『巧言令色鮮し仁』
桝屋千夏
『巧言令色鮮し仁』
「主よ、罪深き私を御赦しください」
静まり返った教会。
皆が寝静まった夜の帳に雷雨が轟く。
一人のシスターが、聖像の前に膝まづき祈りを捧げる。
首に下げた大きな十字架を外すと、静かに床に置いた。
「主よ、私は罪を犯しました」
まっすぐに聖像を見据える。
「私は人を恨み、疑ってしまったのです。この気持ちを抱いた以上、もう主にお仕えすることはできません」
目を閉じ、ゆっくりと語りだした。
「私は自らの半生を省み、一つの物語を書きました。最初は書いて、自分で読み返すだけで満足していたのですが、そのうちたくさんの人に見てもらいたいと思うようになりました。そして私は思いきってこれらの作品を小説投稿サイトに投稿してみたのです」
稲光を追いかけるように、遠くで雷の音が聞こえる。
「最初のうちは、誰も読んでくれず悲しい日々が続きました。ですが、何作か投稿しているうちに数人の方が読んでくださったのです。感想や応援のコメントをくださる方や評価をしてくださる方もいらっしゃいました。私は嬉しくなり、感謝の気持ちを込め読んでくださった方の作品を読ませていただきました」
風雨に揺れる木々のざわめきが、不気味に教会内に響く。
「このように作品を読み合い、励まし合い、指摘し合い、共に成長することは私の理想としているところでした。私は本当に嬉しく、様々な作品を読み、感想や応援を書き、評価もさせていただきました。そのような有意義な活動を繰り返すうち、色々な方が私の作品を読みに来ていただけたのです。恥ずかしながらこの時の私は有頂天になっており、自らの状況を把握できておりませんでした」
静まり返った教会に、シスターのすすり泣く声が響く。
「しかし、ある時、あるエッセイに出会いました。それは『ただ自分の作品を見て欲しい、読んで欲しいがために、他人に評価をつける』という私の理想とは全くかけ離れた方々の話でした」
遠くの雷鳴とすすり泣く嗚咽が賛美歌のように不協和音を奏でる。
「繰り返しになりますが、私はお互いに読み合い、励まし合い、指摘し合い、共に成長する方々と縁を結びたかったのです。実際、そのような方ばかりだと信じていました。当時の私に疑いの余地など微塵もありませんでした。しかし私を称賛した方の中には、読まずに評価をしたり、挙げ句の果てには、私が相互評価しないからという理由でフォローや評価を外す方がいました。応援コメントをしてくださっていても、実際は他の方の作品に書いた応援コメントと同じことを書き込み、さも『読んだぞ、こっちも読めよ』と迫ってくるのです。それでも……それでも私は嬉しかったのです。誰かの目に私の作品がとまり、読まれていると信じることが」
激しさを増した風が容赦なく雨を窓に打ち付ける。
「しかし私の中に生まれた疑念は次第にその声を大きくし、私はついに耳を塞ぐことができなくなりました。そのような方々を私は心の底から恨みました。そうです、生まれて初めて人を恨んでしまったのです」
荒々しい呼吸を整え、またゆっくりと語りだした。
「どんなに問いだしても、どんなに対抗しても意味がない。表向きは愛想良い対応をしてくださっていても、裏では何を言ってるかわからない。まるで『
一筋の涙が頬を伝う。
「ですが、私は主に仕える人間として、一人の人間として心に決めたのです。皆令満足など到底できないことはわかっています。それでも私はこの澱みきった世の中をなんとかしたいのです。主よ、どうかお願いです。腐りきった彼等の心を正しい道に導いてはくださいませんでしょうか」
シスターは床に置いた十字架を手に取ると、それを胸の前にかざした。
十字架の下部分の先端は、荒々しく削られ鋭く尖っている。
「私一人の命で全てが救われるわけでもなく、私の中の罪が消えるわけでもありません」
その尖った先端を自らに向け、強く握り直す。
「しかし、しかし……主よ、どうかこの憐れな人間の願いを聞き受けてはいただけないでしょうか」
その瞬間、雷鳴が轟き教会が揺れる。
今だとばかりに眼前の聖像を見上げると、一気に十字架を自らの胸に突き刺した。
「ぐ、くぅぅっ」
尖った先端は確実に彼女の胸を貫く。
脾臓を突き抜け、尖った先端が背中に隆起する。
悲鳴を圧し殺し、刺さった十字架を抜き取る。
どくどくと血が流れ出し、みるみるうちに血に染まっていく修道着。
血の滴る十字架。
それを天にかざし、再び聖像を見上げる。
──なぜ、死なないのです?
