化粧

スヴェータ

化粧

 死ぬ間際、彼女は僕に髪の毛をくれた。ベタついた髪だけれどと、申し訳なさそうに。僕は彼女が命と同じくらい大切にしていた髪の毛を受け取り、涙を頬に伝わせた。


 僕は彼女がいつも使っていたシャンプーとコンディショナーを購入し、貰った髪の束を入念に洗った。彼女の代わりに、彼女はこうしたかっただろうと思いながら、丁寧に、丁寧に。


 髪の毛からは、彼女の匂いがした。この匂いが市販されていたのかと思うと、ちょっと寂しい。僕は髪の束をヘアゴムで括り、頬を撫でてしばらく遊んだ。隣で寝ていた時、こんな感触がしたっけ、なんて思い出しながら。


 いつまでも、いつまでも、こうしていられる気がした。僕はこの行為に必然性が欲しくなった。だってほら、死んだ彼女の髪で頬を撫でる趣味だなんて、おかしいじゃないか。もっと理由が欲しい。そう思った。


 そこで僕は、彼女の化粧ポーチを見た。うちに置いているのは普段用ではなく臨時用なのだと彼女は言っていたけれど、僕の見慣れたものはこれしかないから良しとした。僕はその中からピンクのものを取り出し、彼女の髪を撫で付け、それを頬に塗った。


 僕の頬はほのかにピンク色になった。しかし彼女のようにツルッとした白い肌というわけではないから、どうにも目立たない。彼女の化粧ポーチを探ると、色々なものが出てきた。何が何なのか、僕には1つも分からない。


 インターネットで1つ1つ調べる。すると商品と用途が説明されている。しかしこれもまたよく分からない。僕は夢中になってあれこれ調べた。3日経って、ようやく彼女の化粧ポーチの使い方が全て分かった。


 顔は入念に洗う。その後スキンケアをした方が良いが、一朝一夕では効果が出ないというから無視をした。下地クリームを塗り、リキッドファンデーションを塗り、パウダーを叩き。後は眉毛や目元を描いていく。


 彼女は確か、これら全てを30分くらいで済ませていた。僕はそれでも随分待った気になっていて、時折急かした。しかしいざやってみると、30分だなんてとんでもない。彼女は手早かったのだと思い知らされた。


 眉毛や目元は、うまくできなかった。しかし僕の目的はチークだから、これでいい。彼女の髪束で、僕の頬を塗る。きちんと手順に則って化粧をしたおかげか、チークは最初に塗った時の何倍も映えた。素直に嬉しいと思った。


 何日も、何日も、僕は夢中になって化粧をした。段々美しさも追求するようになって、雑誌を買い込んだり動画を見漁ったりして研究した。特にチークが1番美しく映える顔については熱心に学んだ。


 服の袖の長さが変わる頃、僕は初めて化粧をしたまま外に出た。視線を感じるけれど、それは僕が気にしているせいかもしれない。ただ、この視線はちっとも嫌ではなく、むしろ嬉しい気がした。何だか、彼女を見てくれているようで。


 それからずっと、化粧をして外に出るようになった。彼女が化粧ポーチに残した化粧品はなくなってしまったけれど、僕は同じものを新たに買い足して、化粧をし続けた。営業の仕事をしていたけれど、化粧を咎められたから辞めた。僕の化粧を受け入れてくれたのは、夜の街だけだった。


 彼女と同じ化粧では、ドラァグクイーンにはなれなかった。今はバーで働いている。ゲイだと思って話しかけてくる客も多いが、僕はただそれを微笑みで受け流すだけだ。


 彼女の死は、僕の人生を変えた。悲しいことの方が多かったが、彼女は化粧を残してくれた。僕の顔に彼女がいる。そして化粧の最後に僕の頬を撫でてくれる。こんな救いを与えてくれたのだから、僕は十分幸せだ。


 彼女を殺した男は、17年で出て来るらしい。悔しいが、あの男を恨み続けない生き方を示してくれた化粧に、僕は心から感謝している。

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化粧 スヴェータ @sveta_ss

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