第62話 家族「失くしたもの、得たもの」

 

 国王夫妻と夕餉ばんごはんという名の珍事を何とか乗り切った翌朝、シズルたちはフロトポロス領へ帰る準備をしていた。


 シルベスタはフロトポロス邸へ転移するための準備で、先に転移の間へ赴いていた。

 シズルに『バナナの皮の呪い』をかけられていたテッセラだったが、当たり前というか何事もなかったようで、私物を取りに自分の部屋に行っている。



 特に用のない、残ったシズルとジークハルト、ザカリの三人は部屋でのんびりお茶を飲んでいた。



「はー、生き返るー」



「シズルシンデナイ、イキテル」



 ザカリはシズルをあちこち触って、『生きている』のを確認している。



「意外と年寄り臭いな、お前」



「ほっといてください。昨日の夜、散々ジークハルト様の素敵なお姉様ご夫妻におもちゃにされたんです。よぼよぼのよれよれにもなりますよ。ああ美味しいさすが王宮、茶葉が違う」



「それはすまなかったな。俺は楽しそうな姉上と義兄上が見れて元気になれたがな。それよりお前、茶葉の違いがわかるのか?」



「もう、察してくださいよ。わかるわけないです、つうぶって言ってみたかっただけです」



 シズルたちが、いつものくだらないやり取りをしていると扉が開いた。その場の全員が自然と扉に目を向けると、そこに立っていたデュオがいきなりシズルを呼んだ。





 いつもなら顔を顰め条件反射のように口撃するシズルが、目を見開いて固まったまま動かなくなった。

 ジークハルトがどうしたのかと様子を窺っていると、いきなりシズルが椅子を鳴らす勢いで立ちあがって叫んだ。



!」







 デュオはいぶかった。何故よりにもよって老人に幻視えているのか。


 デュオは今の自分のことが、シズルの想い人こいびと幻視えているものだとばかり思っていた。元々そのためにペンテにかけさせた『記憶想起ミンミ・ティミシィテ』の眩惑サヴォンニだったはずだ。


 もしかしてシズルは『』の人間だったのか?


 顔を紅潮させぐいぐい迫る、シズルのあまりの剣幕に思わず後退あとずさりしそうになったが、デュオは辛うじてその場に踏みとどまった。


 待て落ち着け。

 世の中にはいろんなの人種がいるではないか、シズルもそういった種類の人間だったというだけだ。元々変わったやつなのだ、恋愛感情を抱く相手が老人でもさほど変なことではない、と思う。

 デュオは無理矢理自分を納得させた。


 それよりもこれは意外といけそうだ。

 当初の目論見からは随分と遠くなったが、シズルのこの感じだとこのままでも充分、こちらデュオのいうことに従わせることができそうだ。

 このまま一気に『魔術契約シンヴォレオ』まで持ち込んでしまえば、もうこっちのものだ。

 デュオはそう考えた。



 実際はその『記憶想起ミンミ・ティミシィテ』にデュオの知らない項目シュエティキが加えられていたのだが、ペンテに『本気で』術をかけられているせいで、デュオはそれに気がつくことができなかった。



「会いたかったよ! あのね、あのね、私、まだ話したかったことがいっぱい、いっぱいあるんだよ」



「わたしもだよ、シズル。会いたかったよ」



 子供のような口調で泣きそうな笑顔をして、シズルはデュオの腕に縋りついた。

 いつにない様子の、そんなシズルをデュオは平然と受け入れていたが、その実、策略が上手くいきそうな予感に小躍りしたいほど喜んでいた。







 ジークハルトは、入室したデュオに名前を呼ばれたシズルが、開口一番叫んだ言葉を聞き取り、一瞬で何らかの幻術が行使されていると理解した。



 そしていつになく狼狽した。



 事情を知らないとはいえ、この愚かな魔導士はなんということをしているのか。



 シズルの祖父を呼ぶその言葉の、その声色の変化の意味するところを知っているジークハルトは、デュオへの怒りで臓腑はらわたが捻じ切れそうだった。


 今すぐにでも殴りつけて、あの愚か者デュオをシズルから引き離したかった。

 がしかし『偽物の祖父』に縋りつくようにして、懸命に言葉を紡いでいるシズルの様子があまりにも切なく哀れで、間に入って止めるのが躊躇ためらわれ、ジークハルトはその場から一歩も動けなくなってしまった。

