、アイツになにかされなかったか?」


 ……なんでもなくないだろう、その傷は。

 腹部を、なにか太いものが貫通している。傷は塞いではいるが対処療法にしかなっておらず、顔も青白くどう見ても正常状態ではない。


「随分と速かったじゃないか、メルヒヌール!魔物の処理は諦めたのか?」

「魔物……?」

「ノア、お主の気にするところではない」


 箒の上に私とウィリーを座らせ、老魔術師自身は少女と相対するようにふわりと舞台上に降り立った。


「……ルーラ」

「ふぅん。私のこと、ちゃんと覚えてたんだ」


 心底どうでもいい、といった風に少女……ルーラは呟く。

 二人は知り合いなのか、だが友達といった友好的な雰囲気は感じない。友好的な関係にある者たちが本気で殺しあったりはしないから、当たり前だけれど。

 メルヒヌールはルーラに一歩近づき、その瞬間炎の外側で大きな爆発音が聞こえてきた。


「爆弾……?」

「師匠!この女の前にノアと戦った、メジャーとかいう男が町中に仕掛けています!」


 箒の上、ノアの後ろから叫ぶウィリーの忠告で老魔術師が思い出すのは、魔物たちに食われて死んでいった白髪の男。


「そう。この村を効率的に破壊するためにメジャーに置かせた爆弾五十五個。ここからだと炎が邪魔して見れないけど、音でなんとなく分かるでしょ?人が何人死んだとか」

「お主……」


 メルヒヌールが手を伸ばし、それに対してルーラがパチンと指を鳴らし、またどこかに仕掛けられた爆弾が爆発する。

 その行動に耐え切れなくなったのは、今まで舞台袖に隠れていたフリーダだ。


「ダメぇぇッ!『炎よ爆ぜろアルメル』!」


 半泣きのフリーダが打った魔術をルーラは素手で受け……たが、しゅううと煙が立つに留まった。ただこれまでの雰囲気から一転、見下したような冷たい瞳でフリーダを睨みつける。


「今は端役の出番じゃない。今の私は、あなたに関わっているほど暇じゃないの。……さっ、邪魔は入ったけど再開しましょうメルヒヌール。私の舞台のクライマックスを」

「ルーラッ!今なら、まだ引き返せる!」


 メルヒヌールは手を伸ばすが、ルーラは一顧だにしない。馬鹿じゃないのと自嘲的に笑い、パチン!と指を鳴らした。

 瞬間、連鎖的に発生する爆発音。

 ガラガラと建物の倒壊する音と、その衝撃波が炎の内側である噴水広場まで響いてくる。


「っ……」

「あはははは!まぁ欲を言うと、もうちょっと楽しみたかったっていうのもあるんだけど、舞台としては及第点だよねぇ。どう?自分のせいでたくさんの人が死んだ感想は!」


 数分も続いた爆発と倒壊の中で、ルーラは興奮に目を見開いて顔を伏せるメルヒヌールを煽る。

 だけど、奇妙なことがある。

 確かに爆弾によって建物が壊れる音は聞こえてきたけど、彼女の言う通りたくさんの人が死んだなら、相応の叫び声が聞こえるはずではないだろうか。


「さぁ見せて。炎の壁を取り払った後、崩壊した街にあなたがどのような表情をするのかを!」


 かくして噴水広場を取り囲んでいた炎の壁は一瞬で消え失せる。

 その先に広がる景色を一言で表すならば、凄惨。大通りに並ぶ屋台、店、そこから離れた住宅街、裏路地の建物……目に見える全て、無事なものは何一つとして存在しない。

 だけど、ルーラはその光景を信じられないものを見たように目を見開き。


「どういうことよメルヒヌール……。……いや違う。まさか!」

「お父様……?」


 彼らの目線の先には、噴水広場で立ち上がる赤いスーツの男。あの男はエリアス・ベリハーク。フリーダの父親であり、この辺り一帯を治める貴族の領主。

 私もようやく気付いた。

 崩壊した景色の中に、まったく人の気配がしないのだ。

 

