スイッチ

スヴェータ

スイッチ

 恋人が遠くで軍人になると言うから、私は看護師になることにした。多くの場合、女は軍では役に立たない。しかし看護師は数少ない例外。それで両親の目を盗み、コツコツ勉強を進めていた。


 しかし恋人が軍人になって僅か半年後、私に見合い話が出た。相手は近くの師団の少尉さん。ただの町娘の私には願ってもない話であり、両親は喜んで差し出した。


 私は恋人のことが忘れられなかったから、少尉さんと2人きりになった時、額を畳に擦り付けて懇願した。お願いです。私には遠方に恋人がおります。彼の側にいようと、看護師になろうとも思っております。どうか。どうか。


 するとこの少尉さん、町娘を気にかけただけあって非常におかしな方で、私のこの懇願を聞いて大笑いした。そして満面の笑みで「良いな!」と言うと、こう続けた。


「看護師も良いが、医者になれ。支援はしよう。今回は見合いではなく実はこの話を申し出に来たと言えば角も立たん。良いか、お前は医者になれ」


 こうして私は、あれよあれよと言う間に少尉さんの元に引き取られ、医学を学ぶ日々が始まった。彼はとても優しく、本当に手厚く私を支援してくれた。名をバーシといったが、これは私の兄と同じ名だったので「帝国軍の兄」として慕った。


 数年の時を経て、私はすっかり医学を学び、軍医になることができた。兄と慕ったバーシは中尉に昇進し、間もなくの出撃に備えて日々駆け回っていた。お互い忙しく、話す機会もめっきり減ったが、私たちには変わらず兄妹の情があった。


 隣国への進軍。私も従軍し、次々現れるボロボロの兵士たちを繋ぎ合わせた。処置の基準は「立てる」か「歩ける」か。歩けそうな者は丁寧に、立てそうなだけの者は盾になるだけに処置をした。


 目まぐるしく運ばれてくる怪我人を捌ききれず、どうにも気が立つ。何とか戦友を運んできた兵士に「死人を連れて来るな!」と怒鳴り、呻き声を上げる兵士には「士気を下げるから」と毒を注射した。心は荒みに荒んでいた。


 そんな中、1人の将校が運ばれて来た。バーシだ。バーシは喉に血を詰まらせ、あらゆる場所に穴を開け、ほとんど屍同様の姿であった。将校の死は、それこそ士気にかかわる。丁寧に処置し、何としても助ける必要があった。


 ただ、どうすれば良いのか見当もつかないほど、バーシの傷は深かった。他の患者を全て放置し、あらゆる手を尽くしてみたが、結局バーシを救えなかった。私は軍医として、実に悔しく思った。


 バーシは最後まで私に手厚く、自分の死後は恋人の師団へ行けるよう手筈を整えていてくれていた。私は彼の厚意に感謝し、恋人の元へ赴任した。彼らは出撃前だったから、本国に戻ることとなった。


 恋人と再会した時、私はもうときめかなかった。バーシを殺した直後だったし、離れていた期間が長すぎたから。それでも度々顔を合わせるうち、恋人の情は徐々に戻ってきた。やはり私は、彼のことが好きなまま。この「好き」という感情がまだあったことが、私は何より嬉しかった。


 いよいよ恋人の部隊も出撃の時を迎えた。私は再び従軍し、目まぐるしい空間に舞い戻った。怒鳴り、殺し、殺すために治し。心はまた、どんどん、どんどん荒んでいった。


 そしてまた、見た顔が運び込まれて来た。恋人だ。四肢がなく、「立てる」でも「歩ける」でもない。「毒殺」だった。恋人はしがない兵士。丁寧に処置をしなければならない理由もなかった。


 私は鞄から毒を取り出し、注射の用意をした。すると恋人は、きっと微かにしか見えていないだろう目を見開き、掠れた小さな声でワナワナ震えながらこう言った。


「イーゴ、イーゴだろ?なあ、俺だよ。メキマだ。お願いだ。その注射はやめてくれ。その注射を打たれたら、俺は死ぬんだろう?なあ、やめてくれよ……」


 その声が途切れる前に、私は注射を刺した。メキマの顔は一瞬歪み、すぐに穏やかな顔へと変わった。この毒は死ぬ直前、痛みを安らぎに変える。これで良かった。私は軍医として正しい処置をしたことに満足し、次の患者の元へ行った。


 戦争は、我が国の勝利に終わった。私は帝国軍での地位を確立し、戦後も軍医として働いた。戦争中と違って目まぐるしく兵士が運ばれることもなく、平和に日々は過ぎていった。


 ある穏やかな日、ふと、紅茶を飲みながら鏡を見た。白衣の襟が曲がっていたから、カップを置いて正す。すると、左手に何か感触があった。内ポケットだ。そこには写真が2枚入っていた。


 1枚はバーシ、もう1枚はメキマだった。そういえば習慣でいつもここに入れていたが、眺めることはほとんどなくなっていた。久々に、じっと見てみる。2人とも良い男。1人は私を作り上げ、もう1人は私を突き動かした。彼らはもう、この世にはいない。


 そういえば戦地で、私は彼らのことを一度も考えなかった。中尉さんと一兵士としては考えたけれど、バーシとメキマのことなんて、1つも。そもそも戦争の最中は、思考のスイッチが常にオフだった気がする。


 私はここに来た意味を考えた。ああ、そうか。私にはもう、何もない。

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スイッチ スヴェータ @sveta_ss

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