敵か? 味方か? 改造ウイルスあらわる!

   

 俺はウイルスである。名前は、もうない。……といった事情は、今さら語るまでもあるまい。とにかく俺は『俺』ウイルスとして、生と死を繰り返す毎日であった。

 今日も今日とて、細胞に感染してバラバラとなり、いったん死んだ俺は、新しく作られた『俺』ウイルスの中に転生する。そして、次の細胞に感染して、また死んでしまうわけであるが……。

 薄れゆく意識の中、俺は気づいた。今回侵入したこの細胞、既に同族の『俺』ウイルスが感染している細胞であった。


 まあ以前の『先客』さんとは違って、あくまでも同じ『俺』ウイルスである。あの時は、『先客』ウイルスと『俺』ウイルスの部品タンパクしつが同じエンベロープに包まれようとして上手くいかず共倒れになる、なんて事態も目にしたが……。今回は、その心配もないわけである。

 もちろん、同じ『俺』ウイルスといっても、突然変異で少しくらい遺伝子やタンパク質に変化が生じている可能性は、ゼロではない。しかし、そうした突然変異は、それはそれで構わないのである。むしろ大歓迎である。

 ウイルスの変異は、ランダムに発生する、いわば偶然の積み重ねである。それが喜ばしくない突然変異であれば、世代を超えて受け継がれるはずもない。自然淘汰されて、ウイルスの生育環境に有利な変異だけが、残っていくものである。

 そう、それは『生育環境に有利な変異』である可能性が高いのであるから、そうした遺伝子やタンパク質を取り込めるのであれば、それは俺にとってプラスとなるのであった。あるいは、そうやって今までの『俺』ウイルスが新しい性質を獲得するのではなく、もう一方の既に変異した『俺』ウイルスの方に――変異した『俺』ウイルスから作られた子孫ウイルスの方に――、俺の次の意識が覚醒するかもしれない……。

 いやいや、これらは全て「同族の『俺』ウイルスが変異していた場合」という前提の話である。仮定に基づいた想像である。人それを妄想というのであろう。ごくごく平凡な子供が「ある日突然、僕は超人的英雄スーパーヒーローになる!」と空想するようなものであろう。

 少し恥ずかしくなった俺は、冷静に様子を観察することにした。もしも本当に同族の『俺』ウイルスに何らかの変異があるのであれば、この細胞の中で作られているウイルス遺伝子やタンパク質にも、俺と『同族』との間で、わずかな差異が見られるかもしれない。まあ、一目でわかるほど明確な変異など、まずありえないとも思うのであるが……。

 ところが、ところが。

 変異があるかもしれないという期待は裏切られずに、見てもわからないであろうという予想だけが外れたのである。『同族』の遺伝子は、あからさまに、俺のそれとは異なっていたのである。

 驚いたことに、遺伝子そのものが、微妙に長いのであった。

 では、その『微妙に長い』遺伝子から作られるタンパク質に異常はないのか、よくよく観察してみよう。

 いつものように、ウイルスの『手』となるタンパク質も、『顔』タンパク質も、『心臓』タンパク質も、普通に出来上がっているように思われる。外見的には、特に変化はない。機能的な変化は、実際にウイルスになってからでないと、わからないかもしれないが……。

 いやいや。ここで俺は、明らかにおかしな現象をの当たりにした。『手』や『顔』や『心臓』などのウイルスタンパク質だけでなく、得体の知れない謎のタンパク質も一緒に、『同族』ウイルスの遺伝子から作られていたのである!


 以前に述べたように、一般的にウイルスの変異というものは、遺伝子――設計図――の複製失敗コピー・ミスである。しかるに、設計図を写し間違えたら、設計図のサイズそのものが大きくなった……。こんなことが、起こり得るのであろうか? もちろん、書き写している間に、間違って一部分だけ繰り返し複写してしまう、という可能性は、非常に低いがゼロではないであろう。それならば、その分、少しだけサイズが大きくなるかもしれない。

 しかし。

 もともと存在していなかった部品タンパクしつを設計図に書き込んでしまうなんて、そんな失敗があるのであろうか。あるとしたら、それは『失敗』ではなく、故意に書き加えられたとしか考えられない。しかし、そんな『故意』は、ウイルスの複製過程に存在するわけもなく……。

 想像できる可能性は、ただ一つ。これは、自然なウイルス増殖の中で起きた出来事イベントではない。何者かが、外部から干渉したのである。かわいそうに『同族』は、その遺伝子に、人工的な変異を導入されてしまったのである。

 つまり。

 組換えウイルスである!


