Fact

 2020年代、SNSやニュースサイトの発達によりデマやニセ情報、政治的プロパガンダがネット上に横行し、それに呼応するかのように陰謀論の求心力も顕著になった。時の政府やマスコミ、ひいては一部の有志達にはこれを看過できぬものとみて、その情報の真偽、情報が事実であるかどうかを判断するファクトチェックなるものを徐々に発展させ始めた。最初は脆弱で、その判定そのものに特定の思想信条が入り込むような杜撰なものであったが、同時期に発展し来たAI、主に機械学習を応用した技術を付随的に試用することにより徐々に強固なものになっていく。やがて全ての情報をどの程度事実であるか、どの程度デマであるか、学問的に研究途上のものあるか、はたまたそもそも「事実」という土俵で扱うものではない「信仰」であるかを半自動的に判定できうるものとなっていった。

 デマやニセ情報と言ったものが完全に排除されるようなことはなかったが、それでもファクトチェック自体の検証精度は向上し、人々はその情報の信頼性を簡単に確認できるようになった。

 ファクトチェック、事実判定は成熟期を迎え、現実における「事実」という存在はポストトゥルースなどという言説から解放され、より強固なものになったかに見えた。

 しかし、「事実」という概念の土台を揺るがす事件が発生することとなる。ファクトチェックの手によって。

 それは、誰も信じないようなそれが事実でないことは一目瞭然である一つの情報が始まりだった。


「米国大統領、銃撃により死亡」


 情報の日付は数年前、ニセ情報というよりは一種のジョークサイトに掲載された記事だった。

 数年間誰も気にせず、話題になることもなかった。

 だが、あるファクトチェックフリーカーが何の気なしに判定情報を閲覧していた所、その情報が100%「ファクト」であると判定されていることを発見する。

 最初はユーザー自身も、報告を受けた管理者も何らかのエラーだろうと深くは考えもしなかった。当然のことである、数年前に米国大統領が暗殺されたなどという報道はなかったし、現に米国大統領(今は「元」がつくのだが)は今も健在なのだから。しかし、事態はそう単純に終わらなかった。ファクトチェックシステムのいかなるレイヤーを調べてもエラーは存在しなかった。厳密にいえばいくつかのエラーがみつかり修正されたのだが、それでも大統領暗殺の事実判定自体は覆らなかった。少なくともシステム上、大統領暗殺は実際に起こった出来事であり、事実なのである。それでもまだ、関係者の多くはシステム上に未発見のエラーがあるか、エラーではないがシステムを誤認させる特有の情報なのだろうと判断していた。しかし、念のためシステムの利用を極力避けた、人力による簡易調査がなされた。

 結果は驚くべきことに大統領暗殺は「事実」であった。

 そこから事態は深刻度を増していく、世界中の有志から研究者、シンクタンクを巻き込んでの大規模ファクトチェックがなされた。

 そして結果はやはり、ファクト。

 大統領暗殺など起きていたはずがないのに、起きていたのである。あらゆる記録がそれを裏付けていた。

 現に存在しているはずの大統領の死亡記録は存在し、暗殺犯は刑務所に収監されている。記録上はそうなっている。手続き的アルゴリズムにそって処理していけば、実際にその事実が浮かび上がってくるのだが、結果を知った大衆はもちろん調査に関わった調査員たちも、それが信じられなかった。信じられないどころか、それを認識することができなかった。米国大統領は数年空位であったにもかかわらず、それを誰も認識することはできず政治経済外交はすべて大統領の存在を前提に正常に機能していた。元大統領の家族や親類縁者に至っても死亡届や葬儀を行ったにもかかわらず、当人はまだ生きているはずだと主張している。暗殺犯は法の範囲を逸脱せず、捜査、逮捕、裁判、収監がなされた記録が残っているにもかかわらず、誰もそのことを覚えておらず、看守たちは暗殺犯の罪状を正確に認識しておらず、さらには犯人自体も何故自身がここにいるのか覚えろげにしか認識していない。

 この奇妙な現象に、一部の陰謀論者は大規模な記憶操作やマインドコントロール、ワクチンよるナノマシン接種説などを展開し、一部のトリッキーな物理学者は多元宇宙論や演算宇宙論などを引っ張り出してきて奇妙な珍説を仕立て上げた。

 それから数年、幾度も入念な調査が行われてきたが、やはり結果はファクト、大統領暗殺は「事実」であった。

 それを機に似たような事例がいくつか発見され同様の調査がなされた。多くは誤判定であったが、一部はやはり人々の認識とは齟齬の出る「事実」であった。


「エラーは人間のほうにある。あるいは人間集団というシステムの中に」

 現代では専門家の大勢はそういった見方をしている。人間の脳という認知機構、言語活動という情報交換の連鎖、世界中に広がったWEBの情報網と流通。そういった複雑で巨大な構築物に何らかの理由で事実を事実として認識できないエラーが時たま発生する。そしてそのエラーを人間自身は認識することができない。ある種のシステムとしての人間社会の中には認識することが不可能な事実が確実に含まれる。といったわけである。

 人間に認識できない「事実」は「事実」であるのか、そもそも「事実」とは何かという哲学的論争も生まれないではなかったが、すぐにそれは廃れた(ファクトチェックもこれを事実と判定してくれている)。

 この後に続く、人間の認識エラーをついた技術の開発とプロテクトのイタチごっこや歴史修正戦争については多くは語らない。ここらへんからは実際に事実という概念が揺るがされる技術が投入され始めてしまうので、ファクトチェックの範疇を超えてしまうのだ。


当記事はファクトチェック済み 判定:事実 (値0.98:ただしソーシャルシステムエラーに起因する可能性あり)

「大亜真偽判定機構」

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Paradise Lost in Futon 茶屋休石 @chayakyu

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