「……ふーーっ。あぁぁッ、糞野郎!『炎よ爆ぜろアルメル』ッッ!」


 顔を怒りで真っ赤に染め、額に青筋を浮かべたルーラがエリアスに向けて杖を向ける。それを予期していたようにメルヒヌールは彼女の攻撃を防ぎ、噴水広場に閉じ込められた人々もバラバラに逃げ出していく。


「端役がッ!私の舞台を歪めるなァ!そんなこと、ちょっと考えれば分かるしょう!」


 後悔、失望、怒り……あらゆる負の感情を吐き出すかのように地団駄を踏むルーラを見て、これが彼女の思惑から外れた事態であると理解した。

 エリアス・ベリハーク。

 おそらく彼はなんらかの方法で、炎の壁に閉じ込められた噴水広場から外部に連絡を送り、住民、フェスの観客たちをどこかへ逃がしたのだろう。

 ふーー、と大きく息を吐き出したルーラは白けた顔を浮かべて呟く。


「……ああ、そっか。引き返すことが出来るってそういうことか」


 一通りの感情を表に出した後、嘘のように静まった彼女は舞台上に転がっていた石ころを小さく蹴り飛ばし、口をとがらせていじける。その姿に、この舞台に登場した時のような笑みは無い。


「ま、この辺りが潮時かなぁ」


 ため息をつくルーラは森の方に目を向け、そちらに意識を向けるとなにやら村に迫る音が……人の足音じゃない、四足歩行、大重量、もしくは羽ばたき、唸り声、とにかくたくさんの音がいつの間にかすぐそこまでやってきていた。


「ただまあ、こっちもメジャーを失ってるの。ただじゃ帰れないのは分かるでしょ?だから……『引き寄せろティエリー』、オルガン」


 ガクン、といきなりノアの身体が強く彼女の杖に引っ張られる。


「ノア!」

「メルヒヌール……」


 地面から足が浮き、咄嗟に差し伸べられた手も届かない。

 私を引き寄せ、肩に抱えたルーラはポケットから小石ほどの大きさをした青い結晶を取り出した。


「待て、ルーラッ!」

「じゃあね。最後の余興まで存分に楽しんでいってよ」


 老魔術師の制止を無視し、ルーラは取り出した換置クリスタルをパキンと割る。

 舞台に立つ者たちにとっては二度目の光景、今まですぐそこにいた少女が消え、その代わりとばかりに現れたのは。


「グ、オオオォォォォッ!」

「ゴブリンキング!なんでこんな場所に……」


 焼け焦げた身体にいくつもの穴をあけたゴブリンキング。

 それは、数日前にノアが倒した魔物だ。ウィリーが回収しメルヒヌールが魔術経路を繋いで駒にしていたが、ルーラの何らかの魔術で奪われた。


「オオオォォ!」


 雄叫びを上げて大剣「赤染」の振り回し攻撃を避けながら、老魔術師はウィリーとフリーダに向けて指示を出す。


「ウィリー、フリーダを連れて家へ行け。ルーラとノアはそこにいる!」

「……分かりました、師匠」

「ありがとう。……二人を頼んだぞ」


 ウィリーは、師匠の一回り小さくなった背中になにを思ったのだろうか。

 ほんの少し逡巡し、未だ放心状態のフリーダの手を引き箒にまたがる。


「ご無事で!」

「そっちこそ」


 メルヒヌールは飛んでいく箒を見ながら、ゴブリンキングの身体を炎属性三節魔術で燃やす。 


「アアァアア……」

「ここが、正念場だな」


 すぐそばに足音が近づいていることを感じながら、老魔術師は自身に言い聞かせるように呟いた。

 幕の下りた舞台に立つはたった一人、観客の無い世界で力尽きるまで踊り続ける。

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