第63話 変化「事の顛末、終幕」

 

「静流さん! なんで挨拶もなしに黙って行っちゃったんですか? わたしを捨てるなんてヒドイっ!」



 ルカが何だかとても微妙な言い回しで、涙目でシズルに詰め寄っている。

 そのあまりの勢いに、さしものシズルもたじたじになって返答に窮している。




 シズルたちが転移で城からホームへ帰ってから三日後、つい先日辞したばかりの城のミゼンから、フロトポロスへ向かうという先触れが入った。


 すわ、何事かあったのかと即座に了承の旨の返事をし、邸の転移の間で待ち構えていた一同の前に現れたのは、涙目でぷるぷる震えているルカと、気まずそうな顔を明後日あさっての方向に向けているデュオだった。


 ルカは転移が完了するとすぐさま転移陣を飛び出して、その場にいたシズルに詰め寄って冒頭の発言となったのだった。



「いや、捨てるもなにもそんなつもりでは。とりあえずごめん」



「やっぱりわたしのこと嫌いだったんですね」



「そんなことないよ。わあい、困ったなこれはどうしよう」



 話の内容だけ聞けばまるで痴話喧嘩だった。






「で、何故お前がここにいる」



 一緒にこちら側に連れてこられた、同じ故郷ふるさとを持つふたりの娘の痴話喧嘩を眺めながら、ジークハルトがごく普通にデュオに話しかけた。


 泰然自若に構え冷静に落ち着き払って、ただ疑問に思ったことをそのまま口にしただけという、嫌悪も何も感じさせない無関心に近い態度が、かえってジークハルトのデュオに対する怒りの大きさを示すようだった。



「そんなに嫌わないでくださいよ辺境伯、しっかり反省しましたから。それに今回はちゃんと先触れを出したでしょう?」



「ミゼン殿がな」



「俺の名を出したら門前払いを喰らうじゃないですか」



「自覚はあるんだな」



 ジークハルトとは対照的に、感情を隠しきれないシルベスタが、吐き捨てるように言った。デュオは苦笑してこの度の転移の経緯を説明した。



「そりゃあほんの数日前の出来事ですからね。今回はルカに泣きつかれた陛下が困り果てて、それでミゼンが俺に丸投げしたんですよ。それに王妃様からの預かりものもありましたしね」



「姉上の?」



「なんでも、忘れ物だそうですよ、シズルの」



 デュオはそういうと、肩を竦めてシズルとルカに視線を向けた。






「ほんっとうにごめんね瑠花ちゃん。実は瑠花ちゃんのこと、すっかり忘れてたんだ」



「静流さん?!」



 シズルはルカに正直に謝った。


 ジークハルトやシルベスタの前ではもういい、とは言ったもののデュオとの一件で、あの時はとにかく早く辺境いえへ帰りたくて仕方がなかったのだ。



「シズルワルクナイ」



 信じられない、といった表情でさらにシズルに詰め寄るルカに、ザカリが即座にそう告げて、いつものようにシズルに後ろから抱きついた。



「・・・使い魔だからって、ちょっと馴れ馴れしいんじゃないの? ザカリ」



「シズルザカリ、イッショ。ルカチガウ」



 なぜかシズルを取り合うような状態で睨み合ってる、ルカとザカリを前にテッセラが面白そうに言った。



「うわあ、大人気だねぇシズ、いひゃい!」



 バシレウス招待の夕餉ディナーからひとり逃げ出した裏切り者テッセラが、また懲りずに口から災いを吐き出したのでシズルはその口をつねって封じた。



「君は本当に懲りる、ということを知らないね。そういえばテッセラ君、お城ではよくもひとりで逃げたね? 今度あんなことをしたら、ザカリに絶交させるからね」



「ええっ?! なにそれ」



「うわぁ、大人げないぞシズル」



「全くだ。大人げ無い奴だな」



 呆れた声のシルベスタとジークハルトを、ぎっと睨んでシズルが叫んだ。



「黙らっしゃい! 私が、どれだけ心を抉られたと思ってるんですか! へらへらしてちっとも助けてくれなかった人たちが何をいってるんですっ。それにジークハルト様、お姉さまのは血筋なんですか? あんなにおっとりとした感じなのに、なんという隠れ腹黒で凶悪な天然ぶり! 詐欺ですよあんなの」



