第63話 変化「事の顛末、終幕」
「静流さん! なんで挨拶もなしに黙って行っちゃったんですか? わたしを捨てるなんてヒドイっ!」
ルカが何だかとても微妙な言い回しで、涙目でシズルに詰め寄っている。
そのあまりの勢いに、さしものシズルもたじたじになって返答に窮している。
シズルたちが転移で城から
すわ、何事かあったのかと即座に了承の旨の返事をし、邸の転移の間で待ち構えていた一同の前に現れたのは、涙目でぷるぷる震えているルカと、気まずそうな顔を
ルカは転移が完了するとすぐさま転移陣を飛び出して、その場にいたシズルに詰め寄って冒頭の発言となったのだった。
「いや、捨てるもなにもそんなつもりでは。とりあえずごめん」
「やっぱりわたしのこと嫌いだったんですね」
「そんなことないよ。わあい、困ったなこれはどうしよう」
話の内容だけ聞けばまるで痴話喧嘩だった。
「で、何故お前がここにいる」
一緒にこちら側に連れてこられた、同じ
泰然自若に構え冷静に落ち着き払って、ただ疑問に思ったことをそのまま口にしただけという、嫌悪も何も感じさせない無関心に近い態度が、かえってジークハルトのデュオに対する怒りの大きさを示すようだった。
「そんなに嫌わないでくださいよ辺境伯、しっかり反省しましたから。それに今回はちゃんと先触れを出したでしょう?」
「ミゼン殿がな」
「俺の名を出したら門前払いを喰らうじゃないですか」
「自覚はあるんだな」
ジークハルトとは対照的に、感情を隠しきれないシルベスタが、吐き捨てるように言った。デュオは苦笑してこの度の転移の経緯を説明した。
「そりゃあほんの数日前の出来事ですからね。今回はルカに泣きつかれた陛下が困り果てて、それでミゼンが俺に丸投げしたんですよ。それに王妃様からの預かりものもありましたしね」
「姉上の?」
「なんでも、忘れ物だそうですよ、シズルの」
デュオはそういうと、肩を竦めてシズルとルカに視線を向けた。
「ほんっとうにごめんね瑠花ちゃん。実は瑠花ちゃんのこと、すっかり忘れてたんだ」
「静流さん?!」
シズルはルカに正直に謝った。
ジークハルトやシルベスタの前ではもういい、とは言ったもののデュオとの一件で、あの時はとにかく早く
「シズルワルクナイ」
信じられない、といった表情でさらにシズルに詰め寄るルカに、ザカリが即座にそう告げて、いつものようにシズルに後ろから抱きついた。
「・・・使い魔だからって、ちょっと馴れ馴れしいんじゃないの? ザカリ」
「シズルザカリ、イッショ。ルカチガウ」
なぜかシズルを取り合うような状態で睨み合ってる、ルカとザカリを前にテッセラが面白そうに言った。
「うわあ、
バシレウス招待の
「君は本当に懲りる、ということを知らないね。そういえばテッセラ君、お城ではよくもひとりで逃げたね? 今度あんなことをしたら、ザカリに絶交させるからね」
「ええっ?! なにそれ」
「うわぁ、大人げないぞシズル」
「全くだ。大人げ無い奴だな」
呆れた声のシルベスタとジークハルトを、ぎっと睨んでシズルが叫んだ。
「黙らっしゃい!
「なんてことを言うんだ、お前はっ! 姉上は俺とは似ても似つかない
「魔物で」
すからと言いかけたシズルに、ジークハルトが拳を握りしめ、ぐっと構えた。
慌てて口を閉じ、
「そして何故おこさま魔導士がここに?」
シズルがようやくデュオの存在を認識した。
「それは俺のことかよ」
「おこさまが嫌ならひよこ、ぴーちゃんとでも呼びましょうか?」
「もう好きに呼んでくれ。悪かったよシズル、本当にすまなかった」
「いいですよもう。怒るのはお腹が空くので好きじゃないし、そもそも面倒くさいことは嫌いです」
デュオは意外そうな顔をして黙りこんだ。
もっと詰られ罵倒され怒りをぶつけられ、殴られるか骨の一本でも折られるかもしれないと覚悟していたのだ。
あんな、心を抉るような酷い仕打ちをしたというのに、なんて事はないようにさらりと流されデュオは拍子抜けしてしまった。
と同時に、今眼鏡越しでもわかる、大きく広がる
初めて出会った時と変わらない美しくも恐ろしい、この世界の人間が持つ魔素とは異なる魔物の混ざったシズルの
「お前はいつもそれだな」
心底面倒くさそうにいうシズルに、ジークハルトは呆れた声を出した。
「いいじゃないですか、雇用面接の時に争い事は好まない、ってお話ししたでしょう?」
無抵抗主義じゃないとも言っていたが、ジークハルトは黙っておくことにした。
「そうだシズル、忘れ物を預かってきたんだ」
しばらくぼんやりしていたデュオが、突然思い出したように言った。
「? 忘れ物、ですか? 特に何も忘れて帰ったものは無いですが」
「
デュオはそう言って、ベルトに付けた小物入れからごそごそ何かを取り出して
そこに現れた四角い箱の形状を見て、シズルがぐっと眉間に皺を寄せた。
