第5話「クズは俺とお前だけだ」

 一人が逃げ出してくれた事は、ベクターフィールドの狙い通り。


 ――四人目がいるんだろ。


 その四人目が問題だと感じていたベクターフィールドは、最初から一人は逃がすつもりでいた。


 四人目――亜紀は気付かなかったが、ベクターフィールドが見せた映像の中で、その相貌そうぼうが不自然に光った事が確認できた。



 四人目の目は、黄色く光ったのだ。



 光線の加減で人の目が不自然な色になる事は珍しい話ではない。


 しかし絶対に起こらない角度というものが存在し、そんな時に黒目が他の色になる事は有り得ない。


 その正体をベクターフィールドは知っていた。


 ――さぁ、出てこい。みたいなもんだ。不始末は、俺が片付けてやるから。


 ベクターフィールドが身内という存在とは……?


「助けて……」


 そんな事を知らない少年は、息を切らせながら走る。ショッピングモールには複数の出口があり、おおむね、二方向に出られる。国道側か、市道側か。こんな郊外に建っているショッピングモールであるから、市道側へ出れば駐車場の灯りくらいしかない場所へ出られ、撒きやすいと思った市道側に出た。


「た……助けて! 助けて、蔵人クロードさん」


 逃げながら少年が助けを求める。蔵人クロードというのが四人目の名前だろう。


 走れなくなったところでベクターフィールドが追い付き――、


蔵人クロード? 何やってる奴だ?」


 後ろから襟首を掴んで起こす。態と爪を立て、首の皮膚ごと掴もうとしたのだから、鋭い痛みが走ったはずだ。


「知らない! 何も知らない! ちょっと前に、声をかけられただけなんだよ。手を貸すから大逆転を始めようって……」


「何か変わってるだろ? 例えば、目が光るとか」


「光る……光るよ! 時々、金色に――」


 言葉が聞けたのは、そこまでだった。


「!」


 頭上から感じた気配に飛び退いたベクターフィールドの頭髪が、一筋、宙を舞った。刃によるものだと分かったのは、街灯に照らされる鈍色にびいろの光を見たからだ。しかし凄まじいスピードだったのは、打ち込みだけではない。飛び降りてくるスピードも尋常ではなかった。本当に人であったならば、飛び降りた後は重力以外に推力はないのにも関わらず。


「ぐえ……」


 カエルが潰れたような声あげさせたのは、その鈍色の刃。少年は胸から背までを貫いた。


蔵人クロードさん……」


 酷いと続いたかも知れない声だが、ベクターフィールドも、剣を振るった男――蔵人クロードも無視した。


 手下の声を無視し、蔵人クロードは細めた目をベクターフィールドへ向ける。


「何か、見覚えのある顔だな?」


 その剣を持ったまま、蔵人クロードが立ち上がり、


「ああ、セールスマンの?」


 セールスマン――契約を司る魔王であるベクターフィールドの渾名あだなだ。


「やっぱり身内か」


 鬱陶しいという顔をするベクターフィールドは、蔵人の剣を見ていた。


 ――鷹。


 粋がれるような格かと嘲笑を浮かべそうになるベクターフィールドだが、勝負は格でするのではない。技量でするものだとも心得ている。


 ベクターフィールドも宙から自分の剣を取ろうとするが、それを制する声があった。


「ベクターフィールド!」


 名を呼んだ声には覚えがなかった。女の声であったが、この場にベクターフィールドの名を知っている女は亜紀だけだ。


 ――その手は食わないぜ!


 振り向いてしまいそうになる衝動を抑える。不意を突くための隙を作ろうという意図は明らかだった。


「!」


 改めて剣を抜こうとするベクターフィールドへ、今度は知っている声が投げつけられる。


「ベクターフィールド! 気をつけて!」


 亜紀だ。


 今度は振り向かされ、そこには金切り声をあげる女の姿が。


「きゃああああ!」


 飛びかかろうとする裕美だった。その姿にベクターフィールドは大きく舌打ちさせられる。


「お前だって薬のセールスマンだったんだろうが!」


 ベクターフィールドは舌打ちしながら逃げた。攻める足など残しておけない。蔵人クロードの攻撃だけならば回避できるが、掴みかかろうとする裕美と一緒に回避しようとすれば、間合いを大きく外して逃げるしかない。


「――」


 蔵人クロードが笑ったのが見えた。それがベクターフィールドのしゃくさわる。


 ――元が痩せっぽっちか太っちょか知らねェが、悪魔の寵愛ちょうあいでチート能力でも身に着けたつもりか!


