第7話 誕生日デートと幼馴染の距離(1)

 翌日、午前十時過ぎ。


「美乃梨。壮空そらくんがお迎えに来てくれたわよ」


 明るいお母さんの声に、鏡の前で普段どおりを意識し過ぎて完全に正解を見失ってた私は、自室のドアを振り返った。


「ええ? 十時半に家の前で待ち合わせって言ってたのに」


 早くても遅くても五分以内が常だった壮空に、とりあえず「ちょっと待って」を伝えようと、候補だったグレーのコートを持ったままドアに向かう。


「いいわねー、誕生日に、しかもクリスマスデートなんて。お父さんとの初デートを思い出すわぁ」


 片手を頬に、たぶん何十年か前の今日にトリップしてはしゃぐお母さん。


 お母さんたちって、クリスマスが初デートだったんだ。知らなかった。


 昨夜、どことなく、違和感を払拭できないまま別れた壮空を思い出して、ワンテンポ反応が遅れた。

 一時間程で切り上げた作戦会議からの帰り道。壮空が連絡して迎えに来てもらったうちの車の中で、運転するお父さんと会話しつつ、時々、助手席から窓外を見つめ続ける壮空を、私は後部座席から見てた。


 ……って、ちょっと待って!


「ちっ、違うからっ! 今日はデートじゃなくて、サプラ……ッ」


「美乃梨、おはよ。それと、……」


「壮空っ? お、はよ」


 お母さんの横から唐突に、グレーのコートを羽織る壮空が満面の笑みを覗かせた。慌てて口をつぐむ私に、わずかに目を見張ったような壮空も言葉を飲み込む。


 まさか今の聞いてたっ?


「な、何?」


「あ、いや。美乃梨、誕生日おめでとう」


「ありが、と……」


 笑顔を取り戻す壮空に、ぎこちなく視線を外しながら、二度目のおめでとうに応えた。

 深夜十二時ちょうど。ほぼ同時に届いてた、愛海まなみも含む三人からのおめでとうメッセージには、今朝、起きてから気が付いた。一番に返信したのは、もちろん柊二しゅうじ。疲れて寝ちゃっててごめんねと、講習、頑張ってねって添えて。


 壮空は、一番最後。何となく後ろめたい。


「え? でも、お隣の街に二人でツリー見に行くんでしょ? 俺が美乃梨を守るからって壮空くん、かっこ良くてドキドキしちゃったぁ」


 私たちの空気なんてお構いなしに、変わらずはしゃぐお母さんにまた慌てた。


「だ、だからそれは……っ、ねぇ、壮空っ?」


 サプライズのことは言えない上に、大袈裟に脚色された誤解をどう解こうか咄嗟に思い付かなくて壮空を見ると、


「美乃梨、出掛ける時間は予定どおりでいいから。おばさん、俺、下で待たせてもらっていいですか?」


 お母さんの背中を押しつつ、焦ったように壮空が部屋を後にする。


 あの壮空がこんな分かりやすく動揺してる……。ダメだ、気になる。


 ゆっくりコーデなんて決められるはずもなく、コートからハンガーを外し、急いで階下へ降りた。


「あ、ねぇ、壮空くん。今夜のメインはすき焼きはどう?」


「えっ、いいんですか?」


「お母さん、クリスマスにすき焼きって。それより、ほらあの、若い子はパラリラとかいいんじゃないか? なぁ、壮空くん」


「…………もしかして、パエリアですか? おじさん、すぐ知ったかぶるから。ていうか、パラリラって」


 不安だったリビングの向こう側。頼りない朝の光を背に、お母さんと壮空が吹き出してる。程なく届く、香ばしい香りが鼻先をくすぐって、私の心も綻ばせる。


 来たばかりの壮空が、お母さんと一緒にキッチンでコーヒーを淹れてて。それをダイニングテーブルに座るお父さんが、照れながら見守ってる。その光景がすごく自然で、本当の親子みたいに見えて。


 珍しく、いつもよりテンション高い? ってくらい、壮空の顔が明るくて。


「でも、今日は美乃梨の誕生日だし、美乃梨が喜ぶもの、たくさん作ってあげて下さい」


 お気に入りの紅茶を手に、私もすぐに加わりたかったのに、壮空のその一言で入りづらくなってしまった。

 クスクス笑いで返すお母さん。


「じゃあ、すき焼きに決定ね」


「え?」


「昔から美乃梨、誕生日に今日何食べたい?って聞くと、壮空くんが好きなものばっかり挙げてたのよ。何聞いても壮空くんのことが一番で」


「そうだったなぁ。幼稚園の頃なんて、プレゼントまで壮空くんの好きな赤レンジャーの変身グッズにするって言うから、つい、お父さんと壮空くん、どっちが好きなんだって聞いてしまって……」


「そ、壮空っ。お待たせっ」


 一斉に顔を上げる三人の内、壮空と目が合うと赤くなりそうで「早く行こう!」って、追い立てて玄関に向かった。


 履くのは、白のスニーカー、一択。カジュアルに外して、この外出は特別じゃないからをアピール!


