第1章② 魔法学入門

 ウルリッヒにとって、いよいよ待ちに待った講義が始まった。ついに、魔法学の講義を受講できるのだ。魔法学入門は、必修科目の一つで、全ての学生が受講しなければならない。


 科学技術の発展と工業化によって、魔法の優位性というものが揺らいでいるとは言え、戦争ではごく一般的に魔法技術が使われてきた。


 魔法技術は、時に戦場の趨勢をひっくり返し、しばしば敗者に次なる勝利を約束した。魔法の素質がない人間は滅多におらず、いたとしてもそれは他の大陸でしか発見されていない。


 尤も、魔法と一口に言っても、裾野が広く、純粋な魔法の使用から、科学技術や工業製品を利用したものも実用化されている。人々が物語で思い描く様な魔法使いというのは、ごく一握りで、その能力を使わないままに一生を終える事も珍しくはない。


 何故なら、魔法の素質そのものは人間に備わっているものの、それを魔法という現象にまで昇華するのには、才能と高度な専門教育を要するからだ。


 専門職としての魔法使いは、高額の教育費と時間を掛けて育成するものだ。だから、その費用を負担できない人々からすれば、魔法技術の恩恵は受けていても、純粋魔法の恩恵は受けていない。


※※


一般士官学校:講義室


 講義室は、いつになく学生の熱気に溢れていた。1学年100人の学生が一斉に出席しているのだ。将来の希望に満ちた学生でごった返している。


 担当教官が入室すると、講義室は途端に静けさを取り戻した。講義を担当する教官は、女性教授の様で、軍服を着用していない事から、恐らくは民間の研究者を士官学校に引っ張ってきたのだろう。


 士官学校の教授陣は、軍人と民間人の半々といった割合で、民間出身の若手研究者や、著名な研究者を招聘していた。女性教授は、静まり返った講義室を良く見渡して、最前席に陣取る学生の肩を叩いて、質問した。


「君、魔法とは何かね?何だと思う?」


 指名された学生は、一瞬言葉に詰まったが、すぐさま己の思考と知識を総動員して、何とか答えた。


「魔法とは、物理法則に反する超常現象を人間の意思表示によって、現出させる事であります」


「なるほど、まぁそれが現在の学界の通説だな。では、その隣の君はどう思う?」


「はい、自分も彼に同じです。一つ付け加えるのならば、超常現象の現出には、人間の意思表示を必要としない魔法技術が確立されている事でしょうか。魔法とは、魔法次元と人間との相互作用の結果、発生する現象であり、又、魔法次元と機械との相互作用によっても発生する現象です」


「ふむ、確かにそうだな。では、そこの君は?」


「えぇっと、魔法とは、我々人間の想像力の産物なのではないでしょうか」


「想像力の産物とは?」


「本来、存在しないはずの新しい物理法則、又は偽物の物理法則なのではないかと。魔法とは、人間の心象風景の投影に他ならないのではないかと思います。魔法を現出する機械は、それ自体が人間の一部を代替しているからではないでしょうか」


「なるほど、魔法に必要なのは想像力だと言いたいのだな?」


「はい。人間以外に魔法が仕える種族は、何れも高度な知能を有します。魔法とは、

想像力を備えた動物の進化の産物なのです」


「進化ときたか。つまり、進化の過程で人間が得た能力の一つが、魔法を操る事だというのか?」


「はい。20年前に発表された『種の起源』を引用するまでもなく、人間は、この大地で過酷な生存競争に晒されています。

 人間よりも身体能力に優れた種族がいくらでもいる現状、更には竜などの幻獣が存在している事が、人間に魔法能力を習得させたのではないでしょうか」


「君の意見は、最近の学界を席巻している有力説だな」


 一人の学生が、挙手をして、女性教授に質問した。


「教授は、魔法をどう定義されているのでしょうか?」


「そうだな。私の意見はどちらかというと少数派というか異端なのだが、今から言う事は教会には告げ口するなよ?