 裕美を縛り付けているものは、暴力ではない。



 悪魔のを凝固させて作る麻薬だ。



 激しい快楽を得ると同時に、凶暴性が芽生える事や錯乱状態になる事もあるという危険な薬。悪魔の体液から作るという薬は、それ故に禁止薬物の成分を一切、出さない上に、真に厄介なのは効果ではないという代物だ。


 最も厄介なのは、摂取者を意のままに操れるという点である。


 蔵人クロードが片手でもてあそんんでいる錠剤の色は白。


「吐き気がするぜ」


 何から作ったのか分かるベクターフィールドは、チィッと態とらしいくらい大きく舌打ちした。


 蔵人クロードには、ベクターフィールドが何を思い、何しようと知った事ではないが。


 ――知った事か。お前が小汚い穴蔵で吠えてる分には誰も気にしねェけど、態々、出てきていう事か!


 錠剤を裕美へ投げ渡し、蔵人クロードが剣を両手で持つ。ベクターフィールドは未だに剣を抜けてすらいない。裕美に動きを牽制させ、自分が斬るだけだ。


 ――あーあ。


 ベクターフィールドも分かっているからこそ苦い顔をさせられる。1対1であればベクターフィールドに負ける要素はない。だが2対1となると勝手が違う。


「人間は斬れないだろう? お前」


 剣を構えながら蔵人クロードが挑発的な言葉を向けた。



 人は斬れない――。



 亜紀との契約でこの場にいるベクターフィールドである。裕美を助けたいというのが亜紀の願いであるから、ベクターフィールドに裕美を傷つける事はできない。


 ――そう読んでるなら厄介だぜ。


 あらゆる手段で毒突きたい衝動に駆られるが、そんな事をしても何かがどうなるという訳ではない。剣を抜く一瞬を稼ぐ手段を考える方が先だ。間合いの外にあるが、その距離を保ちつつ剣を抜き、裕美を躱して蔵人クロードを斬る――そんな方法だ。


 ――いやぁ、奇跡だぜ、そりゃ。


 敵が何をしようとしているかを知っている事ほど、有利な条件はない。ピンチは同時にチャンスであるというのは、そういう考え方からも導かれた言葉だ。


 ベクターフィールドが裕美を斬らず、かつ剣を抜く一瞬を稼ぐ行動に出ようとすれば、選択肢は絞られてしまう。


 故に蔵人クロードは笑う。


「斬れないよな」


 蔵人クロードわらい、距離を測り、ベクターフィールドが手を打てない仕掛けを探る。もしベクターフィールドが考えていた通りの事を実行しようとしていたら、完封されていたはずだ。


 だが蔵人クロードはベクターフィールドが考えているような行動は取らなかった。


「もし人間を傷つけたら、魔王だろうが浮遊霊だろうが、運命が決まる」


 取れなかった――即ち隙だ!


「俺たちみたいなのが人間を殺したら、死神が黙ってないぞ。お前、確か一度、負けてるよな。しかも非正規に」


 それは全てベクターフィールドをおとしめるためだけに出てきた言葉であるから、ベクターフィールドにとって何の意味も持たない。


「成る程な」


 ベクターフィールドは腰を落とし、裕美と蔵人クロードに視線を往復させた。蔵人クロードはベクターフィールドが契約に縛られているという事を理解していない。ベクターフィールドが裕美ごと蔵人クロードを斬れないのは、契約が原因だなどとは夢にも思わず、また非正規の死神に撃退された過去を怖れているという事も、馬鹿にしているだけ。



 これが隙でなくて何だというのか。



 ベクターフィールドに笑える程度の余裕が生まれる。


「あの女は、まぁ、俺より強かったってだけの話だ。剣までへし折られて、這々の体で逃げるのが精一杯だったぜ。確かに、怖い怖い」


 その「怖い怖い」というが早いか、ベクターフィールドが間合いを一気に詰める。


 目指したのは裕美と蔵人クロードを分断できる一点。


 裕美には背を向け、蔵人クロードに向かい合う。


「はんッ」


 蔵人クロードは剣を振り下ろそうとするが、ベクターフィールドの方が若干、速い。剣を抜く時間には及ばないが、腕を振るう時間はある。


 ――鍔迫り合いに弱い奴が、剣なんぞ振るえるか!


 胸の中心を狙い、肘を叩き込む。狙うのは肋骨と胸骨が交叉している一点だ。


 その衝撃に蹈鞴たたらを踏んで後退させられる蔵人クロードだが、口元の笑みを消さない。


 ――後ろから刺されろ!