「なんてことを言うんだ、お前はっ! 姉上は俺とは似ても似つかないたおやかな貴婦人だ。王家にふさわしい気品もあり心も広く慈愛にあふれた素晴らしい女性だぞ。お前の目は節穴か!」



「魔物で」



 すからと言いかけたシズルに、ジークハルトが拳を握りしめ、ぐっと構えた。

 慌てて口を閉じ、拳骨げんこつを回避したシズルだったが、何のてらいもなくオルタンシアを褒め称え、自慢げに答えるジークハルトを見て一瞬悩んだ末、自分の中にあるジークハルトの項目に「シスコン」と新たに付け加えた。



「そして何故おこさま魔導士がここに?」



 シズルがようやくデュオの存在を認識した。



「それは俺のことかよ」



「おこさまが嫌ならひよこ、ぴーちゃんとでも呼びましょうか?」



「もう好きに呼んでくれ。悪かったよシズル、本当にすまなかった」



「いいですよもう。怒るのはお腹が空くので好きじゃないし、そもそも面倒くさいことは嫌いです」



 デュオは意外そうな顔をして黙りこんだ。



 もっと詰られ罵倒され怒りをぶつけられ、殴られるか骨の一本でも折られるかもしれないと覚悟していたのだ。

 あんな、心を抉るような酷い仕打ちをしたというのに、なんて事はないようにさらりと流されデュオは拍子抜けしてしまった。



 と同時に、今眼鏡越しでもわかる、大きく広がる絹布きぬぎれのような魔物の魔素は、薄く緋色ひいろが混ざった銀色で、ゆらゆら揺れながら光を放っている。しかしそれは中心になるに従って色濃くなりやがて何もかも呑み込む闇黒あんこくになる。しかしそのやみが時折雷光のように鋭く眩しく光を放つのだ。


 初めて出会った時と変わらない美しくも恐ろしい、この世界の人間が持つ魔素とは異なる魔物の混ざったシズルのを、デュオはぼんやり見つめていた。




「お前はいつもそれだな」



 心底面倒くさそうにいうシズルに、ジークハルトは呆れた声を出した。



「いいじゃないですか、雇用面接の時に争い事は好まない、ってお話ししたでしょう?」



 無抵抗主義じゃないとも言っていたが、ジークハルトは黙っておくことにした。



「そうだシズル、忘れ物を預かってきたんだ」



 しばらくぼんやりしていたデュオが、突然思い出したように言った。



「? 忘れ物、ですか? 特に何も忘れて帰ったものは無いですが」



王妃オルタンシア様がこれはお前の忘れ物だって言ってたぞ」



 デュオはそう言って、ベルトに付けた小物入れからごそごそ何かを取り出して圧縮シヴィエシを解除した。  

 そこに現れた四角い箱の形状を見て、シズルがぐっと眉間に皺を寄せた。



「それ、ぴーちゃんに差し上げますよ」



「・・・俺の呼び名はに固定されたんだな」



「凄いですよねー。何だったか知りませんけど、痴漢からひとでなしになって、そのあとエロ魔導士からひよこですよ? 変態メタモルフォーゼの回数もここまでいくと、蛙や蝶々なんか目じゃないですよね。次に何に変態するのか、ちょっと楽しみになってきました」



