第2話 なみだと魔法
『なみだと魔法』
―――少年は孤独だった。
それは、孤独という言葉の意味すらわからないほどに。
―――少女は正しさを愛していた。
でも、正しさは彼女を愛さない。
だから、彼女はいつも傷だらけだった。
*
早朝の路地裏。その静けさはなんだか世界が寝息を立てているようでもあった。
僕はしかたなく、ゴミ箱を漁る。不法投棄された廃棄物集めで稼いでいたはした金みたいな貯金も、ついに底を尽きた。どうやら最近は、行政もまともにごみさらいを始めたようだ。
昨夜はスリにも失敗し、自販機の裏に隠れていた小銭たちも笑ってしまうほど少なく、最後の手段として、ホームレス仲間の爺さんに食い物を分けちゃくれないかと懇願しようとしたのだが、その霞んでしまいそうなほどに衰弱していた彼の姿を目の当たりにしては、「おやすみ、あったかくして寝なよ」と、腹の鳴る音を挨拶で誤魔化すことくらいしか出来なかった。
そんなことを思い返しながら、生ごみの詰まった袋を地面にぶちまけ、比較的まともなものを探す。……相変わらず、背後にまとわり付くカラスが鬱陶しい。
……あった。腐りかけのリンゴ……朝食には十分だろう。
リードがそれにむしゃぶりついていると、背後から突然声が聞こえた。
「……ごはん、ないの…?」
少し怯えながら振り返る。誰なんだお前は。まじまじと声の主を観察する。
――年歳は……僕と同じくらいだろうか?
青い瞳に金色の髪の毛をした少女。よく整ったその顔立ちは、美しいというよりも、可愛かった。飾っておくよりは、守りたくなるような。
美しいものは、触れたら壊れてしまいそうで不安になる。けれど彼女には、そんな儚さはない。だからというわけじゃないが、なぜだか警戒心を抱けなかった。生物としては、大ピンチだ。
「じゃあ、ウチにおいでよ。ほら、立って。はやくしないとあのひとがきちゃうから――」
――あのひと?
考えるまもなく、彼女に手を引かれるがまま、路地裏を縫うように走った。2分と経たずにとあるアパートの前へと出てきた。
走ったとはいえ、そこまで長い距離でもない。けれど……隣の少女はやけに呼吸が荒かった。
ヒュウヒュウと風を切るような呼吸音。苦しげな表情と額の脂汗。
「おまえ……病気なんじゃ……。しかも、なんか……追われてるんだろ…?」
なんでわざわざ僕なんか――。そう言葉を続けようとした。
しかし、彼女は僕の声を、台詞を、思考を、先回りした。
喘鳴をこぼしながらも、絶え絶えに少女は言葉を紡いだ。
「だって……きみが、助けを求める顔をしてたから」
そんな、まるでヒーローみたいなことを言うと、彼女は苦しそうにするでもなく、僕に柔らかな笑みを向けてくれた。
――――悪意もなく笑いかけてもらうなんて、本当にひさびさだった。
その衝撃で、先ほどの会話の違和感なんかは脳裏から姿を消してしまった。
「……わけが、わからないよ」
つられて、僕も表情が緩んでしまう。慣れない笑みなんて浮かべたものだから、頬がぴくぴくと震えて、すこし恥ずかしかった。
そんなふうにして、エルザとの日々は始まった。
――悲劇のはじまりはきっと、幸せに満ちている。
だったら僕たちは、それを享受しよう。きつく抱きしめて、二度と手放すものかと、それに顔をうずめよう。
見事に悲劇を演じきって、幕の下りるときには。
幸せの代わりに何かひとつでも、つかんでいられるように。
*
「できたよー。ほら、ぼんやりしてないでそこのお皿とって!」
「あ、ご、ごめん。えっと……これ?」
「ん。……なにか、考え事…?」
エルザは手馴れた様子で器用にフライパンを裏返し、真っ白なお皿に綺麗にオムレツを盛り付けながら語りかけてくる。
僕に家族はいないけれど、姉がいたらこんな感じなのかな、と、ごく自然な妄想をした。
「いや……なんていうか、うまく言えないんだけど……」
「……けど?」
「こんなに……こんなに、しあわせでいいのかな」
「ふふっ、泣くほど私と暮らすのが嬉しいの?まったく愛いやつめっ……!」
「……あ、いや、これは勝手に――」
「冗談だよ。ほらほら、はやくしないとオムレツが冷めちゃう」
彼女に急かされるまま、椅子へと腰掛ける。テーブルの上にはトーストにオムレツにミニトマトに牛乳に……。なんだか目が眩みそうだ。生ごみを漁っていた僕にとっては、紛れもなくごちそうだ。
エルザも向かいに座ると、両の指を絡ませ祈るように目を閉じた。僕もそれに倣ってみたけれど、途中でお腹が鳴ってしまった。エルザはゆっくりと目を開くと、くすり、と笑った。
「じゃあ、食べよっか。だれかさんのおなかはもうげんかいみたいだしね」
エルザは結構いじわるだな、とおもった。もっとも、その根底に悪意などは垣間も見えないけれど。
……エルザのオムレツは、涙が止まらなくなるくらい美味しかった。
たいていの美味しいものは食べるとおかわりがほしくなるけれど、これはまったくの逆だった。一口食べるごとに、満たされていく。お腹よりもこころが。これは愛情や施しの類に飢えた僕の錯覚ではないと、エルザと暮らしていくうちに確信した。
まったく、魔法みたいな料理だった。
そのことを彼女に伝えると、なぜか淋しそうに笑ってこう言った。
「だって私、魔法使いだからね」
なんだか今日の僕は泣いてばかりいる。
君が魔法使いなら、涙くらい消してくれたっていいのに。
「――涙は、そんなに悪いものじゃないよ。……感情の証みたいなもので、ほら、今だって。
私たちの幸せを、証明し続けてくれてる。目には見えないものを、ここにちゃんとあるよ、って」
「……っ!?」
――今度こそ、はっきりと。
彼女の魔法が、エルザはふつうではないのだ、と。
優しく諭すように、教えてくれた。
終焉のエルザリード 夜々 @vanirain_3
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