終章

たどりついた場所

 針葉樹林の深い緑の森の国、ここウルムヴァルド王国。


 国土を貫く形で南北へ延びた街道沿いの丘の上に、石作りの城砦がそびえ建っている。周囲をぐるりと巡る厚い石塀に囲まれたこの王都北の城砦は、ウルムヴァルド騎士団の長年の拠点である。


 城砦内部では常に騎兵や歩兵、馬車が行き交い空気を騒がしくしているが、中でも「一番騒々しい」と言われているのは、すでに老齢を理由に引退した老騎士ホルガーが、二人の幼子を探す声であった。


「ユッテ様! カミル様! またしても、いずこにいらっしゃるのか!」


 長年戦場で敵にも味方にも張り上げていたその声量は、老いたりといえども少しも損なわれていない。引退した後は騎士団長一家のじいやとして、主に幼い末の双子を追い回す毎日である。


 あいかわらずひと所にじっとしていない双子達――先日五歳の誕生日を迎えたばかり――は、今日もじいやの目をくらませていずこかに「冒険」に出かけていた。とはいえ、城砦外に出入りできる門はつねに見張りの目も厳しく、その範囲は城砦内に限定されるのだが。





 ユッテとカミルは、この日もまっすぐに城壁を目指していた。

 誰かに見つけられては連れ戻されるのが分かっているので、行き交う騎士や馬車、使用人たちから隠れ隠れの行軍となる。建物の影、厩舎の裏口、ときには積まれた藁の中に隠れつつ、二人が目指したのは、城壁の北西に建てられた物見塔であった。

 尖った屋根の上に翻る、金の紋章を縫い取ったウルムヴァルドの国旗が目印である。

 塔の内部に入るための扉の前にたどり着いたとき、ユッテは後ろに続いた弟のカミルを振り返った。


「ここ? ここの上にあったの?」

「うん。見えたんだ、おうちの窓から」

「ほんとにぃ?」

「ほんとだよ!」

 疑わしげなユッテの表情に思いのほかカミルが言い切るので、ユッテは驚いて「う、うん」と頷いた。


 両開きの戸を押し開き中に誰もいないのを確かめてから、入り込む。上に続くらせん階段は最初の数段が大人でも大股で上らねばならぬほど高く造られていて、ユッテもカミルも手を付いてよじ上らなければならなかった。だがそこから先は段差も低く、ユッテが前、カミルが後になり、二人共に壁に手を当て、そろそろと慎重に上っていった。


 二人とも無言で、真剣な顔つきのまま、一段一段上に進む。二人を呼ぶホルガーの声が、外から風に乗って流れてきた気がしたが、それすらも耳に入らぬほど二人はこのらせん階段の登頂に集中していた。


 そしてやがて、はるか高所にぽかりと開けられている物見窓にようやくたどり着く。


「あ、ある!」

「ね! あったでしょ!」

「ほんとだ、カミルよく見つけたねえ」

 姉に褒められ、カミルは嬉しそうに微笑んだ。

 と、その時。


「――見つけましたぞ、お二人!」


 はるか下方の塔の入り口から、ホルガーの声が上に向けて響き渡った。が、すぐにその声は二人の現在位置の高さに気づき、泡を吹かんばかりに震えだした。


「そ、そんなところで何を⁉ おお、う、動かれてはなりませぬ。い、いま、じいがお迎えにあがりますゆえ! ああ、降りずに、待っていてくだされ!」


 そして慌てふためきつつ、ホルガーはらせん階段を駈け上がってくる。そんなじいやの姿に、

「みつかったー」

「みつかっちゃったー」

 そう顔をしかめて嘆き合った二人は、せめて目的だけは果たそうと物見窓の桟にあったそれに手を伸ばした。





 二人よりもむしろホルガーの方が足をすくませながら、ようよう地上に降り立った後、お決まりのようにホルガーのお説教を受けた二人は、顔をしかめ、半泣きで「もうしません」と約束するまでの間も、ずっとその手には物見窓から持ち帰った戦利品を握りしめていた。


