エピローグ
結
□
事件の顛末を聞いたのは、慣れないホテルの一室から街を見下ろしているときだった。
自宅を爆破された私は、よく考えてみれば当然帰る家がなかったのだが、医師がホテルを手配してくれた。下方先輩のいるホテルではないので、すこしほっとした。二人部屋だったが、疲れ果ててしまって、部屋の物色もほどほどにその日は眠った。
精密女と八頭司は、自分たちのホテルに戻った後、数日後に施設へ帰ると話していた。八頭司は私と別れるのを、まるで友達みたいに名残惜しそうに振る舞っていた。精密女の方はただ一言だけ「また会いましょう」とだけ口にした。食えない女だな、と思ったけれど、私は笑った。
目覚めると、昼を回っていた。茅島さんは、まだ隣で眠っている。耳が良いから気を使ってもな、と思いながら、ゆっくりとベッドを抜け出した。寝不足だ。頭が働かない。端末に着信履歴が残っていたのでかけ直すと、久喜宮だった。
あまりいい知らせではない。そう断って彼は話した。
五十田を捕まえるのに失敗したらしい。
その言葉を聞いて、私は息を呑んだ。
「どういうことですか……?」
『君たちの上司から連絡を受けて、現場に向かった時には、屋上には誰もいなかったんだよ。予め周囲には警官を数名待機させておいたのに、だ。屋上から消えやがったんだ』
「そんな……」
『血痕を調べるに、あいつがあそこにいたことは確かだが……おそらく、誰かが突入する前に屋上から飛び降りた。君たちが去ってから、五分も経っていない』
「生きてるんですか?」
『わからん。死体は見つかってない。状況を聞くと、生きているとは……考えづらいがな』
「すみません……私達が最後まで見張っておけば……」
『いや良いさ。降りてきてくれと言ったのは俺だ。まあでも安心してくれ。あの怪我じゃ、先は長くないさ。機械化能力者にとって、君たちが撃ち込んだとされる電圧は、致命傷に近い。生きていたとしても、何も出来ないさ。ま、犯人を逃したことと、君たちに手柄を取られたことで、また俺たちはどやされるんだろうけどな』
今後も用事があったら伺うよ、と言い残して彼は電話を切った。
まあ、もともと私の仕事でもないし……。
そう思うことにした。
茅島さんがどう感じるかは知らないけれど、なるべく落ち着いて話そう。心に決めて、私はもう一度眠った。
翌日は茅島さんに昨日の件を伝えてから、ふたりで街に出て食事を摂り、私の家に戻った。
部屋を再生することは不可能だったので、大家さんが新しい部屋を用意してくれた。ちょうど真上の部屋が、空いていたらしい。ホテルにはあともう少し滞在する事が可能だったが、あまり落ち着かないので、引っ越しが終わった時点でチェックアウトさせてもらおうと思った。
引っ越しには一日かければ十分だった。家具の破損も少なく、必要なものだけを運び出せばそれで終わった。必要なものと言っても、そんなに数があるわけでもなかった。
そして私達の暮らしも、幕が引かれていく。
暮れゆく日に、そんな感傷を手首にナイフを入れて切るみたいに重ねてみた。
彼女の帰宅が決まった。明日の早朝には帰ってしまうという。
急にごめんね、と彼女は謝ったが、私は何も言わなかった。受け入れることが、私が必要とされている強さだと思った。
夜は二人で、初日のように眠った。
もはや懐かしい感覚さえあった。
この時が永遠に続けばいいのになんて、
使い古された定型文を、吐いてみたりもしたけれど。
次の日になると、彼女は朝早くから目を覚まして、見覚えのある服を着ていた。
ボロボロの、真っ赤なドレス。
「どうしたんですか?」
「ええ、ちょっと貴族の立食パーティに呼ばれて」
「……そうですか」
「もう。笑ってよ」
いざ直面すると、そんな気分にはなれなかった。
それでも、私は、彼女を送り出さないといけない。
玄関先で、あ、と声に出す彼女。
「靴、いくらなんでも彩佳の借りっぱなしじゃ、駄目よね」
そこで私は思い出す。
ちょっと待っててください、と告げて、部屋の奥から隠しておいた箱を抱えて戻ってきた。
中身は、
「靴? え、なんで?」
「何言ってるんですか。誕生日プレゼントですよ」
「あ……そっか」
私が、前から用意していた、彼女への贈り物。
裸足で現れた時から、靴を買おうとは考えていた。
履くと、真っ赤なドレスとは全く取り合わせが悪かった。運動靴だから、しょうがないと言えばそうだった。
それでも嬉しそうに礼を口にする彼女が、眩しかった。
眩しくて、涙が出そうだった。
ドアをくぐって、外へ。
殴りたくなるような、青空。
そんなもの、随分と久しぶりに見る。
なんて、綺麗なんだろう。
「彩佳、ありがとうね、いろいろ」
「いえ……好きでやってたことですから……」