痛みに奥歯を噛み締めながら、さらに勢い良く十字架を自らに突き刺した。
「あぐっ、ぐがっ、がっ」
肺は血で満たされ、手は痺れ感覚を失い、気道を逆流した血が嗚咽と共に口から漏れる。
怒りを込めたこの一打も致命傷にはならず、ぎろりと聖像を睨みあげた。
──主よ、これが貴方の答えか
──清き私よりも、憐れな人間共を選ぶというのか
そう言いたいが、もう言葉を発することができない。
考えを紡ぐことすら困難な状況だった。
僅かな力で十字架をさらに押し込むが、十字のためそれ以上は深く刺さらない。
──主よ、主はこの私の覚悟が
──私も他の方々と同じく、他人の評価を伺う上っ面だけの人間と同じだと言いたいのか
再び抜き取った十字架に、どろりとした血や粘液がまとわりつく。
尖った先端を喉元に当て、ゆっくりなぞるように下顎へ動かした。
赤黒い縦筋が喉元から下顎へ一直線に描かれる。
──主よ、最後に、見届けて欲しい
──私の覚悟が、本物であることを!
十字架を順手に握り直し、最後の力を振り絞って顎から脳天に向かって突き上げた。
鼻腔を貫通し眼窩に達すると、目、鼻、口から面白いように血が流れ落ちる。
それも僅かな鼓動の調べに、リズムよく波打つように。
──一思いに……死なせ……くれ……な……です……ね……
硬直した体はバランスを崩し、顎から十字架を突き上げたままの体勢で床に横たわる。
血の涙で顔面を汚し、静かに息を引き取った。
不敵な笑みを浮かべながら。
「はい、カットーー!お疲れさーしたー!」
突如、静まり返った教会に下卑た大声がこだまする。
「ぷっひゃーー!」
その下卑た声を聞くや否や、自らの命を犠牲にし贖罪を願いしシスターは、はしたない雄叫びと共に飛び起きた。
「どお、監督?意外と噛まずに言えたでしょ!
(まぢで血のり臭っ!でも、映えるからあとでインスタあげとこ。さっさとシャワー浴びたい~)」
ニコニコと作り笑顔で愛想を振り撒きながら歩くシスター役の女優。
「あーもー令和ちゃん、バッチグー。特に『巧言令色鮮し仁』のとこは申し分なかった!
(ふん、お前のことを言ってんだよ。素人のくせに偉そうにしやがって)」
女優の機嫌を損ねないよう同じく作り笑顔で愛想良く対応する監督。
「でさ、その『巧言令色鮮し仁』ってどういう意味?
(興味ないけど、一応真剣に撮影打ち込んでますアピールしとかないと。平成の巨匠もいまやB級だな、ウケる)」
「さぁ?昔の人が偉そうなことをドヤ顔で言ったんじゃない?
(はい?普通調べてくるだろ。これだから最近の令和生まれのパッと出の新人は嫌なんだよ)」
「あはは!うちら現代人には関係ないよね!また撮影風景インスタあげとくから『いいね』よろしく~!
(とりあえず『いいね』押して拡散しとけ、このハゲ。って言っても、私の方がフォロワー数多いから)」
「おっけーおっけー!明日もその調子でお願いねー!
(ふん。誰も内容なんか見ずに『いいね』押してんだよ。いちいち反応して喜ぶなんて、バカな女だぜ)」
『巧言令色鮮し仁』 桝屋千夏 @anakawakana
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