第一話 僕の娘。

 リリーの手を引いて仲良く馬車に戻ると、じいとアニーが同時によろけた。


「あれ? 二人とも大丈夫?」

「に見えますか!? ただでさえ寿命が縮む思いでお待ち申し上げておりましたのに、その子ども連れて来ていったいどうするおつもりですか……!」

「まさか連れて帰るなんておっしゃらないですよね坊ちゃま!」


 クレマンとアニーの剣幕けんまくもどこ吹く風で、アレクシスはこてんと首を傾げる。


「この子は僕の娘だよ。連れて帰るに決まってるでしょ」


 リリアンが居心地悪そうに手を離そうとするから逆に力を入れた。ポカンと自分を見上げる少女にふくれっつらで言う。


「君も僕に反対するの? 嫌だよ? 君は僕の娘だって決めたんだから」


 もう。と付け加えられたリリアンはただひたすら困惑して目の前の男女を見た。だが助けを求めた相手はそれどころではなった。


「いったい何があったのですか! 一から十までしっかり吐いて貰いますぞ!」


 やれやれと肩をすくめたアレクシスは、そこでようやくこれまでの経緯いきさつを語った。その後、始めは愕然がくぜんとしていた様子だったが、徐々にすすり泣く声が大きくなり、ついには滂沱ぼうだの涙を流す二人の姿がにあった。


「そ、そのような、じ、事情、が、おありだった、ので、で、でしたら、も、もっと、早く、お、おおおおおっしゃって、下さい、な……!」

「アニー、大丈夫?」

「そそそそ、そうですぞっ、も、申し訳、ない、リリアン殿、心にも、ない、言葉を、ををを、くうううううっ」

「あのさ、君たち、とりあえず落ち着いたら?」

「坊ちゃんに至っては深く反省して下さい!」

「わあ、いきなり活舌かつぜつよくなったね」


 説教モードに入ったクレマンたちを無視してアニーはリリアンを抱きしめる。


「ああっ、こんなに冷えて。帰ったらすぐ湯を張ります。しっかり暖まって下さいね。リリアンお嬢さま」

「あ、僕も。夜会でついた香水の匂いが臭いんだ」

「坊ちゃまはお嬢さまの後です!」

「あれぇ? うちの主、僕だったような。まぁいいや。リリーを受け入れてくれてありがとね。二人とも」


 アレクシスは最初はなから二人を信じていた。リリーを拒絶する筈がないと。しかし過程かていをすっ飛ばす癖がある彼は、説明や説得というものが苦手であった。クレマンが反省しろと言ったのもその癖のことである。が、アニーとリリアンを微笑ましく見守っている彼が理解したとは思えない。クレマンの説教を聞いてすらいないかもしれない。そういう男なのである。


 すっかり泣き止み歓迎モードになったところでようやく帰宅する。アニーがお風呂の準備をしている間に暖炉だんろに火を起こす。それはわたくしの仕事です! と馬屋うまやから戻って来たじいが焦って言うから、手が空いてる人間がいるのに? と返したら顔を両手で覆われた。うーん、どうも僕は主としての威厳いげんが足りないらしい。


「リリアン様もいらしたことですし、いい加減人を雇いませんか?」


 クレマンからは使用人を雇うように前から打診だしんされていた。けれど、ずっと彼とアニーだけで十分だと断り続けている。そして今回もきっぱり断った。


「どうしてそこまでかたくなに嫌がるのです? わたくしどもが楽をしたい訳ではありません。坊ちゃんの手をわずらわせたくないんです」

「……うん。ごめんね」


 アレクシスは大事な人が増えるのが怖かった。もし、あの悪夢が再び起こったら……。そう思うと、とても一歩が踏み出せない。


(ああ、でも)


 どうしてもリリーだけは諦めたくなかった。そんな自分が不思議だった。


「じい、僕はね、とても臆病おくびょうなんだ。じいも、アニーも、リリーも、僕の手の届く距離にいて欲しい。それ以外は、最初から護れないくらいなら、そばに置きたくないんだ」


