第1章① 一般士官学校
ウルリッヒは、両親との約束によって、士官学校に入学する事をようやく決意した。その代わり、優等学位で卒業する事を条件に、軍人以外の道を歩もうとしていた。彼には、野望がある。地球人の転生者として、この異世界で大成するのだ。
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ブラドイア市郊外:一般士官学校
一般士官学校は、首都郊外のだだっ広い平原に構えた星型要塞を使用している。
元々は、首都防衛の為に建設された要塞であったが、要塞の重要性が低下するにつれて、陸軍省は解体するのが惜しいとして、教育機関として再利用した。
要塞を使用している士官学校の教官からは、非常に受けが良かった。何故なら、例年、脱柵を試みる不届きな士官候補生が必ずと言って良い程現れるからだ。
士官候補生が脱柵を試みようとしても、閉じた要塞は、侵入者を許さないばかりでなく、外部との連絡も許さないものだから、士官学校という刑務所から脱獄するのは、監獄島から脱獄する様なものである。
士官候補生のみを集めた入学式は、簡素なもので、ものの数分間で終了した。学校長が、少しだけ訓示を垂れた程度でしかない。この学校は、儀礼や儀式というものを、あまり重視していないのかもしれない。
ウルリッヒを含む新入生は、最初の一年間を宿舎で過ごさなければならない。二年生に上がれば、市内のどこかに下宿できる権利が与えられるらしい。一年生にそうした権利がないのは、そもそも、彼らには人権がないからだ。
士官学校に於いて、一年生は上級生の奴隷である。だから、入学前に優しかった上級生が、鬼軍曹の様に豹変するのも、恒例行事なのだろう。
ウルリッヒは、どんくさい新入生を怒鳴りつけている上級生の姿を見て、懐かしさを覚えた。新入生いじりは、異世界であっても変わらないのだろうか。これも、士官候補生の洗礼というやつである。こうやって、理不尽な事にも耐性が付いた立派な士官になるのだろう。
彼は、こうした光景に、同級生を哀れむよりも、寧ろ、遥か先に待ち受けるだろう困難な任務に思いを馳せた。何だが、魔法使いや研究者という将来の夢を捨てて、職業軍人になるのも悪くはないかもしれない。
基本的人権などいう高級な権利が存在しない時代であるからなのか、当然、体罰は存在する。それは、この士官学校も例外でなかった。どんくさい同級生が又、下手をこいて、教官に殴打されていた。
士官学校の教官連中ときたら、教える事よりも、学生を殴打する方が得意なのではないかと思ってしまう。それ程に、上手な力加減で学生に体罰を加えていた。体罰というのは、動物に対する調教である。
訓練中、教官に殴打された学生は痛みで、その辺をのたうち回っていたが、彼を助けようとする同級生はいなかった。巻き添えを喰らいたくはないし、他人が痛めつけられている様は、見ていて楽しいものでもあった。
要領の悪い奴というものは、初日でそれがばれるらしく、教官に目を付けられた学生がもういるという有り様だ。
それとは対照的に、ウルリッヒは、抜け目なく学生生活というものを満喫していた。彼の生活態度は、優等生そのもので、教官に殴打される事もなく、上級生に怒鳴られる事もなく、日々を健やかに過ごしている。
ウルリッヒは、卒業後の資金を得る為にも、士官候補生が頂くお小遣い程度の俸給だけでは満足できなかった。これでは、菓子や数冊の専門書を購入するだけで、貯金が尽きてしまうではないか。
彼は、暇さえあれば、金策に走って、あぶく銭を稼いでいた。教官や職員から、士官学校の雑務を請け負って、お小遣いを稼いだり、マスケットの弾薬を自作して内職したり、そして上級生や同級生から賭け事で金銭を巻き上げていった。
そうこうしていると、彼の収入は、平均的な所得を大きく上回るまでになった。何せ、いつも資産家の貴族や富裕市民の子息と賭け事に興じて、多額の金銭を動かしていたからだ。
士官候補生としてはあまり褒められた行いではなかったが、度を過ぎない程度には、教官も黙認していた。
教官連中も、士官候補生だった時は、大いに賭け事を楽しんだものだ。言ってみれば、士官学校の伝統みたいなものだ。ウルリッヒに限らず、賭け事の才能のある学生は、在学中に小金持ちになるぐらいには稼いだ。
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一般士官学校:第1寄宿舎
寄宿舎は、意外にも広々としていて、住み心地は良かった。1個師団の兵力を収容する事を前提としている要塞であるから、僅か600人しかいない学生を収容すると、場所が余ってしまうのだろう。
他国の士官学校では、狭い部屋に6人や8人をぎゅうぎゅう詰めにするのも珍しくないと言うから、それに比べると天国の様な待遇だ。
寄宿舎は、一つの部屋を二人で共有するという制度を強制していたが、それでも、かなりの場所が余っている始末で、上級生は上手く、こうした余剰の場所を活用したり、勝手に占有していたりしている。1個連隊や1個大隊の宿舎を、1学年100人の学生が使用しているからこそできる贅沢だった。
ウルリッヒの同室は、イェーリングという学生で、彼より3歳年上、つまり15歳だ。
年齢が違う理由は、貴族には士官学校への早期入学と入学枠の予約という特典が与えられているからで、貴族学生は早くから入学して、18歳前後で卒業・少尉任官されるのに対して、入学の特典を持たない平民はそれよりも幾年か遅く入学するはめになった。
貴族に入学の特典が付与されているのは、彼らを没落や経済的な苦境から救済するという措置でもあった。商業に進出して大成功を収めた貴族がいれば、時代の変化についていけず没落する貴族も後を絶たない。
とにかく金がない没落貴族にとって、軍人稼業は、ほぼ唯一の選択肢であり、なお且つ誇りにできる職業だった。現代で言う所の、アファーマティブ・アクション(積極的是正措置)の逆みたいなもので、没落貴族は支配階級でありながら、いつ社会的弱者に転落してもおかしくはない境遇にある。
イェーリングの実家は、富裕市民でなく、首都に店舗を持つパン職人であるらしく、彼は家業を継ぐつもりがないらしい。
パン職人の息子が何故軍人、それも士官になりたいのだろうかとウルリッヒが尋ねると、軍人となって、戦功を挙げ、身分を上昇させたいという。
イェーリングは、士官学校を最優等学位で卒業した学生に与えられる騎士の称号を狙っているらしく、毎日、机に向かっては猛烈に、勉学に励んでいる。仮に最優等学位を得られなかったとしても、佐官や将官クラスの高級軍人になれば、貴族の末端に入る事ができる。
彼は、貴族が没落したこの時代に於いて、何故か身分を上昇させようと必死に努力していた。どうしてそこまで貴族に拘るのかとウルリッヒが尋ねても、彼はその理由を教えてはくれなかった。それでも、ウルリッヒは、事ある毎に理由を聞きたがって、同室の友人を困らせていた。
「イェーリング、どうして君はそこまでして、努力するの?」
「あぁーもう、分かったよ。分かったから、答えるから、もうその質問はなしだぞ」
イェーリングは、ウルリッヒのしつこい質問に根負けして、努力の理由をぽつりぽつりと話し始めた。
「あれは、雨が降り注ぐ初夏だった。俺は、店番をしていて、親子がパンを買い求めて来たんだ。親子は、若い人妻とその娘で、俺とおなじぐらいの年齢の女の子だったんだ。
俺は、それから毎日の様に訪ねてくる女の子に一目惚れしてね。それで、思い切って手作りのパンを添えて思いの丈をぶつけたんだ。でも、まぁ、予想できているとは思うけれども、振られたんだ。
理由はもう分かるだろう?俺が平民で、彼女が貴族だったからだ。彼女の実家は没落しかけている貴族で、俺の様な平民とさほど変わらない生活だったらしいんだけれども、それでも、貴族同士でしか付き合えないんだとさ。
俺は悔しかった。すごく悔しかったんだ。その時、子供ながらに初めて身分というものの力を実感したね。だったら、彼女に釣り合う男になってみせると。貴族にだってなってみせると誓ったんだ。