 組換えウイルスとは、人工的に遺伝子をいじくられたウイルスのことである。人間でいうところの、改造人間やサイボーグのようなもの、と思ってもらいたい。

 今や科学技術の発達によって、人工臓器などを用いた現実リアルの『改造人間』や『サイボーグ』も登場したようであるが、これらの言葉を聞いて最初に頭に浮かぶのは、実在するものよりも、むしろ漫画やアニメに出てくる『改造人間』と『サイボーグ』であろう。

 漫画やアニメといったフィクションの世界においては、最初から主人公側の組織や科学者が平和目的で作る場合もあったが、やはり悪の組織によって生み出される『改造人間』や『サイボーグ』の方が、圧倒的に多いのではなかろうか。

 そう、哀れな『同族』ウイルスも、悪の組織によって改造されてしまった組換えウイルスなのであった。この場合の悪の組織とは、他でもない、俺たちウイルスを駆除しようとする人間たちのことである。

 人間たちは俺たちウイルスを病原体として忌み嫌っているが、俺たちも好きで宿主を病気にしているわけではない。俺たちウイルスとしても、宿主が健康で長生きしてくれないと、俺たちの暮らす場所自体がなくなってしまう。少なくとも、ウイルスが次の宿主へと伝播するまでの間だけでも、しっかり宿主には生きていてもらわないと困る。それでも宿主が病気になってしまうのは、まあ、俺たちが勝手に宿主の細胞に侵入して生体機構を色々と借りるからであろうと思うし、仕方のないことなのであろうが……。

 ともかく。

 そんな俺たちウイルスに対して「病原体め! 駆逐してやる!」という態度を示す人間たちは、俺たちウイルス目線では『悪の組織』ということになるのである。


 しかし漫画やアニメのようなフィクションにおいては、いくら優れたサイボーグや改造人間を駆使しようと、最後には『悪の組織』は敗北すると決まっていた。だいたい『悪の組織』が作り出したサイボーグや改造人間の中から、組織を裏切って正義の英雄ヒーローとなる主人公が出てくるのが、定番となっていたからである。

 では『同族』ウイルスのように、人間たち――『悪の組織』――に改造された組換えウイルスの中にも、組織を裏切って、俺たちウイルスの味方となる救世主が現れるのであろうか?

 いやいや、現実は、そう甘くないであろう。

 そもそも『組織を裏切る』というのは、組織の想定に反した行動をとる、という意味である。フィクションにおける『悪の組織』は、せっかく高性能なサイボーグや改造人間を用意しても、それを想定通りに扱えなかったからこそ、最後は滅んでしまうのである。

 その点、人間は『悪の組織』としては高尚である。今まで人類が滅んだという話はついぞ聞かないので、管理がしっかりしているのであろう。予想外の組換えウイルスを作り出すこともなく、仮に出来てしまったとしても「失敗作!」として人知れず処分しているに違いない。

 サイボーグや改造人間をいきなり実戦投入したり、彼らに逃げられたりするフィクションの『悪の組織』とは異なり、人間は、作った組換えウイルスを「計画通りに働くかな?」と、まずは試すのである。しっかりとした管理下で、実験を行うのである。

 いわゆる動物実験というやつである。だから人類に敵対する可能性のある組換えウイルスが実際の患者に感染することはなく、世界に流出することはないのである。いや臨床実験という段階にまで至れば、実験動物ではなく患者に投与されるのであろうが、その段階まで進む時点で「この組換えウイルスは、我ら人類を裏切らないであろう」と、従順なものだけが選ばれているはずである。

 つまり、今俺が出会った『同族』ウイルスは、もうすっかり人間――『悪の組織』――の手先に成り下がったウイルスである、と考えてよかろう。

 もちろん、俺たちが暮らすこの体の持ち主が、実は実験動物であるならば――今まさに効果を試験中であるならば――、まだ『同族』ウイルスが『俺』ウイルスの味方になってくれる可能性もあるかもしれないが……。