 ザカリもジークハルトの隣で、心配そうにおろおろしている。



「ずっと独りにしててごめんね。寂しかったよね。私もずっと寂しかったんだ」



「心配ないよ、これからはまた一緒だ」



「うん、うん。本当にしばらく一緒にいるつもりだったんだけど、あのあと家に帰ろうとしてたら、いきなり知らないところに連れていかれちゃって、あのね、それで気がついたら何も持ってなくて、手の中のおじいちゃんの・・・」



 そう言ったあと、すうっとシズルの顔から表情が抜け落ちた。



「・・・がどこかにいってしまったんでした、そういえば」



 シズルはそう言って、目の前の祖父のふりをしているものの胸ぐらをいきなり掴んだ。



「うっ・・・わ?」



 デュオは一瞬の浮遊感の後、くるりと視界が回って、背中から力任せに床に叩きつけられた。受け身も何もできず、背中がみしりと音をたてるほどの、そのあまりの勢いに一瞬息ができなくなった。



「か、はっ」



 大の男を軽々と投げ飛ばしたシズルは、普段は明るい緋色の瞳を赤黒く変化させ、感情が一切伺えない顔と声色で襟首を掴んだまま、デュオを上からじっと覗き込んでいた。

 デュオを投げ飛ばしたことで、シズルに対する認識誤認シナゲレモスの幻視が解けた。



 先程までシズルの目の前にいた、田舎で仙人のように一人暮らしをしていて、偏屈で人嫌いで、でもシズルにはずっと優しかった祖父は姿を消した。消えてしまった。たったひとりの家族だったのに、また。



 、いなくなってしまった。



 シズルは荒れ狂う自分を抑えるのに精一杯の力を使った。そうでもしないと目の前のこの『人間』を、怒りのままに壊してしまいそうだった。

 それでも抑えきれない怒りがほろりと口からこぼれでた。



「・・・魔導士、おまえ」



 またも眼鏡を飛ばしてしまったデュオは、シズルの『それ』を間近で見た。

 しかし以前のように美しいと感じることはできなかった。



 シズルの中心の黒が銀色の絹布きぬぎれの輝きを全て吹き飛ばして拡がり、周囲は光のない闇に包まれていた。稲妻のように疾っていた閃光も何もない、ただの黒い闇だった。底のうかがい知れない深い穴、落ちたら二度と出られない闇黒あんこくの世界。



