貧乏性:同題異話の間に合わなかったもの。

 とある自主企画の八月回に間に合いませんでした。

 四十分で書いたものではないですが、勿体ないので完成させてここに載せてみた。


 某鳥の文庫を意識したはずだったのに、途中で何かがおかしくなった気がする。



※6000文字程度を40分(だったはず)。後はしばらく放置していて、最近になって二、三日かけてだらだらと完成させた。

―――――――――――――――――――――――――


 八月二✕日  


 今日は星 座 がきえました。

 世界中で、星 座 を 考 えることができなくなったそうです。

 みんな、星 座 があるのはわかるけど、どの星とどの星をつなげばいいのか、わからなくなってしまいましたと、ニュースの人がいっていました。

 えらい科学者や 歴 史の先生が、みんなこまっていました。

 ぼくの星の図かんや星 座 速見板も、星 座 がわかる線と、星座の名前が消えてしまいました。


 ぼくには、



 ―――――大体の原因が分かったので、魔法使いに会いに行きました。



 と、正直に書いたら先生に呼び出されそうなので、絵日記の続きは後で考えることにした。


 子供は空想と自由に遊ぶのがいい。とかなんとか言いながら、小学四年生にもなってそんなことを言えば皆おかしなものを見る目で色々言ってくる。これが二年生とかだと皆ほほえましい、みたいな顔で見て流される。

 世の中の線引きがよくわからない。判定基準がおかしいだろ。

 そう思いながらも歩は、それを周りに言わないくらいにはきちんと世の中がよくわかっていた。

 なぜなら僕は天才だから。これは間違いない。だって魔法使いと、そのお供のお墨付きだ。

 そして魔法使いにも、そのお供にも口をすっぱくして言われたから。

 魔法使いのことは誰にも言っちゃだめですよ、と。



 さてその魔法使いの家の前で、歩はかれこれ五分は立ち尽くしている。

 近所でも目立つ大きい家だ。ただし城ではなくてお屋敷である。大きい日本庭園に立派な門。歩より小さい子供の手を引いたお父さんが、地主さんのお家かなぁなんて言いながら通り過ぎていくのが耳に入る。

 さっきから背伸びをして呼び鈴を押すこと計八回。湯気でも立っていそうな炎天下、しゅわしゅわと泡立つ蝉の鳴き声が日差しとセットで降り注ぐ。ええとあの鳴き声は何ゼミだっけ。アブラゼミ? 

 本当は五分も経ってないはずだけど、そう思うくらいにはこの場で待つことは拷問だった。

 もう一度だけ、呼び鈴を鳴らす。

 たっぷり心のなかで十数えてから、歩は斜めにかけた鞄から束と呼ぶには本数の少ない気がする鍵束を取り出した。そのうちの一本を門に差し込み捻れば、ガチャンと大きな音を立てて門が開く。

 別に開けゴマでも開きますよと言われたことがあるけれど、さすがに人の家にそれで入っちゃダメだと歩は思う。もっと言えば呼び鈴を鳴らして、中の人に開けてもらうべきだと思うけど、今回はいくら鳴らしても開けてもらえなかったから仕方ない。熱中症にならない方が大切だ。

 なんとなく自分のポリシーに言い訳をしながら、歩は身長の倍以上ありそうな門の片側を、両手で体重をかけて思い切り押した。ギィイ……とホラー映画のような音を軋ませる門に、クラスでぽつぽつと耳にするお化け屋敷のうわさを思い出す。

 どうやらこの家は他の子供にとって、近寄りづらい場所らしい。

 荒れ果てた家でも何でもないのに、怪しい笑い声が聞こえるとか、逆にものすごい叫び声が聞こえるとか、中に入ろうとしたら見えない誰かに怖い声で「出ていけ」と言われたとか、色々な怪談話を耳にする(そしてそのうわさの大体は、本当に魔法使いのしわざだと、歩だけは知っている)。

 耳にする割には怖いもの見たさで来ようとする子供がいないのは、多分前に肝試しをした帰り道に危ない目にあった子がいたからだ。それ以来、近付くと祟られるなんてうわさが更にくっついた。

