第11話 メルヒヌール vs 黒マントの少女

 サリュ村噴水広場の舞台上に突如黒マントの少女が出現した時点から、ほんの少しさかのぼる。


「『炎よ爆ぜろ、燃え盛り、焼き尽くせアルメル・プロパケイション・トウト』ッ!」

「『水は盾に、受け流せデボーダー―アーキテクト・フラックス』」


 どこに地雷が埋め込まれているか分かったものではないので、少女は地面ではなく木の枝を使い俊敏に飛び回りながら攻撃を仕掛けていく。

 少女が放つは三節魔術。

 彼女の持つ杖から放出されるは炎の渦。ソレに呑まれたモノは何であれ灰に帰す、少女が扱うことのできる中では一番高威力の魔術だったのだけど。


「全くの無傷は聞いてないなぁ……」

「……いいや。まだ若いのにその魔術練度、尊敬に値する。願わくば、お主が賊などでは無ければ良かったものを」


 まったく褒められている気がしない。

 少女渾身の魔術はメルヒヌールを覆う水の盾に完全に防がれ、その周囲の地面を少し焼いただけにとどまっている。

 彼女は思わず木の上で足を止め、苦笑を浮かべる。


「『雷よ走り、轟き、降り注げフードル・グラウンダー・ディッセンド』」


 その瞬間を見逃してくれるほど、老魔術師は甘くない。

 メルヒヌールの上空に浮かんだ黒雲から発生した雷は、まるでそれ自体に意思を持つかのように自由自在に落ちてくる。


「『土よセノ』……。いや、ダメだな」


 上下左右前後、少女を中心として全方向三百六十度を土の壁で覆うことを一瞬考えたが、それでは雷属性以外の魔術への対処が疎かになる。

 なら、回避するしかない。

 枝から隣の枝へ、雷によってさっきまでいた場所が灰となって地面に落ちる様を見ながら次の枝へ。

 動き回りながらメルヒヌールに向かって魔術を放つ。


「『土よ捲れよ、絡み付けセノイア・エンロウラー』!」

「ぬっ……」


 それによって、まずメルヒヌールの両足が、左手が、右手が土から出来た縄によって繋ぎ止められた。


「『炎よアル

「『炎よ爆ぜろ、燃え盛れアルメル・プロパケイション』ッ!」


 老魔術師の意識が自身を縛る土の魔術に移り、雷が止む。

 メルヒヌールの力であればこんな二節魔術の拘束を解くことくらい容易いだろうが、少女はそれを許さない。老魔術師が詠唱を唱えるよりワンテンポ早く彼の全身を炎で焼き焦がす。