「それ、ぴーちゃんに差し上げますよ」
「・・・俺の呼び名は
「凄いですよねー。
若干棒読みだが、シズルはデュオのことを初めて凄いと褒め・・・てない。全然褒めてないし虫けら扱いだが、ひとでなしやエロ魔導士の称号よりはマシかもしれない。
「そりゃどうも」
デュオは抗議するのを諦めた。
「ねぇ、それ何が入ってるの? 王妃様からでしょ?」
「俺も中身は知らねぇよ。で、実際のところこれは何なんだ?」
テッセラに興味津々に尋ねられて、我儘で自分勝手な
「ぎゃあ! なんてことをしやがるんですかっぴーちゃん、このおこさま魔導士!」
デュオがさっと箱から取り出したのは、あの心を抉られた
ひらり、とドレスに添えられていたカードが転移の間の床に落ちた。
それを素早く拾い上げたテッセラが、頼みもしないのにその場で読み上げた。
「えっと、『これはあなたに差し上げます。是非素敵な殿方を見つけてください。補填は自分でやってね』だって。『
シズルは初めて床に膝を突いて、敗北感を噛み締めた。
敵わない。そして天然とは恐ろしい。
若干、いやかなり確信犯の匂いもするが、こちらでもあちらでも、一番敵わないのは『お母さん』だとシズルは改めて痛感した。
「じゃあ静流さんわたし、戻りますね」
打ちのめされたシズルが
今回の別れは前回のような
「うん。またね。あと、これ」
そういって、シズルはルカに白い生地に魔法の銀糸の刺繍の入った、小さな
邸に帰ってからふと思いつき、なるべく早めに渡そうと作っておいた特性の品だ。中には
「御守り。これを持ってれば、今度また瑠花ちゃんに何かあったら
そういってシズルはにっこり笑ったあと、くるりとデュオを振り向いて念を押した。
「
「
真面目な顔でそう答えたデュオは、少し考え込んだあとシズルを呼んだ。
「シズル」
名前を呼ばれて思わず身構えたシズルだったが、デュオはその菫色の瞳で暫くそのまま視線を寄越していたが、
「
そういうと今度は何もせずに帰城のための呪文を唱えた後、笑顔を残しルカと共にふっと消えた。
ふたりを見送った後、ジークハルトが溜息と共に正直な感想を述べた。
「やれやれ、もう魔導士は懲り懲りだ」
「全くだ」
「えっと、ぼくも魔導士なんだけど」
溜息と共にぼやく、ジークハルトとシルベスタのふたりに対してテッセラが口を尖らせると、それに
「テッセラ君は、」
「イイマドウシ」
「そうそれ!」
魔物たちが顔を見合わせて嬉しそうに笑った。
なんだよそれ、と言いながら人間たちも魔物と一緒に声をあげて笑った。
あれから城内は
と同時に名代を務めていた王太子ルーデリックが、バシレウスに『禁足』を命じられ、王城の離宮の奥の間の一室で、事実上の軟禁状態になってしまった。
隠されていたルーデリックと魔導士たちの、召喚術に関することの大まかな流れも明らかになり、公にされた異世界人の処遇についても、あちこちで議論がなされている。
城内で秘匿扱いを受けていた異世界人の
魔導士同士の
ただし、それは高札というにはあまりにも低すぎて、雑草だらけの雑木林の中に埋もれてしまい、実際に注意喚起の役目を果たしているのかどうかはわからない。
人は変化をする生き物だ。
まず体が変化する。
心も同じように変化するのだが、何かの理由で途中でつっかえて止まってしまう人もいる。
ずっと止まったままの人もいれば、そのつっかえた『何か』の正体に気づき、それを乗り越え、あるいは破壊してまた変化の道を進んでいく人もいる。
『番号持ち』と呼ばれる魔導士たちにも、それぞれに変化があったようだ。
『五番目』ペンテは相変わらず、人目を避けるように城内をこそこそ移動していたが、出没する場所を温室から調理場へ変えた。相変わらず盗み食いをしてはいたが、その時は得意な『
ペンテは
転移の間でシズルに介抱され脅しつけられ、気を失っていた『三番目』トリアは、あの後目覚めたもののずっとぼんやり
ただ、鮮やかな
『二番目』デュオは、ルカをオルタンシアに無事送り届けた後またふらりと城から姿を消してしまった。トリアの防御魔法の銀糸刺繍の施されたドレスを激しく損傷させたことでトリアを
城を出た今でも、時折ミゼンとは
そんな中、ただひとり『一番目』ヘイスだけは濃紺の特注ローブをはためかせ、精力的に新しい足場固めに奔走しているようだった。
そして『四番目』テッセラは、破壊に関するような魔術の全てを封印し、魔導士の誰もが喉から手が出るほど欲しがる
もうひとりの異世界人は。
シズルは、正式にフロトポロス領民となったほかは、あいもかわらず
・・・はず、多分。
魔導士は甘くない・了
_____________「砂糖のかけらは甘くない」終幕
砂糖のかけらは甘くない 依澄礼 @hokuto1
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