 本当はその時例の子を助けてあげたのは、当のお化け屋敷の魔法使いその人であることも歩は知っているけれども、クラスの誰にも言う気はない。

 みんなが怖がって近寄ろうとしなければ、歩がこの屋敷に出入りしているのを見られることもない。この秘密がばれる心配がなくて、ちょうど良いのだ。


 中庭を突っ切り、玄関の鍵も開けて引き戸をスライドさせて開ける。

 家の中に入った途端に感じる目眩のような感覚は、青空の下からいきなり暗いところに入ったせいなのか、それとも怪しい家に入ったからなのか。夏の間歩はずっとここに来る度に考えていたのだけれど、答えは結局夏休みの終わりになっても分からなかった。

 太陽から隠れた途端に楽になるのを感じて、歩は小さく深呼吸をする。屋敷の奥から流れてくる、ひんやりとした冷気が気持ちよかった。

 靴を脱いで揃えておく。夏になってきゅうくつに感じ始めたスニーカーから両足が解放されてほっとした。やっぱりサンダルで来た方がよかったかなぁ。

 しばらくその場でぼんやり涼んでから、そういえば何をしに来たんだっけと我に返った。それと同じタイミングで、部屋の奥から冷気と一緒にかすかにわめき声が聞こえるのを拾った歩は、本来の目的を思い出すと、慣れた廊下をペタペタと歩きだした。

 流れた汗の残りが頬を伝うのを、Tシャツの袖で軽くぬぐう。

 あー、冷たい麦茶が飲みたいなぁ。





 部屋の中に入ってまず飛び込んて来たのは、案の定大人げない喚き声と冷ややかな声の言い争う言葉だった。

「いいからさっさと元に戻せって言っているんですよこのアホ魔法使い」

「いやでーす! あと数日は絶対このままにしてやるもんね! なんならずっとこうしてやるわ!」

「自分が有史以前からの人間にどれだけ迷惑かけているかわかってんですかアンタは」

「うるせー、人間が地球にかけてる迷惑よりはましだ!」

「確かに色々と人類は問題点が多いことは確かですが、今はあんたの迷惑の話をしているんです。他の問題の話にすり替えようとしたってそうはいきませんよ」

「ふーんだ。何さ、クラゲのくせに気取った話しちゃってさ……あっ嘘ですごめんなさい! 無言で胸倉をつかむのはやめて!」

 玄関を入ってすぐの廊下を進んだ先にある階段を降りると、そこは魔法使いの研究所になっている地下室だ。お世辞にも普段から片付いているとは言えない部屋の中が、どったんばったんと掴み合いの喧嘩をする魔法使いとそのお供のせいで更にひどいことになっている。

「いでででで締まってる! 首締まっているからちょっと落ち着いて! 話せばわかるから! おはじきさんお願いです!」

 ギブ! ギブギブ! と叫びながら両手を挙げて降参のポーズをとっている歩の師匠こと魔法使いは、今日は間抜けなウサギの着ぐるみの頭を被っていた。

 歩は自分の師匠の顔を見たことがない。

 会う度に違う被り物をしていて、名乗る名前もしょっちゅう変えるから、歩はいつからか面倒くさくなって先生としかこの魔法使いのことを呼ばなくなった。身長や体つきから大人の人のように見えるけれども、本当に人間なのかもちょっと怪しいと歩は思っている。

 別に違う世界から来たとか何千年も前から生きているとか本人が言い張るのを真に受けたわけじゃない。それでもふとした時にこの人は普通の地球の人たちと違うな、と思うことがよくあった。

 とはいっても、今は自分のお供に胸倉を掴まれて、情けない声をあげている変な大人にしか見えないけど。

 あと、どちらかというと普段はクラスで好きな女子にちょっかい出している奴と同じレベルのことばかりしている人だけど。

 門の前で何度呼び鈴を鳴らしても出てこないわけだ。多分この魔法使いとそのお供は、歩が部屋に入ってきたことにすら気付いていない。

 いつまでも放っておかれるのも困るので、とりあえず部屋のすぐ脇に置いてある銅鑼のばちを拾い上げる。前に魔法使いがちょっとした思い付きで作った道具だけれども、今みたいにギャアギャアと周りが叫んでいる時に便利なので、歩はよく使っていた。