 ごめんね、と再び謝ると、じいは何とも複雑そうな表情を浮かべていた。


「……坊ちゃん、我々は……」


 ただの使用人です。そう言おうとしたクレマンを遮ったのは、意外にもリリアンであった。


「わたしはいいよ。まもってくれなくても」


 仁王立ちに腰に手を当てる少女は、どこか怒った様子で言った。アレクシスもクレマンも呆気に取られて二の句が継げないでいると、リリアンが続けた。


「だってわたしがまもるから。今は小さいけど、大きくなったら、みんなわたしがまもる。もう少し待ってて。ぜったい強くなって、アレクのでばん、取っちゃうんだからね」


 そう少女は、勝気な笑みを浮かべて言い切った。固まる男二人。そこへアニーの声が掛かり、彼女は浴槽よくそうへと向かった。

 リリアンが去った後、アレクシスとクレマンは互いに顔を見合わせた。


「あ、あれ? 僕、お姫様じゃなくて、騎士様シュヴァリエを拾った……?」

「さ、さすが坊ちゃんの御子です。大変きもが座っておられる……」

「や、血は繋がってないよ」


 びっくりした。本当にびっくりした。あんなこと、初めて言われた……し、これから先も言われると思っていなかった。だって、僕が主で、主だから、ずっと、僕がって。

 それなのにあの子は、僕のことも護ると言ってくれた。じいもアニーも、僕のことも。


 胸が苦しかった。目に熱いものが込み上げ、唇を噛んで堪えた。ふと視線を感じてそちらを見ると、じいが優しい笑みを浮かべていて、それがなんだか気恥ずかしく、ついそっぽを向いた。


(アレクって言った)


 もう何年も聞かなかった己の愛称。あの日、家族を失ってから。


(あの子はどこまで……)


 どこまで、自分を喜ばせたら気が済むのだ。

 己が保護者だと思っていたが、これでは逆である。


「ふふっ、ねぇじい、さっきの、アニーにも伝えておいてよ。きっと喜ぶからさ」


 自分たちだけ独り占めするのはズルいと思った。


「ええ、坊ちゃん。あと一緒に坊ちゃんの気持ちも伝えておきます」

「あ、それは恥ずかしいからやめて」


 冗談めいて言うクレマンに、アレクシスは若者らしく恥じ入っていた。





 数日後。


「じい、首尾しゅびは?」

「はい、毎日城へ知らせを出しておりますが、未だに返事が……。わたくしの力が至らなくて申し訳ございません」

「じいのせいじゃないよ」


 リリアンを正式に娘と迎える為には王の許可が必要だった。その為に何度も城に手紙を送っていた。もし王の目に触れているのならばのお方は無視しない筈だ。すると考えられるのは、王の側近たちが謁見えっけんは無用と判断して手紙を握りつぶしているのだろう。アレクシスは初めて貴族でも下位の男爵だんしゃく位へ不満を抱いた。別に伯爵はくしゃくに戻りたいとは思わない。けれどこうも無下に扱われると腹が立つ。


「坊ちゃん」


 真剣な声音に導かれるように顔を上げる。


「坊ちゃんの、その権力をかさに着ようとしない性格は好ましいと思います。ですが、時にはそれも必要なこともあるかと」

「……」

「リリアン様を日陰者にするおつもりはないのでしょう?」


 当たり前だ。アレクシスは一度まぶたを閉じる。次に開けた時には、何かを決心した瞳が覗いていた。


「これからリリーを連れて城へ行く」


 そう言うと、クレマンは畏まりましたと深く頭を下げた。

 アニーに着付けられ正装したリリアンは、スラムで生まれ育ったとは思えないほど気品に満ちていた。彼女の性格がそうせるのだろう。癖のない長い黒髪、シュッと引かれた眉、意思の強そうな瞳は星空の色ラピスラズリ。あの出逢いの翌朝、光の下で改めて彼女を見た時は驚いた。まるで星の女神の化身かと思ったくらいだ。


目一杯めいっぱい頑張らせて頂きますわ!」


 城へ行くと伝えたアニーはリリアンの手を引いて張り切っていた。反対にリリアンは苦笑いを浮かべていた。本来は贅沢ぜいたくを好まないリリアンだったが、アニーが娘を欲しがっていたという話を聞いてからは彼女に好きにさせるようになった。