 ちょっとそれは考えにくい。以前に『先客』ウイルスと遭遇した事例があるからである。もしも実験動物であるなら、別のウイルスが感染して実験データをおかしくすることがないよう、安全管理されているはずである。だから、この体は実験動物のものではない。普通に自然界で病原体のウイルスに感染する、野生の動物あるいは人間であると考えるのが普通であろう。

 もちろん野生の組換えウイルスなど存在していないのであるから、問題の『同族』ウイルスは、予防接種におけるウイルスワクチンとか、遺伝子治療におけるウイルスベクターとか、そうした形で人為的に投与されたものと思われる。


 さて、先ほど『組織の想定に反しない組換えウイルス』という話をしたのであるが……。

 では、人間という『悪の組織』は、何を想定していたのであろうか。どのような戦略で組換えウイルスを作り出しているのか。それについて少し、具体的に考えてみよう。

 俺が人間であった頃に聞いた話によれば、大きく分けて二つの組換えウイルスがあるらしい。

 一つは、ウイルスの部品タンパクしつそのものを変化させるように、ウイルス遺伝子を書き換える場合である。特に、病原性に関わる部位を弄ることが多いらしい。例えばワクチンとして接種するウイルスなどは、病気を引き起こすものであっては困る。しかし、元々のウイルスと性質が大きくかけ離れていると、それはそれで別のウイルスとなってしまうから、ワクチンとしての効き目が弱くなるであろう。そこで病原性に関わる部位だけに変異を入れたり、毒性の低い類似ウイルスの部品タンパクしつと入れ替えたりして、病気は引き起こさないけれど、それ以外はオリジナルとほとんど同じに見えるウイルスを作り出す……。これが、第一の組換えウイルス戦略である。

 もう一つは、ウイルスの部品タンパクしつそのものは変えずに、ウイルス遺伝子に新たなタンパク質を書き加える場合である。そう、俺が出会った『同族』ウイルスは、こちらであった。

 この後者の組換えウイルスは、ウイルス感染によって『新たなタンパク質』が宿主細胞の中に運ばれる形になるので、ウイルスベクターとも呼ばれるらしい。

 もちろん、ただ運び込むためだけならば、ウイルスのタンパク質は必要ないであろう。組換えウイルスの遺伝子からウイルスの部品タンパクしつ記載コードする領域を全て削り取って、目的の『新たなタンパク質』だけにしてしまっても、その組換えウイルスが感染した細胞内で、目的の『新たなタンパク質』は作られる。しかし、それでは一代限り、つまり最初の感染一回に限定されるので、効率が悪くなる。それでは、わざわざウイルスベクターという形を使う意味が少ない。他にも『ベクター』と呼ばれる運搬手段は、いくらでもあるという。

 だから一般的には、ウイルスの部品タンパクしつも全て記載コードされた設計図いでんしに、目的の『新たなタンパク質』を書き加える。そうした形で、組換えウイルスを作製する。そうすれば感染細胞内では、目的の『新たなタンパク質』が作られると同時に、また組換えウイルスが複製されて、次の細胞に感染した際、そこでも同じように、目的の『新たなタンパク質』と組換えウイルスが作り出されて……。同じサイクルが延々と繰り返されるのである。


 以上のような知識を思い出しつつ、俺は、問題の『同族』ウイルスが作り出す『得体の知れない謎のタンパク質』に再び着目した。

 少なくとも、人間という『悪の組織』が送り込んだ刺客である以上、組換えウイルスが作り出す『謎のタンパク質』は、俺たちウイルスにとって不利益をもたらす存在であろう。可能であるならば、その正体を見極めて、対処法を考え出したい……。

 そう思って俺は観察していたのであるが、残念ながら、最後まで見届けることは出来なかった。俺の意識が、新たな覚醒段階を迎えたからである。次の子孫ウイルスの中に移動したからである。

 ならば、とりあえず先ほどの組換えウイルスのことは一時忘れて、新しいウイルスとしての人生を謳歌するのも一興ではないか。俺は、頭をすっぱりと切り替えたのであったが……。

