創造主と代理人 #2

 思い描いていた理想の女の子が俺を慕い、一緒に暮らしてくれる最高の生活と。

 無力さを突きつけられ、日に日に活力を失っていく創作者としては最悪の環境。 

 天国と地獄の間を彷徨うような生活が続いた。



 その日は定期的に行われる編集部との打ち合わせがあった。最初は俺の姿に変身した梨々花が打ち合わせに行っていたが、俺が目を覚ましてからは、自分で行っている。作品制作じゃ何も役に立たない俺では、それくらいしかやることがない。


 そして、その日の晩も食事をしながら、打ち合わせについて梨々花と話し合うつもりだった。

 だが、今日は食事が終わるまで一言もその内容を伝えることができなかった。

 話を切り出せない俺だったが、梨々花は急かすことなく、他愛ない話をして空気を和ませてくれた。そんな彼女の優しさが、逆に俺の心を重くしていった。


 俺は食器を片付けながら、今日の打ち合わせを思い返していた。

 今回編集に提示したのは『マジカルハートリリカ』3巻の終盤、テッサとの決戦。

 


 ――魔剣を操り、強大な戦闘力で梨々花たちを圧倒し続けてきたテッサに対し、梨々花は風の魔法を最大限生かした様々な技で対抗する。

 しかし、テッサの振るう「力」は梨々花の「技」を全く寄せ付けない。次第に追い込まれた梨々花は、最後の切り札を使う決心をする。


 梨々花は風を自身の体にまとわせ、テッサに突撃する。まとった風は身を守る鎧としての役割もあったが、それだけではない。

 梨々花は凄まじい勢いで突撃し、そのままの勢いで殴りつける。突然梨々花が発揮した圧倒的なスピードとパワーに気おされるテッサ。

 梨々花の切り札。それは梨々花自身の動き、その一挙手一投足の全てを、まとった風で大幅に加速させることで、梨々花の限界を遥かに超えた戦闘を可能にする。だが、それはテッサ以上の身体能力と引き換えに、限界以上に酷使された体は絶えず損傷を受け続け、下手をすれば命取りにすらなりえる危険で無茶な戦い方だった。

 

 梨々花の命を賭した猛攻を前に流石のテッサも耐え切れず、ついには剣を取り落とし、膝をつく――



 梨々花が小説の形で記した、自身の壮絶な戦いの記憶。その戦いは物語として大いに盛り上がるものであり、彼女が描いたその描写も文句なしの出来栄えだった。

 問題は、この後の展開だった。

 

 食器を全て洗い終わり、ついでに流し台の掃除も済ませ、他にやることはないかと見回す。ゴミも片付けた。食後のお茶は今、梨々花が淹れている。やれることが何もないと認識した俺は諦めたように、一息つく。

 そうまでしてようやく俺は口を開いた。ただ、目線は空の流し台に向けたままだ。梨々花の反応を伺うのが、怖かった。それでも言うしかない。


 「梨々花、3巻の終盤の展開についてなんだけど……」

 「うん、なあに?」

 「梨々花がテッサと戦って決着がついたあと、その……」


 梨々花はお茶を淹れながら、明るく返事をする。そんな梨々花に申し訳ないと思いつつ、俺は話を続けた。


 「テッサを、死なせる展開には、できないかな?」


 空気が凍り付いた感じがした。


 そうなるのは最初からわかっていた。

 梨々花からの返答はない。流し台を見ながら話す俺にはその表情も見えない。いや、わざと見ないようにして、彼女の反応から目をそらしている。

 吐き出すように、俺は言葉を続けた。


 「……いや、もちろん梨々花が手を下すとか、戦いのダメージで、とかじゃなくていいんだ。戦えなくなったテッサを用済みと判断した、敵側の誰かから奇襲を受けたとか、そんな感じにすれば良い」

 「……」


 梨々花は答えない。


 「……編集に言われちゃってさ。求められてるのは王道より意外性だって。ありきたりの展開より、アッと言わせるショッキングな出来事の方が、受けがいいし話題性もあるからさ」

 「……」

 「それにほら、今流行ってるらしいんだ。次々と襲い掛かる不幸や変えられない運命に翻弄され、傷だらけになりながらあがきもがくヒロイン像とか」

 「もう、いいよ」


 言い訳のように並べ立てる俺の言葉を遮るように、梨々花は一言だけ、はっきりと言った。

 口調こそ、普段のそれと同じだった。子供を優しく制するようないつもの口調。それなのに、梨々花の口から出たとは思えないほど、冷たく突き放した言葉のように聞こえた。


 「……ごめん」

 「……なんで、謝るの?」

 「俺のせいだ。俺がちゃんと、先の展開をきちんと考えて、面白い話を書けてれば、構想を捻じ曲げることもなかったんだ」

 

 俺の声は次第に震えていた。俺だってこんな展開は書きたくない。書きたくないというよりは、書けるわけがないという無力さの表れだったのかもしれない。


 「テッサの死」という、今まで構想になかった要素を入れた『マジカルハートリリカ』のストーリーは、梨々花の生きてきた経験と大きく離れていくことになる。

 今日まで、梨々花の生きた記憶と経験という、ある種の裏技じみた手段を用いて小説を書き続けてきた。いや、今の俺自身はあまり書いていないのだが……その裏技がもう使えないとなると、俺自身の構想と筆力で続きを書かなければならない。


 梨々花が語る『マジカルハートリリカ』以上に、読者受けする話を創る自信は全くなかった。

 俺がもっとちゃんと書けてれば……俺がダメだったせいで、梨々花の不安を余計に煽ってしまった……後悔と自己嫌悪が、頭の中を渦巻く。


 ふいに、ぽんと。震える肩に手が置かれる。顔を上げると、そばに梨々花がいた。

 不安にさせまいという優しさからか、梨々花は優しく微笑んでいた。だけどその笑顔は、ぎこちない作り笑顔に見える。

 微笑みながら俺の顔を覗き込む梨々花だったが、ふいに目線を下に逸らし、か細い声で呟いた。


 「、うすうす思ってた」

 

 ……え?

