第1章③ 貴族の決闘

 ウルリッヒとイェーリングは、賭け事に関して、上級生のルドガーと決闘を行う事になった。三人が決闘を行う事は、600人という狭い社会であるからなのか、士官候補生の間で急速に広まった。


 当然、学生間にそうした噂が流布している事は、直ぐに教官陣も知る所となって、決闘の件は、第1教官室の預かりとなった。


 士官学校は、学生同士の暴力を禁止している訳ではなく、寧ろ、決闘行為を戦争の暴力性に慣れさせる為の最適且つ貴族的な手段と見做していた。


 勿論、学生間の暴力行為の全てを無条件に許容している訳でもなければ、推奨している訳でもないし、称揚している訳でもない。


 しかし、その一方で、士官教育とは『暴力』『理不尽』に慣れさせる軍事訓練の一環という側面(中核とも言える)がある事も事実だ。


 この決闘騒動は、教官陣にとって士官候補生に、暴力の使い方を学ばせる上で役に立つかもしれないという計算も働いていた。


※※


一般士官学校:第1教官室


 ウルリッヒ、イェーリング、ルドガーの三人は、第1教官室に呼び出されていた。同室の主任教官(大佐)が、三人に決闘の日時と方法について説明していた。


「お前達の決闘は、明日の早朝に実施する事を決定した。表向きは、全学生が参加する緊急軍事訓練の一環として執り行うから、各自準備するように。立会人として私が決闘を監督するから、不正は許さんから覚悟しておけ。武器は、刀剣類のみとする。何か質問は?」


「決闘は、一人ずつ行うのでしょうか?」


「いや、二人対一人で行ってもらう。ルドガー一人と、ウルリッヒとイェーリングの二人でやれ」


「…それは、不公平なのではないでしょうか?いくら下級生とは言え、二対一で勝てるはずがありません」


「何か勘違いしている様だが、そもそも決闘は公平でなく、不公平だ。それに、戦場でその言い訳が通用すると思うのか?敵兵がこちらの何倍もの兵力を擁している事などざらにある。お互いに兵力が拮抗している事の方が稀だろう?だからこそ、他の学生にとっても良い教材になるだろう」


 ルドガーが決闘の不公平を訴えたが、大佐はその訴えを認めなかった。いくら上級生とは言っても、年齢は二人組と比してそう違う訳ではない。


「では、勝敗はどうのようにして決着させるのでしょうか?」


「相手方に降参を認めさせる事だ。決闘での死傷行為は、罪科を問わない。但し、相手方を殺した場合、勝敗の条件である降参を要求できないから、勝敗は成立しない。つまり、決闘に勝利する為には、相手を殺さない程度に痛めつけて、降参に追い込む事だな」

 

 大佐は、決闘での殺人も許容すると言った一方で、殺人を犯した場合には、勝利する事もできないと釘を刺した。


「例え殺人でも、逮捕されないという事でしょうか?」


「勿論、決闘何だぞ。今時の貴族は腑抜けて、忘れていやがるが、本来、決闘とはお互いの生死を懸けた死闘でもある。

 いいか?戦場では、士官も下士官も兵卒も死ぬ。死という恐怖は、階級を超越して、将兵にただ一つの平等を与えて下さるのだ。死なない戦いなど、それは最早、戦いですらない。戦いとは、即ち死ぬ事だ。

 お前達が、決闘の勝利を優先して、相手方を殺さないというのも選択肢であるし、勝敗を無視して、相手方を殺すのも選択肢の一つだ。どちらを選ぶかは、お前達の判断に委ねられている。

 お前達が戦場に立って、部下を統率する事になったら、目的を達成する為に、敵軍と戦闘するのか、それとも戦闘しないのか、戦闘するのなら、敵軍の殲滅を目的とするのか、妨害を目的とするのか、遅滞を目的とするのか、あるいは停戦の使者を送るのかという事を、決断しなければならない時が、必ずやってくるだろう。

 この決闘は、そうした指揮官の決断の演習でもある。そういう文脈では、決闘はすでに始まっているとも言えるな。いいか?重要なのは、戦闘は目的を達成する為の手段に過ぎないという事だぞ?」


 大佐は、決闘の表向きの題目である軍事訓練の性質も強調した。彼が、飽くまでも戦闘とは目的を達成する為の手段に過ぎないと吐き捨てたのは、三人に、決闘の目的とそれを達成する為の手段を良く考えろという事だ。


