出逢った頃の、あなたは

桐央琴巳

出逢った頃の、あなたは

 気がつけば、私と彼との関係は、周囲が驚くほどに冷え切っていた。



「そりゃやっぱり、原因作ったんはあんたやろ」

 ぼりぼりと炭酸煎餅を囓りながら、母はのん気に言う。


 彼は、ある日突然私の前に現れて、瞬く間に私の心を攫っていった。

 彼は私が困ってしまうほど、最初は私にべったりやったのに、蜜月はほんの僅かしか続かんかった。


「寂しがりな子、みたいやったからなあ……。あんたこの頃、忙し忙し言うて、あの子のことほったらかしにしとったやろ?」


 図星を指されて返答に詰まる。母の言う通りに、彼の甘えぶりがちょっと煩わしなって、ここしばらく距離を置いてたんは事実や。私は彼が拗ねていることにも気付かずに、友達と二泊三日の温泉旅行に出かけてしまった。



「そうかもしれへんけど……、あの態度はあんまりやて思わへん?」


 彼の、昨夜の仕打ちを思い出して、私は涙ぐみそうになる。

 旅行から戻った私を、彼はことごとく無視してのけた。

 お土産の炭酸煎餅には興味を示したものの、怒ってんのか愛想が尽きたんか、私が手を伸ばしたらするりするりと逃げて、指の一本たりとも触れさせてくれへん。彼の心変わりはあまりにも突然で、私はまだ、その現実を受け入れられずにいる。


「そうは言うてもなあ……。ノゾミ、お茶いるか?」

「貰う」

 母の淹れるてくれるお茶は美味しい。部屋に満ちる緑茶の香りは、私の傷ついた心を柔らかく癒してくれた。私と母は、しばし無言のままに熱いお茶を啜った。



「ノゾミ」

「何?」

「諦め。あんたが悪いんやから」

 母はぴしゃりと言い、ぱりん、と小気味いい音をたてて新しい炭酸煎餅を頬張った。


「そやけど……、そやけどっ。私にかって言い分はあるねんでっ!」

 私は飲み干した湯飲みの底を、だん、と座卓に叩きつけ、それから耐えきれんと天板に突っ伏した。


「私がおらへん間に、カナエとあんなに仲良なってんのはどーゆーことっ!?」

「あんたの旅行中に、カナエあの子と一緒によう遊んどったからなあ」

 カナエゆうんは私の妹の名前。

 あろうことか、私の不在をいいことに、妹は彼と親密になってたんや。



「酷すぎるっ!!」

 カナエもまた、一目で彼に夢中になってたことを私は知っている。彼と私が仲睦まじくしていたのを、声に出して羨んでいたんやから隠しようがない。カナエにも決して、悪気はなかったんやていうことはわかってる。そやけどこの裏切りはあんまりやて思う。


「今までずーっと、面倒見てきたんは私やで! たった三日で! カナエの何が良かったって言うん!!」

「身の回りの世話をしてくれる人よりも、遊び上手な人の方が好みやったんやろ」

「ううー」


 母の一言は的を射ていて、私はどこまでもめり込んだ。彼がカナエに転んだ理由は、あんまりにも単純でわかりやすかった。



*****



 彼が外に出ている間に、私は彼の家の中を片付けた。なんとなく虚しいけどそれは習慣で、彼が私やなくてカナエを選んだんやとしても、手を抜くわけにはいかへんかった。


「あ、お姉ちゃん。お掃除終わったん?」

 ぴかぴかになった彼の家の前に、カナエが彼と連れ立ってやってきた。私はちょっと卑屈になって返事をした。

「うん」


「お家綺麗なったって。良かったなあ」

 にこにこと話しかけるカナエの唇に、彼は人目も憚らずキスをする。カナエはちょっと驚いたみたいやけど、照れながらもめっちゃ嬉しそうや。口惜しいことに、私は一度もしてもらったことがない。


「ほんならね」

 手を振るカナエに促されて、彼はカナエの指先から離れた。たくさん遊んできて空腹やったんか、すぐにご飯を啄みにいく。


「アガト」

 餌箱をせっせとつつく合間に、彼は機嫌良さげに何事か呟いた。


「え? 何」

「アガトー」

「お礼言うてるみたいやで、お姉ちゃん」

「……ほんま憎ったらしいくらいに可愛いな」



 意味があるんかないんかわからへんインコの片言は、私にも確かに『ありがとう』と聞えた。

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出逢った頃の、あなたは 桐央琴巳 @kiriokotomi

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