 

 「考えをまとめたいから、ちょっと散歩してくるね」


 俺が言葉を返すより先に、梨々花は肩から手を放し、振り返ってしまった。一瞬、泣いてるように見えたのは気のせいだろうか。

 そして梨々花は、身支度もそこそこに部屋を出ていった。



 夜が更けて、日付が変わっても、梨々花は帰ってこなかった。もしかしたらもう、彼女は帰ってこないかもしれない。そんな風にすら思えた。

 梨々花がいない間、俺は自分を責め続ける事しかできなかった。


 思えば俺は、梨々花にずっと頼りっぱなしだった。家事も、小説の執筆も。いつの間にか全部頼りっきりだ。

 それどころか、俺が黒呪こくじゅの後遺症で寝たきりの時から、梨々花はずっと俺の面倒を見続けてくれているのだ。

 

 俺が眠り続けていた間はどうしていたのかと、梨々花に聞いたことがある。

 『マジカルハートリリカ』が書籍化し、売り上げとしてまとまった額の金はもらっていたはずなのに、梨々花は一切それに手を着けず、アルバイトで生計を立てていたという。

 1年もの間、慣れない世界で仕事と執筆、俺の看病。

 たいしたことないよ、と梨々花は笑いながら語ったが、それが口で言うほど簡単ではないのは誰だってわかることだ。

 そうまでして尽くしてくれた梨々花に、俺は少しでも何かを返せただろうか。


 梨々花だって、元の世界に帰れるかどうかとか、家族や友達と会えない寂しさとか、色々な感情を抱えていたはずだ。

 自分の不安を押し殺してまで、俺に笑顔で付き合ってくれている。そんな梨々花の善意に対して、気付かないうちに仇を返していたのかもしれない。

 自責と後悔の念しか、頭に浮かばなかった。


 「……家族や友達、か」


 疎遠になって久しい家族と、表面上の付き合いだけの知人くらいしかいない俺と違って、梨々花には親しい家族がいる。仲の良い友達だってたくさんいるはずだ。

 戦いを通じて、大切な友達の一人になっているはずのテッサを、創作上とはいえ死なせろだなんて、無神経にもほどがある発言だった。


 テッサ。当然彼女に会ったことはないが、その姿は鮮明に思い描くことができる。

 黒い魔導服に身を包んだ、腰まで届く長い銀髪と赤い瞳を持つ、梨々花とさして年齢の変わらない彼女。

 真っ赤な剣を手に、幾度となく梨々花たちの前に立ちふさがり、圧倒してきた彼女。その表情は常に冷たく、人形のような印象を見る人に与える少女だった。

 明るく朗らかな梨々花と対称的に、冷たくミステリアスな雰囲気のテッサ。

 作者の俺自身も、梨々花と同じくらい気に入っているキャラクターだ。


 梨々花とは対称的な、テッサ。

 その言葉が頭に浮かんだ時、一つの光景がフラッシュバックした。


 ――初めて梨々花と会った時。

 魔黒マゴクに襲われ、意識が朦朧としながらも必死に梨々花の姿を目に焼き付けようともがいていたあの日。

 俺の脳裏に焼き付いた梨々花は、剣を携えていた。

 自身がまとう青い風とは対称的な、――


 「あの時の剣って、まさか!」

 

 唐突に俺は叫んでいた。俺はまたも後悔する。なんでもっと早く気付かなかった。

 次々と光景が頭に浮かぶ。

 

 真っ赤な剣を手に、壮絶な戦いを繰り広げる梨々花の姿。 

 梨々花がペンダントと一緒に身に着けている、赤いロザリオ。

 俺が初めて、テッサの事を口にした時の梨々花の反応。

 テッサとの決着を描くのに乗り気でなかった梨々花。

 

 そして、つい先ほど彼女が呟いた一言。

 


 ここまでヒントを提示されてから、ようやく気付いただなんて。

 創造主さん、と慕われるうちに梨々花のことを全部知り尽くしていた気になっていた。だけど、本当に大事な事には気付かないでいた。

 というか、創造主だとか言う以前に。漫画やアニメ、ライトノベルを何本も見て読んで、数多くの作品を嗜んでいる奴なら、最初に梨々花の姿を見た時点で気付けたはずだ。


 主人公が、ライバルキャラの使っていた武器を手に、敵と戦っている。

 それが意味することなんて、それこそ王道中の王道じゃないか!

 

 「こんなんじゃ本当に、小説家失格だ!」

 

 考えるより先に体が動いていた。俺は部屋を飛び出し、夜の町へと駆け出した。

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