 まずは思い切り振りかぶって、一発。

 地下室に巨大な銅鑼の音が鳴り響いた。

『うぉおじゃましていまぁあああああぁああぁす……』

 元々は魔法使いが自分に厳しすぎる(と、本人は言っている)お供に口で敵わないからと、抗議のために作ったものだった。あっという間に反撃を喰らってすぐに使わなくなったけれど。

 歩の声を代弁して響き渡る銅鑼の音が、『あと冷たい麦茶が飲みたいでぇぇぇす……』と小さくエコーを付け加えてフェードアウトしていく。

 ようやくこちらを向いた一人と一匹(この数え方がいいのかわからないけれど)のうち、先に口を開いたのはやっぱりお供の方だった。

「歩、いらっしゃい。とりあえず麦茶持ってきますね」



「すみません、このアホ主と話している間に呼び鈴にも気付かなかったとは。外は暑かったでしょう」

 いつも通り落ち着いた丁寧な言葉遣いの魔法使いのお供は、そう言いながら氷のたっぷり入った麦茶のグラスと一緒に、よく冷えた水羊羹の乗った皿を持ってきた。

 クラゲによく似たきれいな体から流れるひらひらに混ざって四本だけ生えている細長い木製の腕のうち空いている二本が、てきぱきと歩の座る場所だけとりあえず片付けて手際よく給仕をする。

「ありがとう、おはじき」

「どういたしまして。朝顔はちゃんと元気でしたか」

「大丈夫。でも、今日は昼前に行ったからもう花びらが閉じちゃっていた」

「そうですか。この暑さですから、元気なだけでも何よりでしょう」

 元々名前がちゃんと付いていなかったこのお供は、これまで魔法使いが自分の名前を変えるのと同じタイミングで毎回適当な名前で呼ばれていたらしい。それだと不便だし巻き込まれて気の毒だと歩が前につけた名前はそれなりに気に入っているようで、今では魔法使いもその名で呼んでいた。

 透き通る体の中に浮かぶ平たい泡たちが、その名の通りキラキラと光を受けてカラフルに反射している。一流の庭師でもあるお供から朝顔について色々教えて貰ってからは、夏休み中の学校の朝顔の世話も少し楽しくなっていた。

「朝顔は良かったんだけどさ」左手に乗せた皿の上で羊羹を切り分けながら、歩は今日ここに来た本題を切り出した。

「星座がわかんなくなっちゃったから、自由研究の仕上げが出来なくなっちゃったんだよね」

「ほら見ろ既に実害が出ているじゃねえかこの腐れ魔法使い」

 おはじきの体の上に設置されたゴーグルの目がぐるりと動いてウサギ頭を睨みつけた。視線の先の当人は首だけ明後日の方向に向けている。ひゅー、すこー、と気の抜けた音が被り物の下から聞こえるのは、口笛を吹いているつもりのようだ。

「あ、やっぱり先生のしわざだったんだ」

「正解です、歩。はた迷惑な師匠で本当に苦労しますね。心中お察しします」

「一番苦労しているのはおはじきな気がするけれども、大丈夫?」

「ありがとうございます。気づかって頂けるだけでも大分心が楽になりますね。今度ばかりはしばき倒してやろうかこのスットコドッコイ主人め、などと荒んでいた気分も落ち着きました」

 時々、おはじきがクラゲ型なのはこの師匠限定で毒のある言葉のせいかもしれないと歩は思う。いや、それともクラゲ型だから毒を吐くのだろうか。にわとりが先か卵が先か。最近本で読んだ言葉が頭の中にちらついた。



 おはじきの説明によると、この魔法使いは歩が思っていた以上に大掛かりなことをやっていたらしい。

「世界中の人間の、点と点を繋げる力を一時的に弱めてしまったんですよ」

 それも「星座」限定で効果が強くなるように、というオマケつきなのだから更にとんでもない芸当だ。

「先生、やっぱりすごい魔法使いだったんだね」

「ふふん、でしょう! 歩もそんな私の弟子なんだから自信を持っていいんだよ!」

「ありがとう先生。でも自由研究が終わらないから早めに戻してほしい」

「ごめん、それは無理!」

 謝る言葉の割には胸を張って言われてしまったけど、早いところ直してもらわなければ本当に歩としても困る。星座の歴史と種類はもうまとめているから、あとは実際に空の観察をして自分で星座を見つけて描かなければ仕上がらないのだ。

