Unzufriedene Liebe

廣田 司庵

第一章 国ノ伝説

夕暮レノ街

青年は静かに語り始めた。

ヨーロッパの南に位置する僕達の国、フリーデン国の街が夕暮れのオレンジに包まれる頃に、それらはやって来る。

人と同じような姿をした、恐ろしい化け物が…

「ええ?俺達と似てるの?それなら何も怖くないじゃん!」

綺麗な装飾を身に付けた青年を取り囲んでいた子供の一人が言う。

頬に傷があり、手には木の棒。見るからにヤンチャな子供だ。

その言葉に青年はにこりと微笑んで言った。

「そうかい?僕らと同じに見えても、いきなり襲ってくるかもしれない。

 ああ、それらが出始めるのは…今ぐらいの夕暮れの時間かな。」

青年は赤くなり始めた空を見上げて呟く。

威勢のよかった子供たちも、暗くなり始めた辺りを見渡すとソワソワし始めた。

「ま、伝説だけどね」

笑いながら子供達の頭を撫でる青年だったが、少し意地悪く微笑むと

「皆も、化け物が出ない内に家に帰ったほうが良いんじゃないか?」

よいしょ、と年寄りのように青年が立ち上がると、子供たちは顔を見合わせた。

「ねぇ、帰っちゃうの?」

寂しそうに子供たちが問う。

「ああ、城の者が心配するしな。」

「王子様って、大変なんだね…また明日も来る?」

「来るさ。ここは賑やかで楽しい。さ、早く帰ったほうが良い。…また明日な。」

「うん!また明日、グライ!」

子供たちは彼に対し手を振った後すぐに自宅へと駆けていった。

グライ、と呼ばれたその青年は子供たちが走っていった方向と逆の方に歩き出した。

グライが歩みを進める先には、白色を基調とした大きな城がある。

耳にあるピアス、手首にあるブレスレット。その全てに王家の紋章が彫られている。

グライはフリーデン国王家の王子なのだ。

王子と言っても三番目で、王の後を継ぐ可能性はほとんどない。

しかしその整った容姿は兄弟の中では一番だ。

白い肌に青みがかった黒髪。大きな空色の瞳。

明るく、誰にでも平等に接する性格で、国民からも愛されている王子だ。

少し悪戯好きなのが玉に傷なのだが。

もうすぐで城に着く…と言うとき、後ろからシャラ、という音がした。

何者かと振り返ると、16、7歳程に見える美しい女子と、連れの男が佇んでいた。

赤い花の刺繍が施された淡い色の洋服を着ている女子は、グライに見られていることに気付くなり、さっと顔を背けて夕闇に消えた。

連れの男は黒の服を着ていて目立たなかったが、女子が消えると呆れた様な顔をして追うように消えていった。

男のつけていた金の耳飾りが、音を立てた。

(あれ、今、消えた…?!)

人が消えたと言うことが信じられないグライは、5分程の間、二人がいた場所を見つめ立ち止まっていた。

「まさか、まさかね…」

先程子供たちに話した伝説の化け物は、あの人たちなのではないか。

そんなことを考えながら、城に帰り、自分の部屋に戻ったグライだったが、ずっと頭に浮かぶのはあの二人のことだった。

(綺麗な女の子だったな…薄暗くてよく見えなかったけど。

あの二人は、本当に化け物なのだろうか。消えてしまったのは驚いたけど…)

すっかり暗くなってしまった外を窓から眺めるグライだが、その目に二人の姿はなかった。

ずっと二人のことを考える自分が少しだけ馬鹿らしくなり、気分転換に部屋の外に出た。

奥まで続く廊下は静かで、グライの歩く足音だけが響く。いつもこんな感じだ。

昔からグライは賑やかな場所が好きだった為、よく騒いで注意されていたのを思い出す。

流石にもう騒ぎ、遊び回る年ではないが、この静かな空間に嫌気が差すのだ。

だから昼間は街の子供たちの元へ遊びに行く。

それに、近頃は長男のイデアールと次男のナハトが、国王であり父のフォルコの相続争いをしており、城の中の空気がピリピリしている為、城には居たくないのだ。

普通は第一王子のイデアールが継ぐのだが、次男のナハトもイデアールに負けず劣らずの能力を持っている故に相続争いに発展したのだった。

何より、腹違いの兄弟と言うことが、敵対心を煽っているのだろう。

フリーデン王家では、一夫多妻制が用いられている。

城に帰る度に気が滅入ってしまう。しかし、自分の家に帰るのが憂鬱だと思ってしまう自分に、少しばかり嫌悪感を抱いたグライだった。

気分転換の為に部屋を出たのに、余計に気分が悪くなったグライは、話し相手を探すことにした。

(兄上とは話しづらいし……そうだ、ラインの所へ行こう…)

