君の花の名は僕しか知らない
佐久良 明兎
君の花は
四月だというのに、ちらちらと白い雪が舞う。
平成も終わりを迎える、2019年の4月10日は、雪日和だった。
折しも今は、満開の桜の時期。
雪と桜、そうそう交わるはずのない二つが織りなす、幻想的な光景。
咲き誇る桜の上へふわりと積もる雪は、この上なく。
「いいねぇいいねぇ、雅だねぇ雅だねぇ」
「……元気だね」
テンションがマックスの状態で、スマホで写真を撮りまくっていると。隣から、苦笑い混じりの声が聞こえた。
振り向くと、寒そうにポケットに手を入れ、連れ合いの
「だってー! 雪月花の雪と花が同時に見られるんだよ!? こんなこと、そうそうないじゃん!」
「そうだけどさ。確かに、綺麗だよね」
肯定しながら、紅太くんもまた桜の木を仰ぎ見た。
通り沿いに植わった桜の木を愛でながら、私たちは歩道を並んで歩いている。天候の所為か、人の数はそう多くなかったけれど、私のように写真を撮っている人は多い。
「そういうそっちは、せっかくの素敵な光景なのに浮かない顔つきだね」
寒いのが嫌なのかな、と単純な答えを予想して答えを待っていると。
「……週末までは、保ちそうにないなって」
悔しそうな声が返ってきた。
ああ、と納得して。それに関しては、私も少々残念に思う。
「この前の土日は、新歓で忙しくて見に行けなかったもんね」
頷いて、私は手で触れられる位置に垂れ下がる桜の枝の表皮をそっと撫でた。
今は満開だけれども、この雪と寒さとで、今週末にはさすがに少し散ってしまうだろう。
先週の土日こそ、満開な上に絶好のお花見日和だったけれども、それと同時に絶好の新歓日和でもあった。
私・
だからお花見は、今週末にできたらいいねと、話していたのだけれど。
それに、今週末はね。
「多分、今日これから雪の後は雨になるだろうし、これで散っちゃうかなって。……桜、見せたかったんだけどな」
「大丈夫だよ。来年もあるんだし」
「来年こそ、就活でどうなるか分かんないじゃん」
口をとがらせて彼はふてくされる。
何気なく口をついて出た言葉だったけれど。お互いに、来年のことを微塵も疑っていないことが、なんだか少しおかしくなって、嬉しくなって、私は笑った。
その反応に、なんだよ、と更にふてくされた後で。彼もまた、つられて笑う。
「……桜の花はさ」
傘を傾け、彼は桜の木を見上げる。
「君みたいだなって、思うんだ」
「私?」
にわかに告げられた言葉に、盛大に戸惑った。
灰色の空の下でしかし可憐に咲き誇る桜を、私も見上げる。
「私はこんなに綺麗じゃないし、儚くもないよ」
どっちかっていうと、地面に根を張ってもうちょっと図太く丈夫な奴だ。
そう、たとえば。
「私はほら、ドクダミとか」
「ドクダミ」
「名前通りに、白いし。香りは強いし」
彼は意外そうに目を見開くけれども。
しばらく考え込んでから、ゆるりと頷く。
「まあ、それも悪くないけど」
「でしょ。踏まれてもしぶといし、なかなかへこたれない辺り」
「そっちの意味じゃないよ。効能でしょ」
「効能?」
「自覚してない」
小馬鹿にしたような表情で、おでこを指で弾かれ、そのまま彼はさっさと先に歩を進める。
むーん。なんだよなんだよ。
小走りで追いついてから、私は改めて提言する。
「桜なら、どっちかっていうと紅太くんの方じゃない? 綺麗なところも儚げなところも雰囲気的にもさー」
すらりとした細すぎるくらいの体躯に、切れ長の瞳と長い睫毛の整った顔立ち。学祭でやらされてた女装も、とんでもなく美人さんだった。
どこか憂いを湛えたように見える儚げな表情は、見る者を惹きつけるが、一方で人を拒むような冷たさがあった。そのせいで後輩たちは、少々話しかけるのを気後れしてしまうらしい。
その外見と呼応するように、内面も繊細で。
けれど冷たく映る美しさとは裏腹に、とても優しい人だ。
そんな彼の方がきっと、凡百の容姿で標準体型の私なんかより、よっぽどふさわしい。
だけど本人には、すげなく否定される。
「俺は違うよ。っていうかそれ、あんま褒めてない」
事実なのに。
桜の奥ゆかしい美を体現したようなお人だというのに。
「しいて言うなら、名前からして梅の方でしょ」
「なんで?」
「
なるほど!
名前の「紅」にかけてだね。
いいないいな。それは大変よろしい気がするな。
梅もまた、彼を表現するにあたっては大変に雅でよろしいな!
