悲シキ過去ノ思イ出
「はー、お腹すきました!」
「そうだな、今日の献立は何だろうか」
そんな他愛ない会話をしながら部屋へ向かう二人。
「しかし、イデアール兄上とナハト兄上は…一緒の空間にいて、喧嘩にならないだろうか」
グライはボソボソと呟く。
「心配ですか?」
ラインハイトがグライの顔を覗き込む。
分からない、と小さく答えるグライの肩をラインハイトはぽんぽんと叩いた。
「そんなに心配しなくても……あ。兄様は、ナハト兄様の実弟でしたね。
ナハト兄様が心配ですか?」
僕はイデアール兄様のこと全然心配ではありませんが、と付け足すラインハイトは薄暗い廊下をステップを踏みながら進んでいく。
それとは逆に、下を向いてゆっくりと歩くグライだったが、ゆっくり顔を上げるとこう言った。
「僕は、兄上達のことが心配なのではないんだ。ただ、跡目争いによって、国民の皆を不安にさせてはいけないと思うのだ。今は口喧嘩程で留まっているが、もしかすると大きな、国を巻き込んでの戦争になるかもしれない。それだけは…」
「兄様!」
グライの言葉はラインハイトの言葉によって遮られてしまった。
「兄様は心配しすぎです。確かにあの二人が戦争をする可能性はある。
でも、それを止めるために僕たちがいるんでしょう?
それに、もうじき気付いてくれるんじゃないですか?相応が足りないものを補い合える存在だということを」
「そうか…ふ、早く気づいてくれると良いな」
ラインハイトの割には真面目な言葉だった。少し可笑しくて、グライは笑みが溢れた。
「え、何で笑うんですか!」
ラインハイトは怒ったように言いながらも、笑っていた。
食事の間に来ると、先程の廊下の薄暗さが嘘だったかのように明るかった。
暗い場所にさっきまでいた二人は、思わず目を瞑った。
「まぶしっ」
「毎夕食時にこの眩しいのは、きついですー」
この城では、午後9時以降しか廊下の照明は付かないのである。
今は午後8時。夕食を食べ終わり、部屋に帰る頃に明るくなる様になっている。
テーブルに座ると、奥の部屋から年を取った使用人が出てきた。そして、
「もういらっしゃったんですか。お早かったですねぇ。もうじき、王やお妃様もお出でになられることかと。夕食まで、少々お待ちください」
きちんと整えられた髪はほとんど白髪で、相当年を取っているように見える。
それもそうだ。この使用人は、イデアールが生まれるよりも前からこの城で働いている。
「ああ、僕たちも少し来るのが早かったようだな。話しながら待っておくよ」
グライは年を取った使用人のほうを振り向いて言った。
「では、私は奥で夕食の準備をして参ります、何かご用でしたら、何なりとお申し付けください」
使用人はゆっくりと丁寧にお辞儀をして、戻っていった。
奥の部屋は厨房になっていて、使用人や料理人が食事の準備をしている。うっすらカチャカチャと食器の音がしている。
話しながら待っておく、等と言ったグライだったが、特に話す話題は無かった。
左の横髪が垂れてきて鬱陶しく思ったグライが耳に髪をかけたとき、何かに気づいたラインハイトが、あ、と声を上げた。
「どうした?」
「兄様って、左耳のピアス2つ付けてましたよね?今付けてるジャラジャラした奴と、エメラルドがはめ込んである銀のもの。朝食の時に見ましたよ」
「え?」
グライが自分の左耳に触れると、1つのピアスの感触しかなかった。
「もしかしたら、街で落としたかもしれない…」
「あ、でも。あれって紋章彫られてますよね?王家のオーダーメイドですし。誰かが拾って届けてくれるかもしれませんよ!」
「そうだな、僕は明日も街に行く予定だからな、探してみる。うん、届けてくれた者がいたら、お礼をしたい」
「お城に招待!とかはどうでしょうか!」
「いやぁ、それは僕の一存じゃどうも言えないな…」
ピアスの話からどんどん話が広がっていく。意外と話すことあったなぁ、などと思いながら、他の皆を待つ二人だった。
暫くすると、ナハトがやってきた。疲れた顔をして、目頭を指で押さえている。イデアールとの毎日の争いで、体力の無いナハトは疲れているのだろう。ぼーっとしていて、足取りはフラフラと不安定だ。
「ナハト兄上…大丈夫ですか」
「…あ?ああ、お前たちか。別に平気だ」
グライが声を掛けると怪訝そうに顔を上げたナハト。どうやら二人がいることにさえ気づかなかったらしい。
ナハトは大きな溜め息を一つつくと、テーブルに突っ伏してしまった。
その直後にイデアール、続いて父のフォルコが部屋に入ってきた。
ナハトは二人の気配を感じた瞬間すぐさま体を起こした。
テーブルに接していた前髪が少し乱れていた。
席に着いたイデアールは疲れなどは微塵も見せなかった。体力は有り余っているようだった。青白い顔色のナハトを見ては見下したような目をする。ナハトは極力喧嘩を買わないようにしていた。
そこにナハト、グライの母、つまりフォルコの側女のメーアがやってきた。
「遅くなって、申し訳ありません」
メーアはフォルコとナハトに挟まれた席に着く。
「いや、私たちも今来たところだ」
大丈夫だ、とメーアをフォローするフォルコ。決して美形という訳ではないが、国民から信頼されている理由の1つはこういった気遣いが出来るところだろう。
メーアはナハトの髪の乱れに気が付くと、自ら直してやった。
もう二十歳になったナハトは少し気恥ずかしいのか、小さくありがとうございます、と言った。
その光景を見て、イデアールが悲しそうな目をしたのを、グライは見逃さなかった。
イデアールとラインハイトの母は、ラインハイトが生まれてすぐに死んでいる。当時5歳だったイデアールは今も母のことが忘れられないのだろう。逆にラインハイトは実の母の事など知らないも同然。故にメーアを実の母のように慕っている。
イデアールは実の子でもない自分に、メーアが優しくしてくることに困惑していた。父にも母にも甘えることが出来なかった少年イデアールは、いつの間にか武芸に打ち込んでいた。やりたくてやっていたわけではない。ただ、母のことを忘れたくて、メーアに甘えたいと言う気持ちをかき消したくて、稽古していたに過ぎない。
自分に嘘をついて、
自分の気持ちを知らぬふりをした。
イデアールが七歳の時だった。
心にひっそりと闇を飼って育った彼は、今も甘え方を知らない。
Unzufriedene Liebe 廣田 司庵 @sian1133
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