 ようやく許されて城館へと戻る道すがら、この騒ぎを聞きつけていたのだろう姉のローザが、退屈しのぎにと二人に近寄ってきた。

「また二人ともおいたして。今度は何してたの?」

 聞かれ、二人は自慢げに握りしめた手を同時に差し出す。その手には一輪ずつ、五枚の花弁を持つ白い花が握られていた。その花弁は花心に近づくにつれ白から薄い黄色に色を変化させていた。


「これね、森の奥にだけ咲く花なの」

「ハインツに、教えてもらったのよ」

「あの窓に咲いてたの、ぼくが見つけたの」

 物見窓を指さし自慢げなカミルだ。


 物見窓は窓枠も石を積んで作られていたのだが、その石と石の間にいつしか詰まった土に、森から飛んできたのだろう種が根づき花を咲かせたのだろう。二人のつたない説明を聞きながらローザはそう推測する。


「で、わざわざ摘みに行ったのね。どうするの、そのお花?」

 ローザの問いに、二人は揃って声を張り上げた。

「ハインツにあげるの!」





 家族の住まいである城砦内の城館。その玄関から元気よく中に飛び込んだユッテとカミルは、後ろのホルガーから「お屋敷の中で走ってはなりませぬ!」と怒鳴られた瞬間だけしずしずと歩を進めたものの、その目から離れてしまうととたんに足早になり、どたどたと大きな足音を立てながら裏庭に続く扉を開けた。


 そこは母のアマリエが世話をしている薬草園になっていて、色とりどり、かつ瑞々しい草花が咲き誇っている。その奥、小さな東屋のわきを目当てに二人は笑顔を浮かべて駆け寄った。


 二人の背丈ほどの草花に囲まれたそこに、彼はいた。


「ハインツ!」

「ハインツ!」


 双子の呼びかけに、おっくうそうに身を起こす。

 気だるげな表情で、またうるさいのが来た――とは口に出さずとも琥珀色の瞳で訴えながら、それでもハインツは迎えるために立ち上がる。シャツと吊りズボンからくっついていた枯れ草がぱらぱらと舞い落ちた。


「なんですか、何かご用でも?」

 そっけない言葉にも、双子は気にした様子もなくその足下に群がった。

「これ!」

「これ、あげる!」

 二人が差し出した白い花にハインツは目をとめた。


 無言になったハインツに、ユッテとカミルは不安げな表情を浮かべる。

「いらない?」

「ハインツはきらいだった?」

「……いえ」

 ようよう喉の奥から言葉を絞り出す。差し出された花の茎をそっとハインツは指で挟んで受け取った。

「いただいていいんですか? ありがとうございます。……これ、どこに咲いて?」

 カミルがまた自慢げに鼻を鳴らすので、今度はユッテが先んじて「物見塔の窓」と言ってやった。カミルはとたんに顔をしかめ「ぼくが見つけたのに!」と憤慨しはじめる。

「ユッテのばか」

「なんで! なにが!」

 ぺちぺちと小さな手でたたき合いをはじめた二人の額を、ハインツが押さえて引き離した。大人しくなるまでそうしていて、ハインツはそっと空に視線を投げた。


「物見塔。へえ、そうか……。空を飛んできたんだ」


 柔らかな風が、城壁の外、森の空気を運んでくる。

 そよそよと風に揺れる薬草園の草花の中で、ハインツは無意識に頭に手をやった。短く刈った髪はまだこの程度の風には揺れるほど伸びていないが、濃い白金色の輝きは失われてはいない。




 

 ――あの渓流に落ち、急流に流されてからの記憶は少しの期間抜け落ちている。


 気付いた時、ハインツはこの城砦の城館の一室に寝かされていた。頭と太股に包帯が巻かれていたほか、体中に無数の傷跡があったが、人間の姿に戻り、その白い手足を見て、ああ、生きてる、と思ったものだ。


 目覚めると、すぐにアマリエがローザと双子達と一緒に駆けつけてきた。

 双子達はハインツ、ハインツと足下で騒ぎ立てローザに静かにと叱られ半べそになる。そんな見慣れた光景を見つめるハインツの頭の包帯を、アマリエが手ずから交換してくれようとする。


