創造主と、魔法少女
――死闘の果てで、先に膝をついたのは『彼女』の方だった。
剣を取り落とし、反撃するための魔力も体力も、気力すらも底をついた様子の『彼女』。だが、それは梨々花も同じだった。体中が引き裂かれそうな痛みで悲鳴を上げている。
それでも梨々花は気力を振り絞り、1歩踏み出す。
体中が重たく、ずきずきと痛む。少しても気を抜けば力尽き、倒れてしまうだろう。身体を引きずるように歩みはとても緩慢で。
それでも1歩、また1歩と、『彼女』の元へと歩み寄る。
重たい身体はまるで、見えない鎖に縛られているようだった。それを引きちぎると言わんばかりの勢いで、身体ごと投げ出すかの如く梨々花は手を伸ばす。
視界はぼやけて、彼女の顔すらもよく見えない。
それでも『彼女』の瞳から目を離さない。
自身と『彼女』を取り巻く虚ろな世界を振り払うために、梨々花は叫ぶように呼び掛けた。
「――テッサ!」
その名を呼ばれた『彼女』――テッサははっとした表情で顔を上げた。
目の前には、勢いのままにつんのめりながらも必死に手を伸ばす、宿敵だったはずの少女。
戦いの傷で疲弊し、ボロボロになりながらなお、テッサを救おうとあがく梨々花の姿がそこにあった。
全ての力を振り絞った梨々花はよろけ、躱すことも押しとめることもできないテッサもろとも、地面へと倒れ込む。
命を奪う黒い一閃が2人をかすめたのは、その直後だった――
俺は秋葉原の町へ訪れていた。
秋葉原。アニメや漫画、ライトノベル、他にも、他にも……説明する必要すらない、言わずと知れたサブカルチャーの集う街だ。
今日は、待ちに待った本の発売日。
俺が、いや俺達が書き上げた小説。『マジカルハートリリカ』の最終巻が、世に出る日なのだ。
町へと降り立った俺は迷うことなく、駅前の大きなビルへと足を向ける。目的はライトノベルを扱っている店舗だ。
店舗に足を踏み入れながら、俺はあの日の事を思い出していた。
――夜の浜辺で互いに本心を吐露し、梨々花と、自らと向き合ったあの日。
夜明けの空を梨々花と共に、彼女の魔法で文字通り飛んで帰ってきた俺は、衝動に駆られたように作業へ取り掛かろうとした。梨々花はそんな俺を制止し、布団に寝かしつけたのだった。
俺を寝かしつける梨々花の姿が、その穏やかな微笑みが。
まるで母親のようだなと、ぼんやり考えているうちに意識があっという間に夢の中へと落ちていったのを覚えている。
目が覚めた後、梨々花はいなくなっていた。
まるで、最初から存在しなかったかのように。
梨々花の姿どころか、彼女が使っていた日用品の類も、全てなくなっていた。
夜が更けるまで、俺は梨々花を探し続けた。
捜索もむなしく、1人でくたくたに成り果てながら帰ってきた自室で、物書き机に置かれたノートの存在に気付く。
作品作りの手助けにと梨々花が書いてくれた、自身の経験を綴ったノートだ。
彼女がこの世界にいた痕跡全てが消えてなくなった中で、それだけが俺の部屋に置き去りになっていた。
ノートをめくると、ページいっぱいにびっしりと、整った手書きの文字が書き連ねられている。梨々花が見た光景が緻密に描写され、梨々花自身や出会った人々の感情が豊かに描かれている文章だ。
そのまま『マジカルハートリリカ』として出しても通用しそうなほどの完成度を誇る、彼女の作品。
一時は、筆を折る引鉄になりかけたその作品をぱらぱらとめくり、最後の1ページを開く。
テッサとの決着が付いた直後の場面を描いた、いや、描こうとして何度も書いては消してを繰り返したであろう跡が残ったページ。
この最後のページを梨々花がどういう思いで書き綴ろうとしていたのか……
俺はまた、泣いた。
ほんの少し前に、枯れ果てるほど涙を流したはずなのに、止まらなかった。
泣いて、泣いて泣きじゃくり。決意を新たにする。
梨々花の夢を叶え、俺の見たい世界を創るという、創造主としての決意だ。
その日、風見梨々花はこの世界から姿を消した。
あの世界で生き抜いた記録と、この世界で共に過ごした、俺の記憶だけを残して。
***
それからが大変だったなぁと、俺は感傷にふけっていた。
『マジカルハートリリカ』全ての原稿と、梨々花の残した記録を余すところなく読み直し、『テッサの名前』に繋がる描写を盛り込んでいく作業は困難ばかりだった。
後付けの描写でどこまでやれるかという不安もあった。
しかし、自分でも意外と思えるほど序盤から、テッサの生い立ちや取り巻く周囲の環境を描写してきたことがプラスに働いた。よくやったと過去の俺に言ってやりたい。
小さな可能性を拾い集め、梨々花の想いを纏め上げて。
たった1つの魔法をかけた『もしも』のストーリーとして『マジカルハートリリカ』を世に送り出す。
