第5話 『あーん』
「ほほぅ、これまた良きかな良きかな。こんなに熱々そうなものを食べたのは、いつぶりでしょう」
ほっぺたを紅くして肉じゃがを見つめるシルファに、クルトは腕を組みながら「いーからとっとと食え」とフォークを手渡した。
流しで使い終わった調理器具を洗う姿に、シルファは「いただきまーす」と丁寧に手を合わせた。
その土地土地の食材、水の味がそのまま出てくる肉じゃがは、万国共通オーソドックスな田舎の味として親しまれている。
クルトがわざわざ「王国産」を中心とした食材を使っていると言ったのも、遠征が多く、ろくな食べ物を取れていなかったであろうシルファを慮ってのことだ。
「お袋の味」とはよく言うが、それだけ栄養があり、安心感のある肉じゃがは今のシルファにとっては最高の逸品となっていた。
「あひひっ……」
じゃがいもを口に入れれば、王国産牛から漏れ出ていた肉の脂と
味わうように噛みしめれば、ほくほくのじゃがいもとダシが口の中に淡く広がっていく。
ふと、シルファは自身を見つめる殺気でもない、敵意でもない瞳に気付いていた。
「にしてもシルファさん、ホント美味そうに食ってくれるよなぁ」
「ホントのホントに美味しいですよ。幼い頃から宮廷で食べているどんな高い料理よりも、ずっとずっと――」
パクリと勢いよくシルファは口に入れる。
ニンジンのような甘さに加えて、少しばかりのしょっぱさがあった。
噛めばほろりと崩れていくなかで、ピリッとした痺れる辛さも感じられる。
辛さの後に、また別の甘さがやってくる。
土から引っこ抜いた時の叫び声が、何らかの魔力としてマンドラゴラの可食部に残っているために生じる辛さだという説があるそれは、食べれば食べるほどどこか癖になっていく。
「宮廷で食ってるモンと比較されたら皮肉にしか思えないんだが」
「そんなことないですってば。これとかピリッと辛さが癖になるんですよ? ほら、あーん」
「な、なんで自分で作ったの自分で食わなきゃなんないんだよ……。いいから客が全部食えよ」
「そんなこと言わずに、ね? クルトさん! ほら、あーーーーーん」
「んぐ……あ、あーん……」
為すがままに口を開けたクルトの元に、しっかりダシのついたマンドラゴラが運ばれた。
パクリと食べるクルトを、シルファはにまにまと見つめる。
「……んまい」
「ふふふ、良かった」
「普通、対応逆じゃないか?」
「たまにはこういうのもいいじゃないですか、ふふふ」
シルファの満面の笑みに、思わずクルトも顔を背けるしかなかった。
○○○
「ごちそーさまでした」
「おう、おそまつさまでした」
「今日も、最っ高に美味しかったです! さすがのお手前でした!」
「そりゃ良かった。んじゃ、そろそろ店仕舞いするかね」
「……? 他のお客さんは?」
「知ってて言ってんならタチ悪いぞ。アンタ以外来ねぇ……あ」
苦笑いを浮かべつつ店前の暖簾を下げるクルトが明らかに口を滑らせたかのようにその手がぴたっと止まった。聞き逃すことの出来なかったシルファはきゅっと胸の鼓動が高まったのを感じた。
「あの、クルトさん――」
「シルファさん、次こっちに帰ってくるのはいつだ?」
慌てたようにクルトは、シルファの声を遮った。
突然のことに、シルファも律儀に対応する。
「え……っと、明日からはアルテミア島に出向かなければならなくて、その次は地続きのモンシュール共和国に国書と討伐依頼が入ってて……8日、くらい……?」
「そっか。今回の遠征よりは短いんだな。了解した」
呆気にとられたシルファの肩を持ったクルトは、ポンと彼女の両肩を叩いた。
「次は、もっと美味いの準備して待ってるよ」
この日初めて恥ずかしそうに、片手で手を振るクルトの姿に、シルファも思わずこの日初めてにやぁと嫌らしい笑みを浮かべる。
「楽しみにしてます。次は、何持ってくればいいですか?」
「アンタの元気な顔が見れりゃ、それで充分だ」
「ずいぶんとおっさん臭いですね……!? クルトさん、私と同い年じゃないですか」
「血気盛んな奴を見てると、こっちは逆にそういう気がなくなるんだよ、きっと」
そんな軽口を叩きながら、シルファは小さくローブのフードを被った。
それは、まるで仮面を被り直すように――。
「クルトさん!」
シルファは一度フードを脱いで店のドアに手を掛けた。
見送ってくれていたクルトに、満面の笑みを浮かべて手を振る。
「行ってきますね!」
とても店の去り際とは思えない台詞だが、クルトも頬を搔いて照れながら言う。
「あぁ、行ってらっしゃい」
カルヴァン王国には、
常に高貴で、常に完璧で、常に最強であり続ける王国最高峰の人物、それがシルファ・ラプラスという女性だった。
だが、そんな彼女が唯一心と胃を満たせる場所があるということを知る者は、王都でもただ一人しか知ることはない――。
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