 若干棒読みだが、シズルはデュオのことを初めて凄いと褒め・・・てない。全然褒めてないし虫けら扱いだが、ひとでなしやエロ魔導士の称号よりはマシかもしれない。



「そりゃどうも」 



 デュオは抗議するのを諦めた。



「ねぇ、それ何が入ってるの? 王妃様からでしょ?」



「俺も中身は知らねぇよ。で、実際のところこれは何なんだ?」



 テッセラに興味津々に尋ねられて、我儘で自分勝手な魔導士おこさまが、シズルの許可なく箱の蓋を開けた。



「ぎゃあ! なんてことをしやがるんですかっぴーちゃん、このおこさま魔導士!」



 デュオがさっと箱から取り出したのは、あの心を抉られた夕餉ばんごはんの時に、オルタンシアによって着せられたあのドレスだった。


 ひらり、とドレスに添えられていたカードが転移の間の床に落ちた。

 それを素早く拾い上げたテッセラが、頼みもしないのにその場で読み上げた。



「えっと、『これはあなたに差し上げます。是非素敵な殿方を見つけてください。補填は自分でやってね』だって。『』ってなに?」



 シズルは初めて床に膝を突いて、敗北感を噛み締めた。

 敵わない。そして天然とは恐ろしい。

 若干、いやかなり確信犯の匂いもするが、こちらでもあちらでも、一番敵わないのは『お母さん』だとシズルは改めて痛感した。






「じゃあ静流さんわたし、戻りますね」



 打ちのめされたシズルがようやく復活した後、直接別れの挨拶ができてすっきりしたのか、ルカが晴れやかな顔で言った。


 今回の別れは前回のようなではない、ことが済んでお互いが自分の住処いえへ帰る、日常によくある別れだ。



「うん。またね。あと、これ」



 そういって、シズルはルカに白い生地に魔法の銀糸の刺繍の入った、小さな

 匂袋サシェを渡した。

 邸に帰ってからふと思いつき、なるべく早めに渡そうと作っておいた特性の品だ。中には花びらポプリ香粉こうふんではなく、刺繍と同じ銀糸で束ねたザカリの毛が入っている。



「御守り。これを持ってれば、今度また瑠花ちゃんに何かあったらからね」



 そういってシズルはにっこり笑ったあと、くるりとデュオを振り向いて念を押した。



お城まで連れ帰ってくださいよ」





 真面目な顔でそう答えたデュオは、少し考え込んだあとシズルを呼んだ。



「シズル」



 名前を呼ばれて思わず身構えたシズルだったが、デュオはその菫色の瞳で暫くそのまま視線を寄越していたが、





 そういうと今度は何もせずに帰城のための呪文を唱えた後、笑顔を残しルカと共にふっと消えた。






 ふたりを見送った後、ジークハルトが溜息と共に正直な感想を述べた。



「やれやれ、もう魔導士は懲り懲りだ」



「全くだ」



「えっと、ぼくも魔導士なんだけど」



 溜息と共にぼやく、ジークハルトとシルベスタのふたりに対してテッセラが口を尖らせると、それにこたえて、すかさずシズルとザカリがこう言った。



「テッセラ君は、」



「イイマドウシ」



「そうそれ!」



 魔物たちが顔を見合わせて嬉しそうに笑った。


 なんだよそれ、と言いながら人間たちも魔物と一緒に声をあげて笑った。











 あれから城内は蜂の巣キリスラを突ついたような騒ぎだった。



 物病ものやみで長く姿が見えなかったエデル国国王バシレウスが、寛解かんかいしたといきなり現れ公務に復帰すると宣言した。

 と同時に名代を務めていた王太子ルーデリックが、バシレウスに『禁足』を命じられ、王城の離宮の奥の間の一室で、事実上の軟禁状態になってしまった。


 隠されていたルーデリックと魔導士たちの、召喚術に関することの大まかな流れも明らかになり、公にされた異世界人の処遇についても、あちこちで議論がなされている。



 城内で秘匿扱いを受けていた異世界人の只人ただびとルカは、王妃オルタンシアの預かりとなり改めてこの世界のことを学ぶこととなった。そしてその対価として異世界の様々な話を『予言の魔女オルタンシア』に聴かせているという。