※※


一般士官学校:第1寄宿舎


 寄宿舎に戻ったウルリッヒとイェーリングは、明日行われる決闘について話し合っていた。だが、決闘の準備をしようにも、明日という速さは、ルドガーを含む三人から、十分な準備の時間を奪っていた。


「大佐が提示した条件をまとめると、決闘の相手方を殺しても罪には問われないが、勝利する事はできない。決闘に勝利する条件は、相手方を降伏させる事だけという事だよな?」


「うん、そうだね。まずは、相手を殺すか否かを決めないといけないよね」


「そうだよなぁ。でも、俺達は別にルドガーを殺したい程憎んでいる訳でも、嫌っている訳でもないし、まぁ、殺さないで降参に追い込むべきだろうよ」


「確かに、僕達にはルドガーを殺す程の動機も理由もないけれど、相手はそうじゃないかもしれないよ?」


「どういう事だよ?」


「だって、大勢の上級生がいる中で、馬鹿にされていたでしょう?貴族の決闘は、自身と家族の名誉を回復する為に行われるものだから、決闘の相手を殺しても目的は達成されるし、それに、二対一という不利な条件で戦うには、殺人は魅力的な選択肢だよね」


「…お前は、時々真面目な顔で物騒な事を言うよな。いくらなんでも、ルドガーも俺達を殺そうとはしないと思うけどな」


「そうかなぁ。だって、二対一で、なお且つ、それ程年齢が離れている訳でもないんだよ?僕達に有利なのは明らかだよね?でも、仮に僕達が決闘に勝利したら、ルドガーの貴族として名誉は地に落ちるよ。だから、決闘の理由がどんなに些細な事であっても、貴族は命を懸けて、相手を殺そうとするものじゃないかな?」


「いやいや、それはないだろ。いくらなんでも、たかだか馬鹿にされた程度で殺人を犯すなんて、馬鹿げているだろ。ルドガーも士官候補生なのだから、その程度の分別はつくはずだ」


 イェーリングは、ウルリッヒの極論を言下に否定した。


「でも、中世の時代にはフェーデ(私権回復の為の実力行使。私戦)が盛んだったよね?騎士の中には、フェーデを名目に、盗賊まがいの事をやっている連中だっていたぐらいだし」


「それは大分昔の話だろ。今は中世じゃないんだぞ」


「じゃぁ、殺すかどうかはさておいて、どうやって戦うのかを決めようか。武器は何が良いのかな?」


「レイピアとかハルバードとかもどうだ?」


「うーん、武器は相手が何を使うかにもよるよね」


「そうだな。まぁ、こちらは二人という数的有利があるから、選択肢も多いけどな」


「確かに、そうだね。僕達は、同じ武器を持つという選択肢もあるし、違う間合いの武器を選ぶという事もありだよね」


「そうそう、二人で違う武器を以て、間合いの短い武器で接近しつつ、間合いの長い武器で牽制したり支援したりするのもありだよな」


「同じ武器を以て、同時攻撃を仕掛けるのもありだよね」


「勿論、それも選択肢の一つだろうな。…実に悩ましいな。要するに、同じ兵科を使うか、異なる兵科を組み合わせるかという事でもあるだろ?」


「言われてみれば、確かにそういう要素もあるね。意外と大佐も良く考えて、決闘の条件を決めているのかもね」


「同じ武器か、違う武器、どっちが良いと思う?」


「うーん、違う武器じゃないかな?」


「その心は?」


「攻撃する手段が複数ある方が、相手の動揺を誘えるし、攻撃の手段も多彩になるでしょ。二人共が、同じ武器を使ったら、攻撃のやり方は単調で、相手に攻撃を予測させやすくするだけだと思うかな」


「でも、同じ武器を使った場合は、訓練するのも用意するのも簡単じゃないか?」


「それはそうだけれど、どの道、明日やる訳だからね。訓練する暇は殆どないし、それは考慮しない方が良いかもしれないよ」


「…何だかなぁ。時間があれば、もっと準備できたんだけどな」


「準備する時間を与えないのは、実戦を意識しているのかな?」


「いや、単に教官連中が騒ぎを早く収めたいだけだろ」


 その後も、二人は決闘について、興奮した様に語り合っていた。


※※


一般士官学校:営庭


 600人の学生が一同に会していた。士官学校が間借りしている要塞は、1個師団を収容できるだけあって、600人の学生が営庭に集まっても、狭さというものを全く感じさせなかった。閲兵式の会場や、運動場としても使用できる事を、前提としているからなのだろう。