だから、何としても最優等学位を手に入れたい。だから、必死になって教科書に齧り付いているんだ。どうだ?つまらない話だろう?」
「もしそれで、結ばれたら、恋愛小説が一冊できそうだね」
「確かにそうだな。それで儲けられるかもしれないな」
「それで、その女の子とは文通とかでもしているの?」
「ああ、こっそり手紙を書いているぞ。でも、手紙を勝手に開けるなよ?」
「勿論、分かっているよ。それはそうと、軍人になれば、戦死する可能性だってあるよ?」
「それは承知の上だ。平民が貴族になるんだ。自分の命ぐらいは懸けないとな」
ウルリッヒには、イェーリングが眩しく思えた。まだ若い年齢で、こうも情熱を抱いて、実際に行動に移しているとは思わなかった。
彼は、その話を聞かされて、同室の友人を尊敬する様になった。そして、貴族の特権を利用して、士官学校に入学した自分を恥ずかしく思った。
「確か、最優等学位を得るには、成績の上位5人に選ばれる必要があるよね?そこまでできる自信があるの?」
「自信があるかだって?当たり前だろ。入学する前から、事前に準備をしていたんだ。入学試験では、次席の成績だったしな」
「ほう?次席入学かぁ、それは凄いね」
「お前は何位だったんだ?」
「僕は首席入学だったね」
「…俺より凄いじゃねぇかよ」
「まぁ、勉学に関しては、貴族は家庭教師を付けられているし、有利なのは当然だよね。寧ろ、有利なはずの貴族を抜いて次席入学なのだから、誇って良いと思うけど?」
「お前には、絶対に負けないぞ。どちらが、試験で一位になるか競争だな」
「うん、お互いに頑張ろうね!!」
二人は、互いを励ましながら、互いを目標にしながら、より一層勉学に励む様になった。
※※
一般士官学校:教官・研究室
ウルリッヒとイェーリングの二人は、共謀して、裕福な士官候補生を賭け事に嵌めるべく、画策していた。二人は持ち前の頭脳で、次々と他の学生から金銭を搾取している。
二人がいつもの様に、金を巻き上げていると、それを見かねた教官がついに口頭で注意を受けた。教官(少佐)は、二人を自身の研究室に連行すると、何事もやり過ぎるなと警告した。
「ウルリッヒ、イェーリング、お前達はもう少し、加減というもの知らんのか?相当の人数の学生がお前達二人組に苦情を入れているぞ。先生も士官候補生時代にはよく賭け事に興じていたから、やるなとは言わん。
しかし、もう少し手加減してやれ。特に、上級生には気を付けろよ?これは士官学校の先輩からの忠告だ。上級生に賭けで勝ち過ぎると、奴らは、直ぐお礼参りにやってきやがるからな。二人とも、分かったか?」
二人を注意する教官の態度は、本気で怒っているというよりは、どこか士官学校の後輩を面白がっている様子だった。ウルリッヒは、教官の忠告に反論を試みた。
「少佐、自分は『富の不平等』を賭け事で正しただけであります!!」
教官は、思わず笑みを溢した。彼は、手元にあった指揮棒で軽く二人の頭を叩いた。
「こら、馬鹿者。教官に反論するな。言い訳するな。入学式で言ったはずだろう?返事は?」
「「了解!!」」
二人は廊下まで響く大きな声を出しながら、答礼した。
研究室から退室した二人は、廊下をゆっくりと歩いていた。
「いやー、災難だったね。今度は、教官に怒られない様に、上手く隠す必要があるかな?」
「ウルリッヒ、お前はちっとも反省していないじゃないか」
「それはイェーリングも同じでしょう?僕達には、卒業までに資金が必要なんだ。その為ならば、多少の事は許されるでしょ?」
「お前なぁ、それは犯罪者の言い訳と同じだぞ?」
「でも、お金は欲しいよね?」
「そりゃ、そうだろ。金はいくらあって足りない。いくらあってもいいものだろ」
教官に注意された二人だったが、結局、彼らは反省していなかった。いや、反省はしているが、それはどうやって、教官に怒られない程度に金を巻き上げるかという算盤を弾いていた。
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