 魔導士同士ので損傷を受けた転移の間のひとつは、バシレウスと一緒に姿を現した、城内ではあまりその姿を見ることのない、魔導士の最高位である『ミゼン』によって、瞬きするほどの間に破壊の爪痕もわからないほど完璧な復旧がなされ、その強い魔力に『魔導士ミゼン』は、周囲から再び畏敬いけいの念を注がれることとなった。その後ミゼンは自分のいおりに至る庭の入り口の、鳥居のような高さのある扉のない門の前に、シズルに話していた通り、『』の高札たかふだを建てた。

 ただし、それは高札というにはあまりにも低すぎて、雑草だらけの雑木林の中に埋もれてしまい、実際に注意喚起の役目を果たしているのかどうかはわからない。






 人は変化をする生き物だ。


 まず体が変化する。嬰児あかごから幼児へ子供へ大人へ老人へ。

 心も同じように変化するのだが、何かの理由で途中でつっかえて止まってしまう人もいる。

 ずっと止まったままの人もいれば、そのつっかえた『何か』の正体に気づき、それを乗り越え、あるいは破壊してまた変化の道を進んでいく人もいる。


『番号持ち』と呼ばれる魔導士たちにも、それぞれに変化があったようだ。




 『五番目』ペンテは相変わらず、人目を避けるように城内をこそこそ移動していたが、出没する場所を温室から調理場へ変えた。相変わらず盗み食いをしてはいたが、その時は得意な『眩惑サヴォンニ』を遠慮なく使って自分が嫌いな貴族になりすまし、堂々と自分の好物を作らせてそれを腹の中に収めるようになった。調理場に現れる貴族を周囲の者は訝ったが、しかし果たしてそれがなのか、なのかは誰にも判別できなかった。

 ペンテはようやく、自由で自分勝手な魔導士おこさまの仲間入りを果たしていた。




 転移の間でシズルに介抱され脅しつけられ、気を失っていた『三番目』トリアは、あの後目覚めたもののずっとぼんやりほうけたままだった。周囲の取り巻きの魔導士たちがどんな甘言ささめごとを耳元でささやいても、トリアの好きな美しいもので周囲を埋められても、全く興味を示さなくなってしまった。それはデュオに対しても同じで、妄執に近かった恋慕の情も、まるでどこかに置き忘れてしまったかのように、デュオを見かけてもちらりと一瞥するだけで、以前のように視線で追うようなこともなくなってしまった。

 ただ、鮮やかな緋衣草サルビアの花を見ては、時々溜息をくようになった。




 『二番目』デュオは、ルカをオルタンシアに無事送り届けた後またふらりと城から姿を消してしまった。トリアの防御魔法の銀糸刺繍の施されたドレスを激しく損傷させたことでトリアをと勘違いされ、城を出る直前、トリアの取り巻きの魔導士数十人に一度に囲まれ闇討ちされたが、例の『反作用の盾』でことごとく全てを蹴散らして、魔導士同士の『喧嘩』の連勝記録を更新した。

 城を出た今でも、時折ミゼンとは魔導通信エピキノニアは交わしているようで、今度はセラスではない、自分が『』を追いかけることにしたようだ。




 そんな中、ただひとり『一番目』ヘイスだけは濃紺の特注ローブをはためかせ、精力的に新しい足場固めに奔走しているようだった。




 そして『四番目』テッセラは、破壊に関するような魔術の全てを封印し、魔導士の誰もが喉から手が出るほど欲しがる番号なまえを返上しようとした。が、生家の脅しにも近い懇願なきおとしにあい名前の返上だけは思い留まったものの、辺境の地に行ったまま二度と城に戻ることはなかった。






 もうひとりの異世界人は。


 シズルは、正式にフロトポロス領民となったほかは、あいもかわらず同僚シルベスタと一緒に領主ジークハルトの護衛官を勤めながら、魔物なかまのザカリと一緒に、この異世界で得た新しい居場所の辺境のおうちで、今までと変わらない賑やかで生活を送っている。


 ・・・はず、多分。











 魔導士は甘くない・了

_____________「砂糖のかけらは甘くない」終幕

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砂糖のかけらは甘くない 依澄礼 @hokuto1

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