「……だから、ずるいよ」
───この後のことは、正直思い出したくない。
すっかり二人の世界に入り込んでいた志穂たちは、そこが中庭から眺め放題の渡り廊下で、その中庭には結構な人数がいたことを、すっかり失念してしまっていた。
そのせいで、生徒会の「夫婦」が本当の「夫婦」に、正確には「恋人」なれておめでとう!と言わんばかりのお祭り騒ぎに発展してしまった。
繋いだ手を離す暇すらなく、慌てて逃げ出したのは言うまでもない。
あんな恥ずかしい姿を、他の生徒たちに晒すとは。
後になって後輩から連絡が来たが、二人の顛末は後輩たちの間でも語り種になっているようで、要は全校生徒が知るほどの騒ぎになったとか何とか。
恥ずかしいこと、この上ない。
ただ、もう高校に行くこともないし、恥はかき捨てておけばいいかと楽観視していたのだが。
「……合格報告のこと、すっかり忘れてた」
国公立大学の前期日程の合格発表は、卒業式後。その結果を高校まで報告をしに行かなくてはならないことを、すっかり忘れていた。
後輩たちに見つかる前にさっさと済ませて帰りたいけど、上手くいくかどうか。そもそも、先生たちに何を言われるやら。
既に顔が赤い志穂を余所に、隣を歩く手塚は飄々としていた。
「互いに希望大学に合格できたし、いいだろ」
「そういう問題じゃないんだけど」
「同じ大学に行けるし、いいだろ」
「そういう問題でもないんだけど」
「恥ずかしい思いをするのは、俺も同じだし、いいだろ」
「だから、そういう問題でもないよ」
そういう開き直り方はどうかと思う。
手塚くんってこんな性格だったっけと不思議に思いつつ首を傾げたところで、一つ思い出した。
「そう言えば、聞きそびれていたことがあったんだけど」
「何だ」
「わたしが髪を切ったの凄く気にしていたけど、何でかなって」
血相変えて走り寄ってきた手塚のこと、今でもしっかり覚えている。
志穂の質問に、手塚はばつが悪そうに視線を少しだけ外した。
「……前に俺のせいで髪を切らせてしまったやつがいた、というのもあるけど」
「うん」
「長い髪の国枝しか見たことなかったのに、急に短くなって、国枝が国枝じゃなくなったような気がして……怖かったというか」
「髪切っても切らなくても、わたしはわたしだよ?」
「そうだが……」
「それとも、長い髪の方がよかった?」
それなら、自分でも馬鹿なことをしたなと反省するところだが。
手塚はうーんと、少し悩みながら。
「どちらかというと、長い髪の方が、好き……かもな」
春風に揺れる志穂の髪に、そっと手を触れて。
「でも確かに。短くても長くても、俺の好きな国枝に変わりはない」
「……っ、だ、だから……っ」
しれっとそういう恥ずかしいことを言わないで欲しい。
思わず立ち止まって顔を伏せると、からからと手塚の珍しい笑い声が前から聞こえてきた。
「伝えたいことはちゃんと言葉にしようって、それを始めたのは国枝の方だろ」
「分かってるけど、こんなに恥ずかしいとは思わなかった」
手塚がしれっと恥ずかしいことを言える人だとも思わなかった。
きっと、こうして知らなかったことに気付く機会は、まだまだ増えていくのだろう。それでいい。もっともっと増えていけばいい。
きっと、その度に、あなたのことを好きになっていくから。
「さて、少し急ぐか。行こう」
さり気なく志穂の手を握って、手塚が歩き出す。あまりに自然な動作に、志穂は恥ずかしいと思う間もなかった。
いや、寧ろ、それを望んでいたような気がする。
赤い顔が今度はちょっぴりにやけ顔になるのを自覚しつつ、志穂は言う。
「手塚くん。何で」
何で、手を繋ぎたいって分かったの?
その言葉を口にする前に、手塚は答えた。
「分かるさ。それくらいは、言われなくても」
自分がしたいと思うタイミングが、相手の望んでいるタイミングだから。
言外にそれを匂わされて、また恥ずかしくなった志穂はただ。
「……だから、ずるいよ」
いつかと同じ言葉を呟いて、手塚の背中に続いた。
あの時とは違う、幸せに満ち足りた心持ちで。
【了】
生徒会夫婦のイシンデンシン 伊古野わらび @ico_0712
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