「どうだ……?」


 ノーガードの状態で二節魔術を当てたとはいえ、それだけで戦いの決着がつくとは考えていない。だがせめて、少しは老魔術師の体力や魔力を削ることが出来れば、と。

 そんな淡い考えは、次の瞬間に打ち砕かれた。


「『|炎は束ねられ一尾の竜となり、その咢は万象を砕く剣と成す《アルメル―アーキテクト・ドラゴンズマントン》』」


 メルヒヌールを覆っていたはずの炎はその詠唱で神杖エンプティに吸収され、老魔術師自身にはなんの傷もない。


「今のは危なかった。相手がワシでなければ勝負は決まっていたじゃろう」

「……」


 絶句する少女をよそにエンプティの周囲に揺蕩う炎はどんどんと勢いを増し、二十メートルは上空へと伸びたかと思うとその形を変化させ始める。


「じゃが、ワシは自動防御の術式をかけておる。……残念じゃが、基本的に二節以下の魔術は効かん」

「……ふざけてる」


 炎が形作るはドラゴン

 不老不死の伝説を持つ、一説には世界最強の幻獣と考えられている生物……あの魔術はそれを再現するためのものだ。と、知っていたところでどう対処したものか。

 同じ世界解放戦線の仲間であるユウキ……異世界からやってきた彼女なら「クソゲー!」とか言ってコントローラーを窓から投げ捨てているところだ。


「行け、竜よ」


 老魔術師の掛け声に合わせ、ゲギャアアァァァ……とただの炎でしかないはずの竜はおぞましい叫び声をあげ、周囲に熱風が吹き荒れる。


「熱っ……」


 両腕で顔を覆うが、目を開けていられない。

 ただ、足元の木の枝が熱波に煽られて燃え始めたのは分かる。さっきの雷による攻撃も合わせて、木の枝を飛び回る作戦は取れそうにない。

 それが老魔術師の狙いだとは分かっているが、地面に飛び降りる……よし、運がいい。この場所に地雷は埋まっていなかったようだ。


「『簡易結界、水よ溢れよデボーダー・メンブレン』」


 まず必要なのは、七、八十度を軽く超える炎渦巻く世界における視界の確保。

 少女は全身を覆うように水の球体を作り出した。そして、


「『水よ溢れよ、押し流し、吹き荒れろデボーダー・リーバー・デバスター』!」


 今にも少女を喰らおうかと大口を開ける竜の頭部は、その大きさだけで軽く少女の身長を超えている。

 彼女自身の張った結界の中で、迫りくる炎を相手に少女が放つは「嵐」。

 目の前で繰り広げられるのは、炎が嵐を喰らい、嵐が竜の頭部を削り飛ばす地獄のような光景だ。

 そんな中で、彼女は汗をかきながらもニヤリと笑う。


(相性の有利があるとはいえ、拮抗している……。これなら外付けの魔力タンクを持つ私の方が有利)


「お、おおおおぉぉぉぉ……」


 轟、とまた一段と嵐の勢いが増し、少女の嵐はメルヒヌールの炎の竜を押し始めた。

 大丈夫。私にはまだ余裕がある。この調子で魔術を発動し続ければ、近いうちに老魔術師にも届く。安全に任務を遂行できる。

 知らないうちに気が緩んでいた。だから気付かなかった。


「が、はっ……」

「……ようやく、一撃入ったな」


 足元が、爆発した。

 地雷は無かったはずなのに。違う、元々あったものを爆発しないようにした。そして、私が完全に油断した隙をついて爆発を起こした。


「そして、二撃め」

「ぐ、う、ああぁぁぁっっ!」


 嵐が途切れ、竜がその巨大な炎の牙を少女の身体に突き立てる。

 この熱は竜によって発せられているものか、それともドクドクと血の溢れる全身の傷口によるものか。そんなことはどうだっていい。このままだと、私は間違いなく死ぬ。


(まだ取っておきたかったけど、そんなことを言っている場合じゃない!)


 少女は全身を焼く激痛に発狂しそうになる中、下唇を噛み切ることでどうにか意識を保ち、パチン!と一つ指を鳴らした。

 その行動がなんの意味を持つのか、メルヒヌールはすぐに知ることとなる。




(なにが起こった……?)


 表現するとするならば、糸が切れたような感覚。

 自身の杖――最近は腰を痛めていたので身体を支えるために使っていた――と、炎で編まれた巨大な竜を繋ぐ魔力の経路。それがぷっつりと途切れてしまった。

 目の前で繰り広げられるのは、先ほどまで少女を殺そうとしていた炎の竜がボオォと優しく彼女に寄り添っているという信じられない光景。


「行け」

「『対炎結界、水よ溢れよデボーダー・ゼルモスタ』『水は盾に、受け流せデボーダー―アーキテクト・フラックス』!」


 少女の指示で老魔術師に襲い掛かる竜を最低限の結界と防御魔術で防ぎながら、今の一瞬でなにが起こったのかを考え、一つの可能性に思い至った。


「……なるほど、簒奪の魔術属性か」

「だったら、なに?メルヒヌール、あなたの魔術なんだから分かってるでしょ。この竜は術者がそう命令しない限り存在し続けるって!」


 簒奪。その名の通り、他人の魔術を自身のものに変えてしまう魔術。少女はそれを生まれ持った魔術師なのだろう。

 ああ、彼女の言う通り。それが分かったからなんだ。

 今もその巨大な咢を持って、老魔術師の構築した防護にひびを入れているこの竜は「不死」なのだ。周囲に熱波をまき散らし、もしやられればその熱波から身体を自己再生する。


「だけど、対処法が無いわけじゃない」


 一つは、炎の竜を操る術師を倒すこと。

 そして二つ目。


「『水よ溢れよ、押し流し、全てを満たせデボーダー・リーバー・サチュレル領域世界、凍結せよエイジ・デグレイス』!」


 その魔術に音は無い。ただ至る所を炎で覆われていた熱の世界から、あらゆる全てが凍り付く極寒の世界へ移行しただけのこと。

 絶対零度の世界で白い息を吐き出す。

 炎の竜の対処法その一。竜の放つ熱波の全てを消し去れば、あの魔術は自然消滅する。

 熱波の範囲を水で浸すことによって領域を設定し、その範囲を一つの世界に見立てて改変……今回は凍結させる魔術だが……。


「く……はっ、はぁ……」


(流石に五節魔術ともなると身体への負担が大きい……。数ヵ所血管が切れた部分がある。治療しなければ……、だがその前に)


 あの少女はどこへ行った?

