創造主と代理人 #3

 俺の住む住宅街から少し離れたところにある、海岸。梨々花はそこにいた。もしや、と思いここまでやってきたが、大正解だったようだ。


 梨々花は辛いことがあった時や、悩んだ時は海の見える場所へと赴き、空と海を眺めながら解決策を導き出す。

 作中でそう描写した事を思い出し、ダメ元で近くにある海までやってきた。近くと言っても、俺の住む部屋から全力で走って1時間以上かかってしまったが……


 道中、何度も不安はよぎった。梨々花が本当に海へ行ったという確証はない。梨々花の行先が海だとしても、それが近場である保証もない。彼女は魔法を使い、海のある遠くの場所まで飛んで行くことだってできるのだ。この海岸で彼女を見つけられなかったら、完全に手がかりがなくなってしまう。俺の前から梨々花が本当にいなくなってしまう。そんな不安をかき消すように、俺はがむしゃらに夜の町を走っていた。


 梨々花は砂浜に座り込み、1人夜の海を眺めていた。

 俺の位置からはその表情を見ることはできない。梨々花のすぐそばまで進もうとしたが、砂浜に足を踏み入れた途端バランスを崩してしまい、そのまま倒れ込んでしまった。


 「創造主さん……!」


 梨々花は驚いた表情で立ち上がり、こちらに駆け寄ってくる。俺はすぐにでも起き上がり、何か言わねばと口を動かしたが、体は動かなければ声も出なかった。それもそうだ。普段まともに運動してない体で1時間も走り続けていたのだ。息も切れ切れで、全身ががくがく震えている。なんとか体をねじり、あおむけで大の字になるのが精いっぱいだった。駆け寄ってきた彼女は俺の隣にしゃがみ、心配そうな顔で俺の顔をのぞきこむ。

 梨々花は何も言わなかった。ぜいぜいと息を切らし、何かを答えたくても答えられない俺を気遣ってくれたのだろうか。梨々花が心配で飛び出してきたのに、逆に心配させてしまった。そんな自分が情けない。

 

 しばしの間、静かに波打つ海の音だけが響く。俺が落ち着くまで、梨々花は何も言わなかったし、彼女の親切心に甘えて、俺も息が整うまで言葉を控えた。

 目に映る梨々花の顔は、無理をした俺を心配しているようにも、無茶な行動を嗜めているようにも見える。

 梨々花はいつも、俺を気遣ってくれた。『マジカルハートリリカ』の作中でもそうだ。誰かのためになりたいと願い、助けを求める人たちの為に生きている。その行動が彼女自身の感情を無視し、彼女の心身を犠牲にする選択であったとしても、梨々花は迷わずその選択肢を選ぶ。

 そんなキャラクターとして梨々花を描いたのは、俺だ。そのせいで今、彼女が苦しんでいるとしたら、それは俺の責任だ。

 俺は彼女に謝らなければならない。いや、謝罪してどうにかなるものだろうか。俺が定めてしまった彼女の生き方を、今更変えることができるだろうか……

 考えはまとまらなかったが、ここまで来た以上、梨々花ときちんと話をしなければいけない。それだけは間違いない。

 そこまで考えて、ようやく呼吸が落ち着いてきた俺は体を起こし、梨々花の隣に座り直す。


 「ここにいるって、よくわかったね……流石、創造主さん」

 「……たまたま、自分で描いた描写を思い出しただけだよ……それに、今の梨々花が同じ行動をする確信もなかったし……」

 「やっぱり創造主さんには全部お見通し、だったのかなぁ」


 若干おどけるような口調で言う梨々花。その胸元で揺れる、赤いロザリオが目に入る。改めてロザリオを見ると、あの真っ赤な剣――初めて出会ったあの時、梨々花が手にしていた剣であり、そして俺が、テッサの使う武器としてイメージしていたものだ――をそのまま小さくしたような形をしていた。

 やはり見間違いじゃない。あの時、確かに梨々花は、かつてテッサが使っていた剣を手に魔黒マゴクと戦い続けていたのだ。疑念が確信に変わりつつあった。

 梨々花の真意を確かめるために、そして彼女に謝罪するために俺は口を開こうとして―― 


 「……ごめんなさい」


 梨々花の突然の謝罪に、俺は面食らった。謝るつもりでここに来て、いざその話を切り出そうとしていたのに、何故か立場が逆になっている。そんな俺の気持ちに気付いているのかいないのか、梨々花は言葉を続ける。


 「今日、直してくれって言われたところ……戦いが終わって、倒れたあの子を保護して、それからきちんとお話をして、名前を呼びあって……って所。本当はそんな綺麗な話なんかじゃ、ないんだ」

 

