第4話「ご迷惑をおかけします」

 結局、ベクターフィールドもハンバーグを食べ損ねる事になった。


「急いで!」


 スマートフォンを両手で握りしめている亜紀が、助手席で声を張り上る。裕美ゆうみは決死の思いで亜紀に知らせてきたのだから。


「急ぐけど、踏める訳がないぜ」


 ベクターフィールドも、精一杯、急いでいる。それでも午後9時前の道だ。ベクターフィールドの愛車は280馬力を誇るスポーツクーペだが、アクセルを全開にできないのでは急ぐといっても限度がある。


 かなり荒っぽい運転で車の間を縫うように走らせてるため、玄翁な雰囲気に鳴っているベクターフィールドの隣で、亜紀はスマートフォンを握りしめていた。


「ショッピングモール中の……カフェかな?」


 同時に裕美がかけてきた電話から聞こえてきた音を必死に思い出す。少年の声以外は喧噪ばかり。


 しかし喧噪でも、その中に「トール」や「グランデ」という単語があった事から見当はつけられる。


「喫茶店じゃなく、シアトル系!」


 サイズをSMLではなくSTGで分けるカフェだ。よく行くショッピングモールであるから、シアトル系カフェを把握するのは容易い。


 いささか強引に交差点を回ったベクターフィールドであるから、駐車も乱暴になる。


 乱暴に乱暴を重ねた挙げ句なのだから、その先にある光景は簡単だった。


 駆けつけたシアトル系カフェには、ソファ席で踏ん反り返っている少年たち。


「何に使う? 何、買っちゃう?」


 ちょっとした豪遊気分だったはずだ。


 大股に近づいてくる男女がいる事など気にしないし、気にしたとしても警戒はしなかった。


 むしろ警戒していたのはベクターフィールドの方だろう。パーティションで区切ったスペースはオープンカフェをイメージしているため、通路からでもソファ席が見える。互いに互いの姿を確認しやすい上、ベクターフィールドは189センチの長身だ。


「女の子の他には3人、か」


 ベクターフィールドは亜紀に下がれとジェスチャーしながら、店内の様子を伺った。


 ただ一人の女子が裕美だと、下がりながら亜紀が告げる。小さくなっているのは逆らえないからか。


「裕美さんに合図か何か送って、こっちに逃がせれば、何かとかなる?」


 そう提案した亜紀の手にはスマートフォン。しかしすぐに実行に移せない、またベクターフィールドへ向けた声に疑問符が付くのは、裕美を支配している少年は4人だったからだ。


 ――今、一人、足りないけど。


 それを好機と見るか否か、亜紀には判断ができなかった。


 形としては2対3――いや、裕美を庇わなければならない亜紀は戦力外になってしまうのだから1対3――だがベクターフィールドが人間を相手に後れを取るとは思えない。


 同時に4人目が不意を突いて何をするか分かったものではないという危険も感じてしまうから、判断に困る。


 ――しかも4人目って、胸ぐら掴んでた子……。


 亜紀が迷う原因は、この場にいない4人目を武闘派の最右翼と考えての事。


 それを察してか、ベクターフィールドが決断する。


「……頼む」


 短い一言で十分だ。


 亜紀の指がスマートフォンの画面をタップし――、


「!」


 突然、鳴り始めたスマートフォンに裕美が顔を上げた。


 ――こっち!


 亜紀が小さな身体で精一杯、背伸びし、手を翳して合図をする。


 ――届いて!


 祈るような気持ちは一瞬だけで済んだ。


「オイ!」


 少年が声を荒らげるように、裕美は亜紀へ向かって全力疾走した。


 当然、少年は席を立ち、追おうとする。品物と引き換えに会計を済ますシステムであるから、レジに伝票を持っていく必要はない。スタッフの足止めは一瞬どころでなく遅れた。


「このビッチ!」


 口汚い言葉を吐き出しながら店から飛び出した先頭の一人へ、ベクターフィールドが足をかけた。


 2人目もそれに足を取られてつんのめり、突破できたのは3人目のみ。


 その3人目はベクターフィールドに構わなかったのが、ある意味では功を奏した。


「こ……のッ!」


 裕美に手が届きそうになったのは、ベクターフィールドの手から逃れる事ができたから。


 裕美と身体の位置を入れ替え、庇える立ち位置になる亜紀は小柄であるから、少年には脅威とは映らない。


 しかし亜紀とて警察官だ。日本の警察官は、柔道や剣道が義務づけられている。


「シッ!」


 食い縛った歯の間から息を吐き出した亜紀は、裕美を捕まえようと伸ばされた少年の腕を掴むと、くるりと身体を半回転させつつ重心を落とし、背と腰に少年の身体を乗せた。


 鮮やかな一本背負い。受け身を取れない少年の背を強打させ、息を止めさせる。


「警察です! お静かに願います!」


 倒れた少年を押さえつけながら、亜紀は警察手帳を広げ、騒ぎになりそうな周囲へ示した。


「裕美さん、無事ね?」


 亜紀が大声を出して保護対象だと告げるのだが、


「……」


 頷く裕美に言葉はない。亜紀に電話をかけたのは、文字通りわらにもすがる気持ちだった。亜紀が来てくれると信じている気持ちもあったが、来てくれないと思う気持ちもあった。それでも来てくれた亜紀に、言葉が喉を詰まらせる。


 そして警察手帳は周囲の野次馬にもたらせた以上の衝撃を、ベクターフィールドが転ばせた二人に与える。


「警察……」


 目を白黒させる二人に対し、ベクターフィールドはわざと声を低くし、


「いっとくが、未成年だから見逃して貰えると思うなよ。少年法があろうとなかろうと、逆送っていうのがある」


二人へ投げつけるようにいうのも、態と。


「都合の良い時だけ子供だ少年だって使い分ける小賢しい奴は、薄汚い大人の犯罪者として扱ってやるって制度だ。家庭裁判所に送られたからって、検察官へ送致し直す事ができるんだぜ、日本の司法制度は」


 普段ならば、何をいわれても平然と言い返せたのだろうが、言葉を向けているのが魔王というのであれば話は別だ。


「死刑、懲役に相当する事をやった奴は、ガキじゃないからな」


 ベクターフィールドの声は、地獄の底――そんなものがあるとは知らない二人であるが――から響いてくるようなものだ。


「ひいいい……」


 没個性としか言い様がない悲鳴をあげさせる。


 しかしうずくまったのは一人だけだ。


 もう一人は起き上がると、その場から逃げ出す。


「取り押さえとけ!」


 ベクターフィールドは亜紀に向かってそういうと、逃げた少年を追った。

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