「私は…………今は、あなたの側にいることはできない。その心細さを、どうにかしてあげることも出来ない……。だけど、私は、あなたを一人にするつもりもないわ」
「はい……」
「だから、私の帰る場所になっていて。必ずここに戻ってくる。あなたのくれた靴が、それを覚えているはずよ。あなたは……それまで生きていてね」
「……わかりました」
あまりにも鮮明に、彼女がまぶたに焼き付けられていく。
この青い空と、真っ赤なドレスを着た彼女は、まるでコンピューターグラフィックスで構築したみたいに、そこにあるべくして存在していた。
私は、
私だけは、今、目の前にある光景を、忘れてはいけないんだ。
そして茅島ふくみは、私に手を振る。練習したみたいに、ぎこちなく。
「じゃあまた。元気でね」
「……はい。さようなら……」
「もう。また会えるって言ったじゃない」
「……そうですね。茅島さんも、お元気で。待ってますから」
「そうだ彩佳。名前で呼んでよ」
急にそんなことを告げられた。
「ええ? いや、ちょっと、恥ずかしいんで……」
「なによ。前は呼んでいたんでしょ?」
「覚えてるんですか?」
「あいにく、私は自分の名前も覚えてないの。あなたが呼んでくれなくちゃ、忘れてしまうわ」
「あの、じゃあ…………次の機会に」
あははは、とふくみは笑う。
「良いわ。それで許してあげる。それじゃあ、またね」
「はい……また」
彼女は、私に背を向けた。
駅まで送っていこうとは、考えなかったわけじゃないけど、そうすることが、私にはまだ辛かった。
耐えられる。
そういう確信があった。
あなたがいなくても大丈夫なように、私は私を育てようと思う。
すこしずつでも、たった一秒でも長く走り続ければ、それだけで、昨日の私を置いていけるんじゃないかって、信じるしかなかった。
私には難しいかも知れないけれど、
あなたが信じてくれているなら、私はそれに応えるだけ。
あなたの来訪は、まるでとんでもなく暑い日に着る装いみたいに、一時的なものだったけれど、私はそれで、照りつける残酷な現実から、なんとか耐え忍んで生き延びたのだろう。
でも夏は、もう終わっている。
いままでは、そんなことにさえ、気が付かなかった。
季節は巡る。
私も、いつまでも、そのままではいられない。
だってサマードレスは、一年中は着られないもの。
★
辛い。
苦しい。
死にたい。
いずれ死ぬだろう身体を引きずって、そんなことを考えた。
腕がもう動かないながら、ここまで歩けたのは、奇跡だった。屋上から飛び降りて、そのまま死んでしまう予定だったのだが、神様はどうも、生き地獄を与えたいらしい。茂みがクッションのようになって、何処かの骨は折れたけれど、うまく死ぬことが出来なかった。
お姉ちゃんがいなくなってしまったのに、生きていたって、地獄だよ。
どうしてわたしを生かしたのか、全く理解できない。
逃げる道理もなかったけれど、捕まる素直さも持っていなかった。
どこへ行こう。
迷った。
散々迷った。
その挙げ句に、海辺に来た。港。船やボートが停めてある。
わたしにはお似合いかもしれない。
行き場を無くしたわたしには。
立っているのも辛くなって、ボートに寝転んだ。ロープで岸に結びつけてある。
固い。
だけど、揺れる波が心地よかった。
死ぬのか……
死ぬかな……
もう起きていることが苦痛になった。
このまま、誰かに殺してもらいたかったが、辺りには誰もいない。
眠ろう。
それから、考えよう。
どうやって死ぬかを。
ふと、端末が光ったような気がした。
わたしは、端末を開く。
そこには……
「もう、置いて行かないでよ……」
お姉ちゃんがいた。
わたしを、追いかけてきてくれたのか、お姉ちゃんは……!
嬉しい。
泣いた。
泣くことは、まだ出来るみたいだった。
なら、死ぬことはやめようか。
逃げよう、お姉ちゃん。
どこか遠くへ。
誰も追ってこないような場所へ。
「ええ、あなたと一緒なら、どこでも良いわ」
ありがとうお姉ちゃん。
わたしの居場所は、お姉ちゃんの側だった。
「お姉ちゃん、これからも、ずっと一緒だよ」
ロープを解いた。
わたしを乗せたまま、ボートが、岸を離れていった。
陸地がどんどん遠ざかっていく。
これで、誰もわたしを追って来ない。
わたしたちを、誰も捕まえることが出来ない。
ボートはどんどん進んでいき、
やがてわたしが暮らした街も、
わたしを追い詰めた女も、
山も、
空も、
あの忌ま忌ましい父親でさえも、
わたしたちから離れて、遠くに消えて行った。
わたしはお姉ちゃんに見守られながら、眠った。
どこか田舎で、二人で幸せに暮らす夢を、見られれば良いなって、思いながら。
サマードレスの出来事 SMUR @smursama
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