 ……やはりか、と頭の片隅で思った。

 あの時梨々花は、テッサの使っていた真っ赤な剣を手に、魔黒マゴクと戦っていた。

 その光景の持つ意味が、俺の思ったとおりなら。その先の言葉は、梨々花の生きてきた世界は。

 梨々花はためらう様にしばし逡巡し……意を決したように俺と向き合い、口を開いた。



 ――死闘の果てで、先に膝をついたのは『彼女』の方だった。


 剣を取り落とし、反撃するための魔力も体力も、気力すらも底をついた様子の『彼女』。だが、それは梨々花も同じだった。体中が引き裂かれそうな痛みで悲鳴を上げている。

 それでも梨々花は気力を振り絞り、1歩踏み出す。

 体中が重たく、ずきずきと痛む。少しても気を抜けば力尽き、倒れてしまうだろう。身体を引きずるように歩みはとても緩慢で。それでも1歩、また1歩と、『彼女』の元へと歩み寄る。

 視界はぼやけて、彼女の顔すらもよく見えない。それでも『彼女』の瞳から目を離さない。


 長い時間をかけ、『彼女』の目の前までたどり着いた梨々花。互いに手を伸ばすことができれば、もう届く距離だ。

 手を伸ばそうとした瞬間、ある思いが頭をよぎる。


 私、この子の名前すら、まだ知らないんだ。

 

 『彼女』の目の前で、何も出来ずに立ち尽くす梨々花。しこりのように抱えていた思いは、梨々花を躊躇わせるには十分すぎた。

 そのわずかな躊躇いが、二人の運命を狂わせた――



 「……私はあの子を救えなかった。友達になるどころか、名前すらも聞けなかった」 


 赤いロザリオを握りしめ、声を震わせながら、梨々花は言った。


 『戦えなくなったテッサを用済みと判断した、敵側の誰かから奇襲を受けたとか、そんな感じにすれば良い』

 

 俺が軽い口調で提案した『リリカ』の修正案。それこそがまさに、梨々花が経験した本当の出来事だった。


 「それから戦いが激しくなって、みんな傷つきながらも戦いつづけて……シャルちゃんは心が壊れて、魔黒マゴクみたいな化け物になっちゃった。暴走するシャルちゃんを止めに行ったアルクさんも、それきり帰ってこなかった。みんないなくなってからも、私は1人で戦い続けてた。でも、どれだけ戦い続けても、数え切れないほど沢山の魔黒マゴクを倒しても……魔黒マゴクの脅威はなくならなかった」


 そのまま一息に、梨々花はその後を語る。言葉という水が無秩序に溢れ出す、決壊してしまった河川のようだった。テッサの件をきっかけに、溜め込んでいた思いを抱えきれなくなってしまったのかもしれない。

 しかしながら、梨々花の口調は終始淡々としていた。自身の経験を語っているのではない、誰かから手渡された文章を機械的に読み上げているようだ。こんなのは自分の生きた世界じゃないと、拒絶しようとしているかのように。


 ……梨々花の事を何もわかっていなかったと、俺は改めて思い知らされる。

 梨々花は、俺の創った『マジカルハートリリカ』の世界からやってきた。だから俺が考えていた結末通り、誰1人欠けることなく戦いを終え、平和になった世界でテッサ達と共に笑顔で生きているものだと漫然と考えていた。

 大人になってなお、魔黒マゴクと激しい戦いを繰り広げる彼女。俺が最初に見た梨々花の姿が、俺の夢見た結末を否定している。

 思えば、事実は最初に出会った時点で突きつけられていたのだ。


 梨々花は、俺の書いた小説の世界からやってきた、理想のヒロインなのだから。その生きてきた世界も、俺の思い描く通りであって欲しかった。そう思うのは、やはり傲慢なんだろうか……


 「……私が本当に見て、経験したのは、そういう話」


 あまりにも残酷な、本当の出来事を。彼女の心に溜まった淀みを絞り出すように語りつくした梨々花はひと息置き、さらに言葉を続けた。


 「……書き始める前に、きちんと話すべきだったよね……でも、創造主さんが話してくれた話が……あの子と友達になるって言う話が、すごく嬉しくて、それで、迷っちゃって……」


 その口調は、自らの過去を語っていたときより暗く、沈んでいた。


 「私とあの子が友達になるって話してる時の創造主さん、すごく楽しそうだったから、余計に言えなくなっちゃって……何より私が、お話の中の私だけでも幸せになれるなら、それもいいかなって……ずっと嫌な現実を見てきたから……少しくらい……夢を見てもいいかな……なんて……思っちゃって……」


 悪戯がばれた子供が言い訳を並べるように、梨々花は言葉を紡いでいく。彼女のその目から、涙がひとつ零れた。


 「本当は、嫌なだけだった……目の前で、あの子が殺されるところなんて、書きたくなかった……戦いが激しくなって、みんなが次々いなくなった事なんて、思い出したくもなかった……」


 ひとつ、ふたつ、とめどなく涙が零れ、流れる。


「誰も守ることができない、無力な自分が、嫌で嫌で溜まらなかった……」


 彼女の言葉はやがて小さくなり、消えていき。すすり泣く梨々花の嗚咽だけが、夜の海に響いていた。

 そんな梨々花を、俺はただ黙って見ている事しかできなかった。

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