3

      3



 五十田沙也華が、茅島ふくみにまた掴みかかろうとしている。

 これで何度目だろうか。

 何度も挑んでは、何度も失敗した。

 まるで紙みたいにひらひらと避ける茅島さんには、誰も触れられない。

「そんなんじゃ、一生かかっても私は殺せないですよ。爆弾は使わないんですか?」

「クソ…………舐めるな……お姉ちゃんの……仇だ……」

「ああ、お姉ちゃんごと吹き飛ばしてしまうから、使えないんですね。でも、もうお姉ちゃんは壊れてしまったんじゃないですか?」

「うるさい! 死ね!」

 また掴みかかる五十田沙也華の腕が、空を掠めた。

 ひらりと、美しく髪を流しながら、茅島ふくみは舞っていた。片足を怪我しているとも、耳が不調だとも思えない動きだった。

 見入ってしまう。

「私、護身術くらいは使えるって、言ってませんでした? そうですか。それにしても、あなたの動きは素人同然です。爆弾がなければ、こんなに無力なんですね」

「……!」

 避ける。

「まずひとつ。身体の稼働音が大きすぎる。つまり無駄な力が入っているし、制御できるほどの筋力がない。見え見えです。そしてもうひとつ、動き出す前にはっきりと息を吸っています。自分では意識できていないのかも知れませんが、これでは相手に予告しているも同然です。耳鳴りが止まらない私でも、恐れるに値しませんね」

「黙れ!」

 また避ける。

「あなたが素人でよかった。プロだったら、太刀打ちできませんから。護身術以上はからっきしですからね」

「クソ…………絶対…………許さないから!」

 五十田沙也華は、逃げ出した。

 その方向は……

「彩佳!」

 私の方向。真っ直ぐに、こちらに向かって……

「止まってください!」

 腕を広げた私を突き飛ばして、台所の方へ向かう犯人。それを追う私。

 そっちには、

「来るな……」

 包丁を、五十田沙也華は構えている。使った形跡も薄いくらい、輝いている。

「……やめてください、五十田先生。もう、無駄です」

「この期に及んで……まだわたしを、先生と呼ぶのか、お前は…………」

 まっすぐ私に、包丁を向ける、先生。

「加賀谷さん、そこをどいて。あなただって、この事件、解決したくないんでしょ? この事件を解決しない限り、しばらくの間は茅島さんと一緒にいられるんでしょ。あなたの望みはそれなんでしょ。だったら、あなたが頑張ってわたしを止める必要なんて、無いじゃない。あなたは、茅島さんと一緒にいられれば、それで良いんだから」

 どこでそんなことを知ったのか、私にはわからなかった。

 だけど、私の答えはとうに出ていた。

「…………構いません。事件が解決して、茅島さんが帰ってしまっても、それは仕方ないんです。ですけど、それでも一緒にいてくれるって、彼女は言いました。私も、それでいいと思います。次また、会えば良いだけの話ですから」

「…………なにがあったの」

「内緒です。武器を、捨てて下さい」

「嫌だよ!」

 包丁を突き立てる、彼女。

 冷静になれ。冷静に処理をしろ。

 私は鉄パイプを構えて、彼女の胸を突いた。

 ひるんで、包丁を落とす彼女。

 後ろから茅島さんが飛び出してきて、包丁を蹴り飛ばした。

「これで、どうします?」

 それでも、五十田沙也華は止まらなかった。

 私の顔を叩いて退かせると、通路を駆け抜けて外へ出た。

 痛い。尻もちをついた。殴られた顔は大したことはない。

「追うわよ、彩佳!」

「……はい!」

 茅島さんの手を取って、私は立ち上がる。

 ああ、事件が終わるのか。



 屋上。

 もう、夜が明け始めていた。

 青白い朝霧に包まれた街が、私達を取り囲んでいる。

 街は、静かだ。

 こんな光景を、普通に生きていればお目にかかることはない。

 ここが終着駅。

 素直な表現を、私はする。

 異様に冷気を感じる風を浴びながら、私と茅島さんは、視線の先にいる犯人を見据える。

 五十田沙也華。

 腕を上げて、私達を見て笑っている。

 その先には、大きなアンテナ。

「これ、何だと思う?」

「……知らないわ」

 茅島ふくみはそう答えたが、私には見覚えがある。

 あの、爆弾の舳先についていた、起爆信号の受信用のアンテナ。

「加賀谷さんは、わかったって顔をしてるね。いいよ、教えてあげる。この先には、爆弾がつながってる。地下にもね、部屋を借りてるんだけど、この通信アンテナから私の発する電波を読み取ると、爆発する仕組み。その規模は、私にもわからない。部屋中を火薬で埋め尽くしたからね。これが一番コストの掛かった、正真正銘、わたしの最後の切り札。これが爆発したら、街はどうなると思う?」