 ちなみにまとめは完璧なものになったと我ながら思う。さすがは天才だ。だからこそ最後の仕上げまで完璧にしたいのに、これじゃあ形にならないじゃないか。


 というか自由研究のテーマに悩んでいた時に、「じゃあ星の研究にすればいい。そうしたら次は天文学に因んだ魔法でも教えてやろう」とか言っていたのは、先生本人なのだけど。


「全く、実力だけは偉大な魔法使い並なんですから、いい加減思い付きだけでめちゃくちゃをするのはやめてもらえませんかね」

 魔法使いのお供は四本の木製の腕で他の場所も片付けながら、最大級の「呆れた!」という感情を上乗せした声でため息をついた。

「思い付きじゃありませんー。ちゃんと考えてやっていますー」

 ぶーぶーとブーイングを飛ばしながら、小学生みたいな抗議をするウサギの被り物。うん、あんまり偉大な魔法使いっぽくない。

 そんなことを内心で思いながらも、現役小学生の歩は自分の師匠に向かって首をかしげた。

「それじゃ、なんでこんなことしたんですか?」

「…………………何となく」

 たっぷり五秒ほどの沈黙の後に小声で魔法使いが呟いたのは、見事なまでに矛盾する言葉だった。

 ―――――これは多分、何かを隠している。

 ちらりと歩がおはじきの方を見ると、お供のゴーグルも歩の方に視線を向けていた。食べ終わった羊羹の皿を、なるべく自然に、そして床のなるべく離れたところに置く。あまり行儀は良くないけど、他に置く場所も無いから仕方ない。

 互いにこっそり頷いてから、カウントすること三、二、一。

 ゼロのタイミングでおはじきが魔法使いを抑えこむと同時に、歩が多少片付いた床のスペースをスライディングで移動する。そのまま師匠の後ろに山積みにされた分厚い本や紙束の間から、不自然に突っ込まれた形跡の見える紙束を引っ張り出した。

「ああっ馬鹿! 何をするんだお前たち!」

 焦るウサギ頭の声と共に本の塔が崩れ落ちそうになるのを両手で押さえてから、歩は手にした紙束を目の前に持ってきた。

 それは魔法について書かれた古い本たちの山には不釣り合いな、今どきのカラフルな表紙の本だった。確か最近、映画化されて話題になったベストセラー小説だ。歩は読んだことがなかったが、前に兄が夢中になって読んでいた気がする。

 うっとりと語っていた兄は、確かこう言っていなかっただろうか。

 ――――主人公が恋人と一緒に、夜空を見上げて自分たちで星座を作るシーンがね、とてもロマンチックなんだよ。

 もしかして、いや、もしかしなくても、これは。

 思わず魔法使いの方にゆっくりと顔を向ければ、ウサギ頭がまた明後日の方向を向こうと首を動かしているところだった。




 その後、お供にこってり絞られながら魔法使いが白状したのは、歩たちがあの一瞬で予想した通りのベタベタな(本人は「最高のサプライズ! ときめき待ったなしでしょう!」とかなんとか言い張り続けていたけど)デートの計画だった。

 これまでも何回か思ったけど、この大魔法使いはちょっと、いや、かなり惚れっぽい。そしてただ惚れてしまうだけでなく、その恋のために時々とんでもないほど凄い魔法を使おうとする。そういう事態になるたびに、「いいですか、歩。こういうのを才能の無駄づかいと言うんですよ」とおはじきは全身であきれながら言っていた。

 実際のところ、恋愛小説のワンシーンにあこがれたからといって――――そしてそれをいざやってみようとしたら、たまたま何度かプラネタリウムに行ったことのある相手から「元々の星座の知識が邪魔しちゃうや、なかなかむずかしいね」と笑って言われてしまったからと言って――――魔法で星座を全部なくしてしまうのは、ちょっとやりすぎだとは歩も思う。私は完璧主義だからね! とか言っていたけど、それにしたって大掛かりだ。

「さて、何を企んでいるのかも白状したことですし、いい加減さっさと元に戻してはどうですか?」

「やーだね! 私がどれだけわくわくしながら準備をしたと思っているのさ!」

 木製の腕を組んで仁王立ちのように浮いているおはじきを目の前にして、勢いよくそっぽを向くウサギ頭。これはどう見ても反省していない。むしろ怒られたせいで、かえって意地でもこのままにしてやるとか思っていそうだ。

