湯ヶ島で聞いた奇妙な話

新出既出

1927年のある日

 伊豆湯ヶ島の「湯川屋」で療養中の梶井君を見舞った折、僕は初めて萩原先生に遭遇した。萩原先生は、この湯ヶ島に数週間前から滞在しており、「湯本館」で『伊豆の踊り子』を執筆中の川端君から、梶井君も長期逗留中であることを聞いていたのだそうだ。


 その席で、萩原先生が「不思議なことがあってね」とアルバム帳を取り出した。


 貼ってある写真は、先生がステレオスコープという双眼写真機で撮影したもので、見方に習熟すれば立体的に見えるのだそうだ。私にはどうあっても同じ写真が二枚並んでいるという風にしか見えなかったが、梶井君は「これはすごい」とたいそう面白がっていた。先生は、その中の一枚の写真を指差した。


 それは薄暗い書店のようなところに乱雑に積み重ねられた大判な本を上方から撮影したもので、天辺に檸檬が載っているのである。梶井君はその写真を前に、黙ってしまった。


「これは僕が京大を受験した日の夜に、ふと訪れた丸善で撮ったものなんだ」


と、先生が腕を組んだ。


「僕はあの日むしゃくしゃしていてね、カメラをぶら下げて京都の路地をうろうろしていたのさ。三半規管に問題があるのかと思われるほど方向音痴な、この僕がね。案の定、辺りの光線の具合が妙になって、気付いたら丸善の前だった。中で店員達が騒いでいてね。『ひどい悪戯をしていった客がいたんだ』とね。僕は、この「美術書」でこしらえた芸術品を一目見て、いっぺんに気に入った。と同時にこんなものを拵える神経の持ち主のあることを恐れた。この黒白の写真からも、ただ闇雲に積み重ねたというだけでないことが分かるだろう。トーンといい、ゆがみ方といい、すべてに調和が取れている。それでいて、周辺の状況からは完全に浮かび上がっている。こんな不安定な塔であるのにもかかわらず、この塔のある風景はまるで、塔以外の周辺の不均衡をこそ、誇張させているように思われた。僕は現場で色を見ている。天辺の檸檬が、そりゃ素晴らしかったよ。あれがなければ、塔はあっけなく崩れ去っていただろう。あの檸檬のキンと張り詰めた形と色とが、塔を永遠のものとしていたのさ。永遠という刹那を、あのような仕方でアドリブする神経。その病んだ熱に、僕は当てられたのさ。それで店員に片付けるのを待ってもらって脚立を借りて、この写真を撮っておいたのだ」


 先生が京大を受験なさったのは、1912年ことだという。そう聞いて今度は梶井君が腕を組んだ。


「僕がこんないたずらをしたのは1923年でした。日記が残っていますから間違いはありません」


 先生は大きく頷いた。


「僕は、君たちの『青空』に載っていた『檸檬』を読んで、奇異の念に駆られていたのだ。それでいつか君にこの写真を見せたいと思っていたのさ」


 果たして、梶井君がそんな悪さをする十年も前に、こんな爆弾を仕掛けた者があったというのだろうか。それとも先生はカメラ越しに、十年後の京都を散策していたのであろうか。

 ともかく私は、アルバムの上に額を寄せ合って、それぞれに両方の目ン玉を真ん中に寄せて写真を凝視している梶井君と萩原先生の、懐かしむような、訝しむような、そうして飛び出している塔の天辺の檸檬が目に入るのを怖れているような表情を、少し身を引いて、ただ見ていたのであった。


 芥川龍之介氏自殺、の報があったのはその滞在中のことである。(三好)

 

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