4-3話 私は……

 教会の敷地へと足を踏み入れたアルカディアたちは、真っ先に聖職者一同に取り囲まれることになった。

 どこへ行っていた、怪我はないか。トマソンは矢継ぎ早に繰り出される問いに「ええ、無事です」と答え続ける。

 しかし「この娘は何者か」という問いに対してだけは、きっぱりとこう言い切った。


「異端の業による被害者です。司祭さま、どうか審問の機会を設けていただけませんか。あの魔女を、あの高い尖塔から引きずり下ろさなければ」


 そしてこの哀れな娘に、温かい寝床と食事を。アーリアンは先ほどまでの弱腰な姿勢から打って変わって、きびきびとそういった依頼をし、自身はずっと空気の冷たい礼拝堂で、アルカディアのそばにいて、アルカディアの小さな手を握っているのだった。

「大丈夫です。間もなく暖かいところへ行けますよ。震えるのも已む無しです。恐怖と、この冬の寒さが……貴女を苛み続けていたのでしょうから」

「……ええ、寒いわ。心も体も。アーリアンとか言ったわね」

「私は、はい。そうですが」

 突然名前を呼ばれ、アーリアンは驚いた様子だった。アルカディアはそれを言おうか言うまいか悩んでいた。しかし決意して、言った。


「ありがとう、アーリアン。私をここまで連れてきてくれて」


 司祭を始めとして、アルカディアが当代を恐怖に陥れた「東のアルカディア」だと気付いたものは誰一人としていなかった。せいぜいが頬に走っているらしい傷を指して「痛ましい」と嘆くばかり。教会の連中がぼんくらなのか、それともアルカディアに施された”儀式”の効果が相当に強力なのか。恐らくその両方だろうとアルカディアは推測する。おかげでアルカディアは命拾いした。

 そのうえ、もどかしい手続きではありながらも、あの蒼血啜りへ報復する機会を貰えようというのだ。

「あなたには、言葉にしてもしきれないくらい感謝してる。ありがとう」

「ありがとうございます。ですが、その感謝は私ではなく主に捧げて下さいませ。私はただ、主の御心に従って、迷える人を救っただけです」

「……考えておくわ。一つ訊いて良い。雑談程度だから聞き流して貰ってもいい。さっきから聞いているとあなたほど信心の強い人間はそういないと思うのに、なぜロザリオ持ちなの。歳のせい、それとも他に何か理由があるの」

 間もなく人がやって来て、アルカディアを修道院の一室に押し込もうとするのだろう。それまでの僅かな時間を、アルカディアはこの少年と会話して埋めることを選んだ。おかしな事だった。敵であるはずの教会関係者に対して、興味を持つなどと。

 そうさせたのは、アルカディアのうちに潜む吸血鬼としての本能なのかも知れなかった。つまり、これから先強敵となり得る有能な存在を素早く察知し、その芽を摘んでおこうという、狡猾な策略だ。そうに違いない。アルカディアはそのように納得した。

 アーリアンは言いにくそうに苦笑して、「それはですね……」と続けた。

「私は、……偉そうなことを言った直後で恐縮なのですが、実は主の御心をそのまま信じられているわけではないのです」

「……へぇ?」

「私にとってのあるじは」

 アーリアンがロザリオを弄ぶ。

「……トマソン様ただ一人でした」

 寂しげにそう言う。

「私とて、こうして教会に参入する前から、主の存在は存じておりましたし、人並みに祈りもしました。魔宴に拐かされ、今まさに臓腑を引きずり出そうとされたその時までずっと。しかしその時遣わされたのは、主の雷霆でも光輝でもなく、人であるトマソン様だったのです」

「…………」

「トマソン様がご存命の間は口が裂けても言えませんでしたが……いまなら分かります。私は主の恩賜に疑問を抱いている。同時に、トマソン様を強く信じすぎている。故に私はいつまで経っても、この世の理に至ることが出来ないのでしょう。未熟なものです」

 アーリアンは自嘲気味に吐き捨てると、直後顔を赤らめてアルカディアに詫びた。

「申し訳ありません。初対面の貴女に、このような愚痴を聞かせてしまって」

「いいわよ。興味深かった」

 やっぱり師弟は似通うのね。その一言は辛うじて呑み込んだ。

「じゃあ、あなたは師父サマのようになりたいの。それとも、まっとうな信徒として大成していきたいの」

「それは……」

 やはりアーリアンは口ごもるのだった。無理もないことだ。なぜならその問いは、アルカディア自身が問われた――――


 ――――え?


 急に頭痛を覚え、アルカディアはうずくまる。「大丈夫ですか」と声を掛けるアーリアンを振り払い、アルカディアはこの頭痛と対峙する。

 この記憶は、なんだ。目の前にはあたかも玉座であるかのように荘厳な椅子。その上には尊大な態度で腰掛ける壮齢の男。それから同じくらいの歳の女。それらがこちらを睥睨している。苛立った様子だった。肘掛けを指でコツコツと忙しなく叩き、恐らくはこちらの答えを待っている。

 対して、自分は何を考えているのだろうか。アルカディアは何を問われているのだろうか。

『もう一度言うぞ』

 幻影の中、男の方がいかめしい声で喝破する。それに幻影の中のアルカディアはびくっと震える。

 弱々しい。なんの力も無い。今のアルカディアからすれば屈辱的な記憶。

 

 ――私が、人間の前に跪く? どういうこと?


 混乱の中、見上げた男が口を開く。その問いが発せられる。聴きたくないとアルカディアは耳を塞ぐ。大声で叫ぶ。

 しかし無情にも、男の声は幼子のそれよりも遙かに大きく…………。


「アルミナ! しっかりして、アルミナ!」

 

 はっとして目を開ければ……そこは元の礼拝堂だった。空気は冷たく、木拵えの椅子は固い。

「なんて声で叫ばれるのです。どうしました。城で受けた悪逆のいくつかでも、思い出されましたか」

 アーリアンの真に迫った目と、周りから修道士たちが何事かと集まってくる様子を見れば、アルカディアがこの現実世界でもどれだけの声量で叫んでいたのかを知ることが出来る。

 夢……? 白昼夢の類いだろうか。しかしあの空間で生じた感情の現実感ときたら、とても夢の中で捏造されたものとは思えなかった。この極限状況の下、眠ってしまうなんて言うこともあり得ない。

 であれば、あれは記憶なのだろうか。それも決定的に違うはずだ。なぜなら自分は生粋の吸血鬼であり、吸血鬼としての記憶しか持っていないはずなのだから。

 アルカディアは混乱した頭で、起こった事象の点と点を結び合わせようとする。

 自慢の透けるような銀髪が、下品な金色に変わっていたこと。

 何者にも姿を写さないはずの自身が、ロザリオに映っていたと言うこと。

 そして、ありうるはずのない過去の記憶が、過剰な現実感を持って想起されたと言うこと。

 これらを統合して言えることは、一つしか無い。

「……私、そんな」

 顔を覆う。爪を額に突き立てる。痛みがある。温もりがある。


「私……ヒトになった…………っていうの」




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レナ・ブラッドペリの姉 瑞田多理 @ONO

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