そう思って、気に入ったのに。
「……やっぱやだ、梅にはしない」
自分で言ったくせ、それを却下する。
むう、と私は眉間に皺を寄せた。
「えー、いいじゃん! なんでやめるのさー」
「梅と桜じゃ、時期が合わない」
「時期?」
「俺が梅だったら。
そう、真顔で言って。
彼は、私の目をじっと見つめた。
そういう、不意打ちは、ずるい。
そしてこの人は。基本とっても、ずるい人なのだ。
きっと寒さの所為で急に赤くなった頬に驚き、思わず顔を背けて、私はつい茶化してしまう。
「じゃあ私、ドクダミになるわ」
「それもだめ。ドクダミだって時期が違う」
「えー」
詮無いことを話しながら。
はらはらと降りしきる雪の中、私たちは並んで歩いていく。
+++++
「また一歳、大人になりました!」
『……早いよ』
するするとなめらかに針の動く電波時計と、一分前からにらめっこし。
秒針が十二を指したタイミングで、すぐに電話を掛けた。
すると、最初のコール音が鳴り止まぬうちに通じた電話から返ってきたのは、深いため息。
『俺が先にかけようと思ったのに』
祝われる側から掛けてどうするの、と紅太くんはぼやく。
だって、しょうがないじゃん。私がかけたかったんだ。
けれど彼は少し不満そうだ。
『いろいろ早いって』
「いろいろ?」
『いろいろだよ。電話もそうだけど、誕生日自体も。なんで俺より早く年上になっちゃうの』
そうやって、電話の向こうで拗ねた気配がする。
去年もやったな、こんなやりとり。
「誕生日はしょうがないじゃん」
『そりゃ、そうなんだけどさ。……せめて、電話くらいはさ』
「だって他の人からまかり間違って連絡が来る前に、二十一歳になって最初に紅太くんと話したかったんだもん」
『……適わないなぁ』
そう優しく言って、紅太くんは折れてくれた。
『それで? 本日の主役は、行きたい場所は決まったの?』
「うーん……」
問われて私は言葉を濁す。
本日は土曜日。先週と違い、サークルの予定もない。なので今日は私の誕生日祝いに、どこかへ遊びに行こうという話をしていたのだ。
だけど。
『決まってないね?』
「う」
そうだと思った、と軽い笑い声が聞こえた。
しょうがないじゃん。
どこに行ったってさ、どうせ楽しいんだから。
悩みすぎて、決められないんだもの。
相手には見えないはずだけど、頭を抱えた私に救いの手を出すように、彼は提案する。
『なら、さ。桜、観に行こうよ』
「桜?」
『うん。この前は急ぎ足だったしさ。少し散ってるけど、まだ大丈夫なところもあるでしょ』
数日前。雪の降る中で見た満開の桜を思い出す。
それはなかなか素敵な提案だった。
雪の下の桜も綺麗だけれども、春の薄い青空の下で眺める桜だって、もちろん好きだ。
「行く! そうする!」
『よかった。じゃあ、それで』
明日、いや今日の予定が決まったところで、私はほっとして肩の力を抜いた。
「雨降っちゃったけど、幸いまだ学校近くの桜も綺麗に咲いてるしね。楽しみだなぁ」
『そうだね。……そのとおりだ』
何故か、どこか含みある口調で言って。
不意に彼は、尋ねてくる。
『ねえ。この前の話、覚えてる?』
「この前?」
『君が桜に似てるって話』
覚えてるけど、急にどうしたんだろう。
きょとんとしていると、彼はさらりと言ってのけた。
『桜はさ。誰もが見上げてその花を愛でるだろ。
そういうところが、すごく似てるなって思ったんだ』
……ひええ。とんでもないこと言ってるよ、この人!
そんな大それた人間じゃないよ、私!
慌てて待ったをかけようとするが。
その前に、彼は続けて思いも寄らぬ方向へ言葉を重ねる。
『だけどね。やっぱりそう表現するのは、やめようと思うんだ。
だって。桜だと、他の人まで、みんなが君のことを見上げてしまうから。
それは、俺だけでいいんだ』
私に向けられた言葉のはずなのに。
まるで独り言のように、宣言のように、彼はそう言い切ると。
『明日……いや、もう今日か。
今日の夜は、家に行くからね』
今度は確かに宣言として、私に告げた。
……今日の夜。
今も夜だけど、そういうことじゃない。
そういう、ことじゃない。
『だから。いろいろ、準備、しておいてね』
「じゅん、び」
『部屋が散らかってるところに呼びたくないでしょ』
「あ、ああなんだ、そういう!」
『心の準備も要るだろうし』
泡を食ったまま、楽な方向に逃げようとした私をすげなく突き放し。
囁くように、そっと言う。
『もう、大人だから大丈夫だよね?』
そういう、不意打ちは、ずるい。
そしてこの人は。基本とっても、ずるい人なのだ。
さっきは彼に、適わないと言われたけれど。
いつだって適わないのは、私の方だ。
電話だからなおのこと。
耳元で言われているようでよくなかった。
思わず私は動揺して、ずるりと座り込む。
けど、きっとそれすらも電話の向こうからお見通しだったのだろう。
だってそうじゃなきゃ、こうもタイミング良く追い打ちをかけてくるはずがない。
『だから、今日は。
どうか、俺だけのための花を咲かせてね?』
君の花の名は僕しか知らない 佐久良 明兎 @akito39
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