ラインとは、グライと二歳離れた17歳の義弟、ラインハイトの愛称である。

ラインハイトはイデアールの実弟なのだが、相続争いには加担していない。

後継ぎ、政治、国等に無頓着な性格のラインハイトは、ただ見ているだけだった。

ラインハイトの部屋はグライの部屋と真逆にある。渡り廊下を通らなければならない。

グライは渡り廊下が苦手だった。特に夜。外と繋がっているため、暗がりの中に自分の足音、風の音、木々の葉がざわめく音、虫達の鳴き声。

途中で電灯が1つ立っているのだが、灯りに蛾が集まっているのが不気味で仕方なかった。

(急ごう…!)

やはり19歳になった今でも、ついつい足を速めてしまう。

なんとか渡り廊下を乗り切り、ラインハイトの部屋にたどり着いた。

コンコン、とドアをノックすると、誰ですかー?と返ってきた。

「あー、グライだ。入っていいか?」

「あぁ、兄様ですか、どうぞどうぞ!」

金色のドアノブを回して中に入ると、部屋の中に散らばった幾枚もの紙が目に入った。

その内の一枚をグライは拾い上げた。

「…なんだこれ。」

「あ、それは…」

そこに描かれていたのは、言い争いをしているイデアールとナハトだった。

荒い線画だったが、二人の特徴がよく掴めていた。

「…でも、何故この二人を?」

グライはラインハイトに訊ねた。

「いえ、特に理由はありませんが…ただの、絵の練習です。」

そう言うとラインハイトはにこりと微笑んだ。

「…そうか。」

(まあ、この絵を深く考えて描くような性格ではないな、ラインは。)

そんなことを考えながら、ラインハイトに絵を返すグライだった。

壁に飾ってある絵は、風景画が多かった。繊細な色使いに引き込まれた。

「と言うか、更に上手くなったな。ラインは小さい頃から上手だったが。僕もお願いしたい絵があるんだが…」

弟に頼み事をするのが初めてだったグライは少し気恥ずかしくなり、頬を掻きながら言い出した。

「へぇ、兄様が絵の頼みですか。珍しいですね。何の絵を描けばいいんですか?」

ラインハイトは机の方に戻ると、引き出しの中から紙切れと鉛筆を持ち出した。

そして、その紙切れに整った字で'グライ兄様注文'と書いた。

「この街が、夕暮れに染まるところを描いて欲しい。」

「夕暮れ、ですか…ふむ、描いたこと無かったです。それにしても、何故?」

ラインハイトは紙切れに夕暮れ、と書き加えた。そして、不思議そうにグライに聞いた。

「大した理由ではないんだが…今日も街に行ってきたんだ。日が暮れ始めて帰っていたとき、音がしてな。振り返ると素晴らしい景色が広がっていた。改めて見ると、こんなに綺麗だったのか、と思ってな。」

グライは消えた男女二人のことを言わなかった。

まだ、知られたくない。知っているのは自分だけでいい。そう思っていた。

「へぇ、なるほど。なんか、意外です。」

ラインハイトは鉛筆を指先で弄びながら言った。

「どうして?」

「兄様の事ですから、大好きな子供達の絵を描けと仰るものだと思っていました。…それに、夕暮れって、少し寂しい気がしませんか?賑やかなのが好きな兄様が夕暮れの景色って言うなんて、想像がつきません。」

「悲しい…?僕は今日の夕暮れにそんな感情は抱かなかったよ。」

そうですか、とラインハイトは一言言うと、紙切れを机の上に置き、

「もうすぐ夕食です。兄様、行きましょう!」

と、笑顔で言った。

「絵は、完成したらお声掛けしますね。」

「ああ、分かった。ありがとう。では、行こうか。」

二人は部屋から出て、食事する部屋へと移動した。

途中で渡り廊下を通ることになったグライだったが、ラインハイトがいたため、早足になることは無かった。

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