 クレマンは息子を、アニーは夫を内紛で亡くしている。そう、彼らの家族はホーマン家の使用人だった。それ故、アレクシスは未だに負い目を感じている。あの時、子どもの自分がどうにか出来たとは思えない。けれど、生きていた自分をなじる訳でもなく、ただただ生還せいかんを喜んでくれた二人を幸せにしたかった。


 城へはすぐに着いた。元々王都に住んでいるから当たり前と言えば当たり前だが。問題はここからである。


「じゃあ行って来るね」

「ご武運を」


 リリアンと共に馬車くるまを降りる。窓からアニーが心配そうに見ているのに気づき、大丈夫だよと微笑んだ。

 門に近づくとさっそく衛兵たちに囲まれた。


「貴様ら、どこの者だ」

「すでに遣いは出している。用があるのは陛下だけだ。どけ」

「なんだと。おい、この無礼者をつかま、」


 そこでリリアンが衛兵のすねを蹴った。


「ぶれいものはお前だ。アレクにひどいことを言うな」


 アレクシスはいけないと思っていても笑いを堪え切れなかった。痛みにうずくまる衛兵を無視し、周りを見渡した。


「お前たち、うちの娘は怖いよ? 早く誰か話がわかる者を連れて来い。アレクシス・ホーマンが来たと」


 そこへ、たまたま居合わせた貴族の一人が嘲笑あざわらった。


「ホーマンと言えば顔だけが取り柄の男爵ではないか。陛下は多忙であられる。貧乏貴族は田舎に引っ込んでろ」


 アレクシスは独身貴族から嫌われている。故に腹は立たなかった。むしろ同じ貴族が居合わせたのは好都合だと思った。クレマンの言葉がよみがえる。


『――時には権力それも必要なこともあるかと』


 ああ、じい、そうだね。アレクシスは改めて姿勢を正すと、衛兵の一人を見据えて言った。



「言い直そう。私、アレクシス・ホーマン・シエル・ジュネリー・スワフ・プァーファル・ババロニー・リャイル・カロラン・アロマネオが陛下への謁見えっけんを望むと、そう城の者へ伝えろ」



 途端とたんに独身貴族は顔を白くさせ、衛兵たちは我先へと城の中に駆けて行った。唯一リリアンだけが理解してない様子で首を傾げていたが、貴族世界に身を置く者ならこの長いせいが何を示しているのか解らない筈がない。

 貴族の姓とはその家の歴史でもある。アレクシスの血族は今は彼一人であるが、約五百年の歴史ある大貴族であった。五爵ごしゃくである第一位、二位の公爵や侯爵でさえ、王が変わると共に入れ替わる。その中で唯一、伯爵だけは王の交替に左右されない貴族だった。故に、家系によってはどの貴族よりも権力を持つ。それこそ王が頼りにするくらい。アレクシスの家族は、そのたっとい血筋ゆえに真っ先に凶刃きょうじんにかけられたのだ。有力な貴族は敵からしたら邪魔者でしかないから。


 今にも卒倒しそうな独身貴族を見る。貴族はおしゃべりだ。きっと明日から忙しくなるなと、アレクシスは苦笑いを隠せなかった。

 その後すぐに門が開き、難なく謁見えっけんの許可が下りた。


 元々陛下と面識があったアレクシスは、会うまでが難関であったが、逆に会うことさえ出来れば目的は達成されたと言ってもいい。

 リリアンが正式に娘と認められた他、もう一度伯爵に戻ってくれないかと願われたがそちらは断った。戻らなくても助けが必要なら力を惜しまないという約束で。


 馬車に戻ると、クレマンとアニーが外で待っていた。晴れやかな気分で手に入れた承認書しょうにんしょを掲げる。すると彼らも満面の笑みで自分たちを迎えてくれた。


 王のもと、公式にリリアンがアレクシスの娘となった瞬間であった。

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悪魔の執行人 貴美 @kimi-kimi

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