引き金

スヴェータ

引き金

 壮絶な彼の生い立ちは、診察依頼に添えられた資料から知った。名はヒャグ・オルョスク。ツトラ州コートリョーチェのサョヴニ地区出身。両親と3人で暮らしていたが、ある時父親は失踪し、母親は崖から身を投げて死亡した。1人になったのは、ヒャグが8つの頃だった。


 その後7年、空白の時間が過ぎる。履歴にはないが、ルルイナ・ヴェンノレ大尉によると、ヒャグは木こりであった父親の商売道具全てと母親の衣服を一切売り払い、最新式のコロノクェス銃を手に入れ、猟をして日銭を稼いでいたという。


 16になる年、ヒャグは我が軍にやって来た。同期生の中で極めて優秀で、すぐさま幹部候補としてヴェンノレ隊で鍛えられた。現在31歳の彼は、分隊長として兵士をまとめている。


 分隊長は隊長に毎日報告書を提出しなければならない。しかしヒャグはこれがてんでダメなのだという。毎日の提出はできる。日付や天気も書ける。ただ、時系列に沿って物事を書けないし、時々関係のない言葉が入れてしまうため、何を書いているのやらさっぱり理解できないとのことだった。


 ある日の日誌が添えられていた。


26/huij/754 (KX)

天気: 晴れ

 本日は皆健康で、食事として床に落ちていたハリシャを食べた。冷蔵庫にはベラドッチがあり、我々はそれも食べた。夜は食べない。食べずに祈る。本日も皆そのようにした。

 訓練は上々。しかし途中ユクゥレ上等兵が離脱したため、我々は食べたものを吐き出そうとした。するとユクゥレ上等兵は復帰した。

 朝は早すぎるし、夜は遅すぎる。改善求む。早朝訓練はそのさらに早朝が求められ、夜間の休息は早くなければ遅くができない。

 隊員の10名が負傷。うち1名死亡。崖から滑落した模様。それは昼休憩の後のこと。要補充。


 ……以上が手渡された資料だった。私は精神科医だから、おおよその見当はつく。これは精神疾患ではない。いや、生い立ちによる歪みはあるかもしれないが、それは精神疾患とはまた別の話だ。ヒャグは正常。正常だからこそ、早急にヴェンノレ大尉に報告しなければならない。


 私は部屋を出てバタバタとヴェンノレ大尉を探した。既に昼訓練は始まっている時間で、今日はヴェンノレ大尉の指揮の元行われる予定となっていた。


 訓練場に行くと、ヴェンノレ隊の数十倍の、もしかしたら我が師団のほとんどの兵士たちが集まり、ヴェンノレ大尉をはじめとする懐柔できなかった指揮官たちに銃を向けていた。ああ、遅かった。私は物陰に身を隠し、固唾を呑んで見守った。


 指揮官たちがぐるりと囲まれたところで、私は目を逸らした。凄まじい銃声が聞こえる。歓声が上がる。視線を戻すと、既に次の行動へと移っていた。慌ただしく何やら準備をする彼らに踏まれる、変わり果てた指揮官たち。私は怯えた。


 逃げなければ。逃げなければ私も「食べ物を吐き出されて」しまう。あちらこちらに身を隠しつつ彼らから離れ、医療鞄さえ諦めてまもなく師団を出るという時、若くて顔色の悪い軍人が立ちはだかった。男は私の医療鞄を持っていた。


「お忘れですよ。今更あなたをどうこうしようなどとは考えておりませんから、早く立ち去りなさい」


「君は何がしたい。軍の外へ出るつもりか」


「目的は同志にだけ話します。もちろん、行き先も」


 話はできないが、本当に逃がしてくれるようだった。恐る恐る近付くと、男がやけに古めかしい銃を背負っているのを見た。ヒャグだ。ヒャグに違いない。しかしこの銃とは。


 次々とあの資料が思い出され、彼への関心は一気に高まった。どうしても話したい。彼のことの何もかもを知りたい。その気持ちがどうにも抑えられなかった。夢中。私は夢中だった。


「ヒャグ、もしヒャグなら聞いてくれ。私は君の資料を読んだ。君の生い立ちでは愛を知らないだろう。まだ間に合う。君は愛を知れば……」


 言い終える前に、ターンと乾いた音が響いた。私は銃弾の行き先と同じ方向に倒れ、天を仰いだ。ヒャグが近付く。しゃがむ。ニタリと笑う。そして銃を見せながら、こう話しかけた。


「親を殺して得た銃だ。これで愛だの何だの言う奴は全員殺すと決めている」


 これは資料に書かれていなかった。今や骨董品扱いされるコロノクェス銃を使い続けるヒャグ。私は彼をこれ以上知ることはできない。ああ、悔しい。何と悔しいことだろう。


 こうして、安易に愛などと言ったことを後悔しながら、私はそっと目を閉じた。全く、何が引き金になるかなど分からないものだ。

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引き金 スヴェータ @sveta_ss

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