創造主と代理人 #5
――プロ作家を目指していた俺は、ネット上で話題になっている流行の作品や、投稿サイトのランキングで上位に入る小説を研究し、読者受けを狙った作品をひたすら書いていた。
人気を得るためには、流行に乗って注目されなければならない。そう思いながら書き続けてきた。だが、どれだけ書いても評価は伸びず、達成感も満足感も得られず……ただただ疲れ果てるだけだった。
そんなある日ふと、思いだしたのだ。
初めて手にしたライトノベルを夢中で読み、その読後に抱いた思いを。
好きな主人公が活躍する話を書きたい。何度見ても胸が躍り、感動するストーリーを、自分でも書いてみたい。好きなものを全部詰め込んだ世界を、描いてみたい。
そんな思いを胸に、書いていたあの日の事を。小説を書くのがとにかく楽しくて、いくらでも書き続けられたあの頃の思いを。
俺はプロットを作り始めていた。
読者受けも、流行も、全部投げ捨てて。自分の好きな要素を片っ端から詰め込んだストーリーを書き始めた。
作品作りに疲れ切っていたはずなのに、今までにないほど執筆に熱が入った。
そんな気まぐれで書き始めたその作品は、不思議なことに今まで書いたどの作品よりも人気が出て、初の書籍化までに至った。
それが『マジカルハートリリカ』という作品だった。
プロになって有名作家になりたい。
読む人みんなに認められたい。
無理だと言った奴らを見返してやりたい。
俺の思いはいつの間にか、そういった欲求ばかりに埋もれてしまっていた。
プロ作家を目指して歩き始めたこと自体は、今でも間違った選択だったとは思わない。ただ、その道を進んでいるうちに俺は、本心を忘れてしまっていた。
そんな俺の本心を『マジカルハートリリカ』という作品が、風見梨々花という少女が、丁寧に掘り起こし、思い出させてくれた。
大好きなキャラクターや、ストーリーを。自分自身の手で創り出したい。創り出すことが、楽しくてたまらない。
それこそが、小説を書き続けてこられた俺の本心だったんだ――
溜め込んでいた感情が涙となって流れ落ちて。俺の心を覆っていた昏い感情は洗い流されて、尽きる。
いい年をした大人が、人目もはばからずボロボロと涙を流している。そんな俺の様子を梨々花は笑いもせず、黙って見守ってくれている。
涙をやや乱暴に拭った俺の姿を見た梨々花が、頃合いと見たのかそっと俺から離れ、隣に座り直した。少し名残惜しかったが、いつまでも彼女に甘えるわけにもいかないだろう。
「ごめん、梨々花。迷惑ばっかりかけて、本当ごめん」
「そこは、ありがとうって言ってほしいな」
「……ああ、ごめ……いや、ありがとう」
「うん」
梨々花は穏やかに微笑んだ。その微笑みを見て、ちくりと心が痛んでしまう。
ついさっきまで自らの傷口を開き、嘆き苦しみを吐露した彼女の姿を見たばかりなのだ。それなのに、自分の傷や痛みはさっさと隠してしまい、俺の事を優しく励ましてくれた梨々花。
友達を失い、戦いに明け暮れていた梨々花は。常に自分より誰かを優先し続ける優しい彼女だから。自分のやりたい事を全部投げ出して、自分の心の叫びを無視し続けてでも。助けを求める全ての人を救おうと必死に飛び続けてきたのだろう。それはきっと、今も。
俺だけが、自分のやりたい事で満たされてもいいのだろうか。梨々花のやりたい事、望んでいる夢を少しでも叶える事はできないだろうか。
出来ることと言えば『マジカルハートリリカ』を書ききる事くらいだ。でも……
「でも、梨々花の経験してきた話、とてもじゃないけどそのままは書けない……いや、小説そのものを書きたくないってわけじゃなくてさ」
梨々花の言葉に絆されたからか、ぽろっと本音が出てしまった。梨々花を不安がらせてしまったかと思い、慌てて言い訳のような言葉を重ねてしまう。
ひと息置いて、自分を落ち着かせる。梨々花は穏やかな表情のまま、言葉を待ってくれている。
「やっぱり俺、主人公が報われる話が好きなんだよ。主人公やその友達、一緒に過ごした仲間たちが皆、笑顔でエンドロールを迎える作品が。『マジカルハートリリカ』だって、そういう話のつもりで書いてた……編集に言われはしたけど、正直言って路線変更したくないし、ましてや梨々花の辛い体験談を書きたいとも思わない」
だけど、といったん言葉を切る。この先を言うのは少し躊躇いがあった。
「……梨々花が見たい世界を書いてあげられればって最初は思った。でも、それだけじゃ何か違う気がするんだ」
都合のいい展開が起きて、テッサも皆も救われて、
それが俺のやりたい事なのだろうか? 多分、違う。
