第1章④ 中隊対抗演習
新入生が入学から三か月が過ぎて、ようやく士官学校の軍隊生活に慣れ始めた頃、恒例行事となっている中隊対抗演習が行われる事が告知された。
中隊対抗演習とは、全学生600人が4個中隊(1個中隊150人)に分かれて、様々な軍事演習を実施する事を通じて、実際の部隊の指揮統制から、部隊の運用、戦場の偵察活動や、命令を受ける側に回る事で下士官兵の気持ちを慮るという側面も、教育効果として期待されている。
士官候補生は、校舎として使用している要塞を、本来の用途である攻城戦の訓練に用いたり、要塞近郊に拡がる平野部で白兵戦や決戦を行ったり、あるいは、山岳地帯まで行軍したりする事が、一つの演習と訓練を成している。
この演習では、実弾でなく、模擬弾で戦うが、演習内容は過酷で、訓練中の殉職も発生している。
※※
どうやら、ウルリッヒを含む第1学年は、中隊の幹部には為れないらしい。第1学年は、人権がない奴隷であると言うが全くその通りで、中隊の下士官ですらないのだと言う。
つまり、第1学年たる最下級生は、上等兵とか二等兵とかいう兵卒の身分がお似合いという事だ。
ウルリッヒは、その事実に落胆したが、少し頭を冷やして考えて見れば、理由は誰でも分かる事だった。
要するに、この演習は、士官学校を卒業し、少尉に任官される第6学年の最上級生に、予め部隊の指揮をやらせておきたいという目的なのだろう。
4個中隊の指揮官を務める4人の最上級生は、600人の士官候補生の頂点である。この4人は、未来の将軍閣下であるから、下級生としても多いに気を遣わざるを得ない。
しかし、陸軍司令官や陸軍大臣にまで登り詰めるのは、更に少ない。5年に一人か二人という少なさで、とても狭き門だ。
ウルリッヒが配属されたのは、第1中隊の第5小隊・第2分隊(152分隊)だ。彼は、第2分隊の二等兵として上級生にこき使われるのだろう。
そう思うと、途端に憂鬱な気分がしてきたが、上級生に上がる程に下級生をしごけるのだ。もう少しの辛抱である。
分隊長は、第6学年の学生で、軍曹に相当する。第6学年の配属には、彼らに花を持たせる為にも、教官陣の恣意的な介入が入る為、一応、部隊の指揮を経験できる様な配慮がなされるが、分隊長と小隊長、小隊長と中隊長に任命された学生の中で、どちらがより士官候補生として優秀であるかというのは、言うまでもない。
勿論、分隊長に選ばれた学生は、第6学年の中で、成績が中から下という事を示唆している。
小隊長に選ばれる学生は、大体が上位28位内に収まるから(※中隊長・副中隊長の8人を含む)、それ未満の成績という事だ。
分隊長に選ばれる学生にしてみれば、屈辱だろう。何せ、下級生に、自身の成績と評価が赤裸々に露わになってしまうのだから。
一方、ウルリッヒと同室のイェーリングは、第4中隊・第1小隊・第3分隊に配属された。勿論、階級は誇り高き二等兵である。
二人とも、二等兵として参加する事に落ち込みながらも、演習ではあるが、戦える事に言い知れない興奮を覚えていた。
戦いとは、それ自体が男性にとって、強烈な魅力を発揮するものだ。興奮状態にあるのは二人だけではない。第6学年を含む多くの学生が、対抗演習に胸を昂らせていた。
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ドラグネア要塞・第5城郭:中隊対抗演習Ⅰ・攻城戦
攻城戦の中隊対抗演習は、士官学校が間借りしているドラグネア要塞の支城を使って行われる。
要塞全体を使用しない理由は、師団レベルの攻城戦を前提としているからで、士官候補生は全体で1個大隊程度の人数しかいないから、要塞全体を舞台とすると、どうしても場所が余ってしまうのだ。
僅か1個中隊で星型要塞を守り切れるはずもない。攻撃側も落とせないだろう。そこで、例年、中隊対抗演習では、要塞から突き出た支城の一つをまるまる独占して、攻城戦を再現する事になっている。
中隊対抗演習を支援する為に、公国軍の砲兵隊が新たに加わった。実際に、支城に対して、実弾を用いた砲撃を行うのだ。
攻城戦の雰囲気を演出する為で、学生に対するささやかな礼砲も兼ねている。
第15砲兵連隊は、2個砲兵大隊(4個砲兵中隊)を擁し、火砲24門を有する。連隊は、砲撃目標の支城に対して、全力射撃を開始した。
