第4話 田舎のだんご屋のぼた餅
この春、樹木の大移動をするために、午後の時間、長靴を履いて、作業着を身にまとい、せっせと働いています。
春の私の、いつもの行事です。
五年もののもみじの樹を抜き取りました。
もみじの根っこは、地中深く太い根を突き刺しています。あまりに深く、もはやどうにもならなくなり、地べたに腰掛け、伐採用の小型ノコギリでその根を切らざるを得ませんでした。
花を咲かせ、実をつけてくれないオリーブの二本の樹も抜き取りました。
種類の異なるオリーブを植えれば、結実すると言われて、植えたものですが、一向に花を咲かせ、実をつけてくれません。
これも思い切って、抜き取ります。
こちらは根を横に長く張っています。
そして、三つの樹木を用意した大きめの鉢に植え替えたのです。
果たして、生き延びてくれるだろうか。
そんな心配をしながら、かれこれ二週間が経過しました。
もみじは、新芽を膨らませつつあります。
しかし、オリーブはちょっと元気がありません。
なんとか、樹勢を回復してほしいと願っているのです。
でも、樹木って、本当に強いって思うんです。
樹木の命は、例えば、「縄文杉」などと言うように、人間の命など叶わないほどの長さを誇っています。
我が宅のように、主人の気ままで、移されたり、勝手に枝を整えられたりする樹木もあれば、人目に触れることもなく、自然の中で巨大になっていく樹木もあります。
クスノキなどは、その典型です。
日本の各地にあるクスノキは、巨樹の代表格といっても差し支えありません。
幹周りが24メートルもあるクスノキを、先だってテレビのドキュメンタリー番組で見ましたが、もはや、そうなると神々しさが漂ってきます。
古代の日本人が、そうした木に神々が宿ると考えたのも、当然のことだと思うのです。
もし、樹木に意思があり、知能があり、記憶する力があれば、彼らは、人類の歴史をその始まりから今に至るまで、確実におさえているはずなのです。
卑弥呼が百余国を束ねたことも、ヤマトタケルが日本各地を回って大和朝廷の威光を広めたことも、平安の貴族が優雅に歌を詠んでは我が世の春とめでたことも、武士が天下を奪い取り、戦いに明け暮れたことも、すべてを見てきているのです。
しかし、樹木は何も言わない。
何も教えてくれないのです。
ただ、そこにあって、年輪を増やし、じっと、人の行いを見つめているだけなのです。
どこであったか、九州のどこかであったかと思いますが、たらちねと呼ばれる巨樹を見て、感動をしたことがあります。
たらちねとは、枕詞でのあの「垂乳根」のことです。
イチョウの木だったかと思います。
気根が地上にあって、大きくふくらみ、まさに異形なる姿でそこにありました。
その硬いふくらみに手のひらを当てると、ドクドクと言う、命をつなぎとめる音が聞こえてきそうでした。
本来は、地中にあって、そこから養分を吸い取る根っこが、大気中に出てきて、そこから息をしているのです。
木には、そうした力もあるのだと、その力のありように驚いたものでした。
私たち人間だって、この世が水で覆われたままであったら、耳の裏あたりにえらができて、肺に空気を送ることができる機能を備えていたかもしれません。
人間だって、大昔は、海で生活した生物から進化したと言うのですから、まんざら不可能なことではないのです。
肩甲骨あたりが、進化して、翼になったって、それだっておかしいことではないのです。
尾てい骨が尻尾になって、樹木の枝から枝へと尻尾を巧みに絡めて移動することだって、当然、可能なことであるのです。
そういえば、人間がかつて描いた絵を思い起こしますと、確かに翼を持った人間も、尻尾を持った人間も描かれています。
龍だって、鳳凰だって、麒麟だって、学者はそれは想像上の動物だって言いますが、あれって、もしかしたら、かつて本当にいたのではないかと、思っているのです。
だから、古代の人はそれを思い出して、描いた、それが形をより芸術的にして、今に残る、そんなことではないかって、思っているんです。
そんな思いを心に描きながら、休憩時間に、私は買ってきた、田舎のだんご屋の、評判のぼた餅を頬張ったのです。
ウッドデッキがくれた世界 中川 弘 @nkgwhiro
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