 けど、たぶんそろそろどうにかした方が良い。横を向いている魔法使いは気付いていないけど、お供のゴーグルの目には「まだ自分がいかに迷惑をかけているのかをお分かりでないようですね」という怒りの言葉が炎のように浮かんでいる。

 このままだと更に面倒くさいことになりそうなので、歩は横から口を出すことにした。

「先生、デートって今日の夜なんだよね?」

「そう、だ……けど……」

 ようやくこちらを見て頷こうとした魔法使いの声が、途中でどんどん小さくなっていった。

 やっと自分の置かれている状態が分かったらしい。背中に鬼を背負っているおはじきを見て、ウサギ頭が固まっている。

「じゃあ、今日が終わればもう星座をもとに戻してもいいよね?」

「はい……そうですね」

 お供が怖くて、思わず普段では使わないような丁寧な口調になっている。ここまでくればもう一押しだ。

「おはじきの言う通り、世界中の人が困っているんだと思うんだ。星の研究をしている人とか、プラネタリウムで働いている人とか」

「うっ……おっしゃる通りです」

 僕も自由研究の仕上げができないし、とついでにつけ加えておく。思い付きで行動する先生を説得するときは、何がどう問題なのかを一つひとつ挙げていくのが効果的だ。そもそもあんまり人の話を聞いてくれないから、横に怖い顔をしたお供がいるとき限定の話だけど。

「だからさ、明日絶対に戻すって約束してくれたら、このままデートに行ってもいい、てことにするのはどう?」

 念のため、おはじきの方も見ながら両方に確認する。

 たっぷり十秒ぐらい、お互いの方を見ながら考え込んでから、魔法使いとお供はしぶしぶといった調子で頷いた。

「まぁ……それくらいは許容範囲でしょう。今夜が終わったら絶対に直してくださいね」

「かわいい弟子がそこまで言うなら仕方ないよね。その代わり、私のデートがうまくいくように今からおまじないの練習してね、歩」

 ――――こんなこと言っているけど先生、たぶん最後はおはじきが怖くてOKにしたんだろうな。

 なぜか一番偉そうな元凶を白い目で見ながら、やっと解決が見えた歩はため息をついた。

 自由研究はどうにかなりそうだけど、今日の絵日記、続きはなんて書けばいいんだろう。



  ***

 


 大掛かりな大魔法使いは、確かに完璧主義者らしい。

 その晩、歩たちの住む町の空はきれいに晴れて、空気は澄み、おまけに二時間ほど停電した。

 夕立のときの雷のせいだとみんなは言っていたけど、歩だけはそれが先生の仕業だということを知っている。

 普段なら見られない、プラネタリウムのようにくっきりとした星が空にいくつも浮かぶのを眺めながら、歩は自由研究のノートを開いた。こんなにきれいな星空なら、星座がわからなくても観察した感想を書いたっていいかもしれないと思ったのだ。

 明日になったら、今度はわかる星座を観察して、それから見える星と見えない星を比べてみよう。最初の計画とは少し違うけれども、面白そうだ。おまけに、今年しかできないような、特別な自由研究になる。転んでもタダでは起きないのが天才なのだ。

「歩、暑くはないですか」

「大丈夫だよ、おはじき。ありがとう」

 縁側で空を見上げる歩に、留守番中の魔法使いのお供が扇風機を運んできてくれた。暑かったらつけて下さいね、と言って置かれたそれは、ちょうど歩の膝の上のノートが風でめくれないような場所を選んでくれている。本当によく気が利くお供だ。

 まん丸いブタの形の蚊取り線香も、麦茶もある。おまけにいつもの夜よりも、少しだけ涼しい。師匠はデートの時の暑さにも気を使ったみたいだ。観察している星の名前にちなんだ曲と解説が勝手に流れ始める少しうるさい機能つきだけど(それも星じゃなくて、歌詞についてだ。本当にいらない)、この家には望遠鏡もある。

 星空の観察をするのにおあつらえ向き、というやつだ。

 親には「望遠鏡のある友達の家に泊まりに行く」と言ってある。心配性の兄は最後まであれこれ言ったけど、歩の親はそういうことにはうるさくない人だ。クラスで厳しい家の子の話を聞くと、自分は運が良かったみたいだと歩は思う。あの子の家の子だったら、魔法使いの弟子になるのはむずかしかったかもしれない。