その光景たるや、壮観さでは戦争絵画に負けず劣らず、榴弾砲とカノン砲から次々と発射される砲弾は、支城の表面を覆うコンクリートを容易く崩していった。
しかし、コンクリートで覆われた部分が明らかになると、砲撃の攻撃効果が見るからに激減した。コンクリートで覆われた部分は、主に土塁で築き上げられており、柔らかい土の特質が、砲弾の衝撃力を吸収してしまうのだろう。
学生達は、初めて目にする実戦的な砲撃に、釘付けになっていた。自分達も、何れこうした戦場に赴くのだ。そう思うと、感動が込み上げてくる。
今この時は、戦死への恐怖よりも、戦争の魅力そのものに夢中になる方が忙しい。何と素晴らしい光景だろうか、砲口から勢い良く発射される砲弾、土塁を抉る砲撃、そして何よりも、砲兵連隊の全力射撃に耐え得る要塞建築。
これ程の光景は、戦場か演習場でしかお目に掛かれないだろう。学生の中には、砲兵士官への道を決めた者もいる程だった。
最初に攻撃を担当する第3中隊は、要塞外に陣取り、防御を担当する第1中隊は、要塞の第5城郭に構えた。
砲兵連隊による空砲という演出の中で、第3中隊は、支城に沿う様に掘られた塹壕からマスケットの銃口と頭だけを出すと、一斉に射撃を始めた。
対する第1中隊も支城から射撃で応戦している。高台を陣取る第1中隊の射撃は、低地に陣取る第3中隊の頭上に容赦なく降り注いだ。
しかし、塹壕に身を隠した第3中隊は、被害を殆ど受ける事がなかった。第1中隊が高所の優位を利用しようにも、敵軍が塹壕にすっぽりと隠れてしまうから、中々射撃が当たらない。
一方の第3中隊も、塹壕から銃口を出すばかりで、一向に進まなかった。
第3中隊は、この膠着状態を打破する為に、塹壕の移動を決断した。塹壕から一斉射撃を要塞に見舞うと、直ぐに塹壕から身体を出して、次の塹壕へと走っていった。
しかし、要塞からの攻撃に妨害されて、思う様に進まない。それでも、1個小隊がより要塞に近い塹壕に潜り込むと、そこを火力拠点として、要塞に射撃を続けた。
二つの塹壕線から攻撃されるはめになった第1中隊は、それに対応する為に、部隊を分散しなければならなかった。第3中隊は、多大な犠牲を出しながらも、第1中隊の一部を拘束する事に成功した。
要塞に最も近い塹壕に陣取る1個小隊は、1個分隊のみを残すと、更に前進した。1個分隊が新たな塹壕に辿り着く前に撃破されたが、もう1個分隊は、何とか塹壕まで辿り着いた。
第3中隊の他の部隊も、同じ様に塹壕から塹壕へと移動して、合計3つの塹壕を確保した。3つの塹壕から連続的に攻撃された第1中隊は、なおも勢力を保っていた。
要塞の防御力は堅固で、複数の場所から同時攻撃を仕掛けるが、第1中隊に深刻な犠牲を強いる事はなかった。
結局、第3中隊は、第1中隊が守備する第5城郭の攻略に失敗した。
※※
要塞近郊・平野部:中隊対抗演習Ⅱ・平野の戦い
攻城戦演習後、4個中隊は、平野の各地に野営した。平野の戦いでは、2個中隊で臨時の1個大隊を編成し、2個大隊同士による決戦を行う。1個中隊同士で戦うには、平野部はあまりにも広すぎるし、何よりも、戦闘の迫力がない。
第1大隊(第1中隊・第3中隊)は、速戦を志向して、野営地から偵察部隊を出して、敵軍の影を追っていた。
これに対して、第2大隊(第2中隊・第4中隊)は、野営地周辺の警戒を行いつつも、慎重に部隊を進めていた。
第1大隊の偵察兵が、第2大隊を発見したのは、野営から二日後の事だった。その一方で、第2大隊は、敵偵察兵の動きを察知し、その後を追う様に素早い機動を展開した。
第2大隊の目的は、敵偵察兵に自らを発見させて、それを追跡し、敵野営地を急襲ないし側面への攻撃を企んだ。
追いかける第2大隊と、逃げる偵察兵は、傍から見ると何とも滑稽な様子だった。軍事演習であるのに、コメディの様な軽快さがそこにはある。
第1大隊の偵察兵は、野営地を露呈させない為に、拠点とは異なる方向へと逃げた。
しかし、5人の偵察班と1個大隊とでは兵力は歴然だった。偵察兵は、第2大隊に拘束されて、捕虜になった。
捕虜を尋問した第2大隊は、敵本拠地を割り出すと、直ぐさま、確認の為の偵察兵を派遣した。
無事に帰還した偵察兵の報告によると、どうやら捕虜から聞き出した情報は、外れだったらしいが、他の場所に敵軍の姿を視認したという。
第2大隊は、野営地を放棄すると、大きく円運動する様に、敵側面に対して、迂回機動を選択した。
第1大隊は、側面に迫る第2大隊に対応する為に、一部の部隊を敵中央に突撃させた。この中央突破によって、第2大隊の攻勢は一時的に減退したが、一方で、敵中央を突撃した一部の部隊が敵中に孤立した。
孤立した部隊を包囲する第2大隊に対して、第1大隊は、孤立した部隊を救出するべく、敵部隊の後背を攻撃して、妨害したが、孤立した部隊の救出には失敗した。戦場は、敵味方が入り乱れる混戦状態に陥った。
両大隊とも、混戦によって、大きく兵力を消耗しており、これ以上の戦闘は不可能だった。演習を査閲する主任教官は、この結果を受けて、両者引き分けとした。
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シルヴァニア公国西部:中隊対抗演習Ⅲ・長距離行軍
最後の演習は、シルヴァニア公国北部から西部にまで伸びるシルパチア山脈への行軍だ。首都郊外の士官学校から、目標地点までは、980km以上もあり、単純計算で、一日40km以上行軍したとしても、25日間(※正確には24.5日間)は掛かる。
この演習でもっともきつく過酷なのは、この最後の演習だった。戦闘よりも、行軍の方が遥かに困難なのだ。
そもそも、古代から現代に至るまで、軍隊の展開と投射に占める時間は、戦闘や交戦でなく、行軍や機動である。これは、その鉄則と原理を身体に教え込むものだ。
行軍から半日を経た時、既に士官候補生の何人かが不調を訴えて、棄権していた。棄権したからと言って、退学処分にはならないが、しっかりと成績と評価に反映される。
行軍から二日が経った時、更に数人の学生が脱落した。行軍から一週間が経過した時、一割の学生が行軍から姿を消していた。
第1中隊は、2列縦隊で、舗装された道路を進んでいった。随伴する馬車を引っ張る軍馬は、覇気がなく、段々と動きが鈍くなっていた。
行軍途中、近隣の都市や村落から、物資を補給するが、その度に行進速度が遅くなっていく。歩き疲れた学生は、とにかく次の休憩と食事の事ばかりを考えていた。
あるいは、思考を停止して、ただただ代わり映えのしない風景をじっと見ながら、足を動かしている。長距離行軍は、学生の思考を奪い、欲望を湧きたてた。
目標地点に到着した時には、学生の1/4が脱落していて、若者らしい元気さは微塵もなかった。
※※
戦闘概報:中隊対抗演習について(第1中隊長)
①演習Ⅰ:攻城戦に於いて、我が隊は、塹壕でこもりながら攻撃する敵部隊に対して、決め手を欠く状況であった。我が隊は、高所という利点を十分に生かしきれなかった。お互い、膠着状態が続く中で、敵部隊は、塹壕の移動を決心し、銃剣突撃の様に要塞に接近してきた。我が隊は、ようやく高所を生かして、これを撃退していったが、マスケットの命中率は如何ともし難く、多くの撃ち洩らしが発生した。防衛に成功したものの、攻城戦に於けるマスケットの運用について、改善が必要である。
②演習Ⅱ:平野の戦いに於いて、我が隊は、四方八方に斥候兵を放って、早期に捕捉撃滅を図った。同じく、迂回機動によって、我が隊の側面に接近する敵部隊に対して、我が隊は、敵中央を突破する勢いで突撃し、敵の攻勢を減退せしめた。しかし、敵中央を突撃した我が隊の一部が敵中に孤立し、両翼で挟撃された。我が隊は、別動隊によって、この孤立した部隊の救出を試みたが、失敗した。この行動によって、彼我の部隊は、混戦状態になり、結果として、双方共に戦闘不能となった。
③演習Ⅲ:シルパチア山脈への行軍は、困難を極めた。行軍は、我が隊の体力や我慢という点で宿題を残した。まず、行軍に耐えられず、その場に倒れ込む者、置いていかれる者が後を絶たなかった。更に、物資補給や休憩・食事の度に、行軍速度が鈍くなって、より行軍を困難にさせていた。途上で、馬車の車輪が壊れて、その修理にかなりの時間を要してしまった。我が隊の問題は、体力、補給、行軍速度という全ての点で克服しなければならない。
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