「どうにもならないわ。マンションは倒壊して私達はあなたも含めて、みんな死ぬでしょうけど、その後の処理は粛々と進む。あなたは、この世界に何の影響も及ぼさない。無駄よ」

「…………お前を殺せるなら、どうだっていいよ、茅島ふくみ……」

 憎悪。

 殺意。

 そんな言葉では、もはや薄っぺらかった。

 彼女からは、使命感すら覚える。

「最後に一つ訊いてもいい?」

「…………」

「どうして爆弾にこだわるの?」

「…………肉片だけを吹き飛ばそうとして選んだのは本当。あとからパーツだけを回収すればいいと思ってた」

 五十田、先生は、授業の時と、そう変わらない口調を保ち続けていた。

「歯とか、骨すらも黒焦げになって砕けたり吹き飛んだりするほどの威力だとは思わなかったけど、こんなすごい力に、憧れていたんだ。憧れだよ、単なる。いつからだろうね……ずっと父親の世話をしていた時から、思ってた。お姉ちゃんを守れる力が欲しいって……。腕を機械化したのは、単に金に困ってのことだけど、まさかこんな機能がついてくるなんて、夢にも思わなかった。これは、天啓だったんだよ」

「ふん。なにが天啓なもんですか。ただ間違った使い方を、力に溺れて思いついただけだわ」

「黙れ。お前だけは、許せない……この力の使い道を、今はっきりと自覚したよ。お前を殺すことだって」

「あなたにそこまでさせるなんて、お姉ちゃんは、あなたにとってどういう存在だったわけ?」

「わたしの……全てだよ」

 五十田沙也華は、急に幼い表情を見せる。

「わたしは……お姉ちゃんがいないと生きていけない……お姉ちゃんも、わたしを必要としてくれている。だから、なんとしてもふたりでここを逃げ出して、どこか遠くに行って、平和に暮らすんだ……。そんなわたしの大好きなお姉ちゃんを傷つけるなんて、絶対許さないから……。お姉ちゃんに、幸せになってもらいたかった。生まれてから、ずっと身体が弱かったお姉ちゃんに、健康な体をプレゼントしたかった。あなたの言う、今日が期日っていうのは、間違いじゃないけど、理由はもっと別にある」

「なによ」

「お姉ちゃんの、誕生日なんだよ」

 それを聞いて、茅島さんが声を上げて笑った。

「何がおかしい!」

「ははははは、いえ、失礼。妙な巡り合わせだな、と思っただけよ」

「…………」

「良いの? ここを爆破すれば、あなたのお姉ちゃんの残骸も消し飛ぶわよ」

「黙れ! お姉ちゃんを残骸なんて呼ぶんじゃない! そんなことは……わかってるんだよ! お前を殺せるなら、お姉ちゃんもそれを望むはずだ!」

 起爆されたら、どうなるのだろう。

 さっき言われた通り、私達は確実に死ぬのだろうか。

 マンションの住人は、全員殺される。

 私達は、建物が倒れていくと考えると、屋上から落下して息絶える。

 それならでも、茅島さんと一緒なら……

 それほど怖くはないかな。

 思い直す。

 駄目だ。私は、彼女と一緒に、未来を見たいんだから……

 そしてそこへ至る道は、

 残念だけどもう繋がっている。

「ああっと、最後に一つだけ良いかしら?」

 茅島さんは、

 ピン、と指を立てた。

「…………なんだよ」

「命乞いをして」

「は?」

 そういった瞬間に、

 茅島ふくみは笑った。

 遠くの方で、何かが弾ける音が聞こえた。

 気がついた時には、

 五十田沙也華の腕に、何かがぶつかる。

 一瞬後、

 火花を散らしながら、叫び始める五十田沙也華。

 今のは、

 ――銃声!