 アマリエの表情はややぎこちないものに見えた。だが傷口に布を当てかえ、再び清潔な包帯を巻く手は丁寧で優しいものだった。


 日付を聞けば、あの森での夜から四日ほど経過していた。

 経緯はアマリエが静かな口調で語ってくれた。


 ハインツが渓流に落ちた後、黒狼の群れを半数は叩きのめし、残りの半数を森の奥に追いやって合流したジェラルドと共に、アマリエと双子達は渓流の下流に馬を走らせ、ハインツを捜索した。

 探すのに苦労はなかった。月明かりは眩しいほどだったし、ユッテとカミルが「あっち!」と指し示す方向に真っ直ぐ行けば良かったのだ。


 そして夜が明ける頃。かなり流された下流の沢で、岩場に横たわっている、人間の姿に戻っていたハインツをみなで見つけ出した。

 全身は傷だらけで、特に頭部からの出血がひどかった。ジェラルドがその場でハインツの頭髪を刈り上げ、アマリエが縫合してくれたのだという。太股の傷も同様に処置され、そのままジェラルドに担ぎ上げられる形で、城砦に戻ってきたのだ、と。


 なぜ途中で人に変化したのかはハインツも覚えていない。しかしあの大狼姿のままでは、あそこまで流される前に水底に沈んでいただろうというのが、ジェラルドの見解だった。

 また、ハインツを見つけた岩場は川の流れからは少々離れていたのも幸いだった。冷たい川の水の中では身体が冷え切ってそのうち息も止まっただろう。おそらくハインツ自身で無意識のうちにそこまで這い上がったのだ、と、ジェラルドは断言したという。

 

 そこまで聞いて、ハインツはうつろな目を何度か瞬かせた。


 不思議だ。あの時、谷に落ちてゆく瞬間、ハインツは全ての事柄が「これで終わる」と思った。それは悲しみも、悔しさも呼び起こさなかった。ある種の安堵を感じながら、暗い水底に吸い込まれていったのに……。


 話を一通り聞いたあと、ハインツはしばし沈黙し、やがて静かに頭を下げた。


「お手数をおかけしました……」


 そこまでして探してくれるとは思わなかった。頭を動かすと、その奥でずきっとした痛みが走る。顔を一瞬しかめ、気を取り直して視線を上げると、アマリエは苦笑いをその唇に浮かべていた。


 ユッテとカミル、ローザを促してアマリエは部屋を出て行った。

 しばらく休みなさい、と子ども達を廊下に出し扉を閉めざま、そうハインツに声をかける。

 そして唇の中で言葉を紡いでから、静かにアマリエは呟いた。


「……傷が治ったら、また書斎の整理を手伝ってね」


 横たわったまま、ハインツは目を見開いた。その視線は静かに扉を閉めたアマリエの白い手を、ずっと見つめ続けていた。





 この二月の間、以前のような狼の群れの襲撃や目撃情報は、あの夜からぱたりと途絶えていた。

 ジェラルドは調査のため幾度か騎士団を森の中に派遣したが、人が踏み込める範囲に群れの姿は確認できなかったらしい。


「やつら、諦めたか」


 そう言ってジェラルドが笑うのは、半ばハインツやアマリエを安心させようとしてのことだろう。

 だがいつ、森から吹く風に狼の遠吠えが混ざるようになるかは、誰もが確かなことは言えない。





 ――ふと、自分を見上げている双子に気づき視線を落とす。ハインツが頭を押さえている手を、二人は凝視していた。


「ハインツ、あたま痛いの?」

「きず、ひらいちゃった?」

 大声で、ハインツのズボンを引っ張りながら二人は血相を変えていた。ハインツは脱げちゃいます、と言いながらその手を離させる。

「大丈夫です。まだちょっと……短いのが慣れないんですよ。ちょっとチクチクするし」

 痛いわけではない、と双子達は理解したのか、ハインツを見上げて満面の笑みを浮かべた。


 魔女のユッテとカミルと、白狼の自分。三人のこれから先には何があるのか。そんな不安はハインツの中にまだくすぶる。


 が。相変わらずこの二人の笑顔は、次はどんな幸せが自分たちに降り注ぐのだろうと、信じて疑わないものを感じさせる。


「髪みじかいの、やなの?」

「ぼく、好き!」

「ユッテも!」

 二人の言葉に、ハインツは困惑したように口を尖らせた。だが、

「そりゃどうも……」

 と返した口元はわずかにほころんでいた。







 魔女の企み 完

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