 なんであろうか? どうも不思議な感覚がある。いや、以前に『先客』ウイルスの中で意識覚醒した時ほどの違和感ではない。あの時は、ウイルスそのものの形状は変わるわ、大事な遺伝子も分断されるわ、もう大変であった。

 今回は、形もいつもの『砲弾型』であり、遺伝子も長い一本である。ただ、体が少し重いような気がするのである。確認してみたが、ウイルスを構成する部品タンパクしつの種類が増えたわけでもない。数は……。うん、多すぎて、とても数えられない。しかし、ウイルス部品タンパクしつの数量を調べようとしたところで、ようやく気づいた。核タンパク質の数が、微妙に多い。つまり、核タンパク質が保護しているはずの遺伝子が、いつもより少しだけ長くなっている。

 ということは……。

 組換えウイルスである!

 俺の意識は、あの場で作られていた組換えウイルスの方に、宿ってしまったのである!


 先ほど俺は『体が少し重いような気がする』と述べたが、別に、あからさまに動きが鈍くなるほど太ったわけでもない。遺伝子の長さが伸びた分、全体的にも少し体が伸びただけである。

 ならば、普通の『俺』ウイルス同様に動ける。つまり、新しい細胞に感染できるわけであるから、そこは一安心であろう。しかし、それならばそれで、俺は少し心配になってしまう。

 こいつは、人間が俺たちウイルスに害をなすために送り込んだ組換えウイルスなのである。はたして本当に、こいつが次の細胞に感染しても構わないのであろうか?

 いや、そもそも、こいつが作られていた先ほどまでの感染細胞は、どうなったのであろうか?

 それが確認できれば、次の細胞の中で起こるであろう問題トラブルも予測できるのであるが……。残念ながら、今の俺には、振り返るべき首がない。俺たちウイルスは、後ろを振り返ることが出来ないのである。

 振り向くな! 前だけを見て進め! ……などと言われるまでもなく、過去よりも未来を大切にするのが、ウイルスという種族なのであろう。

 まあ、今は、その未来こそが少し心配なのであるが……。

 とりあえず、考えていても仕方がない。そもそも、いくら頭を使ったところで、ウイルスとしては自分を制御できない行動もある。俺は、得体の知れない組換えウイルスとして、次の細胞に感染してしまった。

 さて、この細胞の中で何が起こるのであろうか。今度こそ、よく観察してみよう……。

 いつものように、体がバラバラになって意識も薄れる中、そのかすかな意識を集中して、組換えウイルスから作り出されるモノに注意を向けた。一つ前の感染細胞と同じく、やはり『得体の知れない謎のタンパク質』が続々と出来上がってきている。

 一体これは何であろうか?

 よく見れば、どこかで見覚えのある物質のようである。ということは、普通に感染細胞の中で作り出されるタンパク質なのであろう。どうやら、この組換えウイルスは、感染細胞が日常的に少量だけ作り出す宿主のタンパク質を、非日常的に大量生産させるように設計されたものらしい。

 では、具体的には、それは感染細胞内でどのような働きをするタンパク質なのであろうか?

 よくよく観察しているうちに、俺は、どこで見かけたものであったのか思い出した。ウイルスとしての魂に刷り込まれた、本能的な恐怖も呼び覚まされたからかもしれない。

 この『得体の知れない謎のタンパク質』の正体は……。

 生体の炎症反応に関わるタンパク質であった!


 こいつは、たしか炎症性サイトカインと呼ばれるタンパク質の一種であったと思う。まあ専門的な名称はともかくとして、炎症反応を引き起こすタンパク質である。

 いや、もしかしたら『炎症反応』と漢字四文字で記すと、それも専門用語っぽく聞こえるかもしれない。でも冷静になって考えれば『炎症』くらい、誰でも聞いたことのある言葉であり、誰でも経験したことのある現象であろう。例えば蚊に刺されたとか打ち身とかで、その部位が赤くなったり、熱を帯びたり、腫れ上がったり、痛くなったり……。アレである。ほら、そうした嫌な記憶が蘇ってくるはずである。