 呑まれる。



 デュオは、今までどんな魔導士相手でも感じたことのなかった、死の恐怖を感じた。



「・・・イタ、イ?」



 その時ザカリの声がした。ザカリは胸のあたりを押さえて緋い目を見開いてシズルを見ていた。



「シズル。イタイ、コワイ、イタイイタイ、クルシイ」



 そういって泣き出した。

 シズルは大きく息を吐き出し体中の力を抜いて、困ったような顔をした。



「そっか、繋がってるんだったね。ごめんザカリ」



 シズルはデュオから手を離して立ち上がり、侮蔑の表情で足元の魔導士を見下ろした。



「大変面白い術でした。お陰で大事な無くし物のことを思い出しました。行こうか、ザカリ。ほらもう大丈夫だから」



 いたいいたいと泣きじゃくる、ザカリの手を取って歩き出したシズルだったが、ふと立ち止まってぽつりと言った。



「・・・そうか。もしかしたら、あちらの世界とこちらの世界の『狭間』に落っことしてきたのかもしれないね」



 そう零した途端、いつもは頭を掴むジークハルトのその大きな手が、シズルの腕をぐいと掴んだ。

 そして黙り込んだままその腕を強く掴んで離さなかった。


 ジークハルトはシズルが魔物になった夜の、あの満天の星空の下の時と同じ、怒ったような、辛そうな顔をしていた。



 本当にこのひとは。



 シズルは困ったような笑顔を浮かべたあと、ジークハルトの危惧しんぱいを一掃するような明るい声で言った。



「行きませんよ、あんなところ二度とごめんです。ジークハルト様までシルの心配性が感染うつったんですか? それより早く帰りましょう、辺境のおうちに」



 シズルの頭の中で、ルカを呼ぶために歌ったあの歌が流れていた。



 帰りましょう帰りましょうはやくおうちに帰りましょう。




「そうだな、帰るか」



 ジークハルトは苦笑して、シズルがどこにも行かないのを確認するかのように、ゆっくりと手を離し彼女を解放した。

 シズルは起き上がり座り込んだままのデュオを、一切見向きもせずザカリを連れてその場を去って行った。


 その背中を見ながら、ジークハルトが感情を押し殺した静かな声で話した。



「シズルは早くに父母を亡くし、たったひとりの肉親の祖父殿も最近亡くしたばかりだ。その喪が明ける前どころか、祖父殿の葬儀の直後にこちらに連れてこられた。俺以外は誰も知らん。だからといって、お前がシズルにしたことは許されることではない。あいつはだ、魔導士の玩具おもちゃではない」



 ジークハルトは拳をぎゅっと握りしめて、よく見るとその拳が怒りで僅かに震えている。



「俺を、殴らないんですか?」



 シズルに投げ飛ばされたためか、あの底なしの暗闇を見たせいか、まるで憑き物が落ちたように脱力して座り込んだまま、デュオは自分の行為の意味を噛み締め、自嘲していた。



「シズルが我慢したのに俺が殴るわけにはいかない。それに」



 ジークハルトは、真夏の大空ような高く澄んだ青い魔素を揺らめかせ、対照的に碧い瞳を冬の凍った湖のように変化させ、デュオに一言一言確認するように言い放った。



「お前に殴るほどの『価値』があるのか?」



 そしてくるりと踵を返すと、そのまま悠然と去っていった。








 シルベスタが転移の間で先触れを出し、ついでに送られてきたアディスからの魔導書簡エピストレに目を通していると、硬い表情のシズルと、シズルに手を引かれたザカリがやってきた。

 ザカリは直前まで泣いていたのか、まだ目の周りを赤くして、鼻をぐずぐず鳴らしている。



「どうした、何かあったのか?」



「はぁ、魔導士にちょっとした嫌がらせを受けまして」



 溜め息まじりに吐き出されたシズルの言葉に、シルベスタがさっと顔色を変え、ぐっと眉間に皺を寄せた。



「・・・デュオか? あいつ・・・!」



 シズルは、今にも転移の間を飛び出していきそうな勢いの、シルベスタの腕を掴んで引き止めた。



「ぶん投げてやりましたから、もういいです」



「・・・本当にいいのか?」



「シルに嘘いてどうするんですか。面倒くさいから早く帰っちゃいましょう。それにだから、都会おうとの水はどうも合わないみたいだし」



 呆れたような顔で言った後へらりと笑って話すシズルを見て、シルベスタは胸がぎゅうと締め付けられる思いだった。



 まただ、またこの娘は。



 シズルはいつも飄々ひょうひょうと、うらみつらみも哀しみも苦しみも、全部面倒くさがってどこかへぽいと放り投げてしまう。



 そうして、なんでもなかったように笑うのだ。



 今日もどうやらいつもと同じように、どこかへ放り投げてきたようだった。今回は魔導士デュオと一緒に。


 



「俺の領地を田舎とは、随分な言い草だな。あながち間違いではないが、俺だってしまいには泣くぞ。おい、ザカリ」



 シズルの背後からのっそり現れたジークハルトは、まだ鼻を啜っているザカリの隣に立つと声をかけた。ザカリが振り向くと、殆ど身長の変わらないふたりは正面から見つめ合う形になる。