 魔法とは、自然と人間の相互作用の結果による一つの物理現象に過ぎない。何故、我々人間が魔法を行使できるのかと言えば、答えは簡単で、我々は我々自身の認識世界に於ける主体であり、言うなれば、『創造神』そのものだからだ。

 自己という絶対特異点を利用した現象の結果が、魔法という効果として現出させているのだろう。魔法は、物理法則を歪ませた現象でもなければ、認識を歪ませた結果でもない。

 それぞれの認識世界の相互作用こそ、注目すべきであって、通説でその存在が指摘されている様な『魔法次元』なる異次元は、恐らく存在しないのではないかな。何よりも、魔法使い相互の干渉によって、魔法という現象が変化するのが傍証だろう。

 例えば、火炎を放射したいと思って、その魔法を現出させても、他の魔法使いの干渉によって、それが幾らでも変化するのはよく知られているはずだ。

 魔法とは、独立の現象でも結果でもない。個人と自然、個人と個人、機械と自然という複雑な相互作用の原理が働いているのだろう」


 彼女の主張は、異端も異端で、時代が時代ならば、火刑にされていただろう。つまり、彼女は、教会が信奉する最高神とは、我々自身、個々人それ自体だと言っているのだから。宗教の熱狂が醒めているから良いものを、熱心な信者が聞けば卒倒ものだろう。


「人間は、文字文明によって、魔法教育と魔法技術に関する情報を爆発的に増加させて、伝播させる事に成功した。それこそが、我々人類が、この過酷な環境で生存できている理由の第二だろう。第一の理由は、単純に人口が多いからだな。

 進化論と魔法の関係について指摘した学生がいたが、良い視点だ。魔法は、生存競争と種の保存・繁栄という目的の中で、戦略的な手段でもあったのだ。

 魔法の素質があるにも関わらず、魔法を上手く扱えない者、きちんとした教育を受けたにも関わらず、魔法の効果を最大化できない者も一定数いるが、それは恐らくその必要がないらしいからだろうな。

 ここで注意すべきは、魔法能力が低い者は、その必要がないらしいという確率的な、統計的な現象であって、必要がないという確定的な現象でないという事だ。ただ単に、才能がなかったり、魔法に耐え得る身体でなかったりする場合もあるからな」


 一部の学生は、彼女が何を言っているのか良く理解できていなかった。それも、当然だろう。何せ、世間一般では、彼らはまだ12歳から15歳程度の子供でしかない。しかし、ウルリッヒとイェーリングの二人は、何とか講義に追い付いていた。


「結局の所、魔法能力とは進化の産物であり、魔法技術とは機械と自然の相互作用であり、魔法そのものは、個人の認識世界とそれ以外との複雑な相互作用原理による物理現象の一つに過ぎない。

 諸君らは、これから身を以て学ぶのだ。魔法を習得する上で必要なのは、その基礎理論を頭に叩き込んで、実際に何度も体験する事だな。それ以外に、魔導を極める道はない。魔導に近道はないのだ。

 諸君は、入学試験に際して、魔法能力の適性検査を受けたと思う。この講義では、主に魔法学の基礎理論や、魔法学の手法そのもの、魔法の歴史などについて簡単に触れていこうと思う。

 まだまだ、魔法使いへの道のりは長いからな?実際に魔法を行使するまでに、恐らくは1年間から2年間は掛かるだろう。この講義は、その為に、徹底して魔法の基礎知識を諸君らに叩き込むから、覚悟するように」


 今すぐにも魔法が扱えると思っていた学生は、落胆した。一方で、魔法学の家庭教師を付けられるだけの裕福な学生は、それを知っているからなのか、落胆した様子はなかった。


 学生の一部には、魔法使いの家庭教師を雇って、幼い頃から魔法能力を発現させている者も少ないがいて、その者達からすれば、入門の講義は無用であったが、女性教授がいきなり異端の学説を持ち出してきた事には、魔法学の初歩を既に学んでいるからこそ、どよめいたり驚いたりした。


 教会勢力は、その権威を大きく削がれているとはいえ、未だに政治力を保持している。彼女の主張が、司教や大司教クラスの高位聖職者の耳に入ったら、大変な騒ぎになるだろう。それでも彼女は、全く気にしないだろうが。


※※


一般士官学校:第1寄宿舎


 ウルリッヒとイェーリングの二人は、寄宿舎の部屋で、今日の講義について一緒に振り返っていた。


「なぁ、ウルリッヒ。お前は、魔法学の講義を理解できたか?」


「うーん、何とか理解できる範囲だったかな。実家が資産家の学生は、家庭教師から教わっているんだろうけど、僕らにはないからね。その代わり、僕は大量の専門書に囲まれていたから、そのおかげで理解できた側面はあるのかも」


「富める者は、持てる者という訳だよなぁ。つくづく羨ましいぜ」


「でもまぁ、これから十分に挽回できる余地はあるでしょう?」


「それはそうだけどな。でも、別に魔法能力が低いからと言って、成績が下がるという訳でもないだろう?多分だけど」


「成績の評価は何とも言えないね。魔法能力の個人差は、教育によってかなりの部分を埋める事ができるけれど、それでもやはり才能というものも確かに存在するからね。それに、一部の貴族には、未だに魔法への信仰があるし」