 そう、おそらく大多数の人間にとって、炎症反応は『嫌な記憶』なのではあるまいか。たった今、俺は『赤くなったり、熱を帯びたり、腫れ上がったり、痛くなったり』と述べたが、これらを気持ち良く感じて大歓迎するのは、一部の特殊性癖の持ち主だけ――アルファベットのMから始まる呼称の人々だけ――に違いない。もちろん、ごくごく普通の人々であっても「痒い!」と思った部分を掻いて、一時的に「気持ちいい!」と感じることはある。ただし、あくまでも、それは瞬間的な気持ち良さに過ぎない。掻いたことにより患部が酷くなる、つまり『掻き壊す』なんてことにも繋がるから、直後に後悔するに違いない。

 まあ、そんなわけで炎症反応は、どちらかといえばマイナスのイメージで人間の脳裏に刻み込まれた言葉であろう。そして、そう考えてしまうと、疑問が生じるはずである。

「ならば、組換えウイルスの理屈には、そぐわないのではないか? 炎症反応を引き起こすタンパク質をウイルスベクターで送り込んで、体内で過剰に作らせても、嫌な思いをするだけではないか?」

 人間であった頃の――特に友人からウイルスやら病気やらの話を聞く前の――俺であったならば、そのように言い出したであろう。だから、同じことを思った人のために、また少し昔話をしてみたい。



 アポトーシスという言葉がある。

 一応、学術用語の一種かもしれないが、この言葉を俺が知ったのは、生物学の教科書からでもなければ、そうした分野に詳しい友人の話からでもない。テレビで放映されていたロボットアニメの中で、出てきたのである。

 そのアニメでは、主役ロボが発進する際に「アポトーシスのパーセンテージが……」という台詞が頻出していた。まあ「エネルギー充填120%!」みたいなニュアンスに聞こえたものである。特に、作中では『ネクローシス』という言葉と併用されて、その対義語であるかのように扱われていたので、余計そう感じてしまった。

 もちろん『ネクローシス』も、生物学に疎い身では聞き慣れない言葉であったが、ネクロマンサーの『ネクロ』である。ネクロマンサーならば娯楽小説や漫画でおなじみであり、何か『死』にまつわる言葉である、と理解できた。その反対であるならば、アポトーシスは『生』に関する肯定的ポジティブな言葉のはずであり、だからアポトーシスの割合が上がると、主役ロボは発進できるのであろう、と俺は勝手に納得してしまったわけである。

 ところが。

 ちょうど同じ頃、ウイルスの研究をしていた友人――以前の話にも出てきた知り合い――と、この件について語る機会を得た。アポトーシスとは『生』に関する生産的な言葉であろう、と俺が嬉々として伝えると、まず一喝されてしまった。

 馬鹿を言うな、と。

 彼の説明によると、アポトーシスとは細胞死の一種であるという。

 はてさて。

 それでは、俺の理解とは逆ではないか。アポトーシスは、ネクローシスの対義語であるどころか、類義語ではないか。アポトーシスはネクローシスの仲間ではないか。

 ああ、ロボットアニメで覚えた知識をひけらかした俺が間違っていた。しょせんロボットアニメはロボットアニメであり、それっぽい用語を適当に使った、子供騙しであった……。

 しかし、この俺の嘆きを耳にした友人は、先ほど以上の大声で俺を叱り飛ばした。

 馬鹿を言うな、と。

 あのアニメは良く出来ている、と。

 少なくとも『アポトーシス』に関しては間違っていない、と。


 ここから、彼のアポトーシス講座が始まってしまった。

 以下は、あくまでも、彼から聞かされた当時の――くだんのロボットアニメが放映されていた当時の――話であるが……。

 なんでも、ちょうど生物系の研究者の間でも、アポトーシスはブームなのであるという。若い学生向けの平易な専門誌でも、アポトーシスの特集が頻繁に組まれているし、逆に偉い先生たちは「アポトーシス関連ならば今は研究費が申請しやすい」と言っているという。

 ほう、そんな最先端の言葉をアニメに取り入れるとは、凄いではないか。「しょせんアニメ」とか「子供騙し」とか、そうした前言は撤回するべきであろう。

 では、その専門家の間でも流行のアポトーシスとは、一体なんであるのか。

 先ほど彼は『アポトーシスとは細胞死の一種』と述べたわけであるが、ここで彼は言い直した。

 教科書的な定義としては、アポトーシスは計画的な細胞死である、と。

 はて、計画的とは? では計画的ではない細胞死があるのであろうか? そう思ったところで、ふと気づいた。『細胞死』という言葉で誤魔化されそうになったが、そもそも『死』というものは『計画的ではない』方が一般的であろう。

 その通り、と彼は言う。

 細胞死においても、従来の一般的な細胞死の概念は、偶発的に引き起こされるものであった。いわゆる壊死である。これをネクローシスという。

 おお!

