第7話 アースの親
アースはみすぼらしい小屋の中で、身じろぎもせずに立ちつくしていた。
陽を遮るのが精一杯の枯れ木ばかりで組み立てた小屋。室内には小さなポンプ井戸くらいしかない。
外にいます、と言ったアースに構わないから中にいろ、と科学者は言った。
狭い室内で邪魔にならないにはどうしたらいいか考え、結果アースは壁際で動かずにいるしかないという答えに至った。
実際エネルギー効率を考えるならば、それが一番良いことだった。
「まずはどこから取りかかるか……」
悩んでいるわりに楽しそうな声にアースは科学者の方を向く。
チカと一瞬目を光らせ、科学者の健康状態が良好であるのを確認した。
科学者は町に戻るつもりはなく、この何もない地に本気で住み着くつもりらしい。
「僕は……仕事を、しなくていいのですか?」
科学者は、もと居た場所を出る前に、もう仕事はしなくていいとアースに言った。
世界を守るための仕事、だったはずだがアースが仕事をやめてからも世界が崩壊する兆しはない。
「いいんだ。もう、気にすることはない」
科学者がアースの頭に手を置いた。
その動作の意味がわからずアースはわずかに首を傾げる。
「僕が、最後の仕事を遂行できなかったせいですか?」
頭の上に手を置いた男を見上げ、アースは問う。
昨日まで、自分から何かを聞くことは許可されていなかった。もともと誰かに何かを聞きたいと思ったこともなかったのだが。
「いいや、それは関係ない。そもそもが間違っていたのかもしれん」
アースのことを見ているようでいて、焦点の合わない目に、科学者が考え事をしていると判断する。
その視線が戻るのを待ち、次の質問をする。
「あの子は……どうなりましたか? 別の者が仕事にあたったのでしょうか」
科学者はすぐに最後の仕事の内容に思い至ったようだ。アースの言うあの子のことも。
「それは、」
言いよどむ科学者の返事を静かに待つ。
「わからない。だが、逃げ延びたかもしれん」
そう言われ、言われてからもアースにはどちらがいい事なのか判断がつかなかった。
「僕は仕事ができないからここにきたのですか?」
その質問に科学者は眉を寄せた。嫌なことを聞いただろうか。微動だにしない表情のまま、アースはじっと科学者を見つめる。
「それは違う。お前はもう、仕事のことは忘れろ」
くしゃくしゃと頭を撫でられ、それが人が子供を誉める時の表現だとアースの中のデータバンクから弾き出される。
しかし、何を誉められたのかがわからない。
「忘れるという機能はありません。口に出すなという命令でしたら実行します」
そう言った瞬間に頭の上の手の動きが止まった。
「そう、か。忘れないのか……忘れたいとは思わない、か?」
「データの欠損は故障です」
アースはしごく真面目に答えたつもりだが、科学者は愉快そうに笑いだした。
笑いの発作が一通り落ち着いてから、科学者はゆっくりと口を開いた。幼子に言い聞かすような、穏やかな声が出ていた。
「わしはな、ここで暮らそうと思う。生き物のいる地にはあいつらの支配が行き届いていてるからな。お前はどうする? 今のお前なら、人間として人の中に混じることができるだろう」
そう言いながら、本当にここに住むつもりのようで、科学者は持ってきたわずかな荷物を広げている。
何故そんなことを聞くのかわからない、アースにとって選択肢は必要すらなかった。
「お父さんがここに住むなら、僕もここに」
そのアースの言葉にひどく驚いたという顔で科学者が振り返った。
「今……、なんて?」
「ここに残ります。あなた一人がここに残った場合3日後の生存率は50%、7日後は0.5%です」
「そうではなく、お父さん、と言わなかったか……?」
何をそんなに驚くのだろう。知らなかったのだろうか。アースは軽く首を傾げてから、体内の記録媒体から読み出した事実を答える。
「自らを生み出したものを『親』と呼びます。男親を父、女親を母と。僕には父が7人います。そのうち2人は仕事上、僕が殺しましたが」
科学者の手が震えている。
チカとまた確認してみるが体温の低下はない。脳から出る分泌物の一時的な増加による自律神経の乱れのようだった。
「わしらを父と呼ぶのか……っ」
科学者の目から涙が溢れ出る。脳から出る物質が乱流しているようだ。
これだけ乾燥しているので体内の水分の流出はなるべくさけたいのだが、とアースは科学者の身体を心配する。
「落ち着いてください」
洗濯した布切れを渡しコップに水を注いで渡す。
コップを受けとり、一口飲んだ科学者は決意を込めて口を開いた。
「アース」
「はい」
「コード31215194」
「コード31215194。認証しました」
ヴィーン――
アースの体内で、しだいに低くなるモーター音、青い瞳からはランプの明かりが消え、アースは静かに全身の力を抜いていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます