シルヴァニアの自由騎士

ばーちゃる少尉

第1部 

序章 シルヴァニアの風景

 20xx年、一人の地球人が異世界に転生した。異世界は、地球世界とは異なり、魔法や竜が実在するファンタジー世界であった。彼が転生した先は、下級貴族の家庭で、その生活は慎ましやかなものだった。


 彼の実家であるキングスフォード家は、領邦君主であるシルヴァニア公の宮廷に仕える騎士家の一つで、城郭の警備や公家の警護などを仰せつかっている。それにも関わらず、裕福な家庭でないのは、歴代の当主に商才がなかったからだ。


 そもそも、シルヴァニア公国に於いて、騎士とは、最早、騎乗戦士などでなく、単なる下級貴族・準貴族の称号に過ぎない。シルヴァニアの騎士は、常備軍の時代にあって、その軍事的役割を放棄して、商業に勤しんでいる。


 しかし、キングスフォード家の人々は、何れも商才に乏しく、それを自覚していた為に、起業したり出資したりもしていなかった。その代わり、軍事的な才能や身体能力に恵まれている家人を輩出していて、職業軍人の道に進む者が多い。


 いくら裕福でないとは言え、一応は貴族の末端にぶら下がる騎士であるから、士官学校へと子息を優先的に入学させる事ができた。平民や自由民に比べれば、資産はある方なのかもしれない。


 しかし、同格の貴族と比較すると、やはり資力に乏しいと言わざるを得なかった。一族が軍人稼業に勤しむのは、それしか働き口がないからで、少ない軍人の給料を何とかして、遣り繰りしているのが家庭の現状なのだ。


 勿論、例外もいて、一族の中には士官学校に進学せず、領邦大学の法学部に入学して、法律家として大成した傑物もいる。


 しかし、そうした人物は実家を見限って、直ぐに家を出てしまうのだ。貧乏な実家にいるよりも、裕福な貴族の法律顧問官になる方が余程稼げるからだろう。一族が裕福でないのは、荘園を持たず、不動産も少ないからだろう。


 そうした現状であるというのに、一族の男子はその生活に満足していた。軍務に励み、清貧な生活を良しとするキングスフォード家は、公家にとっては非常に頼りになると共に、忠臣の鑑であるとして、厚い信頼を寄せている。士官学校への優先的な入学という特典が認められているのも、歴代の努力による賜物だろう。


 異世界に転生した彼の名前を、ウルリッヒ・マールヴェーデル・フォン・キングスフォードと言う。キングスフォード騎士家の初代から数えて、ちょうど20代目で、当代の嫡子に当たる。


 彼は、生まれてから直ぐに、公国の首都郊外にある一般士官学校への入学が決まっていた。当代が、妻の男児出産とほぼ時を同じくして、士官学校に連絡を入れて、入学枠を確保していたのだ。


※※


シルヴァニア公国首都:ブラドイア市・キングスフォード家


 ブラドイア市は、公国の首都として人口80万人を抱える同国の最大都市である。キングスフォード家は、同市の中心から近い一軒家を所有していて、普段はその屋敷を使用していた。


 貴族や富裕市民ならば、別荘や複数の屋敷を所有しているのが通常であったが、同家にその様な資産などなく、この一軒家だけが、唯一の不動産だった。


 この屋敷に対する一族の執念は凄まじく、軍を退役した暇人が自宅警備員を仰せつかっているぐらいには、屋敷の警備に余念がない。


 ウルリッヒは、12歳の誕生日を迎えて、人生の分岐点に立っていた。このまま、歴代の当主が敷いた街道に任せて、士官学校に入学し、職業軍人の道を歩むというも一つの選択肢ではある。


 しかし、彼は異世界に転生した地球人なのだ。その知識や技能を生かして、軍人以外の職業や事業に精を出すのもありかもしれないと思い始めていた。


 彼は、家訓として『清貧・忠誠・献身』を掲げ、実際にそれを言動で示し続けている実家に対して、尊敬の感情がある一方で、商業を毛嫌いしている家族に辟易としていた。


 商才に乏しい家族は、商業や経済活動というものを大変に恐れているのだろうか。産業革命や貨幣経済の発達で、数え切れない程の貴族が没落し、富裕市民が台頭した。

 東暦1780年現在、封建制や準封建制なるものは、周辺諸国の多くで姿を消して久しい。例外は、シルヴァニア公国が属するメルケル帝国で、この帝国は、名目とは言え、皇帝と帝国諸侯の臣従契約、即ち封建契約に基礎を置いていた。


 名目というのは、帝国を構成する各領邦は、極めて中央集権的で、事実上の領域国家であるからだ。帝国の名目的な封建制が存続したのは、産業革命に身分制を順応させたからに過ぎない。


 ウルリッヒは、地球人としての才能と経験を用いれば、如何なる業績も為し得る自信があった。彼は、新しい世界の魔法と幻獣に好奇心を刺激された。


 軍人として、国家に一生を捧げるよりも、物語の様に、魔法使いになって竜を狩りたいし、あるいは幻獣の研究者として、世界各地を放浪してみたい。それは、彼にとって職業軍人の道を歩むよりも、魅力的な選択肢だった。


 しかし、騎士家の嫡子という自身の身分と家訓がその野望を許さない。両親は、彼に士官となって、近衛連隊に入隊して欲しいのだ。彼は、しきりに武官の美徳を説く両親にうんざりしていた。


 伝統の軍人稼業は、実弟に任せれば良い。彼は、自身の野望の為にならば、騎士の称号を実弟に譲る事も考えている。騎士家の一員であるという誇りはあっても、騎士になりたいなど微塵も思わない。


 金銭よりも、忠誠を優先するなど、全く馬鹿げている。そうした彼の考えは、日々の生活で、態度として表れていた。両親は、彼の素っ気ない態度に頭を抱えていた。


 両親は、ウルリッヒの誕生日に際して、新品のマスケットと『戦争術概論』という専門書を買い与えた。士官学校に入学して欲しいという両親の願いが込められた贈り物だった。


 彼は、両親の贈り物を素直に喜んだ。軍人になるつもりなどなくとも、武器というものはいつの時代も男子の心を惹きつけるものだ。それが、例え中身が転生した地球人であったとしても。


 喜びの感情を露わにする息子に対して、両親は微笑ましく見守った。マスケットの銃口を天井に向けて、銃身を眺めている息子に対して、実父が語り掛けた。


「なぁ、ウルリッヒ。軍人になるのは嫌か?お前がそうまでして拒むというのならば、他の道も考えてやらん事もないぞ」


「父さん、僕は軍人になるのが嫌なのではなくて、自分の選択肢を決められるのが嫌なだけなのです。自分の人生は、自分で決めたいのです。それに、僕は、魔法や幻獣に興味があるのです。父さんも御存じでしょう?」


 ウルリッヒの個室は、一般の部屋よりも広いにも関わらず、魔法や幻獣に関する専門書で溢れていた。両親にせがんで、高価な専門書を中古で買い取って貰ったり、研究者から譲り受けたりしたものを少しずつ集めているのだ。本棚に入りきらない本の山が、部屋の隅に出来上がっている始末だった。


 両親は、息子の好奇心の強さに驚きながらも、多いに歓迎した。貴族の子息たるもの、教養がなくてはならない。12歳にして博学の息子は、自慢の子供でもあった。ただ、その興味関心が魔法と幻獣という特定の分野に集中している事が気掛かりではある。


「私は何も、お前に強制したい訳ではないんだ。だけれども、我が家には伝統がある。その伝統を絶やしたくはないんだ。ウルリッヒ、どうか分かって欲しい。貴族の嫡子になるという事は、何れは家督を継ぐという事で、それは家の伝統を守るという事でもあるんだよ」


「父さんの言いたい事は良く分かります。でも、僕は運命の奴隷になるつもりはありません。自分の道は自分で決めるべきです」


「…どうしても、駄目か?」


「貴族の時代は過ぎ去っています。それなのに、何故、我が家は伝統に縋っているのですか?我が家は、裕福ではありません。でも、同級生の貴族はとても裕福な子もいます。どうして、そうなってはいけないのでしょう?どうして、富を追求しないのでしょう?」