そう決心し、俺は戦い続けた。そして――
店舗の新刊コーナーで、俺は足を止めた。
平積みされた『マジカルハートリリカ』最終6巻を見つけて手に取る。
表紙には、背中合わせに並び立つ梨々花とテッサの姿。朗らかに笑う梨々花と、少し恥ずかし気味に微笑むテッサが描かれている。
巻かれた帯に書かれた『世界を救う、小さな魔法。』のキャッチコピーに少し気恥しくもなるも、俺は誇らしい気持ちでいっぱいだった。
俺は、ついに成し遂げたのだ。
最初のコンセプトから路線変更することなく、自身の見たかった世界を創りあげることができた。
結末だけを語れば、梨々花達は誰1人欠けることなく
もちろん、全てが万事上手くいくような安い展開になんかしていない。梨々花が断片的に語った悲劇や絶望もできうる限り盛り込んで、物語を構築したつもりだ。
とはいえ、意外性より王道をとった本作は物凄くウケた、とはならなかった。人気が低迷するところまでは行かなかったものの、良くも悪くも平凡な売り上げに落ち着いたのだった。
その点について編集は残念がってはいたが、それでも俺はこの路線で書いて良かったと思う。
ただ……人気作家の最新作や、アニメ化が決まった作品が大々的に展開される新作コーナーの中で、隅っこに追いやられている『マジカルハートリリカ』の単行本を見てしまうと、やっぱり少しだけ後悔はある。
「お、あったあった」
ぼんやり考え事をしていた俺の横を、学生らしき1人がすっと通り抜けて『マジカルハートリリカ』の単行本を手に取る。
妙に心臓が高鳴りそうになった。
俺はどうにか落ち着いた様相を保ちながら、ちらりと横目で彼の方を伺った。名も知らぬ彼は、梨々花とテッサが描かれた表紙をじっくりと眺めている。
そこに同年代とおぼしきもう1人がやってきて、本を手に取った彼に声を掛けた。
「それ? 今日発売するって言ってたラノベ」
「そうそう」
「『マジカルハートリリカ』ねぇ。アニメ化とかしてる奴?」
「そうだったら良かったんだけどねぇ……」
2人の話声を聞きながら、内心肩を落とす俺。期待に応えられなくて申し訳ない。
心の中でそう呟く作者が目の前にいるとはつゆ知らず、彼は明るい声色で言った。
「でも俺このラノベ、めっちゃ好きなんだよね」
さっきよりも大きな音で、心臓が高鳴った。
「そうまで言われると、ちょっと読んでみたくなってきたな。この銀髪キャラも気になるし」
「お、テッサ派か」
「お前はどっちの子が嫁なのさ?」
「断然、梨々花派。グッズとかあればいくらでも買うのになぁ……とりあえず1巻置いてるか探しに行こうぜ」
雑談しながら、店の奥の方へと向かっていく2人の顔を、結局最後まで見ることはできなかった。なんとか不自然にならないように、片手で顔を隠しながら声を聞くのが精いっぱいだった。
下手に顔を上げたら、いきなり人前で泣き出す変な奴と言われてしまいそうだったからだ。
その日の晩。
帰宅し、店で買ってきた『マジカルハートリリカ』最終巻を開く。発売前に1冊もらってはいたが、あんな心境になってしまっては買わざるを得ない。
本をぱらぱらとめくり、要所要所で描かれる挿絵を眺めながら俺は思いを馳せる。
俺は、梨々花の夢を叶える事ができたのだろうか。
結局、梨々花は『もしもの物語』を描いた俺の作品を見ることなく、いなくなってしまった。
梨々花がこっちの世界にやってきた方法も、突然去ってしまった理由も最後までわからずじまいだ。
梨々花は、元の世界に帰ったのだろうか。テッサも、アルクもシャルもいない世界で戦い続ける地獄に戻されてしまったのだろうか。それも、わからない。
俺は、梨々花に出会えたお陰で自らの本心と向き合うことができた。そして夢を叶えることが出来た。だけど、俺は梨々花に何か1つでも返せたのだろうか。
俺が創り上げたたったひとつの魔法は、梨々花の世界に届いたのだろうか。
めくるページも残り少なくなってきた。物語はエンドロールに差し掛かる。
エピローグとして俺は、物語の舞台から5年後――俺が出会った風見梨々花が、友達と過ごす日常を想像しながら、その断片を描いた。
テッサと共に入学した高校で、もうすぐ卒業が控える時期。これから先の未来を思い描く2人の語り合いで、『マジカルハートリリカ』は終幕となる。
最後のページをめくる。
そこには梨々花とテッサ、アルクとシャルの4人が揃って笑顔を見せるイラストが、柔らかい線で描かれている。
そして、書いた覚えのない文章が一言、添えられていた。
夢を創ってくれて、ありがとう。
創造主の代理人 七々銀 @NEXT
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