 ウルリッヒ、イェーリング、ルドガーの三人に与えられた闘技場は、横20m・縦50mの区画で、ここから出た場合は失格となり、決闘は不成立となる。


 闘技場に並び立つウルリッヒとイェーリングは、それぞれハルバードと直剣を手に持ち構えている。二人に対峙するルドガーは、片手剣と丸盾で待ち構えている。


 三人は、闘技場の端に陣取っていて、立会人の教官が開始の合図を送ると、じりじりとお互いに距離を詰めていった。


 先に仕掛けたのはルドガーだった。彼は素早くイェーリングに肉薄すると、片手剣で一閃し、それに驚いたイェーリングが後ろに退きながらも直剣を交えた。


 ルドガーは、重い直剣を避ける様に相手の剣を自分の剣に乗せる様に滑らしつつ、相手の懐に入って丸盾を突き返した。丸盾に押されたイェーリングが一瞬よろめくが、すぐに体勢を立て直そうとした。


 しかし、ルドガーはその暇を与えようとはしなかった。彼は、イェーリングがよろめいた隙を狙って、片手剣で相手の手首を力強く叩いた。


 丸盾で押された痛みが回復していないイェーリングは、その手首の痛みに思わず直剣を手放しそうになる。それでも、何とか痛みに耐えて、直剣を構え、相手を視界に入れる。


 ウルリッヒはというと、二人の戦いに交われないでいた。彼がイェーリングに加勢しようとしても、間合いの近い所で戦うイェーリングの邪魔になるだけだろう。


 つまり、二人の戦いに加わる為には、二人を引き離すか、ルドガーの側面又は後ろから攻撃する必要がある。


 ウルリッヒは、ルドガーを攻撃すべく、二人を尻目に後ろから攻撃しようとして移動していた。


 ルドガーは、思う様に中々倒せないイェーリングと戦いに、かなりの労力を割いてしまっている。


 しかし、ルドガーは上級生なのだ。上級生が、下級生に負けるなど、例え二対一であっても許されない。己の矜持が許さない。


 ルドガーは、後ろから攻撃してきたウルリッヒの攻撃に、一瞬遅れながらも何とか応戦した。


 ウルリッヒが放った鋭い突きは、片手剣で制止されて、イェーリングの直剣は丸盾で防がれていた。


 白熱する戦いに、それを見守る学生は何度も声援を送っている。教官の一部も野次を飛ばしている熱狂ぶりだった。


 二人掛かりで攻撃するウルリッヒとイェーリングは、応戦するルドガーに対して決め手を欠いていた。


 一方のルドガーも、防戦に手一杯で、攻撃に移る機会を待っていた。ルドガーは、丸盾を自身に寄せて、盾と相対していたイェーリングの直剣を引き寄せると、再び丸盾で突進すると見せかけて、イェーリングの脛を蹴り、転倒させた。


 ルドガーは、転倒したイェーリングの首元に片手剣を突き付けて、降伏を迫った。後ろにいるウルリッヒに対しては、丸盾を掲げて牽制しながら、イェーリングに対して降伏を迫ったのだ。


 降伏か、それとも刺殺されるのかを迫られたイェーリングは、止む無く降伏を選択した。立会人は、決闘の終了を命じて、ルドガーの勝利を宣言した。学生と教官が送る声援と野次は、より一層大きくなって、闘技場を覆いつくした。


※※


一般士官学校:第1教官室


 決闘に勝利したルドガーと、敗北したウルリッヒとイェーリングは、再び第1教官室に呼び付けられていた。敗北した二人が、勝利したルドガーに謝罪する為だ。決闘の立会人を務めた主任教官(大佐)は、二人にルドガーへの謝罪を促した。


「「ルドガー上級生、上級生に対して生意気な態度を取った事を謝罪致します」」


「分かった、謝罪を受け入れよう」


「「ありがとうございます!!」


「それにしても、二人共よく戦ったな。どちらが勝ってもおかしくはなかった」


「いえいえ、ルドガー上級生こそ、よくあの不利な条件で勝利できたものです。初めて、上級生に対して尊敬の念を抱きましたよ」


 そう宣う生意気なイェーリングに対して、ルドガーは笑って胸を張った。


「そうだろう?上級生はとっても強いんだぞ」


 三人にあった蟠りというものは、今やすっかり消え去って、そこには年齢を越えた友情が芽生えていた。男子たる者、喧嘩をして仲良くなるものである。

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