「金を稼げる貴族は、ごく一部だけなんだよ。多くの貴族は、時代の変化に飲み込まれていった。没落していったんだ。我が家が没落しなかったのは、公家への忠誠と今までの勤労を評価されたからだ。その恩義に報いねばならんのだ」


「恩義ですか?ただ、体よく使われているだけではないですか。僕は、公家には絶対に仕えません。父さんが必死になって働いているというのに、それに見合った俸給が支給されていないではありませんか。いつまで、奴隷に甘んじるつもりですか。それこそ、貴族の気風に反します」


「…お前は、そんな風に思っていたのだな。恩義というものは、世代を超えるものなんだ。我が家が没落しなかったのは、我が君主たるシルヴァニア公殿下の恩情によるものなんだ。それを仇で返す訳にはいかないんだ。聡明なお前なら、分かってくれるはずだ」


「父さんが言っているのは、自分達では金を稼げないからと、諦めている言い訳にしか聞こえません。失敗を恐れて、安寧に逃げ込むのは、没落貴族の様に、危険ではありませんか。僕は、自分で金を稼げる様になりたいんです」


 当主は、嫡子の反駁に目を閉じて頭を傾けた。妻は、頬に手を当てて困り果てている。こうして、大人の詰問に、堂々と答えを返す事ができる息子の成長が嬉しい一方で、親の言い事を聞かない反抗期なのかと悩んだ。


 両親に対する反発心からそう言っているのか、それとも本心で言っているのか、当主には分からなかった。困った両親は、屋敷の警備に精を出している先代、つまりウルリッヒの祖父に息子の説得を頼み込んだ。


 先代は、個室に籠ったウルリッヒを訪ねた。ウルリッヒは、どうやら両親の説得にうんざりしたらしく、自室で本と向かい合っていた。祖父は、その孫の様子を見て、決心した。貴族の因襲を、孫に受け継がせるべきではないのかもしれない。一族が受けた恩義は、十分に返したはずだ。


「ウルリッヒ、読書は楽しいかい?」


「爺さん、読書は自分の世界を拡げてくれる貴重な体験だよ。僕は、この体験を大切にしたいんだ」


「なるほど。でも、読書でも得られない体験もあるだろう?」


「それは勿論、分かっているよ。だから、各地を旅したり、魔法を習得したりしたいんだ。本を読んで、土を踏みしめて、己の糧にしたいんだ」


「そうかい、だから魔法使いや研究者が良いと?」


「うん。だって、折角、魔法や幻獣が実在する世界何だよ?それを存分に楽しまないと!!」


 ウルリッヒは、笑顔で将来に出会うかもしれない数々の冒険に思いを馳せた。


「そうかい…、よし!!それなら儂が息子夫婦を説得してやろうぞ!!ウルリッヒ、お前さんは好きな道を選ぶが良い!!」


「わぁ、本当に?本当に爺さんが父さん達を説得してくれるの?」


「勿論だとも。いい加減、伝統を捨てるべき時に来ているのかもしれん」


 祖父は、喜ぶ孫の頭を撫でながら、貴族の誇りを捨てる覚悟を決めた。


 ウルリッヒが一冊の専門書を読み切ろうとした時、再び祖父が自室を訪れた。祖父は息子夫婦を伴っていた。ウルリッヒは、祖父と両親に正対した。姿勢を真っ直ぐに伸ばして、両親の言葉を一言も漏らさず聞くつもりだった。当代が、息子に向き直った。


「ウルリッヒ。お前は、お前が決めた人生を歩んでも良い。しかし、一つだけ条件がある。入学が内定している士官学校を卒業するんだ。それも、優等学位で卒業しろ。いいな?私が認められるのは、そこまでだぞ」


 ウルリッヒは、両親が譲歩した事に驚きを隠せなかった。両親を説得するという祖父の言を、彼はあまり信用していなかったからだ。


「父さん、それは本当ですか?士官学校を優等学位で卒業すれば、自由にしても良いのですね?」


「あぁ、その通りだ。騎士に二言はないぞ。士官学校で優秀な成績を修めたのならば、好きにしろ」


「やったぁ!!!!ありがとう、父さん、母さん!!ありがとう、爺さん!!」

 

彼は、両親と祖父に抱き着いて、喜びを表した。彼の頭を撫でる母親の手は、いつもよりも優しかった。

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