 色鉛筆でノートの空白を塗りつぶすのに少し疲れて手を止めると、思いきり伸びをする。ちょっと休憩、と呟いて、おはじきの用意してくれた麦茶に手を付けた。

 ふと日本庭園の奥から聞こえる少しだけ早い虫の声に気が付いて、もうすぐ夏休みが終わってしまうのを感じる。

「やっぱり空、きれいだね」

「そうですね」

 横で一緒に空を見上げていたクラゲ姿のお供に声をかけると、静かに返事が返ってきた。

 みんながあの星の一つひとつを結んで形を作っていたはずなのに、今ではどんなに目を凝らしても、なぜか三角の一つも作れない。

 本当に星座が分からなくなってしまったんだなぁと、デート中の魔法使いのことを考えて、歩はこっそりため息をついた。


 歩の師匠の恋は、いつだって長続きしない。

 惚れっぽいけど、それと同じくらいすぐに失恋してしまうのだ。

 相手に振られてしまうこともあれば(これが一番多い)、せっかく仲良くなったのに相手の人が遠くに行ってしまうこともあった。おはじきが言うには、ある日なんとなく気まずくなって、そのままになってしまったこともあるらしい。

 そのほとんどが相手側の都合だったけど、魔法使いの方から離れたことも何回かあった。

 元々性格にかなり問題のある人だし、運もあまり良くないのだけど、それだけが恋愛が続かない理由じゃないと、歩はひそかに考えていた。


 ――――たぶん、先生はあんまり人間との恋に向いていないんじゃないかな。


 魔法使いはいつも、普通の人間のふりをして好きな人に会いに行く。

 今日だって、世界中から星座が消えたことを自分のせいだとは言わないまま、デートに行ってしまったのだろう。いつもの被り物も取り払って、歩の知らない人の顔に姿を変えて、スキップをしながら屋敷の外へと出かけて行くのを、三十分前におはじきと二人で見送った。

 でも、どんなに隠していたとしても、偉大な魔法使いと、魔法のことなど知らない普通の人では、あまりにも違うことが多すぎる。本当に人間なのかどうかも怪しい人だ。魔法使いの天才の弟子である歩だって、そう感じるときがあるくらいだ。本当に何も知らない人間が、魔法使いの考えることや思うことを、どこまで理解できるだろう。


 そしてそれはきっと、星座と星座との間を区切るキリトリ線よりもはっきりと、先生と相手の間を分けてしまっている。


 だからこそ、人間の恋のロマンチックな演出にあこがれて、今日のようなことをしてしまうんじゃないだろうか。

 そう考えると、魔法使いがいくらめちゃくちゃなことをしたとしても、まぁ、最後に元通りにしてくれれば良いかな、なんて思ってしまいそうになる。さすがに世界を変えてしまうのは迷惑だし、歩も自由研究ができなくて困るから、本当はやめてほしいけど。

 麦茶を置いて、空を見上げる。目に痛いくらいの星の粒が見えて、田舎のおじさんの家を歩は思い出した。

 先生は今、どの辺を歩いているんだろう。せっかくこれだけ大掛かりなことをやっているんだから、今日のデートくらいは成功してほしいという気持ち半分。これだけ好き勝手やっているのだから、失敗するくらいでちょうど良いのかもしれないという気持ち半分。おはじきなんかは、間違いなく後半の方をえらぶだろう。

 そこまで考えていたところで、ふと歩はあることに気が付いた。

 

「ねぇおはじき。そういえば今度の先生の好きな人って、魔法の効かない人とかなの?」

「さて、どうでしょう。そんなことは言っていませんでしたが」

 クラゲのような魔法使いのお供は、細長いデッサン人形の方の腕を組みながら首を (というか、頭を)かしげた。

「珍しいですね、あの恋愛暴走機関車の相手が気になるなんて」

「気になるというか、大丈夫なのかなって」

 満天の星空から目を離さずに、歩は続けた。

「先生の魔法、みんなが星と星をつなぐことができなくなっちゃうやつだったんでしょ。オリジナルの星座を見せようとしても、相手の人が切り取りできない状態だったら、結局分かってもらえないんじゃないかなって思って」

「――――あ」


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