桜花一片に願いを

夢月七海

桜花一片に願いを


「第三緑化ドームの桜が咲いたって」

「そうなの? 帰りに見に行こうよ」


 後ろに座っている男女から、そんな話をしているのがふと聞こえて、私は本を読んでいる手を止めた。

 この大学に入って、もう三回目の春。人口太陽は南寄りになり、暖かい風が吹くようになっている。


 ふと、自分の周りを見回してみる。講義が始まる前の講堂で、紙の本を読んでいるのは私だけだった。

 私たち世代が生まれるころにはすでに紙の本は出版されなくなっていたから、同じ大学生たちは全員電子書籍を用いている。


 私は本が勝手に閉じるのも構わずに、栞を手に取った。

 とてもシンプルな、薄いピンク色に青いリボンが結ばれたその栞には、もう色が褪せて白くなっている一片だけの桜の花びらが挟まっている。


 この栞は、本が大好きなひいおばあちゃんがくれた栞だった。

 私はこの栞を無くさないように、意図的に紙の本を読んでいる。


 桜の「開花」の話を聞くたびに、私はこの栞の本物の桜の花びらに触れながら、願いを込める。


 今年こそ、桜が咲いていますように、と。






   ◇






 私が初めて第三緑化ドームで桜を見たのは、幼稚園の遠足だった。

 先生が「ここから先には入らないでください」といった場所から眺める桜の花は、とても綺麗でいつまでも眺めていられると思った。


 当時、やんちゃだった私は、先生が見ていない隙にそっと桜の根元まで近付いた。

 ひらひらと落ちて地面に積もった、桜の花びらが一枚、どうしても欲しかったからだった。


 しかし、地面に落ちた桜の花びらは掴めなかった。それどころか、私の掌に乗っかっていた。

 びっくりして、その掌の花びらを取ろうとすると、今度はもう一方の手に現れる。そんなことを繰り返していると先生が私に気付き、慌てて連れ戻されて、酷く叱られた。


 私はどうしてあの桜の花びらが拾えなかったのかが分からず、ひいおばあちゃんに理由を聞いた。

 ひいおばあちゃんは紙の本のコレクターで、ベッドと机のある壁以外は本棚が入っていて、それにも収まり切れない本が床にタワーを作っていた。とても狭くて、古い紙の匂いがする場所だったけれど、私はここが大好きだった。


「それはね、あの桜の花が本物ではないからだよ」


 ひいおばあちゃんの言葉に、私は酷く驚いた。

 大人たちから、緑化ドームに生えている植物はすべて本物だと教えられていたからだった。


「じゃあ、あの桜は道路に生えている木みたいに、レプリカなの?」

「木は本物だよ。ただ花はね、映像を投影して、咲いているように見せているの」


 ひいおばあちゃんは、子供の私にもわかるように、プロジェクションマッピングの技術について説明してくれた。

 私は、あの桜の花びらが拾えない理由が分かったものの、なぜわざわざ本物の木にプロジェクションマッピングをしている訳が理解できなかった。


「私が若い時は、まだ桜の花がちゃんと咲いていたからね」


 私の疑問に、ひいおばあちゃんはそう答えて、どっこらしょと言いながら腰を浮かせた。

 ひいおばあちゃんが机の上の本の山を掻き分けて持ってきたのは、一冊の写真アルバムだった。アルバムには栞が挟んであって、ひいおばあちゃんはそこを開いた。


「ほら、見てごらん」


 ひいおばあちゃんが指差したのは、一本の桜の木に満開の花が咲いていて、それを見上げている人々の写真だった。

 古くて印刷された写真だが、保存状態が良くて、桜のピンク色もドームの人口空の青さも、目を見張るほど美しかった。


「どうして桜は咲かなくなったの?」

「私が生まれるより前にね、桜の木が何本か、地球から運ばれてきたそうなのよ。だけど、この一本以外は環境に慣れなかったのか、全部枯れちゃって、今ではこの一本だけになってしまってね……それも、いつからか咲かなくなっちゃたの」


 ひいおばあちゃんの懐かしさと悲しさの入り混じった声を、私は写真を見たまま聞いていた。

 ひいおばあちゃんが生まれる前から生えているこの桜の木は、私が想像できないくらい長い時間を眺めていたのだろうか。


「もう、この木も枯れてしまったの?」

「いいえ。植物のお医者さんの話では、まだ生きているみたいなのよ。今はただ、咲いていないだけで……」


 目を細めたひいおばあちゃんは、優しく写真の上の桜を撫でた。


「みんな桜の花が大好きで、毎年見に行くのが楽しみにしていたのよね。だから、咲かなくなってしまったのがとっても悲しくて、プロジェクションマッピングなんてやり始めたのでしょうね」


