第8話 アース生まれかわる

 目を閉じた少年は小さかった。

 少年が科学者を持ち上げたのと同じように科学者も軽々と少年を持ち上げることができた。


 昨日、自分が寝かされた場所に科学者はそっと少年の体を置く。

 まるで死んでしまったように身動きしない少年の頭を、そっと撫でた。


「コード3125114」

『コード3125114認証』


 科学者の声に、少年は口を動かさずに電子音で答えた。


「コード3151420-121518」

『コード3151420-121518認証』


 続いた音と共に、アースの左腕の一部に複雑な模様が浮かび上がった。外部機器との接続用の認証紋様だ。

 科学者はアースの持ってきたバックパックから小型のキーボードを取り出し、一度、紋様の上に置いて接続する。


「もう、必要ない。お前には、あそこにいた記憶など……」


 キーボードに付属されているプロジェクターが空気中に文字の羅列を映し出していく。

瞼を閉じ、少しの沈黙の後、科学者は意を決してキーを打ち始めた。

 アースの記憶にある全ての情報を消去する文字列を完成させ、決定キーを押しその命令を実行した。


 全ての情報の消えたアースの記憶の中に、科学者は必要なことだけを入力していく。

 しかし、それは時間のかかる作業だった。


 太陽が中天に差し掛かった頃、余りの暑さと口の渇きに、科学者はようやく指を止めた。

 重要な事は入力し終えた。あれもこれもと加えていてはきりが無いので、あとは少しずつアースに覚えさせていくことにする。


 接続を終了しようとして、今朝のアースの言葉が脳裏をよぎる。


『お父さん』


 もう、幼な子にそんな風に呼ばれる歳ではない。だが、この誰もいない場所で家族ごっこをやってみるのもいいかもしれない。

 そう思った科学者は、情報の中の自分のデータに一文を書き加えた。


 あと何日、生きのびられるかもわからないのだから。そんな言い訳を自分にして、科学者はキーボードの接続を切った。


「さあ、起きるんだぞ。コード231115」

『コード231115認証』


 キゥィーーン

 かすかなモーター音がして、アースが目を開いた。

 ゆっくりと身を起こすと、キョロキョロと周囲を見渡す。科学者の姿を認めると少し首を傾げた。


「僕、寝てたの?」


 ああ、と科学者は答える。


「ここ、どこ?」


「最果ての地だ。何の、何の生き物もいない場所だ」


 アースは二度ほど瞬きをした。


「僕とおじいちゃんがいるよ」


 その言葉に、科学者は思わずアースの頭を撫でていた。

 そうだな、と言った科学者の顔をアースはまじまじと見る。


 その宝石のような青い瞳に科学者の顔が映っていた。自分でも気づかぬうちに目を細めた笑顔になっていた。


 チカッとアースの目が光った。

 ああ、これをなんとかせねば。科学者が思った時――。

 科学者と同じような笑顔でアースが笑った。


 この日から科学者とアースの「人間らしく暮らすための」生活が始まった。


「いいか、アース。人間の血液には赤い色素がある、お前も人間だからな」


 そう言いながら科学者は点滴の要領でアースの体液に赤い塗料を流し込む。この塗料は歩いて十日程行ったところにある、植物の赤い種をすり潰して作ったものだ。


「ふーん」


 椅子がわりの石の上に座り、足をぶらぶらさせていたアースは、体に入ってきた塗料が気になって、自分の指先を爪で切ってみた。出てきた赤い液体を指先で捏ねる。


「こら、わざわざ怪我をしてどうする」


 科学者である祖父が心配してしかれば、慌てたように流れ出た血をなめとり、アースは傷を修復させる。


「中身の成分は違うけど、見た目はおんなじだね」


 祖父を見上げて、アースは嬉しそうに笑った。


 それから、生きていくためには食事についても重要だと祖父はアースに教える。


「いいか、人間は食事をしなくてはならん。お腹が空いていなくても、どうしても食べ物の無いとき以外は一日一度は飯を食うんだぞ」

「うん」


 祖父から新しいことを教わる度に、アースは嬉しくて頷いた。


「ご飯を食べるんだね」


 落ちていた小枝を拾い、バリバリと頬張って、アースはごくんと飲み込んだ。

 そうきたか、と祖父は今日も笑いながら頭を悩ませていた。

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エア 千夜 @senyanii

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