夜の散歩

スヴェータ

夜の散歩

 毎日、夜になると、何故だか家族に追い出された。窓を見やると、カーテンの色をした部屋の明かりと賑やかな声が漏れ聞こえてきて、いつも羨ましく思っていた。


 家に再び入れてもらえるのは、翌朝。父が新聞を取りに行く頃を見計らって待ち、家に戻る時後ろをついて行くように入る。たまに新聞が休むと、今度は弟や妹が学校へ行くまで入れない。つまり、入れてもらえるというより、勝手に入っているという方が適切だ。


 私がこの生活を受け入れているのは、追い出す時も、戻った時も、家族が皆笑顔だからだ。夜は「そろそろ時間だ、いってらっしゃい」と言われて出て行き、朝は「お帰り。おなかが空いたろう」と気遣われる。夜出て行くことは、家族が私に与えた仕事なのかもしれない。


 夜、私が何をしているのか。大抵は家の側にある納屋で眠るが、朝も昼も寝ていて眠れないことも多いから、晴れている時は近くを歩くようにしている。近くには川があり、その途中には梨の木もある。空が高い田舎だから、見上げれば満天の星空だってある。


 夜の散歩の理由は眠れないこと以外にもある。天体観測をする青年。私は彼とおしゃべりをするのを楽しみに、いつも30分歩いて川辺の少し高いところまで行く。青年はこんな時間に出歩く私を初めはたしなめたが、無意味だと理解してくれたのか、最近はただおしゃべりを楽しんでくれている。


 彼は何も聞かない。私が言いたくないのを察してくれているのだろう。そして、彼も何も言わない。私が知っているのは「毎晩天体観測に来ている青年」ということだけ。無論、私たちは星の話しかしない。


 星はただ星だと思っていたが、彼はそれを繋ぎ合わせて「星座」とすることを教えてくれた。さらにその星座にはそれぞれに物語があり、私は季節ごとに、空が移り変わるごとに、星座の物語について教わった。彼は星のことを何でも知っていた。


 眠たくてたまらない時と雨の日以外は納屋から出て、家を囲む柵をどうにか掻い潜り、川辺に星の話をしに行った。もう何年こうしているか分からない。2年かもしれないし、20年かもしれない。


 このまま永遠に続くと思われたが、青年は私の頭を撫でながら寂しげに言った。「今度結婚するんだ。それで、夜の天体観測はできなくなりそうだ」と。私は恋人ではない。しかし恋人のつもりでいた。だから会えなくなることより、彼が結婚するということが何よりつらく、悲しかった。


 私はつい大声で「ひどいじゃない!」と言い、そっぽを向いてそのまま走り出してしまった。後ろから「おーい」と微かに呼ぶ声が聞こえる。私は立ち止まったけれど、もう戻れなかった。


 翌朝、いつもより遅くにボロボロの顔で戻ると、父が柵を修理していた。あの穴から私が遠くへ行っていることに気付いたらしい。父は私に気付くとすぐさま抱き上げ、嫌いでたまらない風呂に入れ、「もう遠くへ行くなよ」と注意した。


 頭上では父が母と、私の夜の散歩について話し合っていた。結局、夜ではなく日中、庭ではなくウッドデッキのみに追い出す時間と場所を変更したようだった。私は最初、追い出されることが嫌だったけれど、もう外に行けない生活は考えられなかったから、その決定は実につらいものだった。


 あんなに羨ましかった夜の団欒はつまらないものだった。あの青年にはもう会えなくなったし、私が星を見ることもなくなった。もちろん、新しい星や星座の物語を聞くこともなくなった。


 2年なのか、20年なのか分からないあの時間は、もはや5分だったかのように思えた。つまらない嫉妬で7分過ごせたかもしれない時間を5分にしてしまったことが、いつまでも、いつまでも悔やまれた。


 きっと私は、死ぬまで部屋とウッドデッキを行き来するだけの生活をするのだろう。それは理由も分からず放り出されていたあの頃より、ずっと絶望的に思えた。虚ろな目でウッドデッキから空を眺める。毎日、毎日。もうとっくに飽きているのに、ずっと。


 そんなある日、隣の空き家がやけに騒がしかった。柵の隙間から覗くと、そこにはあの夜の青年が美しい女性と笑い合いながら家具を運ぶ姿があった。ああ、これから私は日中、彼らの生活を見聞きすることになるのだ。私は絶望感が膨らむのを感じた。


 しかしもうここから出ることはできない。私は星のない空を見て、神がこの世にいないことを確信した。人間はどうせ、そんなことも知らない。

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夜の散歩 スヴェータ @sveta_ss

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