創造主と代理人 #4
密かに秘めていた辛い過去を吐露し、声を殺し静かに泣く梨々花を、俺はただ黙って見ている事しかできなかった。
今の今まで、梨々花がひた隠しにしていた真実に気付けなかった自分が情けない。俺が見てきた光景や彼女の言動に、いくつもヒントが提示されていたにも関わらず、だ。
やる気を失い、執筆活動のほとんど全てを梨々花任せにしていた自分が憎い。俺がきちんと熱意を持って執筆にかかっていれば、梨々花も俺を信用して、1人で抱え込むことなく秘めた思いを打ち明けてくれたかもしれない。
後悔と自己嫌悪が、胸の中で延々と渦巻いていた。
梨々花のすすり泣く声は収まり、波の音だけが空間を支配していた。
何か言わなければ……と焦りが生まれる。そもそも、自らの不甲斐なさを謝罪するためにここに来たのだ。けど……
梨々花は何も言わない。俺も何も言えないでいる。時間ばかりが過ぎていく。
「……梨々花の書いてくれた話、毎回すごくてさ」
目線は足元に落としたまま、俺は話し始めた。腹を括ったというよりは、長い沈黙に耐えられなくなってようやく、といったところだ。
「梨々花は俺なんかよりずっと上手くて。勝てる要素なんてひとつもなくって……それで、ずっとやる気なくしてたんだ……俺なんかが書かなくても、梨々花が書いてくれるならそれでいいんじゃないか、って……梨々花がどう生きてきたのか、どういう思いで作品を書いているのかも、全然気づかなかったくせしてさ」
俺の言葉を、梨々花は黙って聞いている。その無言の裏に、どのような感情を隠しているのだろう。必死に書いていた梨々花に対して、やる気がありませんでした。なんてのたまう俺を軽蔑しているかもしれない。
並べ立てようとしている言葉は梨々花に対する謝罪なのか、許しを請うための懇願なのか。自分でもわからない。そんな大層な意味なんてない。
ただの我が儘なのかもしれない。
「作者気取りのくせして、梨々花の世界を創るのを諦めて、全部梨々花に任せきりで……その上、編集に言われたからじゃあテッサを死なせます、なんてことまで言ってさ……作者の俺がそんなだから、梨々花の世界がめちゃくちゃになったのかもしれないな……」
半ば吐き捨てるように、自身の抱く後ろめたさを言葉にする。
小説の『マジカルハートリリカ』と梨々花がいた世界の間で、どれだけ因果関係があるのかはわからない。だけど。
編集に言われるがままに、読者受けを狙うためだけにあっさりとストーリーを変えようとしてしまった俺の弱さが。
自分より梨々花の方が遥かに上手く小説を書ける、そんな理由で世界を創ることを投げ出した俺の身勝手さが。
梨々花の世界を、恐怖と絶望が支配する世界に変えてしまったのかもしれない。
俺1人がきっかけで、ひとつの世界が変わってしまった。そんな突拍子もない話、1年前の俺なら空想だと笑い飛ばしていただろう。
だが、目の前にいる梨々花の存在が。俺が変えてしまったであろう世界の被害者が今ここにいる。ありえないはずの空想を肯定するには十分すぎた。
「俺だって、『リリカ』の話を、誰も幸せになれないバッドエンドになんかしたくない。したくないけど……編集から路線変更するように言われた以上、今書いてるストーリーじゃダメだ。ストーリーを変えたくないなら、編集を納得させるくらい面白くないとダメだ……けど……俺の実力なんかじゃ、それほどの作品なんて、書けるわけない……」
今更こんなことを言っても、言い訳じみてるだろうか。それでも俺は、自分の思いを吐き出さずにはいられなかった。
呪詛のように言葉を絞り出し、俺は項垂れる。梨々花は最後まで沈黙を保ったまま、俺の言葉を聞いてくれてはいた。
彼女はどう思っているだろうか。救いのない世界を創り出した相手を前に、負の感情を抱いているのだろうか。それとも、自ら決めてやり始めた事すら投げ出してしまう、弱い人間を見て呆れてしまっているのだろうか。
俺は梨々花の言葉を待っていた。情けないことに、それ以上の事ができなかった。言い渡される判決を待つ被告人ってのは、こんな気分なんだろうか。梨々花から言い渡される判決は、間違いなく俺を否定する言葉だ。俺が夢見て想像し、創造した彼女からは最も聞きたくない言葉だ。