結末がハッピーエンドでも、全てが与えられた奇跡で出来上がった道筋ではあまりにも稚拙だ。絶望の世界を生きた梨々花達にとっても、そんなストーリーではあまりに失礼だろう。
俺の言葉に難しいねと、梨々花が相づちを打つ。
「どうすれば良いかなんて、わかんないよね……私も数えきれないくらい思ったよ。あの時どうすればよかったのかなって」
梨々花は水平線の向こうへと顔を向け、目線の先に手を伸ばしながら言う。
「あの時、迷わず手を伸ばしていたら……私もあの子も、変わっていたのかな」
あの時。聞くまでもなく、梨々花がテッサと最後に向き合った瞬間だろう。
書きかけの『マジカルハートリリカ』も、その場面からどう分岐するのかと決断を迫られている。
梨々花の実話や、編集の意見に従ってテッサを死なせるか。
梨々花の夢と、俺の見たい世界を創るためにテッサを生還させるか。
叶うのなら勿論後者を選びたいが、起きもしない奇跡に頼る安易なストーリー展開ではダメだ。これまでの話を無視した急展開、例えば仲間の救援が間に合ったとかの安易な話でテッサを生還させることができても、それはただの自己満足であり、ご都合主義でしかない。
ご都合主義になりすぎず、夢見た世界の扉を開く鍵はどこにある。
『あの時、迷わず手を伸ばしていたら……』
頭に引っかかるのは、梨々花の言葉。もしこの時、梨々花が躊躇わずに手を伸ばしたのなら、テッサが生還できたかもしれないと梨々花は言っていた。
運命の岐路でほんの一瞬、梨々花の心を縛った鎖。その呪いから梨々花を解き放つ魔法があれば。
その魔法で梨々花の行先を一から十まで示す必要はない。たったひとつで良い。その瞬間に、ひとつだけ奇跡を起こせる魔法があるとしたら。
1度だけでいい。創造主が、梨々花の世界に希望を与える魔法を使うのならば。
「梨々花」
俺は梨々花に声を掛ける。多分、今までで最も真剣に梨々花と向き合った瞬間だ。俺は梨々花の目をしっかりと見ながら、言葉を続ける。
「ひとつだけ……ひとつだけ過去を変えられるなら、梨々花はどうしたい?」
……しまった、あまりにも比喩的でわかりにくかったか。
そう思い慌てて説明しようと口を開きかけて、やめる。
梨々花はこれまで見せたことない真剣な表情で思案に耽り……そして呟いた。
「……あの子の、名前」
やがて梨々花は顔を上げ、彼女は欲していた奇跡を口にした。
「あの子がいなくなる前に……ううん。我がまま言うなら、最後の勝負が始まるより前に名前を知りたかった。戦いに決着がついて、あと少しであの子に手が届くってところでふっと『この子の名前もまだ知らないんだ』って浮かんで……最後の1歩が踏み出せなかったから、ね……」
伏し目がちに言う梨々花には悪いと思いつつ、俺は内心で高揚する。梨々花の夢と、俺の見たい世界に通ずる扉が開けられるかもしれない。そう思ったからだ。
「名前、か」
思えば、梨々花はテッサの名を口にすることを躊躇っている節があった。俺との会話でその名を知った後も、ずっと『あの子』呼びをしている。
それほどまでに、梨々花の中で『テッサの名前を知らなかった』事がトラウマになっていたのだろう。
テッサの名前。それが梨々花の望んだ奇跡であり、『マジカルハートリリカ』の世界に希望を与える魔法になりえる。
たったひとつ、奇跡を生み出せる魔法を創り出す。それが創造主である俺が、今の俺ができることだと、確信した。
「あ、もっとこう具体的にああしたかったとか、そういう方が良かったかな?」
「いや、十分だよ。ありがとう梨々花」
梨々花に心からの礼を述べ、続けて宣言するように俺は言った。
「……俺、頑張ってみるよ。俺が書きたかった『リリカ』のストーリーで、もう一度粘ってみる」
水平線の向こう側が明るくなってきた。朝日に照らされた梨々花の顔は嬉しそうで、とても眩しく見えた。
夜明けの海岸に海風が吹く。冷たいはずのその風は、俺の思いを後押しするように優しく感じられた。
明けない夜はない――そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
「主人公が報われないストーリーなんて、いやだもんな」
調子に乗って一言言って見たものの、流石に気取り過ぎたと少し恥かしくなってしまった。
夜明けをバックにヒロインに宣言するなんて、それこそ物語の主人公のようで。
そんな俺の思いを知ってか知らずか。
梨々花は微笑みながら、そして悪戯っぽく笑いながら言葉を返してきた。
「『主人公』に報われて欲しいのは、私も同じだからね。創造主さん?」
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