「そうなんだよなぁ。平民が貴族の令嬢と結婚するには、魔法使いの方が有利だしなぁ」


「えっ?結婚するつもりなの?例の文通相手と?」


「そりゃ、結婚するだろ。好きな人と結婚したいだろ?」


「それはそうかもしれないけれど。何というか、純粋だね」


「恋愛というのは、純粋な気持ちだろう?」


 そう宣うイェーリングに対して、ウルリッヒは年下ながら、年下を見る様な視線を投げ掛けた。イェーリングはその視線に居心地が悪くなったのか、話題を逸らした。


「それはそうとさ、魔法学の教授はえらい美女だったな!!俺はずっと教授の胸元とおしりばかり見ていたぜ!!」


「…先程まで、貴族の令嬢と結婚がどうこうと言っていなかったかな?」


「それとこれとは別腹だろ?お前も男なら分かるだろう?あの胸とおしりは素晴らしい!!服の上からでも分かる巨乳が何とも魅力的だ!!」


「何?イェーリングは巨乳派なの?」


「違う、違う。俺は貧乳も巨乳も平等に愛している。俺が好きなのは美少女と美女だけだぞ」


「まぁ、確かに教授の体形はそそられるものがあるよね」


「おう、お前も分かる年齢か。多分、教授は今頃、士官候補生のおかずになっているだろうよ。俺も今晩のおかずは教授で決まりだな!!」


 イェーリングは、グヘヘと声を洩らして下衆な表情を浮かべた。


「あの教授は恋人とかいるのかな?」


「そりゃ、いるだろう。何せ、あんな美人だからな。周りの男共が放置しないだろ?」


「じゃあもし、教授に恋人がいたら、きっと今頃は股を開いているのかもね」


「お前も中々下衆じゃねぇか。ちくしょう、恋人が羨ましいぜ」


 二人は、思春期相応に、件の女性教授を脳内であられもない姿にしていた。


※※


一般士官学校:第2寄宿舎・談話室


 ウルリッヒとイェーリングは、いつもの如く、金策に勤しんでいた。自室で弾薬作りの内職に精を出した後は、上級生の寄宿舎に乗り込んで、賭け事に興じていた。


 二人は、多くの上級生が固唾を呑んで見守る中で、辛勝ではあったが、金持ち学生から金を巻き上げる事に何とか成功した。


 殆どの上級生は、二人の戦いに野次を入れて応援している一方で、一部の上級生、つまり二人に負けて金を取られた学生にしてみれば、面白いはずがない。その負け組の一人、ルドガーは、下級生の二人組に近付くと、負けた腹いせに物言いを付けた。


「ウルリッヒ!イェーリング!お前達は度が過ぎているぞ!!一体、いくら俺達から金を取れば気が済むんだ!!いい加減に止めたらどうなんだ!!もう十分に稼いだだろう!!」


 ルドガーは、上級生として下級生を窘めようとしたが、窘められた二人組は、気にする素振りすら見せなかった。その態度が、ルドガーを更に怒らせた。


「何だ、その態度は!!それが上級生に対する態度か!!」


 激怒する彼に対して、二人組とその周囲を囲む上級生達は、無視したり、笑ったり、嘲ったりして、茶々を入れている。そういった周囲の態度もルドガーを怒らせるのだが、それを更に周囲が笑いの種にする始末だった。


 肩を震わせて、拳を握って、彼は怒りを鎮めようとしたが、周囲の学生達は、なおも煽ってしきりに野次を飛ばしていた。


 ただでさえ娯楽が少ない時代に於いて、その少ない娯楽でさえも厳しく制限されている士官候補生であったから、こういった出来事に熱中するのも無理はない。


「ウルリッヒ!イェーリング!お前達の二人に、貴族として決闘を申し込む!!俺が勝利したら、その上級生を舐め切った態度を謝罪してもらおうじゃないか!!」


 二人組は、ルドガーの決闘の申し込みに、思わず目を合わせた。その一方で、周囲の学生は、より熱狂的に盛り上がっていた。二人組はお互いに頷き合うと、決闘の申し込みに威勢よく受諾した。


「おう!!やってやろうじゃないか!!決闘を受けて立つぜ!!」


 イェーリングが二人組を代表して、周囲の学生にそう宣言した。ウルリッヒとイェーリングの二人は、こうして決闘をする運びとなった。

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