俺と銀の錫杖

依月さかな

俺と銀の錫杖

「なあ、キツネの旦那。いい加減ウチに入ってくれよお」


 勧誘を受けたのは一体これで何度目になるだろうか。

 皮袋に入った報酬の重みを確かめながら、ヒムロは記憶を探る。商品を納品するたびに声をかけられているから、たぶん優に五十は超えているだろう。


「アンタも懲りねえな。入らねえって言ってんだろ」

「そんなこと言わないでさ。旦那ほどの実力なら幹部の方々には重宝されるし、すぐに上を目指せると思うぜ?」


 カウンターにヒジをついて、男はめげずに頼み込んでくる。声を潜めているのは店内と言えど、誰かに聞かれることをおそれてのことだろう。


 ひとつため息をついて、ヒムロはざっと店内を見渡した。

 人が多く賑わう街の片隅にひっそりと建っているせいか、酒場なのに客は自分一人だけで閑散としていた。まだ昼間とはいえ、少なすぎる。ちゃんと経営していけるのか。

 だがそんなことは、ヒムロにとってどうでもいいことだった。


「くどい!」


 手に持っていた銀の錫杖でガン、と床を突いた。続けてシャランという音が響き、カウンターの男は押し黙る。

 受け取った皮袋を懐にしまい込み、ため息ひとつ。

 シンと静まり返った空気の中、白藍の太い尻尾をパタリと揺らした。


「俺はフリーランスでやるって決めてんだよ。組織に入るつもりはねえ」


 先ほどよりも落ち着いた声で、ヒムロはまっすぐに渋面の男に断りを入れた。長い髪の間から出ている彼の狐耳も逆立っている様子はない。もともと怒っていたわけではなく、声を荒げたのは相手がしつこかったからだった。


「けどさ、やっぱりフリーでやっていくにはキツいって。旦那がウチに売りつけてくれる道具や薬は表の世界では捌けないものばかりだぜ? どこにも属していない状態で、そんなヤバいもん作ってたら万が一ってこともある。相棒だっていないんだろ?」

「相棒ならいるぞ」


 男が目を丸くすると同時にヒムロが掲げたのは、いつも肌身離さず持っている銀の錫杖だった。まるで主の言葉に応えるように、杖はシャランと鳴く。


「それって、ただの杖じゃねえか」

「ああ、そうだ。この世界で生きていくために必要不可欠な俺の武器だ」


 再び、杖がシャランと鳴いた。

 頬杖をつき、カウンターの男はふぅんと呟く。けれど、その表情が納得していないことはヒムロにも分かっていた。


「つまり、信用できるのは自分の実力だけってことかい」

「そういうこと。悪いが、俺は自分以外は信じないことにしてるんだ。裏の組織も、国を守る王族連中もな」

「それだけ自分の腕に自信が持てるのもすごいねえ……」

「だって、これは自前で作った最高傑作だからな。こう見えても仕込み杖で、剣にもなるんだぜ。まあそれに、実際お前たちは俺の作る魔法道具を評価してくれているだろう?」


 尋ねる前から、答えははっきり分かっていた。

 引きつった笑みを浮かべつつ、男は目をそらす。


「はは、そうだったな……」

「今後も贔屓にしてくれるなら、また道具は売ってやるさ。じゃあな」


 くるりと踵を返し、ヒムロは木製の扉を押し開ける。

 向こうが客なのにこちらが上から目線なのは、自分以外に頼る技術者がいないことを見越しているからだ。

 下っ端といえど、相手のバックには裏の組織が付いている。下手に出れば舐められ、立場が逆転しては困る。


 表の通りを歩きながら、杖をカツンと床石で突く。シャンシャンと鳴る音が白藍の獣耳を揺らし、心地よく感じた。


 ヒムロには家族がいない。

 年の離れた弟がいたが、うんと幼い頃海賊の手によって拉致され、生き別れとなってしまった。故郷から遠く離れたこの地では探す術があるはずもなく、今ではどこにいるかも分からない。自分よりも弱くて小さかったから、きっと生きてはいないだろう。


 なぜなら。

 世界はたやすく生きていけるほど優しくはなく、ひどく残酷で、弱いものは強いものによって常に踏みつけにされるからだ。

 子どもの頃から大人になるまで、何度もそのことわりを思い知らされてきた。


 でも今は、自分の身を守る力も知識も手にしている。

 信じられるのは自分と、いつも共に苦楽を共にしてきたこの杖だけ。

 だって、手入れを怠らない限り、道具や武器は嘘をつかないのを知っているから。


「これからもよろしくな、相棒」


 無機物である錫杖に声をかけても応えるはずはないのに、シャンと返事が返ってくる。

 まるで生きているみたいだなと一人おかしくなって、ヒムロは口元を緩めた。

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俺と銀の錫杖 依月さかな @kuala

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