峠の黒髪アイスクリーム

「だから、今は誰もここには来ません。誰しも、目的地があるんです。あっちの町や、そっちの町。もっと遠くかもしれない。でも、少なくともここではない。

 ここに人が来てくれるには、どうすればいいのか。この茶屋を目的地にするしかないんです。そのためには母のアイスクリームじゃダメなんです。世界一の、アイスクリームじゃ……」


 少女の訴えは、少しずつ感情に迫りくるものへと変化していった。胸元の襟を苦しそうに握り、一直線に旅人を見つめていた。


「それでは、よもやこの黒髪アイスクリームというのは」

「はい、母のアイスクリームを超えるために、わたしが作りました。元々自信のないわたしですが、ひとつだけ、誇れるものがあります。髪です。」


 娘は自らの長い髪を持ち上げた。


「この髪は誰も褒めてはくれません。ですが、視線でわかるんです。この髪に、男も女も、老人も子供も、誰もが魅入り、そして押し黙るんです。この髪にはきっとそれだけ人を惹きつけるものがあるんだと、そう思います。だから、アイスクリームにしたら、きっとこの茶屋を求めて人が来る。そう、わたしは、信じて、いたいんです」


 信じていたい。

 その言葉尻はとても小さく、弱々しい。


 その姿を見て、旅人は思うのだ。

 峠は行き止まりであってはならないと。物も人も、風も思いも、峠はすべて淀ませず、通りぬけてゆく。

 目的の地へ。


「君は、想像したことがあるか」

「なにを、でしょうか」


「風のウワサが流れ流れて、黒髪アイスクリームが大繁盛した、その行く末を」


「そしたらきっと、嬉しいに決まってます」

 娘の返答を聞いて、旅人はふっ、とほほえんだ。

 そのあとで、アイスクリームを一気に頬張った。


 彼は、空になった器をかざす。


「いいや、後悔するよ。君の美しい黒髪が、すべてアイスクリームになって消えてなくなってしまうから」


 旅人は立ち上がった。囲炉裏の煙が、ふら、と入口のほうへ揺らめいた。

「ごちそうさま」


 旅人は硬貨を放り投げた。


「またここに立ち寄りたくなったら、遊びに来るよ」

 娘はそれを、上手に受け止めた。






   ――終幕

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峠の黒髪アイスクリーム 今田ずんばあらず @ZumbaUtamaro

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