「行って来ます!」焦る私と、「行って来ます」……壮空の顔は知らないっ。


 閉じ始めた玄関ドアの隙間から、両親の楽しげな「行ってらっしゃい。気を付けてね」を聞くと、ホッと息を吐いた。冬らしい曇天に、今日は一段と立ち上る吐息が白い。風が抜けると、変な汗をかいてたのか、額や首筋に冷たい感触がした。


 壮空に何か言われる前に、そそくさと歩き出して、十秒後。


「……なぁ、美乃梨」


「言っとくけど、さっきのは全部、幼稚園の頃の話だからっ! 今は自分の好きなもの最優先で挙げてるからっ」


 突如、立ち止まって訴える私に、隣を歩く壮空も苦い顔で止まる。


「……分かってる。じゃなくて、その服着てくれたの、かなり嬉しい」


「服?」


 言い逃げした背中を追いつつ、気付いてしまった。コートの下は、一昨日、壮空が選んだ水色のワンピースだ。


 無意識の、壮空との普段どおり。


 前を行く壮空は、大学生っぽいキレイめのコーディネート。濃色に、裾から白のロングTシャツ覗かせる辺りとか。事あるごとに私が推してた、一番好きな感じ。


「あ」


「どうした?」


 小さく声を上げた私を、壮空が振り返る。


 しまった。コートの色かぶった。

 なんて言いたくない。


「き、今日、なんか暑くない?」


「……午後から雪の予報出てたけど。俺もそう思う……」


 ふっと笑い合えたお互いの息が、当たり前だけど同じ色に見えたのは、なんか嬉しかった。



 ***



「予想はしてたけど、すっげー人だな」


 電車で十五分程の隣街は、柊二が住む最寄駅とは逆方向に二駅。何度か来たことはあるけど、壮空と二人で来るのは初めての場所。


 クリスマス当日の日曜日。華やかに彩られた駅前には、たくさんの笑顔の花も溢れてる。駅構内にも、左右に続く多くのお店の店頭にも、話題のクリスマスツリーのポスターが貼られてて、たぶん今からもっと混雑するんだろう。


「壮空、こういう人が多い場所、苦手じゃなかったっけ? 大丈夫?」


「ああ。それより……」


 一度、下方へ視線を落とした壮空が、パッと顔を上げて右方向を促した。


「はぐれそうだから、俺もなるべく気を付けるけど、何かあったらすぐ言えよ」


「あ、うん」


 手、繋がれるかと思った……。


 変に身構えてしまった右手をバッグでごまかして、小走りで壮空の隣に追い付く。この感じ、中学の頃に少し似てる。

 でも、ここまで触れることなく、隣り合って乗った電車も。


「美乃梨、こっち側歩けば?」


 歩道をショップ側に誘導する、慣れた女の子扱いも。

 今までとは、明確に違うぎこちなさが漂う。


「あ」


 それでも切り替えて寄った、一店目の雑貨屋さんを出てすぐ、ガラス張りの明るいお店の前で壮空が立ち止まった。


「どうしたの?」


「美乃梨、好きそう」


「え?」


 視線を追うと、有名ジュエリーショップのショーウィンドウ内に、この時期限定のリングが飾られてる。白で統一されたディスプレイに、細身で、控えめな可愛いさのリングが輝く。


「あー、ホントだ。可愛いっ」


 なぜか無言の壮空を見上げると、こっちを見て微笑んでた。


「な、何?」


「絶対、似合うと思う」


「そう、かな。どうしよう。着けてみようかな」


「あー、いいけど……」


「彼女さんへのプレゼントですかー?」


 !


 続けようとした壮空を遮って、店員さんに声を掛けられてしまった。


「違います!」すかさず否定する私と、「じゃなくて、両親にです」口元に手を当てる壮空は、今日、二回目の赤い顔をしてる。

 お互い、焦り過ぎでしょ。


「えー、可愛いー! でも、お二人、すっごくいい雰囲気ですよー」


 主に壮空を見て騒ぐ女性店員の言葉に、照れたまま一瞬こっちを見た壮空。


 ドキリと胸が鳴った。

 今日の壮空は、珍しく感情を表に出してて戸惑う。


「またゆっくり見に来ます」


 否定せず、微笑して答えた壮空に、チクリとした動揺が走った。


 次は誰と、見に来るんだろう。

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