 この説明を聞いて、ようやく少しすっきりした。なるほど、確かに『死』というくくりで言えば、ネクローシスとアポトーシスは、仲間であろう。しかし片方は偶発的に死ぬものであり、もう片方は計画的に死ぬものである。つまり事故死と自殺である。ならば、ある意味では反対とも言えるわけである。

 そうやって俺が考えている間に、彼はアポトーシスの具体例を提示していた。

 例えば、人間でも母親のお腹に中にいる頃は、まるでアヒルのように、指と指の間に水かきが生えている。しかし人間には不要なため、水かき部分の細胞は計画的に殺されて除去される。これは、アポトーシスによるものである。

 例えば、水の中を泳ぐオタマジャクシは、カエルの子であるが、親カエルとは違って尻尾が生えている。しかしカエルとなってピョンピョン飛び撥ねるには、尻尾は邪魔になるので、オタマジャクシからカエルに変態する過程で除去される。これも、アポトーシスによるものである。

 おお!

 前者の例はともかく、後者の例はイメージしやすいではないか!

 変態という言葉は少し感じ悪いが、姿形が変わるのであるから、要するに『変身』である。

 ならば、漫画や特撮に出てくる変身ヒーローも、変身の度に、不要部分をアポトーシスによって除去することで、その形態を変化させているのであろうか?

 しかし。

 俺がこれを口にすると、彼は渋い表情を見せて嘆いた。

 今は学術的な話をしているのであるから、フィクションの話はめてくれ、と。

 いやいや、彼は何を言っているのであろうか? そもそも、アニメ番組の中での『アポトーシス』という用語の扱いから始まった話であろうに……。


 こうやって彼の説明を聞くうちに、ふと、新たな疑問が湧いてきた。

 アポトーシスが計画的な細胞の自殺であるというならば、彼の研究分野とは関係ないのであろうか。細胞がウイルスに感染するというのは、定められた計画書には記載されていない、偶発的な事態のように思われる。

 これを俺が持ち出すと、今度は彼は、真面目に取り合ってくれた。

 彼の説明によれば。

 確かに、従来、ウイルス感染による細胞死はネクローシスであると考えられてきた。しかしアポトーシスの研究が盛んになって、そうした見地から調べてみると、死に方そのものはネクローシスではなくアポトーシスの場合もある、とわかってきた。

 あくまでも「アポトーシスに見える死に方」という話である。しかしメカニズムを調べてみると、普通にアポトーシスを引き起こすタンパク質やら何やらが細胞内で頑張っていたので、やはりアポトーシスであるとしか言えない。

 一見『計画的な細胞死』という定義とは矛盾しているように聞こえるかもしれないが……。

 こう考えてみては、どうであろうか?

 ウイルス感染で細胞が死ぬ場合にも、あらかじめ「ウイルスに感染したら死ね!」という計画プログラムが細胞内に用意されていたのである、と。

 ああ、彼のこの説明は、俺にも理解しやすい。つまり、フィクションにおける悪の組織が「裏切り者は死ね!」と厳命するのと同じであろう。ウイルスに冒された細胞は、どんどんウイルスを生み出すようになるのであるから、生体側から見れば、いわば裏切り者である。ほら、アニメや漫画でも、悪役が裏切って主人公側につくのは死亡フラグではないか。裏切ると死んでしまうとか爆発してしまうとか、そんなシステムが体に埋め込まれている場合が多いではないか。