 逃げたわけではあるまいが……といっても、周囲半径五百メートルの範囲を規定して戦いの余波が漏れないように結界を張っているので、そんなことは不可能だ。

 きょろきょろと周囲を見渡し、キュッと靴で氷を踏みしめる音に振り向いた瞬間。


「がは……」

「今、油断したでしょう?ねぇ、メルヒヌール・マレクディオン」


 腹を、少女の拳が貫いた。

 傷口は炎で焼いた後に氷で繋ぎ止めるが、大ダメージには変わりない。先ほどの魔術の疲れも相まって尻もちをついてしまった。

 ズルリと引き抜かれた彼女の拳からは、赤い血が滴り落ちている。


「……油断、か」

「ええ、油断ね。私のことを侮った。だから敗けたのよ、あなたは」


 そうか、と老魔術師は口の中でそう小さく呟いた。

 なら、問題ないな。と、親指と人差し指を口に当てピュウウゥゥ……と長く大きな口笛を吹く。

 その瞬間、メルヒヌールと少女を取り囲むように数体の狼が群れとして、ゴブリンキングが土の中から、ワイバーンが上空から、その他にもたくさんの魔物が唸り声や叫び声を上げて集結してきた。


「なるほど。これがあなたの奥の手なのね」

「ああ。少なくともお主の『簒奪』では奪い取れんぞ」


 簒奪の魔術で奪い取れるものは「魔術」のみ。「魔術で操った生物」まではその範囲に含まれない……が、それを聞いた少女は心底楽しそうに笑い声を上げた。


「あはははは!簒奪、簒奪ね!私、バカみたい。こうやって戦っていれば気付いてくれるかもって、そんなこと有り得ないのにね!」

「なにを……」


 少女は座り込んでいるメルヒヌールの耳元に口を当て、蠱惑的に囁いた。

 「ねぇ、英雄さん。どうして私のことを助けてくれないの?」と。

 その言葉に固まる老魔術師を前にして少女はにこやかに笑い、するりとポケットから取り出した青い結晶を手で握りつぶした。


「じゃあね」

「待っ……」


 少女は消え、その代わりのように現れたのは。


「な」

「入れ、変わった。……なら、僕のやるべきことは、お前を殺すことだァー、ははははは!」


 少女と同じ白髪の男であった。

 見る限りは雑兵、雑魚とはいえ残りの体力は来たるべき彼女との戦いに残しておきたい。杖も持たずに生身でぴょーんと飛び掛かってきたその男に指を向ける。


「悪いが」

「んぎゃっ」

「魔物どもの餌となれ。今のワシにお主の相手をしている余裕はない」


 転移クリスタル……違う、換置クリスタルか。

 ぎゃあぎゃあと泣き喚き悲鳴を上げながら、恐慌に陥っているのかほとんど抵抗らしい抵抗も無く身体を貪られていく男をちらりと見ると、ちょうど彼のポケットから杖がポロリと落ちた。


(入れ替わったとするなら、今の少女はどこに……そういえば、あの男の着ていたローブはウィリーのものか?だとするとフェス会場、噴水広場に行けば情報は掴めるだろうか)


 と、そこまで考えたところで男の落とした杖に意識が向かった。

 杖を持っていたということは、彼も魔術師だということだろう。

 だとすると、どうしてあんな無謀な突撃を仕掛けてきた?一発の魔術を放つほどの魔力すら残っていなかったのか、それとも、こうして殺されることが目的だった……。


「……まさか、そんな」


 悲鳴を発さなくなった男は既に絶命しているが、その面影はどこかノアに似たところがある。

 そして、あの少女。

 あの言葉を忘れるはずがない。

十二年前に出会った、帝国が「ガーデン」で作り出した、簒奪の上位特性である「支配」の魔術特性を有した少女。名はルーラ。

 二人になにかしらのパスが通っていた場合、先ほど男を喰らった魔物の情報は彼女にも流れている可能性があり……それは周囲の魔物たちとの魔力経路が一斉に途切れたことで現実となった。


(状況は最悪最低、ワシの考えが正しければ状況は完全に逆転した、されてしまった!なんたる迂闊さじゃ!)


 まずは簡潔に結論だけ。

 ノアを「ガーデン」から救い出してから各地を飛び回り、ウィリーの協力を得て有事の際に備え眠らせておいた魔物ゾンビ数百匹……ギルド等級でB~A+のそれら全てが敵に回った。

 現実感など追いつくものか。

 ここから先は地獄の撤退戦、ワシはこれからどう動けばいい?

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