だけど、いっそのこと、梨々花に嫌われてしまった方が良いのかもしれない。
引っ叩かれて、思いつく限りの叱責を浴びて、俺の元から立ち去った方が互いの為なのかもしれない。
夢を追うことで、これ以上誰かに迷惑をかけてしまわないように。もう一度小説を書きたいだなんて、思えなくなるほど叩きのめして欲しい。中途半端に引きずり続けるくらいなら、彼女の手で、作家としての俺の人生を終わらせてほしい。そんな願望すら抱きはじめていた。
波の音だけが響く中、梨々花の心境を勝手に想像し続け、延々と自らを追い込んでいた。海から吹く風が身に刺さり、冷たく感じる。その冷たさは、梨々花の感情を代弁しているように思えた。
永遠とも思われる時間の果てに、梨々花が口を開いた。
「……私ね、創造主さんが書いた『マジカルハートリリカ』を初めて読んだ時、泣いちゃったんだ」
思いがけないほど穏やかな言葉を聞いた俺は、反射的に顔を上げる。目の前には負の感情も、呆れの表情もない、優しく微笑んでいる梨々花の姿があった。
こんなことあるわけがない、と思った。
憧れの女の子から、自分にとって心地の良い言葉以外は聞きたくない。そんな自分勝手な思いが、都合のいい夢を見せているだけだ。夢の中の梨々花が、聞き心地の良い言葉を口にしているだけだ。
そう自分に言い聞かせようとしていたが、そんな心の声より遥かに大きくはっきりと、梨々花の言葉が胸に響いた。
「『マジカルハートリリカ』は、私が経験してきた出来事そのもののお話だった。だけど、起こった出来事をただそのまま書いてるだけじゃない。お話だからっていうごまかしとか、誇張とかも全然なくって。真っ直ぐに、真剣に描かれた私たちの想いが、そこにはあった」
唐突に、冷たくなっていた手に暖かい感触が伝わってきた。手元に目をやると、梨々花の手が覆うように包み込んでいた。思わずドキリとしてしまう。
握られた手の感触とぬくもりはまるで、「これは夢じゃないよ」と梨々花が伝えてきているようだった。
悪い夢から引き戻された俺に向けて、梨々花が言葉を続ける。
「シャルちゃんにアルクさん、それからあの子……テッサがきっと、思っていたこと。それに……私がみんなに伝えかった言葉が、この小説で描かれてるってわかったら……涙が止まらなくなっちゃった」
言いながら梨々花は少し涙ぐむ。その顔は先ほどとは打って変わり、微笑みを讃えたままで。
「物語の行きつく先が、私の見てきた出来事と同じだとしても……それでもこの小説を、創造主さんが描いたストーリーを、最後まで見届けたい。そう思ったからあの日、決めたんだ。創造主さんが目覚める日まで、創造主さんの作品の灯りが途絶えないように、ね」
俺のフリをして過ごすのは大変だったし、まさか自分が執筆までするとは思わなかったけどねと、梨々花は少し照れ臭そうに言った。
梨々花の言葉が、暗く閉ざされていた心に少しずつ、染み入ってくる。俺の心を占めていた嫌悪感はいつの間にか消え、嬉しさがこみ上げてきていた。
梨々花の文章や、数多の人気小説とも比べて拙い出来でしかない、俺の作品に心を動かされたと。こうあって欲しいと想像し、自分が書きたいと思ったことを書いていただけの作品が――いや、余計なしがらみに捕らわれず、純粋に描きたい物を書いた作品だからこそ、梨々花をここまで動かしたのかもしれない。
そして――梨々花は一息ついて言った。
「私は、創造主さんが書いてくれた『マジカルハートリリカ』が、大好きだよ」
無意識のうちに、俺は涙をこぼしていた。
……俺は、誰かに認めてもらいたかっただけなのかもしれない。
無理に飾らなくていい。自分に嘘をつく必要もない。自分の本心に従っていいと。
好きなように生きていいと。
そうやって生まれた、俺自身が心の底から『好き』と言える作品。その作品を、そんな作品だからこそ誰かに『好き』だと言ってほしかった。
単に、それだけのことだったんだ。
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