残照

鹿紙 路

第1話

 叔母に会うのは十五年ぶりだった。

 さっき数えてみたのだ。最後に会ったのはわたしが高校生のとき。父と一緒に、祖母の葬式のために帰省したとき。

 駅に迎えに行ったときは、目をみはった。記憶のなかでは常にきちんと皺のない服を着て、口紅の色が鮮やかだったのに、彼女の白髪交じりというよりほとんど白い髪は薄く、顔はどんよりと暗かった。

 だれもいない町ね。

 そうつぶやく彼女を乗せて、車で市内を抜けた。日は遅くまで沈まず、赤らんだ夕暮れに、人っ子ひとりいない住宅街が照らされている。煉瓦でつくられた町は、ときおり売りに出されている貼り紙があるが、昼間であれば人間が歩いている。

 時間が悪いんだよ。もう遅いし。

 すぐに海辺に出る。錆びた舟が打ち捨てられている、黒い岩の転がる海岸の右脇を道がまっすぐに伸び、走っているうちに赤い日差しがまぶしくなり、わたしは日除けを下ろす。そのうちに、その必要もなくなり、わたしは車のライトを付ける。

 いつも目印にしている枯れ木を見つけて右折し、森のなかを走って家に着く。

 一間きりのちいさな家だ。焜炉の上の鍋を温めて、叔母にスープを出す。そのあいだにわたしはシャワーを浴び、ベッドのシーツを換える。叔母はせかせかと食事を終え、物珍しげに室内を見渡す。

 きれいな赤紫ね。

 壁にかけた綴れ織りに近づく。

 目のつまった壁掛けには、夕空に光る星がいくつか、白い点として表れている。

 仕事の道具はここにはないの。

 すぐ近くに仕事場の小屋がある。

 だれもこないの? 毎日、ひとりで?

 わたしは唇のはしに笑みを乗せた。

 たまにはだれか来る。牛乳を届けにきたり、雑誌を引き取りにきたりする。

 ……。

 電話もかけるし、買い物にも行く。町の人間と同じだよ。

 ……静かね。

 わたしたちは黙る。窓の外は黒く沈み、鳥の低い声と、木々のざわめきが聞こえる。

 わたしは肩をすくめる。叔母はシャワーを浴びに行き、わたしはドライレモンバームに湯を注いで蒸らす。

 ハーブティーを飲みながら、キッチンカウンターのスツールに腰掛け、分厚い日誌に書き込む。天気、気温、きょう使った染料の種類、羊毛の重さ。媒染剤の量。

 ベッドを使ってもいいの?

 髪を拭きながら、彼女が歩いてくる。

 いいよ。わたしはカウチで寝るから。

 窓辺に出したカウチに、毛布を運ぶ。暖かいからこれで十分だ。

 硬そうじゃない。いいの、一緒に寝ましょう。

 ……狭いよ。

 寝相はいいほうよ。

 彼女はわたしの手をつかみ、ベッドに押し上げる。わたしはうろたえ、そのまま上に座る。

 叔母は天井の灯りを消し、ベッドサイドのオレンジ色の光のテーブルライトを付けた。

 彼女はベッドに横たわり、シーツをぽんぽんと叩いた。

 ほら。もう寝ましょう。たくさん列車に乗って疲れたわ。

 わずかに笑い、毛布をからだに巻き付ける。

 わたしは息をつき、彼女の横に寝ころんだ。狭い。一人用のベッドだから、当然だ。叔母は、初めて触ったはずのテーブルライトのつまみをやすやすとひねり、光を弱くする。

 ……静か。

 低く、彼女はもう一度言う。

 夜中でもひとの声や車の音がする場所には、もう二度と住めない。

 そうでしょうね。

 ふかく呼吸する音。彼女は寝返りをして、向こうを向く。

 彼女の背中を見る。オレンジ色の灯りに照らされた、へたったパジャマを着た叔母。にぶい光を発する髪。

 わたしは目を閉じる。自分の呼吸の音と、聞き慣れない彼女の息を聞く。そのうちに、風や生き物の声に、それは溶けこんでいく。わたし自身も、ゆっくりと、そのなかに溶けていった。

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残照 鹿紙 路 @michishikagami

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