      ◇



 数分前。

 五十田沙也華のマンションから、四百メートルほど離れたビルの屋上に、女が二人。

 精密女。

 ブツクサと言われながら、腕の角度を調整している。

 その右手には、細長い銃が握られている。銃身は、屋上の縁に置かれていた。スコープが映し出すのは、ひらひらと動く、犯人の右手。

 八頭司美雪。

 精密女の腕の角度を、双眼鏡を覗きながら調節している。

 精密女の持っていた細長い鞄。その中身はこの長銃だった。いわゆるスナイパーライフル。

 こんな物騒なもの、あまり持ち歩かないでほしい。

「オッケー、そのままの角度を維持して。蝙蝠女の合図があったら、発射して。それまでは、私が機能ごと切ってあるから」

「はいはい、わかりました」

 作戦通りだった。

 茅島ふくみが言い始めたこと。五十田沙也華を屋上まで追い込むから、そこを武力で制圧して欲しい、と。

 八頭司としては賛成だったが、精密女がどう思うのかが心配だった。それも杞憂に終わった。

「……あんたにしちゃ、素直だったじゃん?」

「そうですかね。いやあ、あんな爆弾魔、手に負えませんよ。私でも躊躇いなく銃を使いますね」

「だから始めからそうしてろって……まあいいや」

「ですが、あの二人には必要な試練だと思うことにします」

「…………ねえ、あんたさ、なんで彩佳を連れて行こうって言い出したの?」

「それは当然、あの二人がお互いが必要な状況にあったからですよ。そして、片方はそれにさえ気づいていないし、もう片方は自分が必要とされているという自信もない」

「あっそう。まあ、私には、わかんないや」

 風が吹く。

 角度の調整は、もう必要ない。

 あとは合図を待つだけ。

「ねえ。なんでそう思うの? あの二人のこと。見ててわかる?」

「ああー、そうですね。前の職業柄、こういうのは得意でして」

「……なにやってたの?」

「秘密です」

 微笑みもせずに、精密女は口にした。

 双眼鏡の中に見える、茅島ふくみが指を立てている。

 犯人が所定の位置から動かないだろう、という算段が付いた時にこの合図は出される。

「いいよ、撃って」

「はい。発砲します」

 ――引き金が引かれる。

 街の中に残響を作って、血痕を擦り付けるみたいに、銃声が響いた。



      □



 右腕を痙攣させながら、五十田沙也華は倒れ込んだ。

 上手く、いったのか……

 茅島さんから、作戦を説明されてはいたが、今の今まで心配が払拭されなかった。

 あの精密女の持っていた鞄に、ライフルが入っているなんて、聞いた時には信じられなかったが、目の前に起こっている現象を見て、ようやく腑に落ちる。

「ああ…………なんだ…………なに、が……」

 呻きながら、五十田沙也華は立ち上がろうとする。

 だけど撃たれた右腕が、言うことを聞かない。

「どう? 高圧電流を流された気分は」

 茅島さんが、動けないでいる五十田沙也華に声を掛ける。

 勝負は決まっていた。

「なによ……これ…………」

「機械化能力者制圧用に作られた、高圧電流を流す弾。突き刺さると回路に干渉してショートさせるんだけど、機械化能力者にとっては致命的ってわけよ。あなたはもう、機能は使えない。それどころか、命にすら関わる場合もあるわ。大人しくしなさい。そうすれば、死ぬことはないわ」

「ふざけ…………く…………」

 腕から血を流す五十田。

 もう見ていられないくらいに、痛々しい。

「彩佳、医師に連絡してから、久喜宮刑事に伝えるように言って」

「わかりました」

 早速言われたとおりにする。医師は、『頑張ったな』とだけ答えて電話を切った。

 終わったんだ。

 感慨と呼ぶべきか、妙に疲れている自分に、ようやく気づいた。

 隣の茅島さんを見る。

 これで、しばらくお別れか。

「もう彩佳、そんな顔しないで」

「…………はい」

「久喜宮刑事が来たら、帰りましょうか」

「……はい」

 物音。

「待て…………茅島……ふくみ……!」

 五十田が立ち上がっている。

 ふらふらと、

 もう気力だけで生きているみたいに。

 その手には、包丁が……

「あんた……まだ隠し持っていたの?」

「殺す…………殺してやる!」

 こちらに向かって突進してくる。

 不味い。

 精密女の銃撃も、再装填に時間がかかると言った。

 私も茅島さんも手負いだし、鉄パイプは置いてきた。

 避けられるか?

 変に薄明るい時間だが、視界が明瞭じゃない。

 五十田は、私に向かう。

 お姉ちゃんを殺された復讐なのか、

 茅島さんから私を奪おうというのか――

「彩佳!」

 私の方に飛びつく茅島ふくみ。

 この状況、

 以前似たような状況で、

 茅島さんは私を庇って、刺されたことが、

 待って――

「頭下げて!」

 とっさに言われたとおりにする。

 すると背中に体重が、

 茅島さんは、私の背中に手をかけて、

 私を飛び越えながら、

 五十田沙也華に鋭く脚を伸ばした。

 衝撃が伝わる。

 見ていなくてもわかる。

 崩れる五十田。

 ぴょんと私の眼の前に着地した茅島さん。

 顔を蹴られて、地面に倒れ込む五十田沙也華。

 包丁は落としていた。

 からんからん、と子供が好きそうな音が鳴った。

「だから言ったじゃない」

 真っ直ぐに犯人を見下しながら、囁いた。

「護身術ぐらいは出来るって」

 もうピクリとも、犯人は動かない。

 終わった。

 終劇。

 今度こそ、本当にそう思った。

 夜が明けようとしている。

 長かった夜が。

 朝日を目にしたら、少しだけ眠ろう。

 彼女との思い出が、夢ではないことを証明しよう。

「彩佳」

「なんですか」

「……帰りましょう?」

 彼女は、そう言ってホッとしたような笑顔を見せる。

「はい」

 私は、茅島ふくみを真っ直ぐに見つめながら、頷いた。

 この瞬間、区内を騒がせていた連続爆破事件は、終焉を迎えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る