 裕美がいるんだという余裕だったが、その裕美は――、


「ごめん!」


 更に背後から忍び寄っていた亜紀が裸締めにしていた。動こうとする一瞬、息を呑んだ時を狙って締め上げれば、何の訓練も受けていない裕美の意識を飛ばす事くらいはできる。


 それがベクターフィールドに確信させる。


「甘く見すぎたな!」


 亜紀の存在がどの程度であるかを見誤ったのだと、必勝を掴んだと確信した。


 体勢を崩した蔵人クロードはベクターフィールドが剣を抜く機を制せない。


 ベクターフィールドの手がひるがえって魔王の剣が抜かれ、そのまま膂力りょりょくにものをいわせて横一文字に振るう。


 しかし蔵人クロードは思った。


 ――いや、かわせる!


 ベクターフィールドは右手一本で振ったのだ。両手で振るうよりもスピードは出ない。その上、左の懐へ飛び込まれれば隙ができてしまうのに、剣を左から右へ振るったのだ。


 ベクターフィールドの身体は大きく開き、魔王の剣は自分の身体が邪魔になってしまう位置へ振り抜いている。


 蔵人クロードの目に異様な光が浮かぶ。


「もらった!」


 それに対し、ベクターフィールドは無声。


 如何いかにベクターフィールドとて振り抜いてしまった剣を、片手で切り返すような怪力はない。



 しかし右手で剣を投げるようにして、持ち替える事はできる。



 地面と水平にし、突き出す。


「……!」


 胸を貫かれた感触が、蔵人クロードから全ての力を奪った。


「……何でお前、あんなのの味方なんてして、ちまちま魂なんて集めてるんだ? あんな精神も身体もブヨブヨした、間抜けばっかりになってやがるのに」


 蔵人クロードがベクターフィールドを見下ろしながら、最後の悪態を吐く。


 間抜けが誰を指しているかは、ベクターフィールドも想像するしかないのだが、この口調からして、裕美や、裕美を操ろうとした少年たち、守ろうとした亜紀も含まれている事は間違いない。


「あんな奴らのお蔭で、日本人は愛国心も、誇りも持てず、家族や自分さえも守れなくなった」


「お前も元は人間だったんだっけか」


 ベクターフィールドは剣を捻り……、


「モラトリアムとか理想主義とかってだけでクズとか呼べねェんだ、俺は。クズってのは、他人ひと様を利用してる、俺とかお前とか……」


 剣を振り抜いた。


「そういう……悪魔の事だろうぜ」



***



 ――鳥飼裕美さん保護の経緯について。


 翌日から亜紀は報告書に追われる事となった。裕美自らが助けを求めたという事は、亜紀と裕美の双方に残されている履歴で明白であったが、ショッピングモールでの大立ち回りは何の注意もなく終えられるものではない。


 ――ショッピングモールで、しかも一般人もいる前で大立ち回り。一本背負いを決める、裸締めで落とす、一体、何を考えてる?


 それ以外にどんな解決方法があったんだ、と喉元まで出かかる亜紀だが、それはいわない。


 係長のいう事が正しい。


 苛立ちを押さえる効果もあるが、亜紀が成長したからこそできる思考がある。


 ――他にどんな解決方法があったとか、そういう低レベル話じゃない。



 暴力沙汰は、どちらかに正義があるとしても、見ている者に恐怖を与える。



 カフェにいた一般人の内、恐怖を感じなかった者は少数派のはずだ。


 ――犯罪者は撃ち殺せって無責任な事をいう人もいるけど、銃は弾だけが怖い訳じゃない。銃声だって十分、怖いんだから。


 だから日本の警察は銃の使用に慎重なのだ、と亜紀は理解している。銃でなくとも、柔道や空手の技でも、眼前で振るっている光景がある事は暴力的だ。


 ベクターフィールドならば、この不祥事をなかった事もできるのだろうが、その依頼だけはしない。悪とベクターフィールドの契約は「亜紀が必要と思った事件に全力で協力する事」であり、その事件とは自分のミスは含まないと断じるのが、亜紀の矜恃である。


「よっし」


 亜紀はタンッと軽い音を立てさせてマウスをクリックし、報告書を印刷した。


 溜息を吐きながら、すっかり冷めてしまったコーヒーを手に取る。


 また溜息が――いや、溜息はブッブー、ブブと特徴的なバイブレーション音でこらえられた。


 メッセージアプリの通知だ。


 ――また金曜は空いてる? 今度はハイスペック男子!


 内容は合コン。


 ――行きます! 仕事あっても無視していきます!


 飛びつくのだから、そこまで追い詰められている訳ではない。

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喪女の婦警が魔王を召喚! 今日は夜中にアポもなく! 玉椿 沢 @zero-sum

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