「落ち着いたか?」



 ザカリは涙目のまま、ジークハルトを真っ直ぐ見てからこくりと頷いた。

 その子供のような反応に、ジークハルトは思わずアディスがシズルにするように、ザカリの頭を撫でた。


 ザカリはなんの抵抗もせずその手を受け入れ、ジークハルトに撫でられながらシズルに許可を求めた。



「マドウシ、カンデイイカ」



 威圧感の溢れる大男が、同じくらいの身長の精悍な美青年の頭を撫でている。しかもその青年は、緋い目に負けないくらいにその目元を真っ赤に泣き腫らしている。



 なんとも滑稽で、そしてなんて優しい光景だろう。



 シズルはそんなジークハルトとザカリを見て、苦笑を浮かべながら言った。



「駄目。あれは子供だから」



「子供?」



 怪訝な顔をしているシルベスタに、シズルが淡々と説明した。



「自分の魔力に万能感を持った、精神が未熟な我儘な魔導士おこさまです。がお子様とはいえ、いい大人にいまさらしつけをし直すのは私の仕事じゃありません。全く、魔導士ってばっかり。ザカリじゃないけど」



「マドウシ、アタマワルイ」



「そうそれ!」



 その時、がたんと転移の間の入り口で音がした。

 見るとその場でテッセラが、両手に私物を抱えて立ち竦んでいた。シズルの魔導士に対する発言かんそうを聞いて、顔を強張らせている。



「・・・ぼく、も?」



 シズルがテッセラのことも『あんなの』と同じだ、と思ってるのかと不安げな表情で尋ねているのだ。


 シズルはちょいちょいと、いつかのようにテッセラに手招きした。テッセラがおずおずと転移の間に入ってくると、やれやれと肩を竦めてこう言った。



「テッセラ君はの子供でしょ? 大きなお子様とは違って本物の子供は、これからいくらでも、自分のなりたい大人に自由になることができるよ。それに君はもう、困った魔導士おこさまだったとは違ってるでしょ」



 ね? とシズルは笑った。

 それを受けて、ザカリが頷きながら嬉しそうな笑顔でテッセラを見て言った。



「テッセラ、イイマドウシ。ザカリトモダチ」



「おお!」



 ザカリの言葉に、テッセラの顔が照れ臭そうに伏せられたのを見て、シズルが目を見開き、手をたたき出さんばかりに大袈裟にはしゃぎ出した。



「やったね! テッセラ君、両想いだよっ!」



「こらやめないか、シズル」



 テッセラが不憫になったシルベスタがシズルを窘めた。

 それでも調子に乗ったシズルが、俯いたテッセラの顔を覗き込んで、嬉しかろ? 嬉しかろ? としつこく確認している。



「シズルなんか嫌いだぁ!」



 堪り兼ねたテッセラが、顔を真っ赤にして涙目で叫んだのを見て、ジークハルトが呆れた声を出した。



「子供をいじっていじめるなんて、なんて酷いやつだ」



「魔物ですからね」



 シズルがにやりと悪い笑顔でそういった直後、ジークハルトの十八番おはこが炸裂した。



「お・ま・え・は。魔物を免罪符いいわけに使うなといってるだろうが」



「ぎゃあ! ちょっとした戯言ジョークじゃないですかぁいたいたたたた!」



「さあ、そろそろ出発しよう」



 いつもの『じゃれ合い』を華麗に無視したシルベスタが、全員に声をかけた。その間ザカリはテッセラの頭をずっと撫でて慰めていた。


 その声とともに、ジークハルトとシルベスタ、シズルとザカリのフロトポロスの領主と領民が転移陣の中に入った。そこにテッセラが当然のように入ったが、誰も何も言わなかった。


 ジークハルトはが転移陣に入ったのを確認しすると、詠唱を始めようとしたシルベスタを制した。シルベスタは笑顔を浮かべて『その役目』をあるじである領主に譲った。



「それじゃあ帰るとするか。ペンテアトマ・メタキニシ・バシリコカストロ・スト・フロトモス」


 

 、城から辺境の



 ジークハルトが、転移の間全体に響く、低く厳かな声で詠唱を始めると、転移陣が淡く輝き出した。

 そして最期の言葉キーワードで、



移動プラクシィ



 五人の姿はふっと転移陣から消えた。








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