女神は供物を受け取らない

「さようなら」


 千草はつぶやきながら公園を歩いていた。


 千草が歩いているのは級友の、そして千草をいじめていた藤枝が惨殺された公園だ。


 けれどそれは、二人の通う高校の教諭だった吉村が被疑者死亡のまま書類送検され、すでに終わったはずの事件だった。


 だから、気の早いことにこの公園には『首のない女が助けてと追いかけてくる』、『深夜12時ちょうどに広場に行くと血まみれの女がぼんやりと立っている』等の他愛ない怪談がもう作られていた。


 けれど、千草はそれが全部嘘だとわかっていた。


 藤枝の首は頸動脈が切られただけで切り離されてはいなかったし、逆にその両足は見事に切断されていた。


 だから、藤枝はもう走ることも立つこともできないはずだった。


「まあちゃん」


 千草が一本の木を撫でる。


 木の根元にゴミのように置き去りにされていた藤枝。


 千草は、公園の中の多くの木々から、正確にその木を選び出していた。


「ねえ、まあちゃん、知らないと、思ってたの」


 千草の口からこぼれる言葉は信じがたいことのはずなのに、静かな強さに満ちていた。


 槇絵が『女神』と称えた姿を現しているように、見えた。


「見てたんだよ、全部。まあちゃんのしてくれたこと。でもまあちゃん、親しまないでってお手紙に書いてたでしょ?だから知らないふり、してたんだよ。知らないふりしてるのが、全部受け取ってるってことだったんだよ。頭のいいまあちゃんにはわかってると思ってたのに」


 そして、そのままそこにかがみこみ、木の根元の土を掬う。


「まあちゃん、ここにも斧を突き立てたの?あたしの望みを全部かなえるって、嘘だったの?あたしの望みはまあちゃんとずっと一緒にいることだったよ」


 千草が握りしめた手を広げる。


 その隙間からぱらぱらと土がこぼれ落ちた。


「吉村先生、殺したのはいいよ。なのになんでまあちゃんまで死んじゃったの?愛してるっていうのも嘘だったの?」


 千草の目尻に涙が浮かび、彼女はそれをこらえるように、ぐっと歯を噛み締めた。


 吉村という異常者の手にかかりながら、妹を守って死んだといわれている姉の葬儀で号泣していた彼女とはまったく違う顔だった。


「あたしもまあちゃんのこと愛してたよ。まあちゃんは、まあちゃんの書いた通り、もう一人のあたし。だから、まあちゃんのくれる手紙全部嬉しかった。藤枝さんを殺してくれたのも嬉しかった。でもあたし、まあちゃんが死ぬのなんか望んでない」


 爪に食い込んだ土を千草はじっと見つめていた。まるで、消せない血痕を見るように。


「ずっと一緒にいたかったのに。まあちゃんがお手紙にあんなこと書かなければ、あたしもちゃんと愛してるって言えたのに。まあちゃんのばか。

 まあちゃんはいつだって自分がいちばん頭がいいと思ってた。でも、頭がいいのと、愛してるのとは違うのに」


 千草の頬を涙がつたった。


 それにはかまわず、千草はその場に体育座りで座り込む。


 土に汚れた手で、顔を覆う。


「あたし、いつまでも待ったのに。まあちゃんと引き離されても、ずっと、ずっと、待ってたのに。

 どうして、一緒に生きようって思ってくれなかったの?」


 手の汚れがついた頬のまま、千草は上を見上げた。


 いつものように、そこに槇絵がいるように。


「だからまあちゃん、今度の供物は受け取ってあげない、まあちゃんの手からくれない限り、あたし、もう、なんにも受け取らない。でも喜ばないで。あたし、死んだりしないから」


 そして、涙声で続ける。


「あたしは半身を奪われたままで生きる。全部まあちゃんのせい。地獄に落ちたとき、まあちゃんのこと、ひっぱたいてやる。だから」


『それまで待ってて』


 千草の囁くような声は、闇に溶けた。




               ※※※





 女神は天使を知っていた。


 知らないのは、天使だけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天使はその手に斧を持つ 七沢ゆきの@11月新刊発売 @miha-konoe

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