 私はひいおばあちゃんの話になんて返せばいいのか分からずに、ちょっと視線を桜の写真から外した。

 丁度、その視線の先に栞があった。改めて、その栞を眺めた私は、「あっ!」と声を上げて、その栞を持った。


「おばあちゃん、これって、本物の桜の花びら?」


 一瞬、きょとんとしたひいおばあちゃんは、私の興奮に気付くと、柔らかく微笑んだ。


「ええ、そうよ。欲しい人には、桜の花びらが配られていたわ。もちろん人気で、中々もらえなかったけれど……」


 私は顔を赤くして、ひいおばあちゃんの思い出話に耳を傾けていた。

 そんな私の様子が珍しかったのか、ひいおばあちゃんは話の途中で噴き出した。


「良かったら、この栞、あげましょうか?」

「えっ! いいのっ!!」


 びっくりして、私は狭い部屋でそう叫んでしまう。

 このまま飛び跳ねてしまいそうな私の様子を見て、ひいおばあちゃんは嬉しそうに頷いていた。


「だけど、今では緑化ドームの植物を採ることは禁止されているからね。絶対に駄目だから、それは守ってね?」


 ひいおばあちゃんが釘をさしてくるけれど、正直私は話半分しか聞いていなかった。

 なんとなくで頷きながら、熱心な目線は栞の中の花びらに注いでいた。






   ◇






 あれから、ひいおばあちゃんは体を悪くして入院してしまい、それからしばらくして亡くなった。

 だから、この栞がひいおばあちゃんからの最後のプレゼントだったなと、夜風に吹かれて歩きながら思う。


 私は、亡くなったひいおばあちゃんの紙の本を全部譲ってもらい、それに栞を挟んで持ち歩くようになった。

 そして、いつからか春になると、本物の桜が咲いていますようにと、この栞の花びらに願いを込めるようになっていた。


 こんな、子供じみたおまじない、信じている訳ではないけれど、どうしても気になって、私は本当に桜が咲いているかどうかを確かめに行く。

 でも、日中は桜を見に来る人がいるので、行くのはいつも夜だ。


 夜のコロニー内はひっそりとしている。別に夜に出てはいけないという法律は無いけれど、この辺は飲み屋とか少ないから、殆どの建物は電気を消して眠っていた。

 段々と、緑化ドームの丸い形が見えてきた。裏口に立っている、人型ロボットの姿も。


「こんばんは。Oさん、久しぶり」

『お久しぶりです。お嬢様』


 人型ロボットのOさんは、緑化ドームの管理と警備を兼ね備えているためか、身長が高くてがっしりした体形になっている。特定の名前がないため、生産番号の頭文字をとって、Oさんと私は勝手に呼んでいた。

 一方Oさんは、私の名前を知っているけれど、一ロボットが気安く人間を呼ぶのは恐れ多いとか言って、「お嬢様」と仰々しく呼んでくる。


 Oさんが自分の腕のキーボードにパスワードを入力して、裏口のドアが開いた。

 先に歩くOさんに続いて、私も中に入る。


 ドーム内に入ってくるのは人工月の光だけで、辺りは植物の影が霞んで見えているだけだった。

 暗視機能付きのOさんは私に気を使って、頭上の白い緊急用ランプを付けているので、足元はぎりぎり見えている。


『お嬢様がここに来るのは、今年で三年目ですね』

「うん。毎年ありがとう」


 夜外出許可が出た年の春、私が最初に向かったのはバーやクラブなどではなく、この緑化ドームだった。


 だが、管理しているOさんは私を入れようとしなかった。Oさんお仕事は警備も兼ねているので、仕方ないけれど。

 私はドーム内に入れてくれるまでこの場から離れない作戦を行い、外で私を放置した場合の危険性を考慮したOさんが結局折れた。


「……三年間、一度も咲いていなかったけどね」

『今年はまだ分かりませんよ』


 これまで、桜が咲いているのを私は一度も見たことが無かった。

 桜の花のプロジェクションマッピングは一日中投影されている上に、蕾の状態から投影は始まっているので、Oさんもまだ結果を知らなかった。


 煉瓦で出来た道にこつこつと足音を刻むように歩いていると、ピンク色に光る桜の花が見えてきた。

 ひらりと舞い落ちるぼんやりとした光は確かに美しいけれど、これが本物ではないと知っている私はもの悲しさを感じてしまう。


『では、投影を中止します』


 Oさんが腕のキーボードを操作する。これでプロジェクションマッピングの装置を一時的に切るのだが、その為の特殊な操作は時間が掛かるらしい。

 私は、その間目線を上に移した。雨を降らす時以外は、透明になったドームの屋根から、空が見える。


 その夜空の中に、星葬によって生まれた、ひいおばあちゃんの星を見つけた。

 ひいおばあちゃんは、自分の星が緑化ドームを見える位置になることを望んでいた。また、私も毎年桜を確認するときは、ひいおばあちゃんの星が緑化ドームを臨む位置になった時を狙っている。


 桜の木の枝に僅かにかかる位置にあるひいおばあちゃんの星を眺めていると、カチッと音がして、桜の花が消えた。

 私ははっとして、じっと目を凝らして木の小枝を見る。Oさんが気を利かせて、さらにライトを強くした。


「……あった」


 自分の口から、そんな一言が漏れた。

 桜の枝の先、丁度ひいおばあちゃんの星の少し上に、桜の花が、三輪、咲いているのを見つけた。


 身を寄せ合うような三輪の花は、柔らかなピンク色で、ひいおばあちゃんがくれた栞の花びらと同じ形をしていた。

 見つけたのはたったそれだけでも、私は胸がいっぱいになるくらいに嬉しかった。


『ああ、咲いていますね』


 Oさんも私の目線の先を見て、機械音声で淡々と答える。


「咲いているよ」


 私も、風が吹かない中でも、誇らしく咲くその花を眺めながら呟いた。

 その声は、Oさんとひいおばあちゃんに向けられたものだった。






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