 なるほど、ウイルス感染細胞が死ぬのも、確かに『計画的な細胞死』であっても不思議ではない。

 ただし、当時はまだ、特に彼の専攻しているウイルスに関しては、あくまでもアポトーシスは細胞死の一形態に過ぎないという捉え方が主流であった。それぞれの感染細胞の死に方から「これはアポトーシスであるか、あるいはネクローシスであるか」と判別する段階の研究であったという。

 あまりポジティブなニュアンスでは研究されていないとか、アポトーシス関連の研究としては遅れている――まだ初期の初期――とか、彼は感じていたらしい。なお、数年後に彼から再び話を聞いた時には、すっかり状況も変わり、アポトーシスをポジティブに利用する方向性が――例えば故意にアポトーシスを用いてウイルス感染細胞を除去するような研究が――主流になっていたそうであるが……。

 ともかく。

 だから当時の彼は、余計に、先ほど話題にしたアニメの中での『アポトーシス』の扱いを、最先端であると感じていたらしい。

 最後に。

 彼は、次のような持論を展開していた。

「多少なりとも専門知識を持つ者が見ても納得できるアニメは、それだけで素晴らしい。子供向けと子供騙しは、大きく違うのである。子供騙しではないというだけで、普段アニメを見ない大人の鑑賞にも耐えうるのである」

 なるほど。

 そもそも、当時の俺にしたところで、基本的にアニメを見る習慣などなかった。ここで話題にしているアニメも「世間で流行っているから見てみよう」という程度で、目にしただけである。その意味では、彼のいうところの『普段アニメを見ない大人の鑑賞にも耐えうる』アニメでなければ、俺は存在すら知らずに終わっていたであろう。

 しかし……。

 この件に関してこれほど熱く語るということは、彼は、いわゆるアニメおたくであったのか。

 俺は彼のことを、ウイルスおたくであると思っていたのに。


 ちなみに。

 この少し後で、同じアニメに関して、他の知り合いとも話す機会があった。こちらは、やはり先述の『彼』と同じく理系の人間であるが、今度は『彼』とは違って数学系の勉強をしている者である。

 その数学系の友人は、アポトーシスとは別の部分を賞賛していた。

 理論物理学的な見地から、面白いと思えるエピソードがあったという。その友人が語る内容は、俺には全く理解できなかったのであるが、どうやら俺が「何これ、意味わからん」と思ったエピソードこそ、理論物理学をかじった友人には、逆に納得できる話であったらしい。

 このように、俺の広くはない交友関係の中だけでも、二つの例があるくらいである。他の専門分野の者が別の部分を「面白い!」と感じる例も、おそらく多発したのであろう。

 ならば、あのアニメがブームになった――日頃アニメを見ない俺のような人間にも受け入れられた――のも理解できる、と思ったのであった。


……とまあ、かなり大きく話が逸れてしまったが。

 アポトーシスのように、本来マイナスと思える『死』も、不要な細胞や害悪となる細胞を取り除くのに利用することで、プラスとなるのである。このように、一見マイナスでもプラスに転じてしまうという話が、生体内のメカニズムとしては、結構あるのであった。

 その意味では、炎症反応も、アポトーシスの話と同じである。『赤くなったり、熱を帯びたり、腫れ上がったり、痛くなったり』という部分だけ着目すれば、どう見てもマイナスであろう。しかし、そのような症状を引き起こすことで、細胞の中では「もうダメ!」という信号シグナルを発しているのである。そこから、プラスに転じるのである。

 ただし。

 この『信号』は、救難信号とは少し違う。信号を発することで、その細胞が助け出されるわけではない。似て非なるものである。広い意味では『救難信号』と言えるかもしれないが……。

 ちょうど、昔々のゾンビ映画の中で出てくる『救難信号』と同じかもしれない。ゾンビの群れの中に取り残され、逃げ惑う生存者が――数少ない生存者が――、映画のクライマックスで、ようやく『救難信号』を発信できる装置に辿り着く。その信号が、どこか遠くの偉い人たちのところまで届くシーンが描写されて、視聴者は「ああ、主人公たちは助かった!」と胸を撫でおろすのである。ところが次の瞬間、物語の舞台となった街へ目掛けてミサイルが発射されて、主人公たちもゾンビも共々、辺り一帯が消滅して物語は幕を閉じる……。

 この場合、主人公たちは助からなかったが、発生したゾンビを焼き尽くしたことで、パンデミックは防げたのである。つまり、世界全体は助かったのである。その意味では、確かに『救われた』のである。

 炎症反応の場合も、これと同じであろう。炎症を起こした細胞は助からないとしても、それを排除することで、被害が全身に広がることはなく、その体の持ち主は助かるのである。まあ、アポトーシスで感染細胞を殺して取り除くのと、似たようなものである。実際、アポトーシスの機構が炎症に関与する場合もあるらしいが……。

 基本的に炎症反応の場合、赤くなったり腫れ上がったりして血流が活発になるのであるから、血液中の白血球が、また頑張るのであろう。炎症の原因や問題の発生した部位を、白血球が取り除くのであろう。

 つまり。

 この組換えウイルスが大量に作り出すタンパク質――炎症性サイトカイン――は、一連のイベントを引き起こし、白血球を呼び寄せるものであった! ウイルス感染細胞を排除するためのものであった!

 今回改造されたウイルスは「そうやって感染細胞を通常の感染細胞以上に排除されやすくする」という目的で設計された、組換えウイルスであった!

 ああ、あの忌まわしき白血球が、再び俺の前にやってくる。上述のゾンビ映画の中で、目前に迫ったミサイルを見上げた主人公たちも、こんな心境であったのかもしれない……。


 こうして。

 白血球の働きにより、俺の意識が宿った組換えウイルスは、感染細胞ごとやられてしまった。

 ゾンビ映画の登場人物たちと同じである。ただ彼らと違うのは、俺の場合、次のウイルスに転生できるということであった。

 予定通り、次のウイルスの中で意識が目覚めた俺は、まず、新しい体を確認した。

 うん、大丈夫。今度は、ちゃんと正常な『俺』ウイルスである。悪の手先となった組換えウイルスではない。そして、いつも通り、次の細胞に感染して……。

 感染した細胞の中でも確認する。見た感じ、例の組換えウイルスは、この細胞にはいないようであった。


 あの組換えウイルスは、この宿主の体内で、どれほど増え続けるのであろうか。

 基本的に、問題の組換えウイルスに感染した細胞は、炎症性サイトカインを過剰に作り出すことで炎症反応を引き起こし、排除されやすいはずである。炎症反応で細胞がやられてしまうのであれば、それ以上は組換えウイルスも増殖できないであろう。

 もちろん、俺の意識が一度は組換えウイルスの中で覚醒したように、まだ細胞が生きているうちに作り出された分もあるのであろうが、その産出量は少ないと考えて構わないのではないか。

 そもそも、正常な『俺』ウイルスであっても、細胞に迷惑をかけるから、毒性とか病原体とか言われるわけである。組換えウイルスとは無関係に、炎症やらアポトーシスやらを引き起こして、感染細胞がダメになる場合もあるであろう。それでも、組換えウイルスによってそうした現象を加速させた場合と比べれば感染細胞が生き残る可能性は高く、結果的に作り出される正常な『俺』ウイルスも、組換えウイルスよりは桁違いに多いはずである。

 そう。

 組換えウイルスの割合なんて、全体で考えれば、微々たるものなのである。気にするほどの存在ではない。

 まあ、組換えウイルスによって呼び寄せられた白血球が周囲を徘徊しているのであれば、感染細胞の除去云々は別にしても、この宿主の体内では免疫活動が活発になっていると言えるかもしれない。むしろこれこそ――体内の免疫活動の活性化こそ――、人間たちという『悪の組織』が、組換えウイルスを用いて炎症性サイトカインを大量生産させる目的なのかもしれないが……。


 とりあえず、組換えウイルスのことは忘れよう。

 先ほども述べたように、過去よりも未来を大切にするのが、ウイルスという種族なのである。些細な問題があろうと、気にしてはならない。

 もしかしたら楽観的すぎるかもしれないが、悲観的すぎるよりは良いではないか。

 そもそも、こんな考え方が出来るのも、俺が人間ではなく、ウイルスになったからに違いない。そう、俺は現状に満足しているのである。ありがたい、ありがたい。




(「敵か? 味方か? 改造ウイルスあらわる!」完)

   

   

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俺はウイルスである 烏川 ハル @haru_karasugawa

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